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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第四章 王都事変
135/308

4-25『そこにはなんの物語もなく』

三日目ギリギリ達成っ!

 次の瞬間には、元の湖畔に立っていた。

 移動したという感覚さえなく、まるで瞬きの瞬間に世界が全て塗り替えられてしまったかのような。

「は、お、――え?」

 そのことに驚いて、アスタは思わずバランスを崩し転びそうになる。

 そこまでの間抜けを晒すことだけはなんとか堪えたものの、驚愕の表情までは隠すことができていなかった。

 もっとも、隣に立つパンもそれはいっしょだ。

「ふぇ? えと……戻ったの?」

 困惑した表情で問われるが、アスタに答えることはできなかった。

 それどころではなかったからだ。

 目の前の異常には、一瞬遅れてパンも気づいた。


 ――魔竜ドラゴンが。

 つい先程――アーサーの正しくアスタたちを過去に戻したのならば本当に一瞬前に――アスタたちを呑み込んだ、あの神獣が。

 目の前に、普通にいたのである。

 鎌首をもたげる蛇のように、湖面から半身を覗かせている魔竜ドラゴン。その静謐な佇まいは、魔竜、という名に反しどこか神聖な雰囲気さえ纏ってるようだ。


「……ま、っず……!」

 絞り出せた言葉はそれだけだった。圧倒されているのだろう、身体はまるで動こうとしない。

 とはいえ、本当にアスタたちが呑まれた瞬間に戻ってきたのなら、そこにいて当たり前ではあるのだが。

 考えが及んでいなかった。アスタにしてみれば不意打ちにも等しい。

 反射的に起動しようとした魔力を、けれど理性で押し留める。

 ――勝てない。

 勝てるわけがない。迷宮で、魔獣と一戦したばかりのアスタだが、だからこそ、かつて以上に力の差がはっきりと理解できる。

 これは、無理だ。

 魔竜は魔物であり、その中でも特に上位のモノを幻獣と呼ぶ。そして、その幻獣の中でさえ最上位に位置する怪物を――神獣と呼ぶのだ。

 文字通り、それは神の力の一端を現実に降ろす端末。

 人間が敵うような相手ではない。


「――――――――」


 魔竜ドラゴンは、しかし何もしてくることがなかった。

 ただこちらを見下ろすように睥睨するだけ。その透徹した瞳から、感情を読みとることはできない。

 ただ、仮に魔竜ドラゴンに感情と呼べるモノがあるのだとすれば。

 少なくとも目の前の白き竜は、こちらに敵意は向けていない。

 それだけは、アスタにもなんとなく理解できた。

 やがて、というほどの間もなく、魔竜ドラゴンは静かに身を翻すと湖の中に戻っていった。


「……なんだったんだろ……?」

 湖面にたゆたう波を見つめながら、パンが首を傾げていた。

 アスタも答えが思い浮かばず、静かに答えるほかない。

「いや、わかんないけど……魔物って、人間を攻撃してくるんじゃなかったっけ?」

「そのはずだけど……」

 お互いに、首を傾げ合う以外になかった。

 まあ、襲われないのならいいだろう。そう判断し、アスタはパンに向き直って告げる。

「とりあえず町に戻ろう。あの魔法使いから、三日後に魔物が来ることは聞いてるんだから。避難させるなりなんなりしないと……」

「そ、そうだね……うん!」

 頷き合い、ふたりで駆け出す。その寸前。

 足下に、一冊の本が落ちていることにアスタは気づいた。

 冊子みたいな小さな本だ。立ち止まって、アスタはそれを手に取る。

 エドから貰った、魔術書だった。

 魔竜ドラゴンに呑み込まれたとき、パンが取り落としていたのだろう。

「……アスタ? どうしたの?」

 先を行くパンが、こちらを振り返った首を傾げた。

「いや、なんでもない」

 首を振る。それから、落ちている冊子を拾い上げておいた。

 拾っておけば、何かの役には立つだろう。

 あの迷宮でだって、ルーン文字のひとつを覚えていたから対処できたのだ。

 ともあれ、今は町に戻ることが先決だろう。アスタはパンの後を追う。

 しかし町に戻るのはいいが、果たして三日後に魔物が来る、などという言葉を信じてもらえるのだろうか。仮に信じてもらえなかったとして、そのときはどうやって町民を守ればいいのだろう。

