4-45『超越に対う』
はっきり言ってしまえば、メロ=メテオヴェルヌは魔術の訓練などしたことがない。
いや、完全に零と言えばさすがに嘘だろうが、通常の魔術師ならば例外なく行う座学としての魔術に、メロは一切の価値を見出していない。
なぜなら、天才だから。
というより厳密には天災であって、実のところ彼女が本当に天才なのかは意見の分かれるところだ。少なくとも彼女には通常の魔術が一切使えないのだから。ある意味ではアスタと同じように。
何が違うのかと言えば、アスタのほうが印刻以外の魔術に対する適性をまったく持っていない――言い換えれば印刻魔術以外はどれほど訓練しようと絶対に使えない、最初からそんな機能が備わっていない――のに対して、メロは違う。使おうと思えば使えないことはない。
ただ、致命的に下手くそなだけだ。
魔術は体系化されている。その分類は、本来なら意味がない。魔術は全て魔術であり、《世界に定められた法則を、術者の意志によって書き換える》という基本法則は、ひとつの例外もなく通底する大前提だ。
元素、結界、錬金、治癒、混沌、印刻、数秘――こういった分類はあくまで人間のイメージに沿って、あるいは術式の構築に必要な儀式の方法といった基準によって、術者の適性を明確にするための建前でしかない。
普通魔術という言葉があるが、これはこういった分類のなされていない魔術を総称しているだけだ。普通魔術という魔術があるわけでは決してない。特に名前のついていない魔術を総称して、便宜的に普通魔術としているだけ。だから、仮に元素魔術に《元素魔術》という名前がついていなければ、それは普通魔術なのだ。
本来、魔術とは全てが普通魔術である。
とはいえ、違いがないわけではない。元素魔術がなぜ元素魔術と呼ばれているのかと言えば、それは当然、ほかの魔術とはやはり違いがあるからだ。
では、何が違うのか。端的に言えば、その答えはこうだ。
すなわち、《方法》が違う。
術式による書き換えが同じでも、その書き換え方が違うということ。
印刻であるのならルーン文字に術式を代替してもらう。ルーンはひとつひとつが膨大な意味を持った術式であり、術者はその中から自らの意志に最も沿った意味だけを抜き出して――解釈して魔術を成立させる。
数秘魔術なら、ルーンの代わりに数字を使う。混沌魔術ならば神話や宗教、歴史、あるいは術者の背景を用いる。錬金魔術なら現実に存在する《物質》、治癒魔術なら治癒の対象である《肉体》、結界魔術なら結界を張るその《空間》そのもの――といった具合になる。逆を言えば治癒魔術は治す対象が、結界魔術は結界を張る空間それ自体が存在しなければ使えない。使う意味もないだろうが。
土台、世界という圧倒的な情報量を前に、人間が単独で全てを改竄せしめるなど不可能に等しいということ。やり方を絞るとは、つまり理解の範囲を狭めること、あるいは理解せずとも魔術を使えるようにすることだ。
ここをこうすればこうなるよ、と。教えられればそれはできる。
魔術を理解していることと、方法だけ知って使えることでは大きく異なる。
元素魔術は少し特殊で、術式を自分では創らない。あれは本来、現実世界とは別の次元にあるとされる《精霊》という架空の高次生命に、術式を代替してもらっているのだ。精霊に対し《火を作ってください》とか《水を出してください》といった、いわばお願いをする行為が元素魔術である。
術式の大部分を代替してもらう。それも人間より上位の存在である精霊に。元素魔術の特徴である、《簡単で》《威力が高く》《素早く使え》《けれど特別な効果を持たせるのは難しい》という点は、精霊が術式を代替するせいだった。
それも、極まった元素魔術師となれば精霊に対するお願いを命令にまで格上げしてより高い効果を発揮したり、魔術それ自体に精霊の概念を上乗せして特殊な効果を発揮したり、あるいは精霊そのものを現実世界に喚起したり――と、できる幅は広がっていくのだが。
その点で言えば、あのウェリウス=ギルヴァージルはメロの目から見ても化け物だ。ぜひ一度、手合わせしてみたいと思うくらいに。メロの中において、《戦ってみたい》という評価は相手に対する最大の敬意だ。シグやアスタといった七星の団員を引き合いに出すまでもなく、一点特化型の突然変異的な魔術師は、おおむね異常な適性を発揮する。
元素魔術に適性が必要とされるのは、つまり各属性を象徴する精霊との相性があるからである。相性の悪い精霊は、いくら呼びかけようと反応してくれない。
