4-14『運命』
すまない……。
予約投稿したつもりになっていた……。
「――しかし、あれだねえ……」
珍しく。本当に珍しく、どこか困った表情でマイアが言う。
基本的に、何もかもが自由だといった感じで生きている彼女が、こういった顔を見せるのは実に稀だ。ということを明日多はこの数日で学習していたが、かといってそれが自分に向けられていても、正直まったく嬉しくない。
「アスタ、魔術の才能まるでないね」
「……やっぱりかー」
なんとなく、そんな気がし始めてはいたのだ。
町外れの小道。明日多が、初めてパンと出会ったあの林道にふたりはいた。
基礎として普通魔術から始まり、使い手が多く難易度の低い元素魔術、そしてマイアの得意とする錬金魔術まで、ひと通りの手解きを受ける明日多。
その結果は――まあ、なんというか。
結論から言ってしまえば、明日多は教わった魔術をひとつたりとも成功させることができなかった。
マイアの教師としての適性は、これで案外、低くない。明日多とは比較にもならない速度で魔術を覚えていくパンの存在が、そのことを証明していた。
なんらかのコツをつかんだらしい彼女は、すでにひとりで魔術の研鑽に取り組んでいる段階だ。今は自宅である《水瓶亭》で留守番している。
ともあれ、つまり。
いくら練習しても魔術が使えないのは、もう完全に明日多の側に責任があった。
「というか、こんなのもう才能がどうとかってレベルじゃないね」
「そこまで駄目なのか……」
一応、明日多も年頃の男の子であるからして。
元の世界へ戻るためとか、自分の身を守るためとか。そういった目的とはまた別のところで、魔術という幻想に対する憧れは持っていた。
単純に、それが使えることを楽しみに思っていた。のだが、
「回路が完全に切れてるっていうか、もう機能として持ってないってレベルだよ、ここまでくると」
羽を持たない生物では、大空を飛び回ることができないように。
鰓を持たない生物では、水中で呼吸することができないように。
明日多には、教えられた魔術を使うための機能が、初めから備わっていないらしい。
「参ったな。大見得切ったはいいけど、こうなると本気で対処がわかんない」
「…………」
悩むマイアに、返す言葉など思い浮かばなかった。
現実を突きつけられて初めて明日多は、自分がそれなりに魔術を覚えることを楽しみにしていたのだと痛感する。
まさか魔術を扱う才能が、まったくないだなんて想像だにしなかった。
別段、物語の主人公のように、都合よく天才だったなんてことまでは望んでいない。だからといって、完全に使えないなんてさすがに酷い。あんまりだ。
「……いや。いやいや」
マイアが呟く。首を振って、そんなことはあり得ないと考察を口にした。
「何かあるはずだよ。ていうか、魔力それ自体を扱うのは上手いのに、それを術式で出力できないなんてパターンは私だって聞いたことがない」
「まあ、身体能力の強化とかができるだけ、マシだと思うことにするよ……」
体内の魔力ならば扱えるのだ。それは身体に巡らせるだけで、ある程度まで肉体の機能を向上させることができる。魔術の第一歩だが、この段階までなら、あるいは明日多はパンよりも巧みに魔力を循環させることができた。
だが、それは単に魔力を操っているだけであり、術式を扱っていない以上は決して《魔術》とは呼ばれない。
「とにかく、いろいろ試してみるしかないね」マイアは言う。「何かひとつはきっと、扱える魔術があるはずだから。特化型なんだろうね、たぶん。私もいろいろと考えてはみるからさ」
「……そりゃどうも」
すでに、割と心が折れている明日多だった。どれだけ楽しみだったのか。
「マイナーな魔術だとすると、文献とか漁ってみないと駄目かもなあ……私だって、錬金以外の知識がそこまであるわけじゃないし。んー……次は数秘魔術とか試してみようか?」
「……なんだかな」
明日多は空を仰ぎ見る。雲は多いが、それでも晴れと言っていい天気だろう。
「魔法使いになれば、なんでもできると思い込んでたのかな」
