4-31『取るに足らない瑣末な現実』
魔物は、人間を見つけると攻撃せずにはいられない。
理性よりも向こう側で、本能よりも根深い命令に囚われた殺戮機構。
世界に発生した架空疑似生命。
魔術師が世代を通じてその技術を後世に伝えていくのと同じく、魔物もまた成長していく。決して学習機能のない怪物ではない。
魔物は、経験を通じて殺しの技術を洗練させていく。
同じ手は――だから二度とは通じない。
アスタとパンは、湖の畔で合成獣に追いつかれた。
元より、足の速さはふたりより魔物のほうが上だ。それは自然な、当たり前の結果だったと言えるだろう。
だがアスタの中に――この急場を凌ぐ方策なんてない。
「――来るよアスタ、避けてっ!!」
パンの叫びに、答えを返す余裕などなく。魔物は今やアスタを確実に殺さんとばかりに飛びかかってくる。
その太い腕を、掻い潜るだけで精一杯だった。速度では上、威力は掠ればそれで終わるほど――明確な格上を相手に立ち回るだけの戦術を、素人のアスタが持っているはずもない。
――轟音。
振り下ろされた魔物の両腕が、地面に巨大な陥没を作り出す。衝撃が土煙と土砂の弾丸を生み、アスタはその余波で紙のように吹き飛ばされた。
「ず、――っが、」
痛みが全身を駆け抜ける。だが、それに怯んだ時点で死だ。そのことだけは理解していた。
肉体の軋みを押して、アスタは立ち上がる。もう一秒だって、魔物から目を離した瞬間に命を落とすだろう。
ならば立ち止まるわけにはいかない。歩みを、思考を、凍りつかせることなんてできなかった。
「アスタ……っ!」
パンが叫び、魔物に飛びかかる。
背後から延髄を蹴り抜く一撃。容赦のない、命を奪うための攻撃は、けれど分厚い肉に阻まれて意味をなさない。
魔物は鬱陶しそうに、それこそ飛ぶ蝿を払う程度の無造作さでパンに腕を向けた。それでさえ直撃すれば、パンは人間から肉片に変わるだろう。
だとしても、そのわずかに稼がれた時間で、アスタは命を繋いでいる。
「こい、つ……っ!!」
苛立たしげに呻くパン。今や魔物は、パンを脅威として見なしていないのだろう。
いくら魔物が無条件に人間を襲うとはいえ、そこに優劣をつけないわけではない。この魔物は、パンよりもアスタを脅威と認識したらしい。
肉体の防御力を貫通し、魔物に傷を与え得るアスタと、いくら高い身体能力を持つとはいえ、決定打を与えられないパン。単純に戦えばアスタがパンに敵うべくもないが、問題になるのは相性だった。
「……、っ」
間。刹那にも満たない時間的空白。
その一瞬で思考を回す。それができなければアスタは死ぬ。
暴力は正論だ。この世界ではそれが力を持つ。どんな正義も優しさも、暴力に曝されれば価値を失う。正しさは力でこそ購うものだ。
けれどアスタは力を持たない。意志を通すだけの能力がない。
それでもできることがあるとすれば、それは。
「――《防御》」
迫り来る巨大な拳を目の前に、アスタは目を閉じず、ただ片手で地面に文字を描いた。
死と再生を意味し、イチイの木の表現である《防御》のルーン文字。それは地面に成立した瞬間、アスタから一気に魔力を奪い、そして目の前に無色透明の盾を作る。
夜の間に覚えた文字は、まるで昔から知っていたもののようにアスタの記憶に馴染んでいる。新しいものを暗記したというより、知っていた技術を思い出しているかのような。
「……魔術、障壁……」
硬質な音が響き渡った。だからパンの呟きは、アスタの耳に届かない。
ただ一撃の殴打を防いだだけで、障壁は粉々に砕け散った。脆い硝子を思わせる光景だ。
けれど、それでも防ぎきったのだ。
魔物の拳はアスタに届かず、どころか反動で肉を砕いた。
もちろんその程度の傷はすぐに復元される。この魔物の肉体はあくまでも魔力であり、それが尽きない限り滅びることがない。
「…………」
そしてアスタは、無言のままに立ち上がった。
