4-30『決められた道を歩むかのように』
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――水場があったから。
この辺境の村に人が集まった理由なんて、実のところ、そんな些細なものでしかなかった。
元々は辺鄙な森と湖でしかなかったこの場所を、旅の人間が開拓し、ヒトが住むための場所へと変えた。それだけのこと。
もちろん、集落の原型なんてどこもそんなものだろうが。違うところがあるとするのなら、それはただひとつ、この町に集まった人間の出自くらいのものだろう。
彼らは、全員が逃亡者だった。
かつての暗黒時代、およそあらゆる魔術が喪失した過去から千年余り。文明を喪失した人類種たちは、それでも再び魔術によって歴史を再起し、社会を築いた。その急速な変化は、決して誰もにとって好ましいものではなかったということ。
国家の概念が復活し、文明社会が成長を遂げていく流れの中。それは枠組みの成立であり、そして囲う領域を定めるということは、必然的に内と外を区別するということ――枠から零れ、外れる者が生まれるということに繋がる。
彼らは逃亡者と呼ばれ、犯罪者と呼ばれ、行き場を失くし、拠りどころを失い、追われ、払われ、流れた。
それから十年以上の月日が流れ。そうした人々が身を寄せ合い、造り上げた新たな理想郷。箱庭の世界。美しい自然に溢れ、旅人の癒しとしての側面すら得た湖の都。
それがこの町だ。
それが、この箱型の牢獄だ。
貧困から窃盗を働いた者がいた。暴虐から身を守るため殺人を犯した者がいた。無実の罪から逃亡を図った者がいた。もちろん、どうしようもない悪党だっていただろう。
行く宛のない者が、お互いに身を寄せ合い、傷を舐め合って暮らす町。過去を捨て、同時に未来も失って、それでも今を生きる場所。
閉鎖的な田舎でありながら、余所者のアスタを迎え入れてくれた理由なんて、たぶんそれだけのものだった。後ろ暗い過去があるからこそ、この町は他者を迫害しない。
パンと呼ばれる少女もまた、逃れてきた者のひとりだった。
どこにでもありふれた、ほんの些細な不幸がきっかけだ。親を殺され、全ての身内を失い、そんな世界に抗うすべなど持たず。ただ野垂れ死ぬを待つだけだった少女を、たまたま町の住人が見つけ、拾い、迎え入れてくれたに過ぎない。
そのまま彼女は町の住人になった。自分を拾ってくれた――かつて娼婦として働きながら、男に捨てられ、身ごもった子を喪ったという、取るに足らない下らない過去を持つだけの――今は宿屋を営む、ひとりの女性の許で。
親子のように。当たり前のように。歪で、救いがなく、けれどどうしようもなく大切な日常の中で。
それが少女の全てだから。
パンは愛らしい少女だった。ヒトから愛されるすべを知っていた。
常に笑顔で、無邪気に振る舞うことに長けた。将来はきっと美人になるだろう少女が、ただ笑っているだけで、それだけで誰もに愛された。
愛されていれば生きていられる。
死ぬのはとても怖かった。それは絶対に嫌だった。
非凡にも、パンはただ愛されるだけの子どもではなかった。魔術の、それも希少な治癒魔術の適性を持っていることがわかった。食べるものもなく、傷だらけで彷徨っていた十にも満たない子どもが、それでも拾われるまで生きていられたのは、自らの魔力で肉体を癒していたからだ。
この町には、かつて冒険者として働いていた者も少なからずいる。
冒険者として成功する人間なんて、ほんのひと握りに過ぎないのだ。挫折するだけならまだマシだ。行き場を失い、逃げること以外に選択肢を失う者だっている。それでも命を喪うよりはマシだった。
この町に子どもはいない。町で生まれた、ほんの幼い赤ん坊はいても、できたばかりのこの町に、パンと同年代の子はいなかった。
大人だけの、年上だけの町。
それはつまり、誰もがパンより先に死んでいくという意味だ。
生みの親を喪い、親しくしてくれた大人を喪い。いつしか少女は思うようになる。誰も彼も、周りの人間はみんな死んでいくと。
だから、その定めに逆らえる《治癒魔術》という奇跡は、少女にとって数少ない救いだった。
命を大切にしない奴は嫌いだ。
命を奪おうとする者など嫌悪する。
だからこそ――魔物と変わった町のみんなを、殺すのは自分でなければならない。