「や、魔法使いと比べたら駄目だって」
気落ちして零す明日多を、意外にも慰める口調でマイアは微笑んだ。
「ああ、そうか。魔法使いと魔術師は違うんだっけ。なんかよくわかんないけど」
「魔術師は技術者だけど、魔法使いは法則そのものだから」
「……いや、だからそれがわかんないんだけども」
この世界の魔術師の、頂点に立つ魔法使い――アーサー=クリスファウスト。
言われてみれば、彼が纏っていた雰囲気はほかの誰とも共通しない独特なものだった。あれが頂に立つ存在だとするのなら、いったい自分との格差はどれほどのなのか。
「煙草を額に押し当てられたときは何かと思ったけど。本当に、なんでもできるみたいだよなあ」
「……実際、魔術の最終目標は、不可能をこの世からなくすことだからね」
呟き、それからマイアはふと怪訝な表情を作った。
口元に手をやり、何ごとかいきなり考え込むような雰囲気を作る。このようにマイアが前触れなく思索に沈むことは割と多い。
たいてい、声をかければ戻ってくるのだが。
「どうかした?」
訊ねた明日多に、マイアはふっと視線を合わせる。
「――ちょっと額見せて。もう一回」
言うなりマイアは、明日多の前髪を掻きわけた。
顔を近づけ覗き込まれると、やはり明日多としては緊張してしまう。
「……そうだ。えっと、なんだっけこれ……んんー」
「えっと、何をやって……」
「ちょっと静かに!」
額を、というかほとんど顔を凝視されている。
何かを思い出そうとしているような、そんな表情がなければ、耐えられなくなっていたかもしれない。
「そう。これ単に煙草を押し当てただけの傷じゃない……なんだろう。文字……? そうだよ文字だ、ルーン文字……えっと、うわ、なんて意味だっけこれ……? 《財産》は角度が違うし、《水》も似てるけど……違った、ような、気が……ああ駄目だ、ルーン文字なんて覚えてないっての! ――アスタっ!!」
「な、なんだよ……」
ぶつぶつ呟くマイアに、ちょっと押されながら答える明日多。
マイアは構わず、むしろ距離を近づけてくるような勢いで明日多に訊ねた。
「あのヒトがなんの意味もなく印刻するわけない! ねえ、これをつけられた前とあとで何か変わったことは?」
――印刻。その言葉にどうしてか聞き覚えがあった。
そういえば、確かアーサーがそんなことを言っていた気がする。
「いや、たぶんだけど」
「何!?」
「言葉が、わかるようになったんだと思う」
「――――」
マイアが、目を見開いたまま硬直した。
その様子に押されて、どこか言い訳のように言葉を重ねる。
「いや、だってあのおっさんは普通に日本語喋ってたし、でも文字が違うから、たぶんこれが通訳してくれてるんじゃないかな……なんて」
「……そりゃそうだ」なぜだか苦い顔をしてマイアは俯いた。「迂闊だったな。異世界ならそりゃ言葉も違うよね……そっか。思い出した。《主神》だ、これ」
「…………」
――なぜだろう。先程から頭がじくじくと痛みを発している。
額から、脳髄の中心を刃物で貫かれているかのような不快感があった。
財産、水、主神――。聞いたこともない言葉の意味が、どうしてか理解できてしまう。
まるで誰かに頭の中を弄られているみたいで。
そのことが、堪らなく不快だ。
「――……アスタ? どうかした……?」
蒼白な表情をしていたからだろう。気遣わしげに、マイアが顔を覗き込む。
明日多は咄嗟に首を振り、なんでもないと告げてから笑う。
「それより、そっちこそ何かわかったのか?」
「……特には。でも、そうだね」マイアは呟く。「次は印刻を試してみようか」
「印刻?」
「そう――印刻魔術。使えるかどうかはわからないけど、試してみる価値はあると思うから」
「そっか」
呟いた明日多に、くすりと微笑んでマイアは告げる。
「でも、それはあとで。そろそろこっちのほうも手伝ってもらわないとね?」
「こっちのほう、っていうと――」
「そう。――魔法使いを、そろそろ探そうと思って」
※
なんとなく、としか言えないのだけれど。
