4-03『残る者、遺されたモノ』
――夜半。
街道から少し逸れた場所で、俺たちは野営の準備をしていた。こういった、いかにも旅人らしい風情はエウララリアの好むところであるようだ。
術式の刻まれた簡易式の天幕こそ用意され、王女の寝床としては粗末に過ぎる。が、そのほうが案外、高貴な身分の人間の好むところなのかもしれない。
王族の中でも、エウララリアの立場は少し変わっている。
第三王女という、継承権的には王族でも高位に位置する彼女は、例外的ながら国王から直々に戦闘行為を認められている。保身、防衛のためだけではなく、自ら能動的に戦闘行為を行ってもいいと許されているのだ。
王族の中では、俺が知る限り彼女だけだったと記憶している。本人が魔術師として秀でていることもあるが、何より性格によるところが大きいのだろう。第一王子も、確か騎士として訓練を受けており、生半な剣士より遥かに技量は上だと聞いているが、だからといって護衛を軽んじて自ら戦うことはあまり許されていない。
「いいですね、こういうの。やはり魔術師たるもの、外の世界を知らないといけません」
喜色満面のエウララリアであった。
焚き火を囲み、その頬を橙に染めながら、王女様はとても愉快そうに微笑んでいる。
「……だ、大丈夫なのかな、これ……?」
隣に座るフェオが、小声で俺に耳打ちをした。
馬車では王女様と同乗したせいで、彼女は終始、緊張しきりだったのだ。未だに落ち着かない様子で、どこかそわそわと表情を動かしている。
「ま、この街道沿いなら、さしたる危険もないだろうしな……」
俺は軽く肩を竦めた。魔物どころか、王都と学院都市を結ぶこの街道には盗賊すらねぐらを作らないだろう。
野犬さえ出るか怪しいため、はっきり言って辺境の村々より遥かに安全な道のりなのだ。
「それにしても――」
エウララリアは楽しそうだった。
今はアイリスを膝の上に抱きかかえて、その髪の感触を楽しんでいる。アイリスはまったく抵抗せず、王女の掌を受け入れていた。
「こうしてアスタ様といっしょに夜を明かすと、昔を思い出しますね」
「よ、夜を明かす……っ!」
フェオが妙なところに反応していたが、ひとまず無視して頷いた。
「そんなこともあったな。懐かしい……ってほどじゃないが」
「その節は大変お世話になりました」
「なりゆきだけどな」俺は苦笑する。「むしろ俺のほうこそ、王女様にはずいぶん助けられた」
「命の恩です。それを返せずして、王族も何もないでしょう?」
「……礼ならむしろ、メロや姉貴に言ったほうがいいと思うけどな」
多少の恥じらいとともに俺は言う。
実際、確かに俺は彼女の命を助けたが、その場に出くわしたこと自体は偶然でしかない。助けた相手が、たまたま王女様だったというだけの話だ。
とはいえ、そういう話が他人の興味を惹くという感覚はわかる。
案の定、フェオが首を傾げてこう訊ねた。一応、質問を投げかけられるくらいには慣れたのだろう。
「……あの。エウララリア様とアスタって……」
「ええ。以前、お世話になったことがあるんです。……聞いてはいませんでしたか?」
「……はい」
「アスタ様はなかなか、ご自分のことを口になさりませんから……」
ふたりの視線が、揃ってこちらを向く。アイリスまでもが、つられたように俺を見つめた。
どことなく居心地の悪い気分を味わいながら、言い訳するように俺も口を開く。
「俺の話なんか、聞いたって面白くないだろ」
上手くない言い訳だ。誤魔化しとしては下の下だろう。
異世界人であることは伏せるように、と俺に言ったのは師匠である魔法使いだったが、実のところ俺はその秘密に大した価値を見出していない。
奴の弟子であった、という事実のほうが、この世界ではよほど大ごとだろう。
事実、俺はその事情を積極的に隠そうとはしていない。確かに旅団でも、俺が異世界人であることを自分から伝えたのは姉貴くらいだが、ほかの連中だってそれとなく察してはいるのだろう。教授とキュオに至っては、自力で気づくくらいだった。
言ったところで、普通はまず信じないだろうし。
「いえ、あの《紫煙の記述師》の過去ならば、非常に興味深いと思いますけれど」
