1-13『ダンジョントラブル』
「か――帰るんですかっ!?」
まさかそんなことを言い出すとは思っていなかったのか、ピトスは素っ頓狂な声を上げた。
だが俺にしてみればいちばん妥当な判断だ。危険だと思ったらすぐに引く。あらゆる冒険者にとって、それが最も合理的な選択肢なのだから。
熟達した冒険者ほど、冒険なんてしなくなる。そういうものだった。
「それほどに不味い状況なのかい?」
訊ねてきたウェリウスに、俺は首を振って答える。
「いや、別に今すぐ何かあるってわけじゃないと思う……っていうか正直、よくわからん」
「わからんって……」
呆れたように溜息をつくレヴィだったが、その《わからない》という一点だけで大問題だ。
「何かが起こってるのは、たぶん間違いないと思う。いちばんありそうなのは、今のところ《誰かが迷宮の魔物を転移魔術でどこかに飛ばしてる》ってところかな」
「……誰が、なんのために?」
「だから、それがわからないから困ってる」
事実、困り果てて俺は溜息をついた。そもそも、今言ったことさえ事実の確認は取れていないのだ。
ただの推測だけで、真相まで詰めるのは無理があった。俺は探偵じゃない。
――魔術師だ。
「ともかく、たぶんこの状況には人間の手が加わってる」
「誰かが意図的に、迷宮の魔物を減らしてる、ってこと……?」
「その可能性がある、ってこと。そしてもしそうなら、方法や目的はなんであれ、おそらくは後ろ暗い理由でやってるんだろうね。少なくとも、あまり楽観的な想像はできないな」
「……そう、そういうこと」
納得したらしく、レヴィは目を閉じた。どうするのが最善なのか、彼女は今それを考えているのだろう。
俺は続けて彼女に告げる。この判断は俺ではなく、彼女がするべきだと思った。
いくら暫定的にリーダーを引き受けているとはいえ、そもそも俺は、彼女の依頼を請けてこの場所に来ているのだから。
「――どうする? 進むか、引くか」
「…………」
「俺としては、引くほうをお勧めするけれど」
「そうね――」
彼女は、そして決意を口にする。
それを聞く前から、俺には答えがわかっていた。
「――私は、進むわ」
「いいんだな、それで」
「ええ。ガードナーに連なる者として、この街の迷宮で勝手な真似は許せない」
「わかった。んじゃ進むが――お前らはどうする?」
俺はほかの三人に向き直って訊ねた。
危険だと思うのなら、レヴィに付き合う理由はないだろう。俺は契約の関係で付き合わざるを得ないが、三人まで巻き込まれる必要はない。
そう思って訊ねたが、これもまた、訊く前から答えはわかっていたようなものだ。
「――魔物が少ないなら、むしろ十五層まで降りるチャンスじゃないか」
三人を勝手に代表するように、ウェリウスが爽やかに微笑んで言う。
「魔物どころか、より厄介なのがいるかもしれないぜ」
「それこそ望むところだろう? 何より、僕たちを仲間外れにするのは許せないな」
「……お前らも、それでいいのか?」
問うと、ピトスとシャルが互いに頷く。ピトスはともかく、シャルまでついて来るほうを選ぶとは意外だった。
ともあれ、これで全員の意思は固まった。
ならば行動は早いほうがいい。俺たちは立ち上がり、埃を払って探索を再開しようとする――そのときだった。
突如として、足元の石畳が輝き始めた。
「な――、」
慌てて目を見開く俺だが、その瞳に光が突き刺さる。
無色の発光。暗い迷宮ないではいっそ攻撃にも等しい光の波を受け、思わず俺はよろめいてしまう。
咄嗟に懐から、俺はルーンの刻まれた石を投げた。《保護》――霊的な守護や魔除けとしての効果を発揮する印刻だ。
だが――それは致命的に遅い。
すでに足元の魔術陣は、その効果を発揮し始めていたのだから。
「まずい、手を伸ばせ――転移陣だ!」
咄嗟に叫んだ。全員、覚えはあるはずだろう。
迷宮に直前、経験したあの転移の感覚に。
完全に術式へ捉えられてしまった。今さら抵抗することなんてできない。身体さえ鈍くなる。
足元の陣は不規則に乱舞して、術式を理解させようとしない。今から割り込んだり、止めたりするのは間違いなく不可能だ。
――いったい、なぜ急に――?