悲しいとは思わない。初めからわかっていたことだから。
どうせ、みんなすぐに死ぬ。
それでも生きるのは、命に価値があるからではない。価値がなくても意味はあるから、誰かが遺した意味があるから。だから誰もがこの世界で、生きていかなくてはならないと思う。
――いや。
それは誤魔化しだ。大嘘だ。そんなことはちっとも思ってない。
これは罪で、そして罰だ。
――わたしは生きていたくなんてない。自分が生きているせいで、奪われた命を知っているから。生きたいと願うをヒト喰らい、生きようと抗うヒトを喰らい、自分だけがまた生き残る。
せめて、その分は生きなければ赦されない。
それだけが唯一の枷だった。
パンはそう信じている。それが事実であるとパンは知っている。
――だって、ほら。その証拠に。
また、ひとりになった。
※
口では格好つけたアスタだが、別に酔っているわけではなかった。
世界に対する幻想は、異世界へ訪れた瞬間に捨てている。その上で得た力が魔術などという不可思議なのは、いっそ皮肉とすら言えるだろう。
目の前の魔物がどれほどの怪物なのか、アスタにはしっかり理解できている。
内包する魔力の密度を見れば、わからないわけもないことだ。
あの魔竜とは比べるべくもないにせよ、一方で迷宮にいた魔獣や、レファクールがこれまでに使役していた魔物たちとも逆の意味で比較にならない強さ。普通に考えれば勝ち目などない。その点で考えるのなら、魔竜ともそう変わらないだろう。
「――《火》」
だから躊躇はしない。土の地面に、足でルーンを印刻する。
文字の意味と、そこに込められた魔力に従い、《火》が勢いよく地面から迸り、怪物へと迫って行った。
本来なら、魔術を発動したい対象に直接書き込むくらいでなければ、印刻魔術は大した効力を持たない。まして適当に地面に記した火が、まるで導火線に沿って進むかの如く一直線に魔物へ向かうなどあり得ない。その手腕は、とてもではないが魔術を覚えたての素人とは思えなかった。
ほかの魔術は一切使えない。だが、こと印刻に限れば、アスタは間違いなく天才と呼ばれるひとりだろう。
そのことが、パンには本人より理解できていた。
そして――だからこそ。
「……効いてると思うか?」
「いや。ぜんぜん」
その程度では、目の前の魔物にまるで通じないこともわかってしまう。
迸る火炎の奔流を、魔物は躱そうとさえしなかった。その巨体で、怪物はただ炎を受け入れる。途端に全身が火に包まれ、魔物の肉を焼き、焦がし、爛れさせていく。嫌な臭いが鼻をついた。それが終わることはなかった。
「……再生、してるのか」
呟くアスタ。見ればわかった。
魔物の肉は焼け焦げる先から増殖、再生して元に戻る。まるで肉が泡立つみたいに、ぶちぶち、ぞぶぞぶ、怖気を催す復元の様子。
生命という概念を、それが尊いという価値観を、真っ向から嘲笑い、否定するかのような光景だ。否応なく感じる生理的な嫌悪感は、アスタが吐き気を覚えるには充分すぎた。
それでも、引くことなんてできない。
すぐ横にいるパンの手前で、自分が先に折れるなんてできなかった。
「……怖いんなら、逃げたっていいんだよ、アスタ」
横合いに立っているパンが、そんな挑発するかのように笑う。アスタの感じている不快感には、彼女もまた気づいているのだろう。
だから言葉のニュアンスに反して、もし本当にアスタが逃げても、きっと彼女は咎めない。そのことが、アスタにはやはりわかっていた。
「馬鹿言え。パンのほうこそ、俺に任せて下がってたっていいんだぜ?」
「カッコつけるね? でも、それはできないよ……わたしには」
――これは、わたしがやらなきゃいけないことだから。
そうはっきりと口にするパンの覚悟に対し、アスタが示せる理解なんてない。
どんな理由が、過去があっても。あるいはなくなってしまったのだとしても。目の前の醜い怪物は、今だってパンの家族であり、友人であり、同胞なのだ。その事実まで変わってしまうわけではない。
なら始末をつけるのはパンの責務だ。
ひとたび魔物に変えられた人々は、もう二度と元に戻らない。遺されたパンに、アスタに、できることがあるのだとすれば。
せめて、安らかに眠らせてあげることくらいだった。
「それは俺だって同じだろ。お前を置いて、逃げられるか」