マイアは、パンがいないときをわざわざ見計らって切り出したのではないか。
そんな疑念が明日多にはあった。
もちろん根拠はない。けれど、あながち間違ってないという気がする。
この数日、パンはずっと明日多の近くにいた。
別に不機嫌なのが治ったわけじゃない。パンはずっと面白くなさそうで、せいぜい明日多が魔術を失敗するときに鼻で笑ってみせるくらいだったのだが、それでも明日多から離れようとはしなかった。
お気に入りの玩具が、取られてしまうことを恐れる子どものように。
パンはずっと明日多につき纏っていた。なんだかんだで、初めてのともだちが嬉しくて仕方ないのだろう。
そんなふたりを、マイアはどうやらあえて切り離したらしい。
「……ここでアーサーさんに会ったんだね?」
「そう」
マイアの問いに、明日多は小さく頷きを返して答える。
森の奥。少し迷いながらも戻ってきた、初めて魔法使いに会った場所。
マイアはしばらく、地面や木に手を触れてみたり、森の空気を深く吸い込んだりといった行動を繰り返す。何をしているのかはわからないが、おそらくは何ごとか調べているのだろう。
やがて彼女は小さく呟く。
「……うん。確かに魔力の残り香がある。ほんのちょっとだけど……でも、普通ならこんなところに魔物がいるわけないと思うんだけどな……」
「でも、俺は確かに襲われた」
忘れたい、けれど死ぬまで忘れることはないだろう記憶。
生まれて初めて、本当の悪意に、殺意に行き当たった忌わしい土地。
「別に疑ってるわけじゃないよ」
ことのほか、明日多の口調が固かったからだろう。
軽く首を振りながらマイアは言った。
「でも、普通はやっぱり、迷宮以外に魔物は出ないから。確かに、近場に迷宮はひとつあるけど……なんの理由もなく、魔物が外に出てくるなんてあり得ないんだけどなあ」
けれど。いたことは事実なのだ。
「あの魔法使いに助けられなかったら、俺はあのとき死んでた。実際、死んでる奴もいた」
語るというよりは、思い返した記憶が口から勝手に出たといった風情で明日多は言う。
そして、それを聞いたマイアは、なんだか苦い表情になる。
「……そういう重要なことは、初めに言っておいてほしかったな」
「え? ああ、言ってなかったっけ?」
「うん……まあ仕方ないけどさ。さて――町の人間じゃないだろうねー。でもこの近くにほかの町はないし。はぐれの冒険者ってところか……なんか、どんどんきな臭くなってきた」
ぼやくようにマイアは思考を重ねる。
一見して感情のままに生きているかのような彼女は、けれど実際のところ、かなり理屈を重んじるタイプだ。
それが魔術師なのだ、と言われてしまえばそれまでだが。
「もう、この辺りにはいないんじゃないのか?」
ふと考えて、今さらながらに明日多は言った。
あの魔法使いとここで会ったのは、すでに半月以上も前のことだ。それからずっとこの森にいるなんて、さすがに考えづらいだろう。
けれどマイアは首を振る。
「どうかな。ここには絶対に何かある。そして、何かあるなら何かいるよ」
「言ってること滅茶苦茶だぞ……理屈が通ってない」
「通ってるよ」
「……」
断言するマイアに、明日多も言葉がない。
「通ってる。これはきちんと理屈だよ。魔術師にとってはね」
「……じゃあ、どうするんだ?」
マイアは、特に迷わず答えた。
「それじゃあ、迷宮のほうに行ってみようか」
「迷宮、か……」
「そうそう。確か管理局がまだ設置されてないはずだし、勝手に入ってもバレないでしょ」
「なんだか冒険って感じだな」
なんの気なく言った明日多だったが、マイアはいい笑顔で頷いた。
「わかってきたじゃん、アスタも」
※
違和感にはすぐ気がついた。
森の奥へと進むにつれ。徐々に、けれど確実に、身体が重くなっていく。
その程度で済んでいるのは、多少なりともマイアから魔術の手解きを受けたからだ。でなければ、とっくに肉体へ変調をきたしていたことだろう。
話だけには聞いていた。
魔術を習うということは、知識を身につけるということに等しい。
