4-41『王都事変/直前』
※ここまでの四章あらすじ
昔話しながら王都に来たらなんか襲われた。
大通りを駆け抜けるフェオは、その時点ですでに違和感に気づいていた。
元来、彼女は魔力知覚に長けている。それが吸血鬼の血を引いているからなのか、あるいは単に持って生まれた才能なのかはひとまず措く。
いずれにせよ、彼女は王都を襲った異変に、おそらくは最も初めに気がついた。
それだけのことであり、しかもそれが重要な要素かと問われればおそらく違うだろう。
フェオでなくとも、どころか魔術師でなくとも、その異変はすぐわかる。わからないはずがないほどの変化だった。彼女はほんの数秒、変化に先んじて王都を包み込む魔力に気がついただけだ。その程度で何か対応ができるわけでもない。結局、意味なんてなかった。
――王都の空は、ほんの一瞬のうちに夜へと変わっていた。
時間が早送りされたかのように。いや、いっそ時間が飛んだというべきだろうか。
まだ空にあったはずの太陽が、沈む間さえなく闇に飲まれた。消えた太陽に代わるよう、銀色の月輪が空に浮かんでいる。満天に輝く星々は美しく、いっそ昼よりも明るいのではないかという錯覚さえ覚えてしまうほどだった。
対応はできない。この状況が望ましいものではないと直感的に気づいたフェオだったが、だからといってこの夜を止める方法なんてまるで思いつかなかった。
けれど――それでも彼女にはわかったのだ。
それが結界であると。魔術の影響によって表れた夜であると。
おそらくは、この街で誰よりも早く。
時間が変わったわけじゃない。変えられたのは空間だ。この広い都市全域を、魔術によって塗り替えられた。――夜に塗り潰されたのだ。
太陽が闇に沈み。
そして、月と星が支配する夜に。
「いったいどうなって……!? ああもう……っ!!」
思わず飛び出そうになった舌打ちを堪え、フェオは夜の街を走る。足は止めなかった。
街を覆った結界は、内部の人間に直接の影響を与えるものではない。もしなんらかの影響があるのなら、フェオにはきっとそれがわかる。その自信があった。
そして同時に、これはきっとアスタを攫った何がしかとも関係している。同じときに、偶然重なった事態だと楽観することはできなかった。
アスタが生きていることはわかっている。
彼の血を吸った影響で今、アスタとフェオの間には魔力の経路が繋がっていた。副次的にアスタの生存を、その経路越しに知覚することができる。
とにかく、まず目指すは王城だ。正直、フェオ単独で対処できる事態を超えている。
あの教授というヒトに、このことを伝えなければ。七星旅団の一員であり、アスタが一目置く彼ならば、何かしら解決策を教えてくれるだろう。
だからフェオは、足を止めずに街を駆ける。
周囲では、突然に訪れた夜に驚く人間がざわめいていた。その合間を抜けていく。
身体は軽く、視界は広い。夜目が利いている。アスタから魔力の供給を受けているせいでもあったし、血を吸ったことで吸血鬼としての能力が目覚め始めているせいでもある。
フェオ自身にあまり自覚はなかったが、彼女は今、かつてないほどに絶好調だった。
だからだろう。
――次の異変にも、やはり彼女が真っ先に気がついた。
※
同時刻。王城にいた教授――ユゲル=ティラコニアもまた、街の異変に気がついていた。
フェオには遅れただろう。だが事態の外側にいて、しかも屋内にいて、さらに言えば王城を囲う護りの結界の中にいて、それでも外の異変を悟る時点で異常と言えば異常だった。
そのとき彼が何をしていたのかといえば、特に何もしていなかった。
仕事なら終わっていた。昨晩、アスタに頼まれたアイリスの身体の調整だ。それを彼は、施術されるアイリス当人でさえ気づかないうちに終わらせている。
別に説明なしにしたわけではなく。アスタが望むかどうかはともかく、肉体に手を入れる以上、アイリス当人に説明するのは当たり前だと思ったらしい。
城の使用人が淹れた紅茶を、椅子に腰かけたまま飲みながら。高価なソファの上で眠るかのように眼を瞑り。――そのまま彼は、アイリスに魔術を施していた。
「……端的に言えば、お前の魂魄には魔物の要素が合成されている」
「…………」
異変の少し前。王城のある一室の中。
淡々としたユゲルの言葉を、アイリスは黙って聞いていた。理解しているのかしていないのか。おそらくはしているのだろう。していなくても説明はしたのだから知ったことか。ユゲル本人としては、それくらいのつもりだった。
