4-38『考察、そして急転直下』
店を出てからは、しばらく無言で歩いていた。
黙々とついて来るフェオが、なんだか居心地悪そうにしている。けれど考えごとで精いっぱいだった俺に、それを気遣う余裕はなかった。
――考えることは、多い気がしている。
答えが出るかは別として。
まったくもって調子が出ていない。俺は運命論者ではなかったはずなのだが。
「…………」
珈琲屋の仕事は今日で終わりらしく、あとはもうオーステリアに戻るとの話だ。
この王都で出くわしたことは偶然だったが、奇妙な分野の知識をなぜか多く持つ奴の話は案外、何かのヒントくらいにはなる。もう少し聞いておきたいことがあるような気もしたが、仕方ない。
いずれにせよ。まず先程の話を頭の中で纏めておかなければ、何もする気になれない。
「なんでこの世界に来たのか、ね……」
そんなこと、考えたこともなかった。何かの偶然、事故、あるいは天災――そんな風にしか捉えていなかった。そこに誰かの、何かの意志が介在しているなんて。
――己の意志するところを為せ。
それが魔術の大原則だと、俺は知っているはずだったのに。
異世界転移がなんらかの魔術であるのなら、そこには必ず意志がある。目的がある。願いがある。そう考えるのが当然だ。
俺の前に、「君を呼び出したのは私です」だなんて名乗り出てくる人間はいなかった。今後も現れることはないだろう。
だとすれば。俺を呼び出した、その主体とは。
「――あの、さ……?」
と。思索の海に沈んでいた俺の意識を、フェオの声が浮上させた。
彼女も彼女で、先程から何かを考え込んでいたらしい。その答えを問うように、フェオは言う。
「さっきの話、わたしにはよくわからなかったんだけど……その、世界がどうとか……」
「ああ」確かにフェオにはわかるまい。「俺、実は異世界人なんだよ」
「は、はあ……え? えと――え? 異世……は、へえっ!?」
「ちなみに珈琲屋も俺と同郷な」
「え、ええ? えええええええええっ!?」
これ以上ないというほどに狼狽えてくれるフェオだった。なんて面白い奴なのか。
普通ここまで真っ当に驚いてくれたりは、逆にしないだろうと思う。
――その反応が、今の俺には、とてもまっすぐでありがたいものに感じられた。
だから、俺は素直にこう告げた。
「ありがとな。やっぱ、お前に来てもらってよかったわ」
「……どうしたの熱でも出たの……?」
「なぜそこは素に戻る」
「いや、だってアスタだし?」
どーしたもんかな、この評価。
※
せっかく裏通りのほうに出たので――とまで言うとさすがに牽強付会だろうが――散歩に出た目的を、ついでに果たすことにした。
いや、ついでに、という表現も妙ではある。フェオに、そして珈琲屋に出会わなければ、俺はひとりでその場所を訪れていたはずなのだから。そちらのほうがメインの目的だ。
俺とて別に、何も本当にただ散歩するためだけに出てきたというわけじゃない。
まあ今さら向かったところで、特に得るものがあるとも思わないのだが。
その場所を――見ておこうかと考えたのだ。
「……ここは?」
後ろに立つフェオが言う。単純に、ただ首を傾げたという感じで。
それもそうだろう。見た目としては単なる家屋だ。王都の中心から外れた裏通りに、ひっそりと建つ打ち棄てられた一軒の廃屋。木造で、家というよりはいっそ小屋というほうが近いかもしれない、そんな風情。
周囲の建物より、ひと回りほど明らかに古い。裏通りとは言っても王都だ。周囲には人の気配も多いのだが、少なくとも目の前の建物に人間が住んでいる気配はなかった。
フェオの質問に、軽く答える。
「――ここは、一番目の魔法使いの生家らしい」
「あの、《運命》の魔法使いの?」
「らしいってだけだけどな。そう言われてる」
そして実際、彼の死体は――少なくともそうだと偽装されていたものは、この家で見つかったそうだ。
もっとも、それが本当に彼の生まれた場所だったからなのか、それともそう言われているからなのかまでは、この情報だけじゃわからないが。
「そもそもフェオ、一番目の魔法使いについて、どれくらい知ってる?」
閉ざされた扉の前に立ち、フェオに訊ねた。彼女は小さく首を振ると、
「ぜんぜん。そんな人がいるってことくらいしか。実際どうなの?」
「俺も、詳しく知ってるわけじゃないが」
