4-36『王都での一日』
――王城の寝台での寝心地は、お世辞にもいいとは言えなかった。
まあ、それは設備が云々というより環境の問題で、つまりは同時に精神的な理由に起因しているのだろうが。部屋の調度が高級感に溢れすぎていて、庶民の俺はなんとなく落ち着かない。
もっとも単に普段の寝床を、本拠地であるオーステリアを離れているせいかもしれない。
なんて考えてしまうくらいには、俺もあの街に慣れ親しんだということだろう。
言うなれば、あの街が故郷であるような――そんな錯覚さえ覚えるほどに。
「……おはよう」
目が覚めると同時に、アイリスと視線がぶつかった。
もう起きていたらしい。まさか一晩中こちらを見ていたわけではないだろうし。
……ないよね? 目が覚めた瞬間に、横になっているアイリスと目が合ったんだけど。感覚の鋭いアイリスだから、きっと俺の覚醒に寝ていても気がついたのだと思う。
「ん。おはよ、アスタ」
横になって寝そべったまま、無表情のアイリスが呟く。
「よく眠れたか?」
「それなり」
「そっか」苦笑して起き上がる。「それはよかった」
「アスタは、ねむれた?」
「……どうかな。あんま落ち着かなかったような気はするけど」
「ねぶそく?」
「寝れなかったってほどじゃないけどね。冒険者ってのは、どこでも寝れなきゃ勤まんないからな」
「つとまってた?」
「……それ訊かれると自信なくなってきちゃうな」
別に煽りや皮肉で言われたわけではないというのに。知らず苦い笑みが零れてしまう。
どうなんだろう。果たして俺は、自分の為すべきことがしっかりできていたのだろうか。それともできてはいなかったのだろうか。
そのいずれにせよ、自分で答えを出すことではないような気がしてしまう。自分以外に、答えをくれる誰かがいるかどうかは別として。
そんな風に考えてしまうのは、昨日の夜、長々と昔話を語ってしまったからだろうか。
あの頃に比べれば俺だって、少しはマシになっているはずだ。そう思いたいが。
大きな窓の外を見るに、どうやら割と寝坊しているみたいだった。
昨夜は結構遅くまで話をしていたせいか。一国の王女を、夜更けまで自室に拘束していた――実際はむしろされていたようなものだが――などという情報が、外に漏れないことを俺は願う。
この世界は、少なくともこの王国は、俺が地球の歴史から受けるイメージほど厳格な身分制は敷かれていない。たぶん《魔術》という完全に個人の才能に依る概念が、当たり前のものとして存在している影響なのだろうと思ってはいるのだが、詳しいところは知らない。
権力は体制や血筋というよりも、むしろ個人に付属するものであるらしい。
……いや、そんなこと王女様にはなんの関係もないんだけど。言い訳にすらなってない。
「まあ、面倒なこと考えるのはあとにしよ」
ただでさえ、考えなければならないことが多くあるのだから。
とりあえずは――まずは腹ごしらえでもしに行こう。
王城で饗される食事なのだ。きっと、普段は食べられないモノに違いない。
楽しみではあった。
※
豪華な食事を終えると、俺は城下に繰り出した。
食事はアイリスとふたりで頂いた。ばらばらに来る客がいつ食事を求めていもいいよう、常に用意が為されている辺り、さすがは王城であるという感想だ。居心地がよくない。
とはいえ遅めの朝を終え、俺はひとりで街へ繰り出す。
アイリスには、教授のところへ向かうよう伝えておいた。
詳しいことは話さなかったが、彼女の肉体の問題に関して、信頼して任せられる相手など彼くらいのものである。アイリスはあくまでも、人道を無視して行われたであろう人体実験の被験者なのだから。その過程で、どこかに歪みが生じていておかしくない。
教授には、それを見てもらう約束だった。
城下町の様子は、言うほどオーステリアのそれと変わりはない。
技術的な側面で言うなら、街の設備などは魔術に由来する面が大きいからだろう。王都もオーステリアも、ともに魔術研究の最先端を行く街だ。これ以上なく栄えている。
とはいえ、さすがに規模の面で言えば、王都が一段上を行く。
王城から続く一本道を抜けると、やがて城下町の目抜き通りに直通する。名実ともに、この世界の中心であり、そして最先端の街である。その賑やかさたるや凄まじい。
特に目的を持つでもなく、俺は通りをぶらぶらと散歩した。
露店を冷やかし、ときには気さくな店主と雑談に興じることもあったし、冷えた果実のジュースを買ったりもした。至って平和そのものだ。
敵国の脅威も、暗躍する七曜教団の影も。この街には一切、見受けられない。