エウララリアは笑みで言った。彼女の好奇心にかかれば、興味のないことを探すほうが難しいくらいだと思うのだが。
しかし、この場ではどうやら分が悪い。フェオもまた興味に瞳を輝かせていた。
「……わたしも、ちょっと、気になるんだけどな……?」
上目遣いに、フェオは俺の表情を窺う。なんだか黙っていることが悪いみたいに感じられた。
せめてグラムさんがいれば違ったのだろうが、彼は先ほどから寝床の準備にかかりきりだ。手伝うといっても聞かなかった。
おまけにアイリスまでこちらを見て、
「わたしも、聞き……たい」
などと言ってくるのだから、もう抗うすべはなかった。
「わかったよ」俺は言う。「でも言っとくけど、本当に面白い話じゃないからな」
「かもしれません」
と、エウララリアがそんな風に言う。意外な反応だった。
先ほどと、言っていることが正反対なのだから、驚かないわけもない。
「魔術師が強くなるには、相応の理由が必要であるといいます。才能だけでは強くなれない。何かの目的なくして、そう在ろうという強い意志なくして――ヒトは強くはなれませんから」
実感の伴った言葉だった。その地位には不要なほどの強さを持つ彼女だからこそ、それは重く深く響くのだろう。
「それでも、アスタ様のお話なら、私は聞いてみたいと思います」
――もちろん、言いたくないことまで聞き出そうとは思いません。
エウララリアは微笑する。何かしら、思うところがあるのかもしれない。
「……まあ、王女様に言われちゃ仕方ないな」
結局、俺はそんな風に嘯いて肩を竦めた。下手な照れ隠しみたいなものだった。
別に隠す理由はないのだ。いや、むしろこれからのことを考えるのなら、ある程度は知っておいてもらったほうがいいとさえ思う。
それでも楽しい話ではない。聞かなかったほうがよかったと、後悔することもあるだろう。
知識は力だ。だが、だからこそそれを得ることには覚悟と責任が求められる。
それを今さら問うことはしない。エウララリアも、フェオも、アイリスだってきっと、そんなことは理解しているはずだから。
だから、俺も口を開いた。
「……俺がまだ、魔術なんてひとつも使えなかった頃の話だ――」
※
時間は少しだけ遡り、その日の昼過ぎ。
オーステリア学院の研究棟。教師であるセルエ=マテノに与えられた一室。
そこに、ひとりの来客の姿があった。
「いらっしゃい」
来客を、セルエは温かい表情で迎えた。
「……お時間を取っていただき、ありがとうございます。セルエ先生」
セルエの招きに応える声。凛とした鈴のような、それでいてどこか曇ったそれは、来客であるレヴィ=ガードナーのものだった。
その濁りに気づいていながら、セルエはあえて言及せずに笑みを見せる。
「お茶を淹れるから、少し待ってて」
「いえ、あの……ありがとうございます。頂きます」
断りかけてから、けれどレヴィは頷いた。セルエは苦笑し、
「大丈夫。最近はお客さんが多いからね、私もこれで、お茶を淹れるの上手くなったんだよ」
「……そうでしたか」
「とりあえず、その辺にかけてて。すぐ持ってくからさ」
セルエが示したのは、研究室の一角を占める応接用のソファとテーブルだ。割と散らかっている彼女の研究室の中で、その場所だけはどうにか体裁を保っている。
といっても、掃除したのはアスタだったのだが。人気者のセルエ先生がどうして独り身なのかの理由は、その辺りにあるのかもしれない。
魔術の実験室だけあって、部屋の片隅にはフラスコやビーカーといったガラス製の器具が乱雑に放置されている。
セルエはそのうちのひとつを手に取ると、なぜかビーカーを使ってお茶を作り始めた。
「…………」いや。
考え方によっては逆に風情があるような気もする、とレヴィは自分を誤魔化す。
せめて未使用か専用のものであることを、無言のうちに祈った。
実際、セルエは研究畑の出身ではなく、元は生粋の戦闘系魔術師――冒険者である。
だからといって、あの七星旅団の一員が座学を苦手としているとは思わないけれど、ああいった器具を使う系統(魔術薬品方面など)の技術までは持っていないだろう。