普通はそんなものだろう。存在だけは有名な魔法使いだが、その実態について知っている人間はそう多くない。俺だって、断片的な情報を師である三番目から聞いたくらいだ。
そして俺自身、彼がいったい何をもって《魔法使い》と呼ばれているのかをよく理解していなかった。あるいはあのアーサーでさえ、本当の意味では理解していなかったのかもしれない。
――わかっていることは、ひとつだけ。
一番目の魔法使いの、最も有名な魔術師としての能力。それが――、
「――《転生》」
生まれ変わり。一度死んだ人間が、別の存在として新たな命を手にすること。
一般的な理解としてはそんなものだろう。俺自身、その誰でも知っている言葉のイメージ以上の知識を深く持っているわけではない。魔術的にはおよそ実現不可能とされる現象――つまりは《喪失魔術》のひとつに分類されているが、概念自体はそれこそ一般人だって知っている。
俺だって、地球にいた頃から転生という言葉は覚えていた。宗教的な知識なんて持っていなくても、仏教における輪廻思想の概要くらいは、まあ教養の範疇と言っていいだろう。珈琲屋辺りなら、それ以上に詳しい知識を間違いなく持っているだろうくらいにはメジャーだ。それは異世界でも変わりない。
転生。地球世界のサブカルチャーなんかでも、よく聞くと言えばよく聞く言葉だ。地球で一度死んだ主人公が、異世界に転生して第二の人生を歩み始める――なんて筋書きの創作物は枚挙に暇がないだろう。
転生ではないにせよ、実際に異世界へと転移した俺が言うことでもないが。それはともかくとして。
――《運命》の魔法使いは歴史上で唯一、《転生》の術式を可能にした存在であるという。
少なくともそう言われてはいる。本当かどうかは知らないが、まるっきり嘘ということもないのだろう。この世界ならば。
「なんでも一番目の魔法使いは、かつて存在した《勇者》の生まれ変わりらしいって聞くね」
「……勇者?」
何それ、とばかりに首を傾げるフェオ。
三番目のように未だ通常の人生しか生きていない魔法使いや、二番目のように数百年の時を生きているとされる魔法使いとは違い、一番目は俗世にほとんど関わらない。
いるらしいけれど、どこの誰なのかよくわからない。
魔術師にとって一番目の魔法使いは本来、その程度の存在でしかない。あとのふたりと違い、実在さえ不確かなのが一番目の魔法使いだった。
「勇者は勇者だよ」俺は言う。「でなきゃ英雄って言い換えてもいいだろうけど。類い稀な勇気を持ち、困難な偉業を成し遂げた選ばれし存在」
「や、言葉の意味を説明されても……」
「一番目の魔法使いは、かつて世界を救ったらしいよ。千年以上の、遥か遠い昔の話だけど」
――救世。最近はとみに耳にする言葉だ。
あるいは教団の連中も、かつての勇者にあやかっているのかもしれない。もしくは一番目の魔法使い本人が、七曜教団に関わっているのか。答えはわかりそうにない。
「詳しい話は誰も知らない。迷宮の成立より、下手をすれば古い時代の話だしね。とうに歴史の藻屑になってる。別に関係もないと思うけど、とにかく、何かの理由で滅ぼうとしていたこの世界を、彼が救った。以来、彼は一番目の――原初の魔法使いと呼ばれるようになったとか」
「それって……」
「さあ。ともあれ、彼はその後、自らが開発した《運命干渉》の魔術でもって転生の術式を編み出し、死ぬたびに記憶と魔力を保持したまま、新しい存在に生まれ変わるらしい」
――言い換えれば一番目の彼にとって、転生の術式など所詮は本領たる運命干渉の魔術の、ごく一部を切り取った側面でしかないということでもある。
いったいどれほどの魔術師だったというのか。ほとんど想像さえつかない領域だ。
というか、もっとはっきり言えば――眉唾ですらある。
「ま、ほとんど伝説の域だな。事実か脚色かなんてわかったもんじゃない」
「でも実際に、一番目の魔法使いはいるんでしょ? なら本人に訊けば――」
「転生なんて証明のしようがないだろ」
「……かもしれないけど」
「死んですぐ生まれ変われるんなら、周囲の人間と記憶をすり合わせれば、ある程度の証明はできるかもしれない。それも完全な根拠にはならないだろうけど――いかな運命の魔法使いとはいえ、転生には五十年から百年、あるいはそれ以上の時間がかかる、らしいからね。それに生まれ直せば赤ん坊からやり直しだ。外見だって違うし、名前だって生まれ直すたびに変わる」