肉体の痛みも、疲れも、今は全てが意識の中から消えている。考えていることはただひとつ、この理不尽で不条理な物語に、どのような結末をつけるかということだけだ。
そう、印刻魔術は言い訳だ。抗えないはずの現実を、文字で言い逃れる行為でしかない。
都合のいい解釈で、都合よく現実を捻じ曲げる。魔術が世界の改変ならば、印刻はその最上位だ。
アスタは片足で地面を蹴り、魔物を見据えるとひと言、呟く。
その様子を見て、声をかけようとしていたパンが黙り込む。かける言葉を失ったかのように。
「……来いよ、怪物。俺を殺したいんだろう」
挑発と言うには、その声音は静かに過ぎた。ただ少なくともアスタの中に、元は人間だった合成獣に対する憐憫も同情も、含まれていないことだけは確かだ。
アスタはもう、自分が生き残ることしか考えていない。
「印刻の使い方は、だいたい理解したんだ。あとは試すだけでいい」
もはやアスタは一個の魔術師であり、眼前の異形は自己の能力を測定するための試金石にしか過ぎなかった。
少なくとも、その認識の上では。
「――お前如きは、敵じゃない」
「――――――――――!!」
魔物が、嘶く。狼の遠吠えに重量を与えたみたいな、低く轟く雄叫び。もしも魔物に意志があるなら、きっと怒りの感情がそこに見つけられただろう。
取るに足らない、羽虫の如き格下に見下され。意志なき魔物は叫んだのだ。
まるで言葉が通じたかのように。
ともすれば、それがわかっていたから声をかけたかのように。
だからアスタは行動に移る。元より感情に任せて叫ぶなんて行動は、戦いにおいて必要な行いじゃない。むしろ邪魔なくらいだ。
だって、それは隙になる。
文字を書くだけの時間をアスタに与える。
ぷちり、と。右の親指の先から血が流れ出る。アスタが皮膚を噛み切ったからだ。
「――《駿馬》」
足の速い馬。それは変化を象徴する自由意志の印刻。
アスタはそれを、自らのズボンに刻み込む。途端、二本の脚に魔力が巡り、アスタの脚力を強化する。
変わることとは動くこと。自らの意志で移動を選ぶということは、すなわち運命に逆らうという決意の反映だ。
それをアスタは、このときはっきりと理解していた。
完全な解釈によってなされた魔術は、本来の能力を十全に発揮する。
次の瞬間には、アスタの身体が魔物のすぐ目の前にあった。
ひと蹴りで地面を飛び上がり、砂煙を巻きながら魔物へと肉薄するアスタ。折り曲げられた膝が、怪物の醜い鼻っ面へと叩き込まれる。
肉を潰す嫌な音。その認識にさえ先んじて、魔物の頭が文字通り、風船のように破裂する。強烈な肉体強化が、アスタに埒外の速度を与えているからだ。
だが、それは一種のドーピングだ。神経も肉体も、その急激な変化についていけるとは限らない。
着地と同時に、アスタは左の肩の違和感を自覚する。どうやら速度がありすぎたせいで、ついて来れなかった肩が脱臼したらしい。だらりと垂れ下がる左肩は、もうアスタの意志に従わない。
けれどこのとき、アスタが感じたのは痛み以上に幸運だった。
脱臼程度、腕が千切れるより遙かにマシだ。それにしても、駿馬の印刻で単に脚力だけを向上させるのは問題らしい。ほかの部分がついて来られないし、反射神経だって上がったわけじゃない。ほとんど自爆特攻だ。まあ、それでも問題ないだろうが。
アスタの思考は、そんな判断を下すに留まっている。冷めているのか、狂っているのか。もはや自分でもわかっていない。
だが魔物は、それでも頭が存在しないまま、アスタの方向を振り返っていた。首から上を失ってなお、この怪物は息絶えることがない。当然のように再生を始めている。じくじくと盛り上がっていく肉を見て、アスタはふと一歩を斜め前に跳んだ。ちょうど魔物の横に回り込むような形だ。背後に湖。背水の形で魔物に向かう。
魔物は、その動きに対応できていない。視覚も聴覚も失った今、魔物はただ魔力の気配だけでアスタを追わなければならないからだ。