もちろん、完全に術式が精霊任せというわけではない。呼びかけるという行為それ自体もひとつの魔術だからだ。だからたとえばアスタの場合、《火》の適性自体は持っている――つまり火属性の精霊との相性自体はいいのだが、肝心の呼びかける声そのものを発せない。だから元素魔術を使えないわけだ。もっとも、お陰で《火》や《太陽》といった火に近い概念を持つ印刻との相性はいい。
まあ、いずれにせよそれも、結果的に《世界を書き換える》という行為のひとつの方法論でしかない。
そしてこれら――誤解のある表現だが――いわゆる《有名な魔術》は、そのやり方が広く周知されている。長い魔術の歴史の中で少しずつ紐解かれ、やがてそれは魔術の方法論として誰もが扱うようになるわけだ。魔術を学ぶとは、結局のところ、どこまで行っても先人のやり方を模倣するということに過ぎない。どんな技術でも同じように。
極論しよう。
真似が巧いほど、魔術も巧い。
それが、メロにはできなかった。
体系化され、簡略化され、魔術は簡単になった。世界を読み、特定の一部分を違う術式に書き換える。
それが本来の魔術だ。だが、今は違う。
この部分を、こういう風に書き換えれば、こんな結果が起きるよ、と。誰もが最初から知っている。魔術の難易度は格段に下がった。理解しておらずとも、同じ結果を作り出せるのだから。
それは否定されることではないだろう。ごく一部の天才にしか扱えない技術は普通なら広まらない。それを広めた先人の功績は、人間社会にどれほどの価値をもたらしたことだろう。
というか、初めから想定されていないのだ。
誰もが使えるようにした魔術を、そのせいで逆に使えなくなる人間がいるなんてことは。
それは性格の問題なのか。あるいは生まれついての適性か。
こうすれば簡単だ、という魔術の教えが、メロにはこれっぽっちも理解できなかった。
だって、そんな風に言われた方法を使うよりも、ずっと簡単に、より大きな効果を、彼女は自力で生み出せる。
教えられた方法より簡単な術式を、メロは初めから知っている。生まれついて、彼女は誰よりも世界の記述に対する理解度が軒並み外れて高かった。書き換える方法だって、自分で好きにやったほうが楽だし早いし何より巧い。指示された書式をいちいち守るほうが、メロには逆に難しかったのだ。
それを、果たして魔術の天才と呼んでいいのか。少なくとも、ヒトが普通に言う魔術をメロは苦手としているのだから。
それでも彼女が使うのは――あくまで普通の魔術なのだ。
おそらく七星旅団の団員どころか、三人の魔法使いですら至ることのできない境地だろう。メロはその場所に初めから、生まれたときから立っていた。本来の意味に沿うのなら、彼女ほど正しい魔術師は存在しない。あり得ない例外でありながら。
もちろんメロだって、世界の全てを情報として理解できているわけではない。そんな人間は存在しない。存在しない魔術を、一から作り出すのは彼女にも難しい。
というか、もしそんなことができるなら、その時点で彼女は四人目の魔法使いに名を連ねるだろう。
彼女が魔術を模倣し、自分なりに再現できるのは、あくまで手本となる
大本があるからだ。それなくして自力では難しい。あくまで自分なりにであるから、必ずしも同じ効果にはならない。上回ることもあれば、もちろん劣化することだって多い。
シャルが見た魔術を、見た通りに再現しているのとは、やっていることが根本的に違うというわけだ。
――とまあ、それがメロ=メテオヴェルヌという魔術師の秘密。
天災。天才ではなく、天才でありながら、天災。その所以。
彼女がいかに例外的な存在であるか、誰にだってわかることではある。あるのだが。
だからといって、戦えば必ず勝てるというわけではない。
※
「……もう、ホンットあり得ないんだけど……」
空を見上げてメロは呟く。冷たい土の感触を、心地いいと思えるような心境ではなかった。
これで何敗目だろう。もう数えるのも忘れてしまった。
目の前には、五体満足どころか完全に無傷のシグウェル=エレク。この場合は実力差と言うよりも、単に傷がつくときには負けみたいな彼の特性のせいなのだろうが、それにしたってこれは酷い。メロがどんな魔術を使おうと、全て魔弾のゴリ押しでぶち破ってくるのだから。もう本当にマジでふざけるな。
「……しかしまあ、強くなったものだな、お前も」
その上で、師匠と来たらそんな台詞を吐くのだから、もう本当にやっていられない。
嘘でないことは知っている。冗談でも挑発でもないのだ。彼はそういうことを言わない。そんな性格じゃない。
だから、聞きようによっては煽りにすら聞こえるその言葉も、本心だとわかるせいで口元がにやけてしまう。それがまた、なんだか、不愉快だ。