だからアスタも笑ってみせる。その罪から逃れられないのなら、せめて半分は背負うつもりで。
たとえ短い間でも、そのほとんどは顔見知りとさえ言えなくても。そんなことは関係がない。
パンがやると決めたのだ。
その手伝いは、きっとアスタにしかできない。
「……ホントばかだね、アスタは」
「今さら何を言ってんだか」
そう言って笑い合うアスタとパンだが、もちろん視線は怪物から一秒も逸らしていない。そんな余裕はなかったし、そもそもふたりがかりでも勝てるかどうか。
魔物の強さは、その個体が纏う魔力の量と質でおおよその判別がつく。
目の前の魔物の強さを、だがパンは具体的に感じることができない。雑多に混ざり合った合成獣の魔力は、ひとつの混沌として確固としていながら、混沌であるがゆえに正体が掴めない。
それはそのまま、パンでは及びもつかないほどの怪物であることを表しているのだが。
「……逃げるか」
だから、そのときアスタが呟いた言葉にも、そこまで大きな驚きは感じなかった。
別に前言を翻したわけではないだろう。その程度の信頼は覚えている。
だから普通に訊ねた。
「どういう意味?」
「あの魔物、こっちが逃げても追ってくるんだよな? ほかの魔物みたいに」
問いには答えず、アスタは質問を合わせてきた。何か考えがあるという様子だ。
「……そうだね、たぶん。合成獣とはいえ、組成は魔物とほとんど変わらないみたいだし。レファクールにも、使い魔として統御するつもりはなかったみたいだから。普通に襲ってくるんじゃない?」
現に魔物は、燃えたぎる炎に包まれたその状態で、一歩一歩ふたりに近づいている。その速度が遅いのは、肉体が足下から焼かれているからに過ぎない。アスタの魔術が、そこに込められた魔力が費えれば、途端に怪物が飛びかかってくるだろうことは明白だった。
「俺たちの攻撃で、コイツを殺しきれるかどうかはわからない」
「……なら、どうするつもり?」
「火葬が駄目なら、次は水葬を試すってこと」
にこりともせずアスタは言う。踵を返し、駆け出す素振りを見せて、
「――湖まで行こう。そろそろ魔術が切れちまう」
パンは、その言葉に従った。
※
――生きるとはどういうことなのか。
そんな問いに対し、真面目に考えを巡らせたことなんてない。アスタはまだ中学生の子どもに過ぎなかった。
いや、あるいはその年代だからこそ、こういった哲学的な香りを持つ疑問に頭を巡らせてみたくなるものなのかもしれない。
覚えてはいないが、もしかしたら一度、その問いを誰かに投げかけられたことがあるのかもしれない。アスタは思う。あるとすれば、きっと妹にだろう。彼女はそういった問答が好きだった。
ただし、自分で考えるわけじゃない。彼女はいつだって、問いに向き合うことを誰かに投げた。自分では答えを出さず、いつだって誰かに訊ねていた。
それが子どもらしいのか、それとも子どもらしくないのかはわからないけれど。
ただ思う。そういった、小難しくて答えのない問いに、時間を費やせることはきっと幸せだ。
なぜなら、それだけの余裕があるのだから。
そして、そう考えれば。
――命の危機が迫ったこの状況下で、そんな問いを思い出している自分は、もしかしたら余裕があるのかもしれない。
そんな風にアスタは思う。
答えは出ないけれど。
それでも解答を求められるのであれば、少なくともこれだけは言える。
――生きるとは、死なないということでは、ない。
※
誤算があるとすれば、それは魔物の走行速度がアスタの想像よりずっと速かったことだろう。
いや、誤算というよりも、この場合は楽観が過ぎたというべきか。
全速力で駆け抜ければ、湖までは追いつかれないだろうという考え自体が甘かった。
「どうするの!?」
パンが叫ぶ。背後からは魔物の唸り声と、重く響く足音が届いている。
距離はかなり近かった。
「仕方ない、足止めしつつ行こう!」
「……考えなしっ!」
巨躯の合成獣に、パンが向かっていく。
膂力も何も、全て劣っている彼女は、それでも小さな身体で小回りを利かせ、怪物の攻撃を掻い潜っている。ちょっとでも掠れば、きっとそれだけで吹き飛ばされ、肉も骨もぐちゃぐちゃに潰されてしまうだろうに。
それでも、怯えさえ見せずパンは駆ける。攻めるために走る。躱すために奔る。強い意志で――趨る。