 走りながら思案する。結局はぶっつけ本番になるだろうと思うが、まったくの無策でぶつかるのも問題だろう。

 アスタは最後にもう一度だけ、魔竜ドラゴンが消えた湖のほうを振り返る。

 なぜか突然いなくなった、レファクールの残したカンバスだけが、その視界で捉えられた唯一だ。

 それを眺めて、すぐに首を振り、また駆け出す。同時に、これからどうするべきなのかを思案しながら。


 ――結局のところ、その思考はなんの意味も持っていなかった。

 考え出した説得の言葉を、告げる相手がいなかったのだ。

 なぜなのか。結論から言ってしまおう。


 町には――人間がひとりもいなかったのだから。



     ※



「なん、で……?」

 震える声。アスタはパンの表情を窺い見たが、かける言葉までは見つからなかった。

 水の都は今、完全にゴーストタウンと化している。

 何か変化があったわけじゃない。ヒトがいないという点を除けば、町は普段とまったく変わらない見た目でしかなかった。

 けれど、そこに流れる雰囲気は今までのものとまったく違う。

 有り体に言って、死んでいる。

 雑多ながらも活気のあった喧噪が、余所者を迎え入れてくれた暖かみが――何も残っていない。

 この世界に来てから大半の時間をアスタが過ごした町は、もう存在していないも同じだ。

 ヒトがいなくなるということが、ここまでの影響を及ぼすのか。

 そんな風に、いっそ感心してしまうくらいの違和感だ。

「なんで、誰もいないの……? ねえ、アスタ……?」

「……いや」わからない。

 それ以外の答えは見つけられない。言うべき言葉がわからない。

 アスタはまだいいだろう。

 所詮は、この町にとって外の人間でしかないのだから。

 だが――パンは違う。

 ここは、彼女の故郷なのだ。

「……みんな、もう避難してる、とか……?」

 言ったはいいが、その可能性は低いだろうとアスタは思っている。

 パンもまた、そんな希望的観測は持てないらしい。

「なら、いいけど……でも!」

「そうだな」頷くしかなかった。「もし違ったらまずい。とりあえず、誰かヒトを捜そう。どこかに隠れてるのかもしれないし、もしかしたら取り残されているヒトがいるのかも――」

「――アスタ」

 その発言は、パンによって途中で止められた。

 彼女の視線は少し先、町の中心を貫く大通りの向こう側に向いていた。

「後ろ」

「……ああ」唾を飲み込んだ。「魔物か……」

 遠巻きに見えたのは、空を行く飛行型の魔物。怪鳥。

 先程見た狼型の魔物がまだしも生き物の原型に忠実だったことと比べ、空を舞う魔物は見るからに怪物だった。

「……まだ見つかってない。アスタ、どうする?」

 パンが言った。距離もあってか、奴らがこちらに気づいている様子はない。あの魔竜ドラゴンは例外だったが、魔物は基本的に人間を見つければ絶対に襲いかかってくる。

 別に、わざわざ攻撃をしかける必要はないはずだ。

 誰かが襲われているとかならともかく、奴らはただ空を舞っているだけなのだから。必ず勝てるなんて保証もなく、ならばアスタたちが選ぶべき選択肢は、むしろ逃げることなのかもしれない。けれど、