「ヒトと、魔物を混ぜること。その実験の一環として使われたわけだ。――結果、お前の施術は失敗した。少なくとも、お前の肉体を勝手に使った側の意識としては」
――失敗作。
教団の人間からそう呼ばれていたことを、アイリス本人もまた覚えていたのだろう。
「つまり奴らは魔物の要素を人間に混ぜることで、人間を超えようとしたわけだ。それ自体はまあ、魔術師としては特に変わった思考ではない。そもそも魔術は万能を、全能を、つまりは神を目指すための技術だと言われているわけだからな。連中はその手法に魔術の研鑽ではなく、生物としてヒトを超える手法を選んだというだけだ」
「……」こくり、と。
アイリスは一度、首肯を見せた。何も言わないままで。
それを見て、けれどそのことについては反応せずユゲルは続ける。
「だが結局、お前には魔物の要素がほとんど混ざらず、残ったのは単に《略奪》の機能だけだったわけだ。翼を持つ鳥が空を飛ぶように。魚が水の中で呼吸をするように。お前は生物として新しい能力を手に入れた。他の生物から強制的に魔力を奪う、という能力だ。――だが、それだけでは《ヒトを超えた》などとは言えまい」
ひと息。ユゲルは紅茶を飲み下す。
「魔力との親和性が高いのは、つまり魔物の要素があるからだな。ちなみに外見的にはほとんど人間で、けれど人間ではない魔物としての存在を、魔術的には総じて《鬼種》と呼ぶ。いわばお前は――人工の鬼だ」
「……わたし、おに」
「いや、正確にはその失敗作だがな。ヒトを超えなかった以上はヒトだろう。まあ、あまり気にするな。ヒトかヒトでないかなど、些細な問題でしかない」
「わかっ……た」
あっさり言ってのけるユゲルだったが、アイリスのほうもあっさり頷いて彼の言葉を受け入れる。
それに「よし」などと頷くユゲル。これはこれで、意外と相性のいいふたりなのかもしれない。マイアやシグ、セルエやアスタ、そしてメロにまで一瞬で気を許したのと同じく、アイリスはユゲルにも無条件で信頼を向けているようだった。
「だが失敗してなおお前は――それが幸か不幸かは俺の決めることじゃないが――生き残ってしまった。失敗例ながら、同時に生存例でもあったわけだ。だから保存された。ほかの例は、総じて失敗してそのまま死んだんだろう。失敗でも生存例は貴重だったわけだ。そしてそこを……これまた幸か不幸かは俺には判断つかんが、馬鹿に見つかり連れ出されたというわけだ。――わかったか、自分の境遇が」
「なんと、なく」
「充分だ」珍しく、教授はその表情にほんのわずかな笑みを浮かべていた。「あの駄目姉弟の義妹にしては、ずいぶんと賢い」
「そう、な……の?」
「そうだ。天元突破馬鹿にも底辺超過馬鹿にも、できれば似ないまま育つことを勧めておく」
「……」
「無理だろうがな」
本人たちがいないのをいいことに、放言し放題のユゲルだった。
もっとも彼ならば、たとえ本人がいようとなんの遠慮もなく言ってのけることだろう。
「――さて。問題はここからだ」
別段、気を引き締める風もなく彼は言う。
アイリスはやはり、少なくともその表情には一切の反応を出さすに聞いていた。
「いくら生き残ったとはいえ、お前が失敗作であることに変わりはない。そしてここでもうひとつ前提。――いいか、魔術の失敗とは本来、何も起こらないことを言う」
「……」
「お前に魔物を混ぜたのは、いわば試金石だろう。いずれは連中、自分たちの身体で同じことをするはずだ。単に魔物と混ぜたいだけなら、交配という方法がないわけじゃないからな。アスタが連れて来た……フェオ、だったか。彼女のように、人間と人間でないモノが混ざった何かになら前例はあるわけだ。それにしても問題はあるわけだが、結局それをしないのはつまり、今すでに生まれている人間を、あとから人間でないモノに変えるのが目的だからと考えるべきだろう。……あるいは、もうしているかもしれないが」
いずれにせよ。アイリスで試したのだ。
間違っても自分たちのときに失敗しないように。
「お前の場合、連中はあくまで《人間を超える》ために魔術で魔物を混ぜたわけだ。だが望むレベルにまでは至らなかった。失敗した……というより、正確に言うのなら中途半端にしか成功しなかった、と言うべきか。どこか術式に不備があったんだろう。ならお前という存在自体にも、どこかに不備があっておかしくない」