だからたぶん大丈夫。
しばらくして、セルエはお茶を淹れたカップをふたつ持ってきた。
ちゃんと来客用のカップがあったことに内心で安堵しつつ、レヴィは頭を下げて受け取る。対面の席にセルエが腰かけ、「どうぞ」と言った。
ひと口、それに口をつける。幸い味は普通だった。むしろ美味しいと言っていい。
とはいえ感想までは口にせず、喉を潤してからカップを置いた。微妙に残念そうなセルエの表情は意図的に無視したまま、レヴィは言った。
「ピトスたちは、もう?」
「うん。オーステリアを出たよ。わざわざアスタを追いかけて」
答えるセルエの口調が、どことなく柔らかい。レヴィは薄く微笑み、
「あの子も物好きですよね」
「まあ、私としては嬉しいくらいだけど。アスタは同年代のともだちなんて、きっとほとんどいなかっただろうし。それこそキュオくらいじゃないかなあ」
「キュオ……さん?」
「旅団のね、仲間だった女の子。アスタとはいちばん仲がよかったんじゃないのかな」
セルエはあえて過去形で表現した。そういえばアスタから、それとなく旅団の仲間がひとり亡くなっているというようなことを聞いた覚えがある。
「……それは、もしかして」
恋人だったんですか。
そう訊ねかけ、寸前でなんとか自制した。そんなことを訊いてどうするのか。
それでもセルエは悟ったのだろう。軽く首を振り、困ったような表情で彼女は言う。
「違ったんだと、そう思うよ。少なくともそういう言葉の範疇に収まるような関係じゃなかったと思う。あのふたりの関係は――もっと、ずっと根深かった」
深かったではなく、根深かった。セルエはそんな風に表現する。
「しいて言うなら家族……いや、それも違うかもね。アスタも旅団のみんなは身内だと思ってくれてたと思うし、それを言うならマイア先輩だろうから。よくわかんないかな、私も」
「……そうですか」
だから、やはり深く追求することは避けた。聞きにきた話と近いところもあるが、今日の本題は別だ。
「それより、話があるんだよね?」
「ええ。少し、訊きたいことが」
セルエの言葉に頷くレヴィ。今日はそのためだけに、わざわざ時間を貰ったのだから。
「いいよ。私に答えられることなら、だけど」
「すみません、わざわざ」
「ううん。むしろ嬉しいかな」
セルエは嘘のない笑みだった。
冒険者としてはともかく、教師としてのセルエ=マテノは、まだまだ新米の域を出ない。学生に頼られるということが、それだけで嬉しいのかもしれなかった。
気高く、誇りと自信に溢れ、常に集団の先頭に立つレヴィ=ガードナーが、見せるはずのない弱さ。信頼してもいない相手に、彼女はそんな自分を曝け出さない。
そんな瞳に見据えられ、けれどレヴィは口籠もる。
元より、ただ自分のためだけの問いでしかなかったから。セルエの期待する優等生のレヴィ=ガードナーなんて、本当はどこにも存在しないのだと思っていた。
「……セルエ先生は、強いですよね」
だからだろう。そんな、遠回しな表現から入ってしまったのは。
いつから自分は、こんなにも弱くなってしまったのだろう。レヴィは内心で自嘲する。
それを知ってか知らずしてか、セルエは口許に手をやって答えた。
「そうかな。自分だと、あまりそんな風には思わないけれど」
何も謙遜や韜晦で言っているわけではないらしい。セルエの表情は、本心からそう思っているのだろうとレヴィに伝えていた。
だからこそ皮肉だ。七星旅団の一員、《日向の狼藉者》の二つ名を持つ偉大な冒険者が弱いのなら、自分はいったいなんだというのだろう。
そう考えてしまう自分の弱さをレヴィは止められなかったし、けれど、そんな内心を表に出せるほどの弱さまでは自分に許せない。
中途半端だ。何もかも。
「まあ、確かに殴り合いなら大抵の相手には勝てたよ。学院に入る前は、喧嘩じゃ負けたことなかったな。地元じゃ最強、みたいな?」
冗談めかしてセルエは笑った。
――でもね、と。
黙り込むレヴィを前に、セルエは訥々と語る。
「それだけじゃ意味がないんだよね。魔術は心だからさ。――そんなこと、今さらレヴィさんに言うことじゃないだろうけど」