迷宮には瘴気が漂っており、それが人体にとって劇毒であることを明日多は知っている。魔術師ならば、自前の魔力でそれを防げるということも。
未だに術式は扱えない明日多だが、体内に魔力を巡らせることだけは可能だった。
だから、なんとか瘴気にも耐えることができる。
「……ここまでとは思わなかった……」
不快さに、思わずそう呟いていた。
じわじわと体力を奪う、深いな感覚が肌に纏わりついている。それを中に入れないよう、なんとか弾いているのだから、決して楽とは言えなかった。
「いや。普通、ここまでじゃないよ」
明日多の呟きに、マイアが反応して声を返した。
「そう、なのか?」
「中ならともかく。普通なら、迷宮の外までこうも瘴気が溢れてくることはない。……まずいね。絶対にここ、何かされてる」
「何か、されてる……?」
「町も近いし。あんまり、愉快な想像はできないかな」
不吉な色合いを含んだ言葉だった。
だが詳しいことを訊こうにも、マイアは足を止めずにどんどん先へと進んでしまう。
そのあとを、明日多は追うだけしかできなかった。
やがて、迷宮に行き当たる。
見るのは初めてだ。あの湖の底にもあったと聞いているが、さすがにあのときは確認する余裕がなかった。
目の当たりにした迷宮は、言ってみれば、何かの遺跡というか神殿というか、そんな感じの厳かで古びた雰囲気を持つ建造物だった。
建物自体は、そう大きくはない。迷宮というからには、明日多はアミューズメントパークにでもあるような迷路を想像していたのだが、この程度なら迷うということはなさそうだ。
けれど、どうしてだろう。
どこか魔的だ。底の知れない妖しさを、本能が感じ取っている。
ところどころが朽ちて欠けた、石の柱に囲まれた入口。その奥は真っ暗で、外からでは様子を窺い知れない。
それが明日多には、大きなあぎとで獲物を待つ、巨大な竜の口に見えた。
湖の底で見た、魔竜の大顎だ。
一歩、マイアが迷宮に足を踏み入れる。
明日多はその後ろに続いた。
黴や埃の臭い。それに混じって何やら鼻を突く悪臭を感じる。
彼女はなんらかの魔術を用いて、壁沿いに明かりを走らせていった。炎の線に似たものがふたつ、両側の壁にそってまっすぐ走る。
それは左右へ広がっていくと、奥のほうで中央に向かって折れ曲がり、やがてぶつかって一本の線となった。
どうやら一階は、ほぼ正方形に近い広間となっているらしい。
光源が確保された迷宮の入口。魔物の姿は見られない。思いのほか瘴気も薄かった。外とあまり大差ないくらいだ。
だが、明日多はそのとき息を呑む。
部屋の中央、床の上に、嫌な光景を見てしまったからだ。
――魔法陣とでも言うのだろうか。
赤い塗料で、大きな円が中央に描かれている。幾何学的な意匠が施されており、それだけならば一種のデザイン画だとも見做せただろう。
けれど、見ているだけで不快になる。
気づかなければよかった。けれど明日多は、ひと目見た瞬間に気づいてしまった。
その紋様が、血で描かれているということに――。
「う、……ぐっ」
込み上げてきた吐き気を、無理やりに飲み込んで誤魔化した。
血だ。それも、たぶん人間の血。
部屋の中央に大きく、直径にして五メートルはあろうかという大きさで描かれている。これがきっと、鼻を刺す臭いの正体だ。
これが、仮にひとりの人間から採られた血液であるならば――その人間は、きっと。
「……これ、は……思ったより、だいぶ、まずいんじゃないの……」
マイアの声も震えていた。
血に驚いたわけではないだろう。この程度で魔術師は揺らがない。それを為した誰かの、その目的を彼女は脅威に思っているだけだ。
陣の意味は、マイアをしても理解できなかった。明日多にはまだわかっていないが、彼女は年齢から想像もできないほど卓越した魔術師である。
数年ののちには、伝説と呼ばれる冒険者集団の団長となる女性なのだ。
わかるのは、それが魔術的な理屈に則って描かれた陣であるということだけ。
それを彼女が理解できないという時点で、この光景を創り出した存在がどれだけ埒外の魔術師であるのか、察して然るべきだろう。