「――倒そう」

 そう断言した。

「……どうやって? 相手は空にいるんだよ?」

 アスタがそう答えることが、パンはわかっていたのだろう。特に驚きもせず言う。

「そうだな」呟き、そこでアスタが持ち出したのは、さっき拾った魔術書だ。「……えっと。この《巨人スリサズ》のルーンとかどうだろう」

「……なんで?」

「だって、雷神とかトゲって意味もあるんだろ? なら雷のトゲとか作れば――」

「……それは無理」

 パンは断言する。印刻とはそもそもそういう魔術ではない。

 巨人――スリサズのルーンは行く先の忠告などの暗示として使われるのであり、ただ源義に沿っていれば魔術が発動できるわけではない。

 にも、かかわらず。

 アスタは、その話を聞いていなかった。


「――《巨人(Thurisaz)》」


 呟くや否や、アスタは地面に文字を記す。

 瞬間、雷の棘が魔力によって具現化し、それがまっすぐに射出された。

 それは空を舞う魔物の肉体を貫き、魔力に還元して四散させる。


「……ほら。できるじゃんか」

「――――…………」絶句。

 だった。だってパンには意味がわからない。

 魔術は本来的に座学だ。そこに実践が混じるわけだが、まず何より先に理論を理解していなければ始まらない。

 世界の法則、決まりごとを書き換えるのが魔術であるために、ときおりそれは《書く》こと、そして《描く》ことにたとえられる。理屈でもって世界を理解し、その記述を正しい方法、正しい書き方で改竄するからこそ世界を騙すことができるのだ。だが理屈だけでは足りない。実際に身体を動かさなければ魔術とは言えないし、そもそも正しい記述を理解していても、それをどう変えるのかは術者それぞれの感覚によって変わる。

 理屈セオリーにして感覚センス。比喩的に言えば、文字で絵を描くような行為であり、あるいは絵で世界を記述するような技術だ。

 その難しさが同時に魔術の難しさであるのだが。

 今、アスタが行った魔術はその大原則を完全に無視していた。単に魔弾を撃つときだって、その威力から規模、軌道まで全てを術者本人が設定しなければならない。

 けれどアスタは、感覚だけで全てを設定してみせた。

 それも《巨人》のルーンを雷の棘に変える、などという無茶苦茶な解釈で。原義通りではあるが、その通りに使えればルーンなど難しくもない。

 普通はそれができないから異常なのだ。


「あと二体か。まあ、勝てそうだな」

 酷くあっさりと、まるでなんでもないことのように呟くアスタ。

 それがどれほど特別なことか、彼はまるで理解していない。

 当然、こちらに気づいた魔物は怒り狂って近づいてくる。だが魔物の飛行速度がいかに速かろうと、雷の速度に勝るわけもなく。

 続く二体もまた、回避さえできないままアスタの魔術に沈んでいた。

「……信じられない」

 パンは呆然と呟いた。それしかできない。

 一方のアスタはそこで初めて振り返り、少しばつの悪そうな顔で、

「ちゃ、ちゃんと無傷で倒しただろ……?」

「……いや」

 そういうことではない。

「な、なんだよ。そりゃ勝手に攻撃したのは悪かったけど、でもあいつら弱そうだったし。倒せるなら、それに越したことはないだろ?」

 そういうことでもない。なんだかもう、馬鹿らしくなってくる。

「怪我してないならいいよ」

 それより、とパンは話題を変えた。

「……あの魔物、どうしてずっとあの場所にいたんだろ?」

「え?」

「いや……ちょっと気になって」

 単に話題を変えようとしただけだったのだが。

 しかし、言ってみてから、確かに奇妙だと気がついた。

「普通、魔物って魔力のあるほうに向かって動くものだからさ。あ、人間を見つければ別だけど。でも、さっきの鳥は、ずっとあの場所で、まるで旋回するみたいに留まってたでしょ。……なんだか、気になって」

「……行ってみるか。何かわかるかもしれない」

「そうだね。それに――」

 あの場所は――パンの両親がいるはずの、《水瓶亭》の真上なのだ。

 頷き合い、ふたりは駆け出した。とにかく今は情報が欲しい。

 町民たちがどこへ消えたのか。アーサーたちを迷宮に閉じ込めた黒幕とは誰なのか。ふたりを助け出すためにはどうすればいいのか。

 ――過去は変えられない。

 その事実を知らぬまま、ふたりはただ駆ける。先に待つ未来は、すでに確定した過去でしかないというのに。これから先に、ふたりが何をしたところで、それはもう終わっていることでしかないというのに。