「魔術は……心、ですか」
「うん。《己の意志するところを為せ》。それが魔術の根幹だから。その意味で言うなら、きっと私は旅団の誰よりも弱かった。そうでなきゃ、混沌魔術なんて使わない」
セルエ=マテノは混沌魔術師だ。
使い手の少なさなら印刻さえ凌ぐマイナー魔術。
その理念は、いわば《矛盾の正当化》だ。
おかしいこと。わからないこと。意味のないもの。
そういったモノをそのまま正当化して現実に当てはめるという魔術。少なくとも、セルエのような格闘を使う人間が覚える術式でないことは確かだ。
「だからきっと、その意味で言うのなら。レヴィさんは、私よりずっと強いと思うよ」
「……そうでしょうか」
普通なら皮肉にしか聞こえない。だがレヴィは、セルエのことをそれなりに知っているつもりだった。
何も思い込みではない。魔競祭の決勝で直接に戦ったからこそ、わかることがあるのだ。
得るモノは大きかった戦いだ。アスタが《優勝祝い》と言った意味が、レヴィにはよく理解できた。
盛大に手を抜いていたメロと違い、セルエは少なくとも本気で戦ってくれたのだ。それが全力ではなかったにせよ、出せる限りの力は出してくれた。
そしてレヴィは結局、セルエに魔術を使わせることさせできなかった。
だからこそわかる。
セルエはきっと意味のない慰めや、中身の伴わない誤魔化しを口にしない。
「まあ、確かにレヴィさんは弱いかもしれない。単純な戦闘力だけを問題にするならね」
「そのことは、最近とても実感しました」
手加減した天災にさえ及ばない。本気の日向には魔術さえ使われずに敗北した。
それに、ただ立ち回りだけで肉薄する紫煙を知っている。そんな男を、倒す寸前まで追い詰めた元素魔術師にさえ、今のレヴィでは勝てないかもしれない。
けれど、セルエは首を振った。
「そういうことじゃないよ」
「え……?」
「結局のところ、魔術は才能が絶対だから。努力では絶対に埋められない溝を、才能が軽く飛び越える。魔術の世界では、それが当たり前のことなんだから」
つまるところ、それが現実で、それが事実だ。
己の我を、想いを、意志を通すには力が求められる。力なき意志に価値はない。
それが絶対不変の真理だった。
魔術は努力を必要とするが、それ以前に才能を前提とする。
そもそも魔力という才能を持たなければ魔術師の道はその時点で閉ざされるのだから。その中でも天才と呼ばれたひと握りの人間だけがオーステリア学院に入学できるのだし、その天才たちの中でさえ格差は厳然として存在する。
「そして、レヴィさんにはその才能がある。それこそ七星に匹敵するか、あるいは凌駕するほどの才能が」
「でも、なら――」
「レヴィさんはね、自分が持っている才能に比べて弱すぎる。それは本来ならおかしいことなんだよ。異常だと言ってもいい。才能に胡坐をかいて努力を怠ったわけでもない。もちろんメロみたいな例外はいるけれど、それでも本当なら、レヴィさんはもっと強くないとおかしいんだよね……」
――まるで。
自分で自分に鍵をかけているかのような――。
「…………」
思い当たる節がないではなかった。だからこそレヴィは言葉を失う。
レヴィ=ガードナーは、オーステリアから出たことがほとんどなかった。ガードナーの役目はこの街を守ることなのだから。
その経験の差が、あるいは自身を押し込めている要因なのかもしれない――。
「ひとつ、昔話をしようか」
「え……?」
突然のセルエの発言に、レヴィは珍しくきょとんとした表情を見せる。
「私も聞いただけの話だから、詳しく知ってるわけじゃないけど。でもきっと、何かの参考にはなると思う。少なくとも私のことを聞くよりは、もっとよく知っている人間のほうがいいんじゃないかな?」
「それは――」
「そう」
セルエが頷く。彼女が過去を知り、そしてレヴィもよく知る人物の話。
その条件に該当する人間なんて、一人しか浮かばなかった。
「――アスタの話だよ」
書籍化します。
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