仮に証明に足る要素があるとすれば、それこそ一番目の魔法使いにのみ許された《運命干渉》の魔術を披露することくらいだろうが、そこにだって問題はある。第一に、それでも運命干渉の魔術を完成させた史上ふたり目の魔術師である可能性が極小ながら残ること。そして第二に――肝心の運命干渉魔術とやらが、いったいどのような魔術なのかを誰も知らないということだ。
とはいえ、それさえ一番目の魔法使いが存在不確かとされる最たる理由ではない。
「何より一番目の魔法使いが、わざわざ自分から名乗り出ることをしないってのがいちばん大きい」
世界のどこかにひっそりと生まれ、周囲には自らの魔術をひた隠しにし、ある程度の年齢まで育ったところで人知れず消える――。
これだけで、彼の存在は歴史の表舞台に残らない。この千年の中で王国に名を刻んだ魔術師に、実は彼が紛れていたのでは――なんて与太話も聞くほどだ。
そもそも《彼》とは言ったが、男性かどうかさえ定かではない。初代(という表現で正しいかはともかくとして)の、勇者として名を残したときは男性だったらしいが、なにせ転生だ。次の肉体が、女性ではないと断言することなんて誰にもできない。それこそ、一番目の魔法使い当人でもない限りは。
「三番目によれば実在するらしいけどね。会ったことがあるって言ってたから。王国の上層部にも顔を合わせた人間がいるみたいな話だし、ま、いることはいるんだろ」
「……じゃあ、生まれた家がここだっていうのは……」
「そう」俺は頷いた。「正確に言えば、今回の転生先がこの家だった、っていうことになるわけ」
もちろん今、この家には誰も住んでいない。
今世での転生先である、もともとこの家に住んでいた人間が誰であるのかも不明だ。ここが魔法使いの生家であることが知られたときにはすでに、この家の住人は全員が亡くなっていたのだという。親族、知人らしき人物も見当たらず、よって今の一番目の名前もわからないままだ。もちろん勇者時代の名前は、とっくに失われている。
同じ魔法使いなら知っているのかもしれないが、少なくともアーサーはそれを俺には話さなかった。俺もまた別に会うこともないだろうと、詳しく聞こうとは考えなかったわけだ。
今となっては、名前くらい聞いておけばよかったと思が、今さらどうしようもない。
「……とまあ、そんなわけで来てみたんだよ。何があるってわけでもないだろうけどさ」
少なくとも三番目が、なんらかの形で七曜教団に関わっていることは間違いない。
そして一番目の魔法使いは、その三番目と同じ手法で姿を消した。もともと消えていたとも言えるが、にもかかわらず、わざわざ遺体が残された。死をはっきり明示しようとした。
――それは、一番目は転生したということを示すための偽装だったのではないだろうか。そう考えると、辻褄が合うような気がするのだ。
なぜそうしたのか。これは簡単だろう。一番目がいなくなったと思わせるためだ。ただでさえ強力な――いや、そうなのかさえ不明だが、普通に考えればそうだろう――魔術師である一番目の魔法使いが、いないと思わせて現れたら、そのときの驚愕は想像を絶する。たいていの魔術師を撃退できる戦力になるだろう。
では、誰が。
いったい誰が一番目の魔法使いの死を偽装したのか。
ともすると、それは俺の師匠、アーサー=クリスファウストの仕業なのではないだろうか。
――そんなことを、俺は考えてしまう。
ある仮説が、俺の頭の中にあった。
旅団を結成したのはマイアだ。だがそこに、アーサーの影響があったことは否定できない。
彼が創るように――仲間を集めるように言ったから、マイアは七星旅団という組織の着想を得た。
もし、アーサーが初めからなんらかの目的のために旅団を利用しようとしていたのなら。たとえばそれが、連中の言う《世界を救う》ことだとするのなら、どうだろう。
俺たちは、そんな事情を斟酌しない。アーサーの思う通りに動かされるような奴は、俺たちの中にはいないだろう。手足として、あるいはほかの理由から欲して創り上げた組織は、けれどアーサーの手を離れてしまった。――世界を救おうとはしなかった。
ならば七曜教団を――その代替として創り上げたのだとしたら?
