4-16『王都』
オーステリアを発って、三日目の夕刻。
俺たちは、王都に辿り着いていた。
昨夜もまた、きりのいいところまで俺の過去を語ることになった。
エウララリアも、俺とマイアが義理のきょうだいだということは知っていたが、さすがに出会いまでは話したことがない。いったい何が面白いのか、普段より数割増しでテンションを上げて、俺の語りに聞き入っていた。
別に面白い話などないのだが。フェオもアイリスも、どころか途中からはシルヴィアまで聞き入る始末だ。
ともあれ、その朝から馬車を走らせて、俺たちは王都へと至る。
道中、特に変わったことは起こらなかった。まあ、この面子に喧嘩を売るなど、ほとんど自殺行為だとは思うが。
城壁の衛兵は、もちろん王女の顔で実質フリーパス。さすがにオーステリアと違い、検問くらいが当たり前に設けられているが、そこは俺たちには関係がない。
巨大な、それこそオーステリアとは比較にもならない規模の壁が、ぐるりと王都を一周するように囲んでいる。その荘厳さな威圧感は、それだけでこの都市がほかとは違うことを示しているようだ。
逆十字――この国の紋章が施された旗を横目に、俺たちは巨大な鉄の門を潜り抜ける。
「ここが王都かあ……」
嘆息するように、馬車の中でフェオがそう零した。
確か来るのは初めてだったか。俺は何度か来たことがあるが、さすがに国王のお膝元。何度訪れても、踏み入れるだけでわずかな緊張がある。フェオの気持ちも少しわかった。
一方、アイリスはわかっていないのか、それともわかっていてなお動じないのか。さしたる緊張を見せることもなく、王女のお膝にちょこんと腰を下していた。
大物というかなんというか。まあ、比喩ではなく王家の膝に座っているのだ。今さら王都に入るくらいで、緊張も何もないのだろう。
「グラム、馬車はこのまま王城まで。申しわけありませんが、ユゲル様とシルヴィア様にも城までおいでいただいて構いませんか?」
「俺は家に帰りたいんだが……」
仮にも王家からの要請を前に、平然と自己主張ができる教授。
そのマイペース振りはともかくとして、いずれにせよ彼の力と知識は必要になる。怠惰の極みみたいな男だが、それでいて自分の意志は頑固に曲げないという面倒な人間でもある。
なんとか言いくるめて、王城まで同行してもらった。
外縁の城壁と変わらないくらいに強固な門扉を、また馬車ごと潜って城の中へ。
まあ、お忍びでの帰還、ということだった。
※
馬車を降りると、俺たちはそのまま兵士の案内で広い一室へと通された。
王城内の間取りなんてさすがにわからないが、たぶんそれなりに使われている部屋なのだろう。大半が若者という、実に意味不明な面々を見ても、案内役の兵は表情を変えない。
教育が行き届いている――というよりは、この王女様のことだ。単に、いつものことだと思われているのだろう。
しばらくの間、俺たちは室内で待ち続けた。
値段なんて想像もしたくない食器で、値段なんて想像もできないお茶が提供されるが、小市民たる俺には味なんてちっともわからない。認めるのも癪だが、これならオセルで珈琲屋の淹れたものを飲むほうがマシだとさえ思ってしまう。
やがてメイドが下がると、入れ替わるようにエウララリアが現れた。
しかもまあ、これまた大物を伴ってである。
「――よく来てくれた。まずは礼を言おう」
俺は咄嗟に立ち上がり、すぐに頭を垂れる。教授までもが、このときばかりは機敏に動いていた。ほかのみんなも俺たちに続く。
目の前の男が誰であるのかくらい、いくらなんでもわからないということはないだろう。アイリス以外は。
――金髪銀眼の偉丈夫。
ファランティオ=ジーク=アルクレガリス。
この王国の、第一王子の地位に座る、つまりはエウララリアの兄だ。
「楽にしてくれていい。リアのお転婆には困るが、私もこの場で地位を振りかざすつもりはないからね。それより大事なことがある」
言葉に礼を述べ、めいめいに顔を上げた。
座ってほしいと続ける王子に従い、それぞれ高価そうなソファに身を埋める。
「さて。この件に関してはリアに一任してあるが、私も話くらいは聞いておきたいからね。父上の――国王の容体にも関わることだ」
「……陛下の身に何かが?」
訊ねると、第一皇子――ファランティオは顔を伏せて頷く。
「公表はできないがね。床に臥せっておられる。病……ではないのだろうね。おそらくは呪いだろう。正直言って――思わしくはない」