上がらない肩。それを補うみたいにアスタは、右手で左の肘の辺りを押さえて、持ち上げる。
そして左足で地面を幾度か蹴ると、ふと前に倒れ込むような形で姿勢を崩し――、
そのまま、一気に弾け飛ぶ。
魔物の左足が、根本から切断された。
アスタが、動かない左腕を持ったまま加速し、それをまるで剣か棍棒のように直撃させたからだ。
当然、その反動でアスタの左腕は完全に骨折した。折れた骨が肉を突き破り、赤い色が肌を染めている。中身はきっと粉々だろう。
それでも腕一本と引き替えに、魔物の片足を奪ったのだ。戦果としては上々だと、アスタは本気で考えている。
神経なんて、とっくのとうに切れていた。
痛みは自覚しない。身体を巡る魔力が、それを誤魔化しているからだ。
けれど、当然だがそれは単なる欺瞞に過ぎない。身体は徐々に死へと近づいてる。死なないために自ら傷を負う、その矛盾をアスタは肯定していた。
実際、わずかにふらめき、アスタは思わず地面にくずおれそうになる。無事な右手を地面が地面について、それでなんとか堪えた形だ。
――まあ、ちょうどいいか。
そう思った。もちろん、放っておけば魔物は傷を再生し、またすぐにでも立ち上がってくることだろう。
実のところ、その再生には限りがあった。
その限界はわからない。少なくとも今のアスタには。だが魔物とて、決して無限に再生できるわけではない。
そもそも本来、死んだ生物は決して生き返ることがない。疑似生命の魔物でも変わらない。
この法則は絶対だ。歴史に名を残す魔法使いでさえ、死者の蘇生を成し遂げたことはない。
ならばなぜ、目の前の魔物は復活するのか。
死んではいないから。そう考えるのがいちばん普通だが、頭を消し飛ばされてしなない存在を生物とは呼ぶまい。
魔物は確かに死んでいる。
たとえ肉体を再生したところで、それは決して魂まで再現しない。
だから。目の前の魔物は、死んだ魂を別のところから補填していると考えるのが妥当だ。
――たとえば、いなくなってしまった町の住人たちなどから。
要するに、町の住民は皆、魔物に変えられたことで二度目の死を迎えさせられているということだ。
肉体を失ってなお。それでも魂魄を現世に縛りつけられ。
魔物として、意に沿わぬ二度目を送っている。
その下手人からしてみれば善意だろう。不完全で醜い人間というくびきを外し、尊く美しい魔物へと変えてあげたのだから。
レファクールはこの術式を、知人の女魔術師からヒントを得て編み出していた。ほかにふたりとして使い手のいない、自己の肉体を書き換える変身魔術を体現した魔術師だ。
だから逆を言えば、魂魄の貯蔵がなくなれば、この魔物はそれ以上の再生をすることができない。
殺し続ければ、いつかは必ず死ぬということ。
もちろんアスタたちはそれを知らない。
けれど、それでも知っていることはひとつある。
一度死んだ人間は、絶対に生き返らないということだ。
頭部を砕き、片足を奪ったアスタは、最後の文字を地面に刻む。
先程からアスタが地面を蹴っていたのは、単に駆けるためだけではなかった。地面に文字を刻み、印刻魔術を用意していたのだ。
《駿馬》の術式で移動しながら、地面に刻んだ四つのルーンで魔物を囲う。
――四種類の文字を基点に、結界を発動させるために。
のちに《紫煙の記述師》と呼ばれる魔術師が好んで使うようになる、それが文字で対象を囲うことで成立する結界魔術。その最初の一回。
四角の頂点から魔力が迸る。《保護》、《人間》、《故郷》、そして《一年》。
その四つの印刻にどんな意味が、どんな解釈が、どんな意志が込められていたのかはわからない。少なくとも、傍から見ているパンには意味不明だった。
きっとそれは、アスタ本人にしかわからないことで。
だから、ただ結果だけを言おう。