能力はあっても、個人主義ばかりで使えない旅団を捨て、全員がひとつの目標を持つ教団として作り直した。あるいは旅団それ自体が、アーサーにとって教団の叩き台であったのだとしたら。
七星旅団。
七曜教団。
教団の連中が、俺たちを目の敵にするのは、それが理由なのだとしたら――。
「まあ、とりあえず中に入ってみるか」
考えを捨て去り、俺はフェオにそう告げた。
確証はない。どこかで、何か大きなものを見落としている気もした。
いずれにせよ俺にできることは、せいぜいが自分の周囲に手を伸ばすことくらいなのだ。誰が何を考えていようと、究極的にはどうだっていい。
俺の身内に手を出すなら、それは阻止するというだけ。それだけでいい。
はずだった。
「……いいのかな、勝手に入って?」
首を傾げるフェオに笑みを返す。
「誰も住んでない空き家だし、まあいいんじゃね?」
「適当だなあ……」
呆れるフェオを尻目に、扉を開けて中に入る。鍵はかかっていなかった。かかってたらどうするつもりかは、ちなみにまったく考えていなかった。間抜けな話だ。
中に入っても、特筆して変わったことは何もない。ところどころに蜘蛛の巣がかかった、埃っぽい廃屋という感じだ。窓の部分は貫板で目張りしてあって、光があまり差し込んでこない。
調査の人間が入ったからだろう。ところどころ埃が動いていた。
背後から、フェオもまた部屋に入ってくる。俺は場所を空けるよう奥へ動いた。
と、そこで背後のフェオが言う。
「――アスタ」
「ん? どうかし――」
「アスタ、ここ、なんかおかしい」
気づけば、フェオの声が酷く硬い。
咄嗟に身が硬直しかけ、それを反射でどうにか押し留め。
そして俺は、続く彼女の言葉を――。
「――アスタ! ここ、なんか結界が――」
最後まで聞くことはできなかった。
なぜなら、突如として伸びてきた黒い触手のような何かが、俺を奥の暗がりへと引きずり込んだからだ。
「――な、」
反射が事態に対処を講じようとして、その全てが失敗に終わる。
当たり前だ。今の俺は、何ひとつ魔術を扱うことができないのだから。
せめて眼だけは開いていようと、部屋の奥に目を凝らす。俺の身体を縛りつけた黒い触手は、正面奥の床の辺りから――いや、床の向こう側から伸びているように見えた。
色にもかかわらずどこか透明感のある触手は、おそらく魔力の産物だろう。それくらいは理解した。同時にわかるのは、つまりどう足掻いても肉体では拘束を解けないという単純な事実だ。
「アスタ――っ!!」
振り向けば、銀の剣を抜き放ち、こちらへ駆けてくるフェオの姿があった。
魔力を完全に制限されているとはいえ、俺ですら気づかなかったこの場所の異変に気づくとは、フェオの感覚がかなり鋭敏になっている。状況さえ忘れ、彼女に流れる吸血鬼としての血が覚醒しつつあることを、俺はこのとき考えていた。
それが、あるいは功を奏したのか。もしくは単なる偶然か。それともこれが運命なのか。
いずれにせよ、俺はこのとき、この瞬間に、ふたつの事実に気がついた。
ひとつは単純に、フェオが間に合わないということ。見ればわかる。フェオが来るより、触手の動きがわずかに速い。このまま床に叩きつけられるか――いや、違うか。
たぶん、呑まれる。
だから俺は、もうひとつ気がついた事実も考慮に入れて、咄嗟にこう叫んでいた。
「――来るな! 逃げろっ!!」
視線の先で、フェオが悲痛な表情を見せた、そんな気がした。それも一瞬のことだから、単に思い違いかもしれないけれど。
直後、ごがん、と俺の身体が床に叩きつけられる。痛みはあったが、影響はそれだけだった。
それだけでは終わらなかったが。
じわじわと、触手が俺の全身を包み込んでいく。たぶん、この触手自体は、肉体に危害を及ぼすものではないだろう。単に俺を引きずり込もうとしているだけだ。
「――来るなよ、フェオ」
こちらに来ようとしているフェオに、もう一度だけ告げる。だが彼女は叫んだ。
「な、何を言って――」
「黙れ来るな!」
「……っ」
強く言うと、フェオが怯えたように身体を竦める。それでいい。フェオが捕まるのは、俺が捕まる以上に最悪だ。
「いいか、俺なら平気だ。だから逃げろ。今すぐアイリスの――教授のいるところまで走れ」
「で、も――」
「んで頼む、教授に伝えてくれ――合成獣と使い魔だ。人間を人間のまま、人間を超えたモノにする――そういう実験だったんだよ。それだけ言えば伝わる!」
だから。
「だから行け、早く逃げろ! お前にしか頼めないんだよ――フェオ!」
我ながら、護衛を頼んだ相手に「逃げろ」と笑わせることを言うものだ。とはいえ別に格好をつけたわけじゃない。これが教団の仕業なら、俺ではなくフェオのほうが危ない。
――どうして今まで気づいていなかったのか。そのことがむしろ不思議だった。
教団の研究。合成獣。幻獣。アイリスの受けた実験。獲得した能力。変身魔術。生物使役。ヒトと魔物の混ざりモノ。そしてその先に目指す存在――。
なんでこんなときに気がついてしまうのか。とはいえ最悪は免れた。まさか王都のど真ん中で、こんな罠に嵌まるとは思っていなかったが、それでも最悪ではないだろう。
フェオが吸血鬼の血を引いている、ということが、まさかヒントになるなんて。
そんな、後悔とも言えない微妙な心境に陥ったまま。踵を返して走り去るフェオを見届けて。
――俺は、床の向こうへと呑み込まれた。
お気づきの方はお気づきでしょうが。
今回中盤のアスタの考察――かなり盛大に間違ってます(笑)。
でも叩き台として考えれば、見えてくるものがあるかも(あくまでかも)です。
てなわけで、次回をご期待くだされ。
 