認められるのが嬉しくて、それを認める自分が嫌で。
「……エレ兄に勝てないんじゃ、まだまだよ」
ひょい、と立ち上がってメロは言う。それもまた本心だ。
「負けるときは一瞬だろうがな。俺は戦闘に特化しすぎている」
「慰めにならないなあ……」メロは苦笑。「嫌みじゃないのは知ってるけどさ、それでも、エレ兄にはいつか勝ちたいじゃん」
「お前にとっては結局、魔術は手段か」
「そうだよ。エレ兄は違う?」
「いや」シグは首を振る。「俺にとっても同じだ。俺は魔術を極めようと思ったことなど一度もない」
「……そもそも無理でしょ、エレ兄には」
「まあ、その通りだな」
七星旅団、二番。旅団最強の副団長。
シグウェル=エレク。
魔術師としては、彼もまた異様な方向性の人間だった。というか、七星において真っ当な魔術師と言えるのは教授くらいだが、それはともかく。
彼は魔弾使いだ。魔弾以外は使えない。才能以前に下手だから。
呪われているアスタとはまったく逆の才能。彼は、魔力の出力口が異常すぎるほどに大きい。
本来、それはむしろ欠点ともなり得る特性だ。出力口が狭すぎては十分に魔術を使えないが、広すぎても魔力を無駄に使う。彼はその欠点を、膨大な所有魔力量と、圧倒的な燃費のよさで解決していた。
彼の魔術に質はない。ただ量が圧倒的なだけだ。
魔術同士がぶつかり合ったとき、その勝敗を決める要因は非常に多い。単純な威力や規模、つまり量の問題もさることながら、それ以外にも質の要素が大きく影響する。単純な純度――どちらがより正確な改変を成し得ているか――という観点もあれば、火が水に負けるというような属性、常識、イメージの問題も質に影響してくる。
それら全てを、ただの威力で全てひっくり返すのが《超越》と呼ばれる魔術師だ。
書物のたとえで言うなら、シグの改変は非常に精度が低い。文章どころか落書きみたいなものだ。これでは本来、ほかの魔術に撃ち負ける。
ただ彼は、言うなればその量的密度が圧倒的に高すぎるのだ。さしたる意味を持たずとも、たとえば文章の一部に墨をぶち撒けたような濃度があるせいで、ただただ力強い。生半な魔術では、その量に敗北して術式そのものを破壊されてしまうほどの濃さなのだから。彼は魔弾一発で、大抵の魔術――攻撃も防御も結界も――上から力で押し潰す。
異常な攻撃力が、異常な防御力にまで繋がっているから最強なのだ。
「……そんなの、いったいどうやって破ればいいのさ」
メロは呟く。ただの力押しもこの次元まで至れば、シンプルすぎて逆に対処法がない。
それに対するようシグが言う。
「それがお前の欠点だな」
「……、それって?」
「新しい魔術を使いすぎるせいで。しかもなまじ初めから上手く使えてしまうせいで逆にひとつに対する練度が上がらない。俺は魔弾の魔術しか使えないが、逆を言えば魔弾ならば誰にも負けない――そういう自負を持っている。それは現実にも影響する精神論だ」
それは、メロにもわかっていることだ。
いつか迷宮で魔法使いにも似たようなことを言われた。だから作り上げたのが全天二十一式。使い捨てにしていた魔術を総浚いして、信頼の置ける二十一の魔術を主力とする戦い方。これまでのメロとは完全に違う新しい戦法。
だが現実、それでさえ彼女はシグに及ばない。
「……だいたいお前、まだ二十一全てを編み出せていないだろう」
シグが言う。それにメロは反論した。
「もうほとんどできてるよ。あんま関係なくない? 二十が二十一になったらエレ兄に勝てるわけ?」
結局、ほかの魔術だって使わないわけではないのだし。二十一の――七の三倍数の魔術を切り札と定めた行為は、どちらかというのなら精神的な部分が大きい。
それが切り札であると、自らにさえ強く意識させるためだ。
「足りない。それじゃ」
だがシグは言う。足りないと。
それは、何も数の話をしているわけではない。
「……お前、全天式の一式から六式までは、七星の魔術を、というより戦法をモデルに作ったらしいな」
「そうだけど……何? それがダメってこと?」
たとえば一番の《牙焔》は、錬金魔術師――創る者であるマイアを参考にした、術者から独立して動く意志を持つ攻撃魔術だ。二番の《竜星艦隊》は、同様に《魔弾の海》シグを参考にした、最大まで発揮すれば戦略級の破壊力を持つ破壊魔術である。
当然、三番から六番まで、全員をモチーフにオリジナルの魔術を創ってある。込めた気合いの違いからか、この六つは特に切り札中の切り札と言える出来に仕上がった。
それが、よくないと言うのだろうか。
「いや、そうじゃない」
違うとシグは首を振る。間違っているのはそこじゃないと。
