4-13『異世界の空に輝く星々』
19時に間に合わんで申しわけない!
「――ぶはあっ!?」
と、目が覚めた瞬間に明日多は叫んだ。そして最初に気づいたのは、全身がびしょびしょに濡れているという事実だ。
なんだか寒気がする。
それは服を濡らす水のせいではなく、おそらく精神的な理由からだろう。
思わず身震いしていた。腕が鳥肌になっている。恐怖から起因したものではなく、むしろ喚起にも似た興奮を覚えていることに、ことのほか明日多は自覚的だった。
「あ、アスタ起きた!」
横合いからの突然の声に、思わず明日多は耳を塞ぐ。だが、それがパンの声だと気づいた瞬間に、全てを思い出して上体を起こした。
どうやら、湖畔に寝かされていたらしい。
「よかったよぅ……っ!」
同じくずぶ濡れになっているパンが、ほっとした表情で明日多に縋りつく。
心配をかけてしまったらしい。涙目になった少女の頭を、片手で軽く撫でて「だいじょうぶだよ」と告げた。なんだか妹ができた気分だ。
――地球に置いてきてしまった、妹のことをふと思い出す。
正直、パンとは似ても似つかない。いっしょにいた期間は少しだけだったが、ずいぶんと醒めた性格をしていた。だからきっと、明日多がいなくなったところで、彼女の人生に影響はあるまい。
そんな風に考えてしまう。
普通の家庭だった。実の母は幼い頃に亡くなっていて、妹は父の再婚相手の連れ子だ。だから血は繋がっていない。義理の妹、ということになる。
とはいえ、別に家族仲が険悪ということはなかった。
至って普通。この程度の物語なら、きっとどこにだって転がっている。
「――目が覚めたね? いや、よかったよかった」
少し離れたところには、火を熾しているマイアの姿がある。
彼女も濡れたらしく、今や外套は脱ぎ棄てあられもない格好になっている。
はっきり言って目の毒だったが、動揺するのはなんだかプライド的なものが許さない気がして、明日多はなんでもない口調を装って問う。
「えっと。気絶してたみたいだけど……あの竜は?」
「逃げてきたよ。まあ湖の外までは追ってこないんでしょう」
「倒したわけじゃないのか……」
「いや、勝てる相手じゃないからね? 相手は幻獣だよ。幻想の頂点――魔術師が倒せる概念じゃない。いやー、まさか結界まで抜かれるとは思わなかったなー。危ないところだった」
パチパチ、と木材が火で弾ける音が響く。
マイアは気を抜いたように、手を差し伸べて暖を取っていた。
「……あれは、なんだったんだ?」
立ち上がって、火に近づく。視線は揺らめく炎を見詰めたままで、明日多はマイアにそう訊ねた。
この場でそれがわかるのは彼女だけだろう、と。なんとなくそう思ったからだ。
同じく火に当たるパンを横に、明日多は無言で答えを待つ。やがて、どこか真剣味を帯びた表情で魔術師は答えた。
「……まあ、あの下に迷宮があるってことだろうね」
「迷宮……?」
「そう。ダンジョン。古代からの遺産たる魔術的建造物。瘴気に侵された巨大結界」
――そんなものまであるのか。
驚くより先に、むしろ感心するくらいの気持ちに明日多はなる。本当に幻想的な世界に来たんだ、と。
「水中神殿、ってところかな。それも幻獣がいるくらいだし、かなり深い迷宮なのは間違いないだろうねー。……こんな田舎に、なんで魔法使いが来るのかと思ったけど。なるほど、理由はこの辺りかな……?」
途中からは語り聞かせるというより、自らが考察する風にマイアは呟く。
しばし視線を沈めていた彼女は、ふと気づいたようにパンへ視線を向けて訊ねた。
「このこと、知ってた? 君は近くに住んでるんだよね?」
「いえ、知りませんでした……昔は、神様が住んでるみたいな言い伝えもありましたけれど」
「……そっか」
マイアは、少し間を空けてから頷いた。
――探ったのだ。
そう明日多は直感する。パンが本当のことを言っていたのかどうか。その反応から探り出そうとしていた。
明日多が見る限り、パンが嘘を言っているようには思えない。というか隠す理由がそもそもないと思う。
ならば――と考えて、そして気づいた。
気づいたと同時に口に出していた。
「……なんでだ? あんなところに、あんな化け物がいて、なんで誰も気づかない?」
「だよね。それが私も不思議なところなんだけど――面白くなってきそう、かな」
なんだかヒトの悪い笑みを見せて、マイアはそう締め括った。
彼女の中の価値観は、全てが面白いか面白くないかの二種類で判断されているのだろうか。そんな風に明日多は疑ってしまう。
そのせいで死にかけていては世話もないが。
とはいえ。
無理に巻き込まれたというのに、怒る気にもならないという時点で、明日多もきっと毒されていたのだろう。
「さーて、これからどうするかなー……」