「……、わたし」
「端的に言えば寿命だな」
何かを言いかけたアイリスの言葉を、けれどユゲルは遮って続けた。
それは残酷な宣告だ。そうわかっていてユゲルは言葉にしたし、わかっていてなお慰めを口にするつもりはなかった。
ただ、事実を告げるだけ。それは優しいのか厳しいのか、果たしてどちらなのだろう。
「お前は、そう長くは生きられない可能性が高い。仮に生きられたとしても、果たして周りと同じように成長できるかどうかは」
――わからない。なにせ前例がないからな。
ユゲルは、そう言葉にした。
「人間と魔物の混ざりモノ、というだけなら前例はある。だがそれらは基本、《合成獣》と同じ扱いだ。あくまで魔物が主体で、普通それを人間とは呼ばない。人間が主体の混ざりモノとなると、そんなものは俺も見たことがない。ないものは知識にないからな、どうなるかは不明だ」
「……わたしは、死ぬの?」
幼い少女のそんな問いに、答えを返せる人間がいったいどれだけいるだろう。
ユゲルですら、解答を提示することはできなかった。感情論ではなく、彼もまた答えを知らないから。
「肉体面には対処できる。だが精神や魂魄の方面となると、少なくとも俺には手を出せない領域だな。そんなことができる存在がいるかどうかもわからない。お前を創り出した魔術師にも――いや、魔法使いにだって無理だろう。別に早死にすると決まったわけじゃない。ただ、どう転ぶのかはわからないし、少なくとも楽観はできないというだけだ」
肉体、精神、魂魄。
生命を形作る三要素の、おそらくは全てに影響が出ているはずだ。単に肉体を魔物と混ぜるだけでは、単なる合成獣と変わらない。
存在の根幹である精神や魂魄のほうにまで、アイリスには影響が出ているはずだった。
「少なくとも、今できる処置は終わらせた。どうなるかはわからんがな」
「……?」
首を傾げるアイリス。いつの間に、と問いたいのだろう。
ユゲルはあっさり、割ととんでもない返事をする。
「今、喋っている間に終わらせた」
「……気づかなかった」
魔力の知覚能力が――おそらくはフェオに次ぐほどに――高いアイリス。その彼女が気づかないうちに、本人の肉体に干渉するユゲルの技量は、はっきり言って異常の域だ。
――《魔導師》。
七星旅団でも唯一、その称号を持つ男。
単純な戦闘力ならばシグが、そして純粋な魔術の技量ならばユゲルが、それぞれ魔法使いをも上回るとさえ言われている。
「あり、がと」
頭を下げるアイリス。
「礼は受け取っておくが」ユゲルはつまらなそうに鼻を鳴らした。「この状況でガキの口から出る言葉が感謝ってのは、まあ面白くないものだ」
「え……?」
「なんでもない。そういうのは俺の領分じゃないからな。とにかくまあ、今後のことは自分で考えておけということだ」
「……わかった」
「ならいい」
あっさり呟くと、その瞬間にユゲルは立ち上がった。
きょとんと首を傾げるアイリス。ユゲルはなぜか窓のほうを見て、
「――ああ。これは面倒だな」
呟いた――その瞬間に外が暗くなった。
アイリスも、これには驚いて目を見開いた。ユゲルは不機嫌そうな表情で歩き始めると、そのまま部屋を出て行こうとする。
と、その前に立ち止まって、アイリスの方向を振り返った。
そして言う。
「……ったく、嫌な魔力だ。俺はあいつと相性悪いんだがな」
「あい、つ……」
「敵だよ」ユゲルは真顔だった。「敵が来た。まさか王都に戦争吹っかけるとは思わなかったが……さておき。どうする?」
「どう、する……って」
「――お前は来るのか? それとも来ないのか」
アスタなら、きっと来いとは言わなかっただろう。
そのことはアイリスにもわかった。でも、これがユゲルの――アスタの敵ならば。
「……行く」
アイリスはそう答える。そこに迷う余地なんてなかった。
ユゲルは頷くと、そのまま何も言わずに部屋を出る。アイリスは黙って従った。
しばし廊下を進むと、ようやくユゲルが口を開き、
「さて。王様と王女様は、まあグラムがなんとかしてるだろう。王子様はもう城を出てるだろうし……周りは気にせず街に出よう。それでいいな?」
「ん」
「いい返事だ。どんなことだって、選べるなら自分で選ぶべきなんだ」
くたびれたおっさんと、褐色の少女が街に繰り出していく。
だがその頃、すでに王都外部への連絡手段は完全に封鎖されていた。
――都市そのものが、結界に閉じ込められたのだ。