どんな自体に陥ろうとも、心を折らず、目的を曲げない。
それこそが、きっと、魔術師という在り方だ。その才能の発露なのだ。
――己の意志するところを為せ。
力がなければ速さがなければ意志は為せない。目的に達せない。我を通せない。
強く、在らなければ。たとえほかの全てを犠牲にしてでも。
それが魔術の第一要件であり。
そのことを、きっとアスタは誰よりも、目の前の少女から学んでいる。
「……っ!」
魔獣の一撃を、あわやというところでパンは躱す。
だが攻撃は、その余波だけでも少女の肌を裂くには充分だ。彼女の白く柔らかな肌に、赤い色がつぅと流れる。
このままではじり貧だ。パンには決定打がない。
彼女が囮になっている間に、アスタが攻撃をする必要があった。ルーン文字を用いた魔術の火力については、ある程度の威力が立証されている。
だが――その隙がない。
少なくともアスタには見つけられない。
文字を覚えて、魔術が使えるようになって――けれどそれだけなのだから。それはアスタが戦えるようになったというだけだ。手段のひとつを手に入れただけで、けれどそれでは、理不尽に抗うのに足りていない。
武器を持たされた人間が、それだけで戦士には変わらないように。
魔術を覚えただけの人間は、未だに魔術師ではないのだから。
――それは、認められなかった。
手札が足りない。だから、どうした。
足りないなら、今あるモノだけで賄えばいい。それができなければここで死ぬ。
それは嫌だ。死ぬのだけは絶対に御免だ。何が何でも死にたくない。
でも、ここで怪物を倒せなければ死ぬ。いや、仮に打倒できたとしても、そこにパンの犠牲があったならアスタは耐えられない。
目の前の怪物が、元は人間だったことを理解していても。
それでも――殺すことを躊躇うわけにはいかない。
ならば。
この状況を打破するためには。
「……パン」
気づけばアスタは、そんな風に口にしていた。
――すっと。頭の中で、何かが冷めていく音がする。それは海岸から引いていく、潮の音に似ている気がした。
パンは振り返らなかったし、返事もしなかった。そんな余裕はないということだ。
けれど、それでいい。耳さえこちらに傾いていれば。
幸いパンは、吹き飛ばされた結果で怪物から距離を取っている。こちらの声は届くだろう。
だから言った。
「交代しよう。俺が出る」
「は――はあっ!?」
余裕がなかったはずのパンが、それでも驚愕から振り返った。それは隙のひとつだったろうが、それだけ驚きが大きかったということだろう。
「何言ってんの馬鹿なの死んじゃうよ馬鹿この馬鹿!」
「死なないよ。――勝つためだから」
「アスタっ!」
「俺のほうが攻撃力はある。実際、一度はやってみせただろ?」
「あんなの二回もできるわけないからっ!」
聞かなかった。そんな暇はない。
「隙を作る。後は任せた」
返事は待たない。
そのまま、前に向かって駆け出していく。
「ちょっ、……アスタっ!?」
パンを振り切り、自身の体格の三倍はあろうかという怪物に向けて吶喊していく。
「っ――ああああああああああぁっ!!」
魔物は人間を殺戮するための機構であり、人間を見つければ絶対に殺そうとする。そこに理由はなく、だからそれ以外の行動は絶対に選ばない。
そのことをアスタは学んでいた。
逆を言えば、魔物に向かっていく自分を、魔物は絶対に無視しない。
たとえ魔物と比べれば羽虫の如く貧弱なアスタでも、全力を挙げて殺しに来てくれる――。
怪物は、目標をアスタに定めていた。
その巨大な腕の一撃が、アスタに向かいまっすぐ伸びてくる。なんの小細工もなく、ただ正面から押し潰す意志だけが込められた一撃だ。
パンがそれを躱し続けるのを、ずっと見ていた一撃だ。
――避けられないはずが、あるだろうか。
「うぉ――っらああぁ……っ!!」
無様な叫び声。それでも、力を振り絞るには都合がいい。
全身に、血液のように魔力が流れていく。その速度は今までで最速だろう。もしもアスタが機械仕掛けの人形なら、歯車はきっと火花を発するほどに回転している。
振り抜かれる巨腕を、アスタはスライディングで回避した。どこかで、確か野球部の友人にでもやり方を習ったような気がしていた。そんなことを思い出せるくらいには、なぜか目の前が広かった。