「いつから……」
「ふた月ほど前だったかな。原因は正直、わからない。王国中から秘密裏に治癒魔術師たちを招聘したが、誰も解呪はできなかった」
不謹慎だが、道理で、という納得もあった。
でなければエウララリアが、こうも自由に動いてはいないだろう。
「その上、これは知っているだろうが、北の情勢も慌ただしい。私自身、すぐにでも発たなければならない身分でね。心苦しいが……任せるほかにない。不甲斐ないことだよ」
この王国は、大陸の大半を領土として納めている。南北には別の国々があるが、それらも扱いとしては属国だ。おおむね戦争とは関わりのない、平和な国だといえた。
だが数年前。突如として北のレイクーンで政変が起こった。
頭は挿げ替えられ、新政権は王国に対し宣戦布告。以来、小競り合いが続いている。その裏には東大陸の帝国が絡んでいるとされているが、定かではない――。
細かいことはともかくとして、それがこの国の現状だ。
外敵は存在する。何も、国内のことだけにかかずらっていられるわけではなかった。
「――願わくは、陛下を救ってほしい。私は外側の敵を防ごう。だから、リアには……皆には内側を頼みたい」
俺は一瞬、外国の政変さえも七曜教団の差し金ではないのかと考えてしまう。自覚はないが、それだけ彼らのことを恐れているのかもしれない。
彼らは言った。世界を救う、と。
それは、果たしてこの王国内部だけの話なのだろうか。
「お任せを――兄様」
エウララリアが言う。
要するに。
この状況下で、王国の戦力に期待することはできないということが言いたかったのだろう。
それは構わない。数は力だが、魔術においては個が群に勝ることも、決して珍しくないのだから。
生半な戦力など、むしろ足を引っ張ることさえ考えられる。
――いやまあ。
だからこそ、今の俺は相当まずいのだが。
「――ともあれ。そういうわけですので、ここにいる皆さんを、非公式ですが対七曜教団を想定した対策部としたいのです」
「国の機関として正式に、ということですか」
「そうなります。公表はできませんが――第三王女として、これは正式な依頼です」
告げられたエウララリアの言葉は、俺にとって意外なものではない。元からそのつもりでいた。
アイリスとシルヴィア、そしてフェオに関しては、申し訳ないが巻き込ませてもらう。彼女たちの力は必要だ。
それに、三人とも教団に因縁がある。だから望むところではあると思うが――かといって、黙って連れてきたことに対しては、どうしても引け目を感じてしまう。
利用しておいて。
三人が断らないことを知った上で。
まさか、謝ることなんてできるわけもないが。
「……まあ、仕方ないな」
教授もまた、面倒そうにしながら、それでも頷いた。
単純な戦力としてももちろん、知識の面においても教授以上を探すことは難しい。
第一位階――《魔導師》の肩書きは伊達じゃない。
例外にして番外たる《魔法使い》と比べてさえ、ある意味では魔導師の知識量は勝るだろう。初めから魔法使いである彼らとは違い、魔導師は研究と研鑽を重ねて、魔術師の頂点に立った存在なのだから。
魔を導く者であることを、認められた存在なのだから。
「とりあえず、情報の整理から始めるか」その教授が言う。「奴らが何をしていて、どの事件にどこまで関わっているのか」
「……教授は何か掴んでるのか?」
ふと、俺は思いついたように訊ねた。
彼は面倒そうに指を立て、それをくいっと振りながら呟く。
――それが暗号であることに、この場では俺だけが気がつける。
いっさい悟らせることなく、自然な風情で教授は言った。
「それも含めて、情報共有といこう」
※
――七曜教団。
その名が知られるようになったのは最近だが、けれど成立は、かなり古くにまで遡るらしい。
というのも、最低でも数年単位の準備がなければ不可能な事態を、彼らが引き起こしているからだった。
教団、というからには一種の宗教だ。当然、信者がいるわけで――つまりは宣教を行っているということでもある。
にもかかわらず彼らの名が広まらないのは――
「知った人間は全て引き込まれたか、あるいは殺されたからだろう」
と教授。主に彼が喋ることで、場を取り仕切っていた。忙しいからだろう、王子はすでに部屋を去っている。
教団がこれまで行ってきたことは、大まかに分けて三つある。