「…………」
何やら思案するように呟いたマイアを、パンが怪訝な表情で見つめていた。
異世界基準でも、きっとこいつは変な女なのだろう。そんな判断を、明日多は口に出さずに下す。
たぶん、正解だった。
※
「いやー、悪いねー! 泊まる場所まで用意してもらっちゃって!」
「……いえ別に。仕事なんでいいですけど」
身体と服を乾かし、三人は連れ立って町まで戻った。
泊まる場所がないというマイアを、《水瓶亭》まで案内するためだ。
「しばらくは、この辺りを拠点にしようと思ってるからさー」
マイアは笑いながら語る。下手をすれば、平気で野宿を貫きそうな勢いがあった。
お金は割と持っている様子なのだし、むしろどうして宿を探さなかったのかと訊きたいくらいだ。もちろん、訊いたところでまともな答えは返ってこないだろう。そのことを、明日多はすでに学習していた。だから黙っていた。
宿に戻り、なぜか明日多が借りている部屋に集合して、三人で早めの夕食を摂る。
なぜかマイアが仕切っていた。
「――というわけで。明日から、どうやって魔法使いを探すかの作戦会議を始めます!」
腕を組み、偉そうに語り出すマイア。
なぜ自分たちが参加することになっているのかなど、明日多は訊こうとも思わない。興味がないと言えば嘘になるし、不満も特になかったからだろう。
が、パンはそれが気に食わないようだった。
「なんでわたしたちまで……」
どうもパンは、マイアを苦手にしているらしい。そこはかとない抵抗を、常に感じさせる表情だった。
まあ、いきなり水の中に引きずり込まれ(正確にいえば引きずり込まれたのは俺で、パンはくっついて来てしまっただけなのだが)、しかも今後も巻き込んでくると言うのだから当たり前かもしれないが。
「いや。別に無理強いはしないよ。ただ興味あるかと思って、なら協力したほうがお得でしょ?」
とマイア。首を傾げたパンに、彼女は続けて語る。
「――あの迷宮。あれがつい最近に成立したものなら、脅威の調査はしておかないと。でも言っちゃなんだけど、この町に魔術師なんてほとんどいないんじゃない?」
「それは、まあ……そうですけど」
「だから協力しよう? 私は魔法使いの捜索を手伝ってもらう。その代わりにあの迷宮でわかったことは教えるし、あとは――」
ちら、と。マイアは視線を明日多に向けた。
「もし魔術を学びたいのなら、私が教えてあげることもできるから。これで結構、実力はあるつもりなんだよねー」
……どうする? とマイアが視線で問うてきた。
明日多にしてみれば渡りに船だ。どこかの段階で、魔術を学びたいとは思っていた。
元の世界へ戻るにせよ、この世界で生きていくにせよ。
魔術という力を身につけておくことは、きっと必要になってくる。
「頼む。俺は、魔術を覚えてみたい」
「そうだね。君はきっと――自分で自分を守れるようになるべきだ」
その言葉のいみはわからなかった。
けれど、間違っているとも思わない。たぶん必要なことなのだ。
「……パンは? どうする?」
とはいえ、彼女まで巻き込むことはないだろう。
訊ねた明日多に、少女はかなりむっとした視線で告げる。
「何それ。どういう意味?」
「いや……だって危ないかもしれないし」
「別に危ないことはさせないけど」
マイアが小さく呟いたが、パンは聞いていなかった。
心底から腹立たしげに、少女は明日多に詰め寄る。
「言っとくけど! わたしのほうが、アスタよりずっと強いんだからねっ!!」
「……いや、それはどうだろう……?」
「あー、馬鹿にしてーっ! アスタなんて素人のくせに! ぜんぜん弟子でもなんでもないじゃん!! 嘘ついたしっ! サイアクだよ、サイアク!!」
「いや……あれは、やむにやまれぬ事情というか。なんというか……」
「知らないっ」パンは完全にへそを曲げていた。「いいもん。わたし勝手にやるもん。アスタが怪我したって、治してあげないんだからっ」
「え」
と、そう呟いたのはマイアだった。
どこか驚いたような表情で、目を見開いてパンを見やる。
「パンちゃん、治癒魔術の適性があるの……?」
「……そ、そうですっ!」パンは逆に視線を逸らす。「そりゃ、まだぜんぜんヘタだけど……でもアスタよりずっと戦えるんだから」
「なるほど。……思ったより、これは大きな拾いものかも」
言葉の割に、どこか細めた視線でマイアは零す。何かを考え込んでいるらしい。
しばらくしてから、「うん」と呟き、両手を軽く打って笑った。
「それじゃあ明日からは、とりあえずアスタが魔法使いと会ったところから当たってみようか。何か手がかりが残ってるかも」
「……あのヒトは、そんなにすごいヒトなんですか?」
「そうだとも言えるし、違うとも言えるね」