 欺瞞でしかない希望を追いかけて、ふたりは町を駆け抜ける。


 ――その先で、アスタとパンは赤を見た。



     ※



 まずパンが吐いた。その赤を見た瞬間に、少女は不快感から胃の腑の中身を絞り出すように外へぶち撒ける。

 瞳には涙。跳ね返る液体が顔を汚すのにも構わず、パンは激しく咳き込んでいた。

 その後ろで――アスタはただ立ち尽くしている。

 どんな表情をすればいいのかわからない。どんな感情を抱けばいいのかわからない。どんな言葉を吐けばいいのかわからない――。


 死体があった。別に、見るのが初めてというわけじゃない。

 この世界に来ていちばん最初に、見知らぬ冒険者の死体をアスタは見つけている。

 だが、知っている人間の死体を見たのは初めてだ。ついさっきまで言葉を交わしていた男の、それも明らかに殺されたのだとわかる死体など。


 エドワードが死んでいた。


 死んでいる。これで生きているわけがない。

 なんの物語もなく。こうして出会った人間が、こうもあっさりと命を落としている。

 ここがそういう世界だと、アスタは今になってようやく理解した。

 彼がそう(丶丶)だと判るのは、単に髪と眼の色が同じだったから。

 銀髪金眼。地球で言うところの西洋風な外見が多いこの世界でも、この特徴を持っている人間を、アスタは彼以外に知らない。

 そのほかの全てが赤だった。

 血。血だ。それ以外のことはわからない。肉体はすでに原型を留めていなかった。

 アスタにはわからない。何も、どんな反応をすればいいのかさえ。

 だから、ただ硬直して死体を見つめるだけだ。それが記憶の奥底に焼きついて、やがて忘れることができなくなるのだとしても。アスタは、動くことができなかった。


「なん、で……?」


 なんで動かないのだろう。どうしてカラダがバラバラなのだろう。

 わからない。わからないわかるわけがないわかりたくもない。

 それでもアスタから涙は出ない。何も、なんの反応も出てはこない。

 そんな自分が――きっと何よりも不愉快だ。


 死んでいる。それだけは理解した。

 これで生きているはずがない。ここまで至ったのなら、もう生きていてはならない。死んでいないほうが問題だ。

 エドは、エドだったモノは、それくらいに損壊している。

 終わっている。

 だが、人間ひとりが終わったところで、世界は無関係に存続する。


「――そんなところで、何をしているんですか」


 背後から、そんな声がかけられた。

 パンは反応できない。親しい、なんて言える間柄ではない。パンだってアスタだって、エドと出会ってまだ一日も経っていない。

 だが、それでもその死はふたりに強く影響する。

 無反応のパンに代わり、アスタが振り向いて彼女を見た。

 ――レファクール=ヴィナ。

 アスタと同じく《水瓶亭》に宿泊していた、芸術家を自称する魔術師。


「ここは危険です。すぐにでも避難してください」

「……いったい、何が……?」

「それはわかりません」

 レファクールさんは静かに首を振る。

 この状況でも、彼女は普段の落ち着いた振る舞いを崩していない。冒険者としても活動しているという彼女は、こういった事態にも慣れているということだろうか。

「ずっと湖で絵を描いていたつもりだったのですが。気づいたら、なぜか町の中にいたんです。とりあえず、おふたりが無事でよかった」

「……町の人たちは」

「それもわかりません。ただわかるのは、この場所がとにかく危険だということだけ。わたしも何度か、魔物に襲われています」

「……おかあ、さん、たちは……っ」

 パンが、震える声で小さく言う。その表情を一瞥して、レファクールさんは、やはり落ち着いた声音で言った。


「町をひと通り見て回りましたが、死体なんてありませんでした。彼を除けばではありますが。ひとまず安心していいでしょう」

「……そう、ですか」

「ひとまず避難しましょう。――もう、ここは人間のいるべき場所ではないのですから」


 そのとき、アスタは。

■今回の茶番


エド「えっ、あれだけ重要キャラ感満載で出てきて出番終わりー?」

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