その答えもわからぬまま、俺は薄れいく視界の中で必死に手を伸ばしていた。
とにかく、誰かと触れ合っている必要がある。そうすれば同じ場所へ転移されるが――触れていない相手とは、おそらく違う場所に飛ばされるだろう。
く――っ、と浮遊感が身体を襲う。転移直前の感覚だ。
もはやもがくように、藁でも掴もうと俺は腕を伸ばし続ける。
そしてその手が、誰かの手に触れた瞬間。
俺たちは――どこか違う場所へと強制転移させられてしまった。
※
「――驚いた。まさか術式起動の最中に抵抗を受けるとはね。いや、面白いことになりそうだ……」
「なぜ殺さない? 奴らは隙だらけだっただろう」
「いや、見てなかったの? バケモノ混じってたからね、あの中。そもそも結界敷いてあったし」
「かといって――」
「それに。直接手を下すより、迷宮そのものに手伝ってもらうほうが楽だからねー……」
※
「ぐぅ――っ」
浮遊感からの復帰とともに、俺は辺りを見回した。危険の有無は最優先で確認しなければならない。
迷宮に転移陣の罠は付き物だ。その転移先は壁の中や出られない空間であったり、あるいは多数の魔物が存在する空間であったりと様々だ。
幸いにして、辺りはそういった即死罠の類いではないらしい。
一応、ある程度は《保護》が効いたのだろう。咄嗟だったが、転移そのものを止められない以上、判断としては最善だっただろう。そう思いたい。
「……ばらばらにされたな」
と、俺は手を繋いだ相手に声をかけた。
少女は「そうね……」と呟くと、俺の手をぱっと払いのける。
「しかも、まさかあなたと二人きりになるなんて」
「そりゃこっちの台詞だな」
互いに軽口を零し合う。無論、そんな余裕なんて本当はないのだが。
シャルロット=セイエル――もといシャルロット=クリスファウスト。
パーティで最も連携の取りにくいその女と、俺は二人きりに分断されてしまっていた。
「……不味いな」
と俺は呟く。
この状況で争う気もないのだろう、シャルもまた同じように呟いた。
「不味いわね……」
周囲の空間が――広い。まず間違いなく下層に飛ばされていた。
よもやオーステリア以外の迷宮まで飛ばされたとは考えたくないが、さて、果たして俺たちの現在位置はどこになるのだろう。
「せめてほかの三人が、同じ場所に飛ばされててくれるといいんだけどな」
特にピトスがひとりだと間違いなくヤバい。
レヴィかウェリウスか、せめてどちらかと組んでいてくれればいいのだが……。
視界に光が刺さっていたため、その確認はできなかった。
いずれにせよ、早急に合流する必要があるだろう。
「……他人の心配とは余裕ね。ここがどこかもわからないのに」
皮肉げに、シャルがそんなことを言った。
だが俺には、彼女が怯えているようにしか見えない。突然の事態に恐慌してしまったのだろうか。
先程までとは打って変わって、酷く弱々しく見えてしまう。
「悪いけど、許可証を確認してみてくれないか?」
俺の言葉に、シャルは首を傾げて言う。
「なんで?」
ということはおそらく、彼女はあまり迷宮に潜った経験はないのだろう。
多少なりとも慣れた冒険者なら、俺の言葉の意味くらいすぐにわかっただろう。
「ここが何層かわかるかもしれない」
経験した最大の瘴気濃度を記録する許可証をの表示を見れば、自身の記録より深い階層なら判断できる。たとえるなら、定規として活用できるわけだ。
「シャル、お前、今までの最深到達記録は?」
「……七層だったけど」
「なら、今日ので更新されたかもな」
「自分のは見ないわけ……?」
突っ込まれた事情を、肩を竦めて軽く流す。
「俺はお前より深く潜っちゃってるから。そっちのほうが長い定規になるってこと」
俺の言葉を聞いて、シャルは懐から許可証を取り出した。
そこに記された表記を見て、彼女は「嘘……」と小さく呟く。震えた声音だった。
だいたいのことは予感しながらも。
それでも俺は、彼女に向かってこう訊ねた。
「最大到達階層は、何層になってた?」
「……三十」
そう、彼女は言った。その絶望的な数字を。
「ここ、三十層だ。オーステリアのいちばん奥の階層だ……!」
――今回ばかりは死ぬかもしれない。
その覚悟を、今のうちに固めておく必要がありそうだった。