――アーサーではない。彼は、こんな魔術を使わない。
弟子にしてもらうために、何度かアーサーと会っている彼女はそれを知っている。
元より大量の代償を、犠牲を必要とする魔術なんて。
――黒魔術であるに決まっているのだから。
「ごめん、アスタ。悪いけどひとりで町まで戻って」
だからマイアは言った。
この先は魔境だ。何が起こるかわからない。
明日多を連れて行って、万が一を起こすわけにはいかなかった。
「マイアは……先に行くのか?」
明日多も、自分が足手纏いになることはわかっている。
この状況が、明らかに異常なことはわかっていた。だから食い下がらず、ただ問う。
「うん。よくない連中が、よくないことをしようとしてるのはもう間違いない。問題はその規模だけど……これは、場合によってはかなりまずいかもしれない。さて、どういう運命に至るのやら……」
「……具体的には?」
その問いを、なぜ冷静にできたのか。
明日多は自分が不思議だった。
「ヒトが死ぬ。もしここから魔物が溢れ出したら……町が危ない」
「伝えたほうがいいか? 町の連中に」
「……いや」少し考えてから、マイアは首を横に振った。「まだいい。そういう意味でも、町が安全とは限らない」
「それは、どういう……」
マイアは明日多の問いに答えず、ただ言葉を続ける。
「――三日。もし三日経っても私が戻らなかったら、そのときは、どんな手を使っても構わない。町の連中を全員、どこか遠くに避難させて」
「…………」
「できる?」
「……わかった。なんとかする」
「よろしい」マイアは笑みを作った。「なら、あとはお姉ちゃんに任せなさい。町のことはアスタに任せるから、さ」
「一応、幸運を祈っておくよ――マイア」
「……ありがと。行ってくる」
それだけ言って、マイアは迷宮の奥へと入っていく。
いちばん奥の壁の近くに、地下へと続く階段があった。それをゆっくりと降りていくマイアを見送ってから、明日多は踵を返し、迷宮の外に向かって駆け出した。
そして、出口で何者かとぶつかった。
※
「――うわあっ!?」
「いてっ!?」
どん、と強い勢いで激突する。明日多と誰かの、ふたり分の声が響いた。
まさか人がいるとは思わなかった。
明日多は警戒しながら――その警戒にどれほどの意味があるのかは別として――立ち上がって声をかける。
「……誰だっ?」
「うわ、すみません。まさかひとがいるとは思わず……失礼しました……」
目の前には、尻餅をついているひとりの男。腰の低い声で、明日多に謝罪を告げてくる。
年の頃は二十代の中盤か、それより少し上くらいか。銀色の髪に金色の瞳を持つ、気の弱そうな眼鏡の男だった。
「うわうわ。冒険者の方、ですよね……参ったな、ぼくがいちばんだと思ったんだけれど、まさか先を越されていたなんて……運が悪いなあ。たはは……」
「……」
頭を掻きながら笑う男。どうやら敵ではないらしい。
そう思い、明日多は少しだけ気を抜いた。この時点ですでに、見る相手を《敵か、そうでないか》で分けていることの異常さに、本人はまるで気づいていない。
地球にいた頃の彼ならば、決してそんなことは考えなかっただろうに。
「もしかして、もう攻略しちゃいました……?」
男はゆっくりと立ち上がり、服についた汚れを払いながら問う。
しばしあってから、明日多は首を振って答えた。
「あ、いや、違うけど……でも今は、中に入らないほうがいいと思いますよ」
「はあ……何やらトラブルでしょうかね?」
「まあ、そんな感じです」
「なるほど。だとすればこれは、運がよかったのかもしれません」
「あー……ところで、貴方は?」
なんとなく訊ねる明日多。
すると男は笑みを見せ、どこか嬉しそうにこう答える。
「ああ! いや、これは申し訳ない。ここで会ったのも何かの運命。お答えしましょう」
「はあ……えっと、俺は明日多です」
「アスタさん。なるほど――いい、お名前だ」
何が嬉しいのか、男は満面の笑みを作って言う。
「――ぼくはエドワード。どうぞ、エドとお呼びください」