沸き立つ魔力の奔流は、やがて相互に影響し合いひとつの壁として成立する。それは曲を描き、半円状の結界として魔物の全身を覆い隠した。ほとんど透明で、けれど少しだけ薄紫のようにも見えるそれが、きっとアスタの魔力の色で。
そして、アスタは自らが作り出した結界にふと手を触れると。
「――《雹(Hagalaz)》」
その結界ごと、強烈な冬の脅威の具現でもって魔物の全身を肉片へと変換した。
魔物はもはやその原形を留めていない。そこに巨体があったことなどわからないほどに。今や地面の染みと、飛び散って残った欠片くらいしか痕跡を遺していない。
「……っ」
攻撃を終えたアスタが、ふらついて膝を地についた。忘れていたはずの痛みが、徐々に意識へと戻ってくるのがわかる。立ち上がる気力すら残っているかも怪しいほどだ。
当たり前ではある。こんな大威力の攻撃魔術を使っては、アスタの魔力が持つはずもない。
いや、修練次第では十全に使いこなせる日も来るだろう。それだけの適性をアスタは持っているのだから。
けれど今のアスタは、あくまで魔術を覚えたばかりの素人に過ぎない。どれほど優位に戦いを進めているよう思えても魔力は無駄に消費し、術式は瑕疵だらけで、戦術は本物には通じない。
それでも、目の前の魔物を倒せるのならば価値はあっただろう。
――だが魔物は再生する。
高威力の攻撃など、無駄を通り越して逆にマイナスだ。どれほどの重傷を負ったところで、魔物はいずれ再生してしまうのだから。アスタの攻撃にはせいぜい、再生までの時間を最大限まで稼ぐ程度の意味しか込められていなかった。
そして、それでよかったのだ。
「あとは、任せ、たぜ……」
なぜなら。
アスタは決して、ひとりで戦っていたわけじゃない。
「――パン」
結界の中心に少女が駆け寄る。治癒の力を持つ、少女が。
その場所には、大きな魔晶が落ちていた。合成獣の核になっていたものだ。
これが残っている限り、魔物は再生し続ける。いや、たとえ破壊したところで、魂が残っていれば同じことだ。
だから――それを逆手に取る。
『あいず まて』
その言葉を、アスタは地面に刻んでパンに見せていた。
「治せ!」
叫んだアスタの言葉に従うよう、パンがその胸の中に魔晶を抱え込む。
――まるで聖母のようだ。
宗教なんて知識はない。神様なんて信じているわけもない。そんなアスタが、それでも神聖な、侵してはならない、手に触れられないものであると信じてしまうほど。
その光景は美しかった。
仄かな輝きが、アスタの視界を染めていく。魔晶が治癒の魔力を注がれ、徐々にひび割れていくのが見て取れた。
そう。死ねば魂が戻ってくるのならば。その理屈を知らずとも、傷つくから復活するのだと知っているのであれば。
逆に癒すことで、その穴をつくことができる可能性はある。
過剰回復。
回復されすぎた肉体は、過剰に注がれた魔力で逆に傷ついていく。それでも、それが回復された状態である以上、その先はない。所詮は状況に応じた命令を下されたに過ぎない魔物だ。自ら対抗することなどできないはしない。
やがて魔晶が、小さな音を立てて砕け散った。
治癒された結果である以上、そこに魂魄が戻ってくることはない。
――魔晶は完全に砕かれ、そして魔物は二度と復活しない。
アスタたちの、勝利であった。
砕けた魔晶を地に落とし、パンがへたり込んで呟く。
「勝、ったの……?」
「……ああ。もう復活しないみたいだな」
アスタは立ち上がると、静かな足取りでパンに近づいていく。
全身が、泣き叫びたいほどに痛かった。それ以上に、泣き叫びたいほど嬉しかった。
勝ったのだから。
意志を通したのだから。
それ以上のことなんて何もない。アスタたちは最後まで魔術師だった。
「……よく気づいたね。治せばいい、だなんて。わたしはちっとも思いつかなかったのに」
へたり込んだまま呟くパン。アスタは苦笑して首を振る。
「治癒を使いすぎるのもよくないって、教えてくれたのはパンだからな。正直、賭けだったけど」
自分でも、どうしてそこまで冷静であれたのかわからなかった。