いや、間違いなんてないのだろう。メロの魔術はそれだけ凄まじい。その点に異論を挟む必要なんて、本来なら存在しないのだ。
「あくまでモチーフになっているだけで、実際には固有の魔術として完成されている。逆に同じことをやれと言われても俺たちにはできないだろう。同じ結果なら起こせたとしても」
「……なら、何がいけないの?」
「逆に訊こう」シグは言う。「全天式の七番は完成しているのか?」
「――――…………」
その問いに。メロは、答えられなかった。
完成していなかったからだ。
それが穴だよ、とシグは告げる。
「六番までができたなら、七番は当然、メロ、お前固有の魔術であるべきだろう? だがお前はそこを欠番にして、先に八番以降を埋めた」
「…………」
「それが隙だということだ。オリジナルの魔術を使うはずのお前が、お前だけに使える本当の固有魔術をひとつも持っていない。だからお前は俺に負ける。お前だけの唯一がないから」
最も信を置ける絶対がないから。破られたら負けるというほどの最高を持たないから。
だから負ける。思いの力が足りていないから。
なるほど、それはこれ以上ない精神論だ。何も理屈になっていない。
――だからこそ正しいのだと、暴力的に理解させられるほど。
「だから作り出せ、メロ。お前だけの絶対を。唯一を」
「……あたしだけの、魔術を」
「そうだ。俺はそのために、こうしてお前の相手をしている。そろそろ取っかかりくらいは見つけてくれ。腹が減ってきた」
「……うん。……うん、いや、ちょっと待って?」
師匠の言葉に頷きかけたメロは、そこで初めて感じた引っかかりを口にする。
「どうした?」
疑問するシグに、メロは言った。
「エレ兄は、そのためにあたしにつき合ってくれてたの? 初めから?」
「一応、これでもお前の戦い方の師だ。そのつもりだったが」
「じゃあさ」
とメロは言う。突っ込む。
「――なんで、それ最初から言ってくれなかったの?」
「ふむ」
とシグは頷いた。顎に手をやり、ああと呟いてからひと言。
彼は言う。
「言ってなかったか?」
「これまでボコボコにされてた時間の意味は!?」
頭を抱えるメロだった。まさかそこまでシグが考えていたなんて想定外すぎる。
てっきり、いつものように単なる稽古だとばかり思っていた。
「まあ、なら今からでも作れ。自分だけの魔術を」
――そうすれば。とシグは言う。
嘘をつかない男が。誰よりもまっすぐにメロを見て。
「そうすればお前は俺を超える。最強の頂に手が届くだろう」
「……ホントにもう、エレ兄ってば……」
いつもそうだ。師匠なんて言ったって、魔術を教わったことは一回もない。むしろ教えたことがあるくらいだ。伝わらなかったけれど。
戦い方だって自分で吸収した。シグは言葉が少ないから、いつだって受け取るのが難しい。それでもいつもつき合ってくれた。
それでもいつも――こんなに震える言葉をくれる。
「……じゃあ、エレ兄。もう一回、つき合って?」
「何度でも構わん。お前の気が済むまで相手をしてやる」
「ありがと。大好き」
「……」
「あ、照れた?」
「いや。それをあいつに言える日がくればいいなと思っただけだ」
「な、なんっ、なんでここでアスタが出てくんのかちっともわかんないんだけどっ!?」
「そうか」
「そうかって!」
「別にアスタとは言ってないんだが」
「な、ん――あ」
「そんなんだからキュオに勝ち逃げされるんだ」
「……………………………………………………………………………………ぶっ殺す」
「と、教授が言っていた。そうか、『あのバカ、どうせ自覚ねえぞ』というのは、このことか」
「よっしゃあ、じゃあ両方ぶっ飛ばしてやる――っ!!」
直後、メロは魔術を起動する。別に怒ったわけじゃない。
だってメロは、確かに言葉にしないけれど、アスタのことも大好きなのだから。マイアだって、ユゲルだって、キュオだって、セルエだって。みんなのことが大好きなのだから。
それくらいのことは自覚している。まったく教授もシグも失礼なことを言うものだ。
そういえば、確かにそのことをアスタにだけは言ったことがなかったような気がしなくもないけれど。そんなことには大した意味がない。理由もない。単なるたまたまに過ぎないのである。そうに決まっている。
だから、今は自分のことだ。とはいえやはり何も思いつかないのだが。
とりあえず、まずは名前も出てきたことだし。
――ここはその流れに沿って、キュオ姉の力を借りようかな。
メロは唱う。
「全天二十一式、緑の魔術――《七天の守護者》」
最強の称号を。
今度こそ、自らの手中に収めるために。
天災は、超越に対う。