明日多の問いを、マイアは曖昧な答えで濁す。
いずれにせよ、そんな問いは普通の人間からは出てこない。それを明日多はわかっていなかった。
「さて! 今日は早めに寝ようか。解散にしよう。明日は早いよー」
それだけ言って会話を打ち切ると、マイアは早々に部屋を出て行ってしまう。
残されたパンは、ふっと視線を明日多のほうに向け、
「――ふんっ!」
不機嫌そうに呟くと、こちらも足早に部屋を出て行ってしまった。
なぜ怒らせてしまったのか、明日多にはちっともわからない。
「……魔術、か……」
その言葉が持つ意味を。
明日多は、未だ理解してはいなかった。
※
興奮からか、あるいはほかの理由からなのか。
深夜。どうにも寝つけなかった明日多は、足音を殺して《水瓶亭》を出た。
なんとなく、外の空気を吸いたくなったのだ。
満天の星が煌々と輝く異世界の夜。吸い込まれそうな星々が、地球のそれとどう違うのか、明日多の知識ではわからない。
同じに見えた。地球にしろ、異世界にしろ、変わらないものは変わらないのだろう。なぜだかそんな感慨が湧く。
「……寝られないのかな?」
ふと背後からかけられた声に、明日多は飛び上がって驚いてしまう。
慌てて振り返れば、そこには錬金魔術師――マイア=プレイアスの微笑みが見える。月と星の輝きだけが、彼女の表情を映し出していた。
「いや……まあ、そうなのかな。死にかけたし」
「あ、それ持ち出してくるのはずるいなー。悪かったよ」
「別にいいですけど」
「そうだね」マイアは笑う。「君なら、そう言うだろうと思ってたよ」
視線は頭上の輝きに。その笑みは、果たしてどんな思いを隠しているのか。
マイアは静かに、淡々とその言葉を口にする。
「――異世界人なんでしょ、君」
「な……っ!」
「やっぱり。隠してるつもりなら下手すぎるよ」
愉快そうに苦笑する。まあ、特に隠すつもりがあったかと言えば、そうではない。ただ魔法使いに言われた通りに、大した考えもなく従っていただけ。
「……魔術師の要件。君は知ってるかな?」
「どういう、意味ですか……? 魔力を持ってるとか?」
突然切り出された言葉に、目を細めながら明日多は答える。
マイアは苦笑。「それも間違いじゃないけど」と前置いてから、けれど首を振った。
「そういうことじゃなくて。もっと精神的なこと」
「……いや。知らないけど……」
「――眼と心。自我であり滅私でもある」
淡々とマイアは語る。魔術の前提を。その在り方の意味を。
「魔術師という概念は根本的に矛盾を孕んでいる。だから、それを修める者はきっと、誰もが真っ当ではいられない」
――仮にも《魔》だからね。
嘯くマイアの言葉には、どこか自嘲の色合いがある。
「それを《運命》とも呼ぶんだけど。でもね、これだけは覚えておいたほうがいい」
「……なんですか?」
「なんの意味もなく異世界から喚ばれる人間はいないってこと」
喚ばれた以上は、そこに必ず意味がある。
そこに偶然は存在しない。世界に偶然は存在しない。いや、偶然でさせ、起因する源は確かに在る。
「異常発生した迷宮、そして幻獣。異世界から来た青年と、それを助けた魔法使い。青年と友達になった治癒魔術師の卵。そのふたりが助けた錬金魔術師――この流れって、本当に偶然だと思う?」
「…………」
答えられなかった。
まるで物語のように連鎖するそれが、本当に偶然なのかなど。
明日多にはわからない。
「必要性って言うのかな。必然性って言ってもいいけど。魔術師はね、魔術師である時点で何かを背負ってしまうんだよ。いや、魔術師でなくても同じかな。その人間が、その個人として成立した瞬間にはもう決まってしまう、背負わされてしまう、義務づけられてしまう因果が。世界には厳然と規定されている。だから――」
だから、この先。
明日多が生きていく上で。
「何かがある。何かが大きなことが起こる。絶対に――間違いなく何かが」
「……そりゃ生きてる以上は、何かあるだろうけど」
「そうじゃない」魔術師は首を振る。「そうじゃないんだよ。いや、まあそうなんだけどさ。そういうことじゃなくて……運命の流れってのは、総じて厳しいものだからさ」
「…………」
「――覚悟だけは、しておいたほうがいいと思う」
明日多は。
ことさら明るく肩を竦める。
「まさか、それを言うためにわざわざ巻き込んだのか?」
「そうだとしたら、ずいぶん暇だね。私も」
「……暇っていうか」苦笑する。「お節介だろ。意外と優しいんだな」
「意外って。失礼だなあ、もう……」
マイアは失笑し、だから明日多も思わず笑みを零してしまう。
その様子は、きっと空に輝く星だけが見詰めていた――。
何度か書きますがー。
更新は火、木、土、日のペースで行きまーす。