火事場の馬鹿力とでも言うか。実は秘められた才能が、どこかで開花していたのかもしれない。その程度に考えていた。
だから。
そこに本当に理由があるなんて、アスタは最後まで考えもしなかった。
「……っと」
パンに歩み寄ったアスタは、そこで思わずふらついてしまう。肉体も精神も、すでに限界が近かった。
「ていうか! 前も言ったけど、アスタ無茶しすぎだからっ!!」
「お、え……いや」
突然に怒り出したパンに、答えられずアスタは面食らう。
彼女は立ち上がると、その手でアスタの身体に触れる。怒りはあったが、彼女の表情には、それ以上に悲しみの色があった。
だからアスタは抵抗できない。彼女の言葉を受け入れるほかにない。
「こんな傷だらけになってさあ! なんなの!? 痛いのが好きとかそういうヘンタイなの!?」
「違えよ!」
「じゃあ二度としないでっ!」
気づけば。パンの手が震えている。
振動で腕に痛みが走るが、そのことを口に出せはしなかった。
「お願いだから……自分を傷つけて戦うの、やめてよ……」
「あ、いやその、……えっと」
「約束して」
縋りつくように震えるパン。彼女にはもう、残された身寄りがひとりもいない。
そのことをアスタは思い出していた。彼女が怯えるのも、怒るのも、無理はないのだと。
「約束……してよ」
パンが顔を上げ、その視線がアスタへと吸い込まれるようにぶつかる。
それに逆らうことなんてできなかった。思いつきすらしなかった。ほかに方法がなかったとか、好き好んでやったわけじゃないとか。そんな言い訳は欺瞞だと思った。
だから、約束しよう。
自分でだって、なんでここまで捨て身の行動が取れたのかわからないのだから。
そんなことしたいとは思わない。
瞳を滲ませるパンをまっすぐ見つめ返し、首を動かそうとした。
その、瞬間だった。
――びちゃり、
アスタの顔を赤が汚した。
「か――ふっ、」
小さく。息の詰まるような声が耳に届く。
それが目の前の少女の声だということはわかった。
だが、彼女が血を吐いた理由なんてわからない。
「あ、――え?」
少女の視線が下がる。アスタもまたそれを追ってしまった。
だから気づいた。
少女の胸に。その心臓のあるべき場所に。
大きく穴が開いているという事実に。
それがアスタには理解できない。そこから醜い赤色が零れているわけがわからない。
わからない。わからない。わからない何もわからない。
赤が。零れるところをただ見ていた。
血が弾ける。口から胸から命が流れていく。それが地面を少女をアスタを汚す。
力をなくしたパンの身体が、ふっと前のめりに倒れこむ。アスタがそれを受け止めたのは、単に反射的な行いでしかなかった。
その時点でもう、手遅れだった。
ずるり、と。
少女から全ての力が消えた。
「うん。ああ……いや驚きました。本当に。本当に倒すなんて。もう。なんて言ったらいいのか。結局はあの方の言う通りですか……失敗は失敗ですけれど、いえ。これは喜ぶべきなんでしょうね」
声が聞こえた気がしたが、そんなことにかかずらっている暇はない。
ただうるさい。少し黙ればいい。うるさい。うるさい。音がするいやしていない聞こえない。何が。なんだよ、これ。
「なあ、おい……パン?」
返事はなかった。アスタは少女だったものを胸に抱える。
「おい。おいって……返事しろって。なあ?」
返事はなかった。アスタは少女だったものを強く揺する。
「……なあ。なんで……そんな」
返事は、なかった。
アスタは少女だったものの胸に手をやる。血の流れは止まらなかった。強く、どれだけ強く抱きしめても、少女だったものの反応はない。何度大きく呼びかけても、少女だったものは目を開かない。
当然だった。それは魔術以前の絶対法則なのだから。
死んだ者は二度と生き返らない。そう、決まっている。
そして。
――少女の肉体は、もう、死んでいた。