ひとつは実験だ。迷宮の内部に結界を張ることで情報の流出を避け、そこをそのままひとつの実験場として、主に生体関連の研究を行っている。
かつてオーステリア迷宮で見た幻獣を模した合成獣から、アイリスに対して行われたであろう人体実験まで。いずれにせよ、判明している限りでは生体系の実験ばかり。
「……アイリスの場合は、身体能力の向上と異能力の後天的な付加。また合成獣に関しても、結局は弱い魔物の強化が目的だろうな」
整理するように言う教授。
エウララリアが持つ《魔眼》を初めとして、こういった、魔術によらない異能力は、完全に先天的な素質によるものである。
それを後からつけ加える。あるいは身体能力の強化だとて、広義では超能力の付加と言ってもいいだろう。
「いずれにせよ、その目的は《弱いモノを、強いモノに》変えることへと重きが置かれている」
「……それらが実験だとするなら」
「最終的には、自分たちにそれを適用するつもりだろうな」
あっさりと教授は言った。
より強い能力を自分に。なるほど、納得はできる目的だ。
けれど――それだけだとも思えない。
「元より魔術の目的は《万能》の実現だ。神の領域に足を踏み入れること――その意味でなら、奴らのやっていることは魔術師らしいとも言える」
「どうかな……」
教授の言葉に、俺は頷かなかった。
確かに、ある視点ではそうだ。けれど、それで終わりだとは思えない。
「なら、単に魔術の研鑽に励めばいいだけだ」
「そうだな。どう見る?」
「……奴らにとって、強くなることは手段であっても、目的ではないように思えるんだよな」
推測、というよりはもはや想像の領域だが。
奴らには確固たる目的があり、そのための手段を選んでいないという感じが強く見られる。何ごとか成し遂げたい理想があり、そのために必要なことを粛々と行っているかのような――そういうイメージだ。
――それが、彼らの言う《世界を救う》という言葉に繋がるのか。
そこまではわからないけれど。連中の発言を、鵜呑みにする気にもなれない。
「悪くない考えだが、今はいいだろう。重要なのは、もし連中が実験を完遂させ、自らに適用した場合――単純に戦力が向上する可能性があるという点だ」
「副産物だとしても、充分に厄介だけどな……」
ただでさえ強力な魔術師が、そこからさらにドーピングされるようなものなのだから。
アイリスや、あるいはクロノスのことを考えるに、その研究もある程度まで成功の目処が立っていることは想像できた。笑えない話だ。
「続いてふたつ目」教授が続ける。「――奴らが、強力な魔術師を殺して回っている点だな。それもわざわざ迷宮の中に絞ってだ」
これはタラス迷宮で、シルヴィアやピトスたちを殺そうとしていたことからわかる。わざわざ《銀色鼠》に根を張って、長い期間を費やしてまでの行いだ。そこにも意味はあるだろう。
連中は宗教徒だ。そして、宗教関連者が人を殺す場合と言えば。
「……生贄。そう考えるべきなのかな」
「迷宮は、一説によれば元は《神殿》だったとも聞く。あるいは何かを、呼び出そうとしているのかもしれないな。連中の中には確か、転移魔術の使い手もいるんだろう? 神にしろ悪魔にしろ、古来より、召喚するには生贄が必要だと相場は決まっている」
「…………」
「邪教のクソ儀式なんぞに、意味を求めるのも馬鹿らしいが」
「この方向から、連中の目的に迫るのは難しいかな」
溜息をつくように俺は言う。
まあ、いい。奴らが何を考えているにせよ、それを阻止することだけは確定だ。目的なんざ、捕らえてから考えても間に合うだろう。
「――少し休憩にしよう」
全員が押し黙る中、気楽そうな面持ちで教授だけが言った。
俺は苦笑して、
「もう疲れたのか?」
「疲れたね。こんなんでいい考えは浮かばん。煙草でも吸ってたほうがマシだろう」
「……かもしれないけどさ」
「付き合え、アスタ」教授は言った。「煙草は切らしたままだからな」
「はいはい」俺は頷く。「どこか、吸える場所は――」
「庭でも借りればいいだろう。王宮には何度か来てるからな」
「態度でかいな、教授……」
「こっちは客だからな。縮こまる意味がない。悪い考えだぞ、それは」
言うなり立ち上がると、教授はあっさり部屋を出ていく。
残されているみんなに頭を下げて、俺もそれにつき従って出た。
――要は、顔を貸せという意味なのだから。