まあ、見えるようでは終わりだろう。
「――ああ、もう! ようやく見つけた……っ」
そんな風に散策していると、ふと背後からそんな声。
咄嗟に振り返ると、覚えがあるわけだ。息を切らせたフェオの姿があった。
「っとに、もう……探したんだからね……?」
「え。ああ、そりゃすまん」膝へ手をついた彼女から上目遣いに睨まれ、思わず謝る。「なんか用だったか?」
「なんか用、じゃないから! なんで勝手にいなくなるわけ?」
「ええぇ……?」
あんまりな言いようだ。フェオに行き先を報告しなければならない決まりはない。
そう思ったのだが、フェオは真面目な様子で続ける。
「わたしがなんのために王都までついて来たと思ってるわけ……?」
「……いや、まあ、それは俺が護衛を頼んだからだけど」
「なら勝手にいなくならないでよ。心配したじゃん」
そうまっすぐ言われると狼狽えてしまう。とはいえ、
「いや、それは道中の話で、別に街の中でまでついて来なくても――」
「魔術がまったく使えなくなってるくせに、よくひとりで出歩けるよね?」
「だからここ街の中だし」
「その街の中でも平気で厄介な事態に巻き込まれるのがアスタっていう人間だって、教授さんが」
「やめろよ……そんな気がしてくるだろ……」
別に俺が厄介事を起こしているわけではないのに。
仕方ないだろう。面倒な事件のほうが、向こうからやって来るのだから。
「とにかく! 王都にいる間は、わたしと行動してもらうからねっ」
フェオは、びしっと指を立てて宣言した。
なんだか奇妙な使命感に目覚めてしまったというか。《銀色鼠》時代に培った、世話焼きの魂が騒いでいるらしい。あのクランは子どもが多かったから。
「……わかった。一緒にいます。片時も離れません。――オーケー?」
俺は降参するように両手を挙げる。
すると、フェオは急に視線を逸らすようにして、
「へっ……」
「へ?」
「……変な言い方しないでよ……」
「してないけど!?」
急に照れないでほしかった。俺まで顔が赤くなってくる。
……なんかな。俺は露骨に話題を逸らす。
「あー。にしても、よく俺のいる場所がわかったな? まさか街中探し回ったのか?」
「……そこまではしてないけど。まあ、だいたいの居場所なら、なんとなく」
「なんとなくって」突っ込んでから、遅まきに気づいた。「いや、そうか……フェオにはわかるのか。魔力を渡してあるから」
「うん。そんな感じ」
俺の魔力をフェオは直接に摂取している。
ならば、それと同じ魔力の持ち主を感知することが、離れていても可能ということ。
「なるほどね。もしはぐれても安心ってわけだ」
「や、だからはぐれないでって話をしてるんだけど――」
フェオのお腹がきゅう、と可愛らしく鳴り響いたのはそのときだった。
途端、彼女は顔を真っ赤にして俯く。別に毎度毎度、そこまで恥ずかしがらんでもいいと思うのだが。銀色鼠でも、きっと年下からからかわれていたと思う。
「どこかで食事していくか?」
そう訊ねる。俺のほうはまだ空腹というわけでもないのだが。
こくり、と頷くフェオ。さて、どうしたものか。
こういうとき、意外と《オセル》の存在はありがたかったのだと自覚する。食堂や、あるいは酒場なんかは数多くあるけれど、軽食を食べて落ち着けるような店――というものは存外ないものだった。喫茶店なんて、それこそ世界に《オセル》一軒ではなかろうか。
まあ王都くんだりまで来て、珈琲屋の時化た顔を見たいとは思わないが。
何かいい店はないか、と辺りを見回す。と、俺はそこで、ひとつの看板に目を止めた。
《新規開店! 美味しいコーヒーと食事をあなたに》
……あるじゃん、喫茶店。珈琲って、そこまで人口に膾炙した飲み物じゃなかったような気がするのだが。
とはいえ都合はいい。俺は食べたばかりだったから、食堂のようなところに入るのは気が引けてしまう。
「あの店にしようぜ」
俺はフェオを引き連れ、看板が指し示す方角に向かった。
その店は表通りではなく、少し路地を曲がって行った先にあるらしい。
※
――で、だ。
これを案の定だと言うべきなのか、あるいはあくまで想定外だったとするべきか。
少なくとも《運命》という表現だけは絶対に使いたくないところだとして。
まあ、結論から言ってしまおう。
「……お前、こんなところで何してんだよ」
「お前こそなんで王都にいる?」
その店には――なぜか見慣れた給仕服を着た、厳つい眼帯の黒髪の姿。
珈琲屋こと、指宿錬の姿があった。
……なんでいるの?
少し短いですが、キリがいいのでここで。