感じるのは強い風と、地面に肌が擦れる痛み。大きめの砂利で、太股の辺りが裂けた気がした。地面についた掌が熱い。
けれど周囲の空気は、一気に冷えていくようだった。
土の地面に、滑った線がまっすぐ引かれた。
――やっぱり、ダメだな。
アスタは思った。魔力で肉体を強化して、ようやく一撃を躱せるだけなんて。パンがどれほど凄いことをしていたのか、体験してみてようやくわかった。
一秒後には怪物が振り返り、押し潰されるか、踏み抜かれるか、いずれにせよアスタは死ぬだろう。
ならば、それを止める以外に道はない。
訪れるはずの一秒後を、凍結させなければアスタは死ぬ。
ひんやりとした地面の温度が、なぜか灼けるように熱かった。
「――《氷》」
と、アスタは言葉にする。文字を言葉に変換する。
意味を魔術に変換する。
呪文の発声は一種の儀式で、つまりは魔術的な意味を持つ。エドが残したあの本には、そのこともちゃんと書かれていた。
もちろん、この《氷》のルーン文字も。
昨日の晩に覚えた中で、この文字がいちばん書くのが簡単だったのだ。
なにせ直線で済むのだから――。
「――砕け、パンっ!!」
叫ぶ。その目の前には、時が止まったかのように停止する怪物。
微動だにしない。その全身は、アスタの氷によって完全に止められている。
アスタが叫ぶよりも早く、パンは動き出していた。あるいは無貌に特攻するアスタを、彼女は助けようとしていたのかもしれない。
「――っ!!」
それは撃ち出された砲弾のような動きだった。
地を蹴り、宙を往き、まっすぐに跳びかかるパン。その身体は空中で錐揉みするように回転し、その脚が凍りついた怪物へ縦に蹴り落とされる。
弾丸でありながら、彼女は同時に一本の剣だった。
――びぎり、
と凍結した怪物にひびが走る。それは頭の部分からまっすぐ胸へと下りていき、
「う――ああああああっ!!」
そしてパンの右腕が、その胸の中心を貫いた。
亀裂が、上下に広がっていく。文字通り真っ二つに割れた怪物は、しかし、それでもまだ生きていた。
「■、■■■、■■■■■――!」
掠れた、音とも取れない何かの声。
それがどうしてか。アスタには、きちんとした言葉のように聞こえていた。
意味なんてもちろんわからないけれど。
それでも、何かの言葉のように。
だからアスタは、止めていた足を再び踏み出す。
それ以上、その声を聞いていたくなかったからか。あるいはそれとも、その声自体に後押しされたからなのか。その答えはやはりわからなかったけれど。
二つに裂けた怪物の身体の、片側に向かって飛びかかり、蹴り倒す。何を言わずとも、もう片方にはパンが向かっていた。
低い体勢から魔物の半身を蹴り上げる。穿たれた魔物は氷の破片を撒き散らしながら、宙に浮かび上げられた。
そしてパンは、まるで太陽に翳すかのようにその手を伸ばし――、
「――みんな、ごめん」
撃ち出した魔弾で、魔物の半身を完全に破砕した。
そしてアスタもまた、組み伏せた魔物に腕を向けていた。
氷の術式は、それがパンによって破壊された時点で効果をなくしている。徐々に溶け出していく氷。だから魔物は、たとえ身体が裂かれたとしても、最後の力で動き出すだろう。
止めは――確実に刺さなければならない。
動き出す前の魔物を脚で押さえる。その瞬間、ついに魔物が氷の呪縛から解かれ、その太い腕をまっすぐに突き出してくる。
アスタは、瞳を閉じなかった。
「――《火》」
脚で地面に刻んだルーンが、意味を発揮して火に変わる。
凍りついた肉が、今度は逆に灼熱の火炎に包まれ、そして燃えた。
迫り来る巨大な腕から目を背けない。それはアスタにぶつかる直前で、力を失い地に落ちる。腕を身体を繋ぐ筋肉が、それより前に燃え尽きたのだ。
黒く焦げていく魔物。肉の灼ける、嫌な臭いが鼻を刺激した。
火力が明らかに上がっている。魔術の質が、使えば使うたびに向上していた。
それでもまだ届かない。
それでもまだ、この怪物は再生を続けている。
「……逃げるぞ」
アスタはもう一度言った。
隙は作ったのだ。これでまた距離を取れる。
「うん……わかった」
パンは素直に頷いたが、その表情は暗かった。
逃避行も、もうすぐ終着が近付いている。
Q.なんで半月も更新なかったんですか?
A.すみません難産だったんです。山は超えたのでがんばります。
誠に申し訳ありませんでした。




