4-02『追いかける者』
アスタたちがオーステリアを発った、その翌日の夜。
ピトス、ウェリウス、そしてシャルロットの三人はオーステリア城壁外に集合していた。
奇しくもそこは、アスタたちが王女エウララリアと合流した場所と同じだ。もっともオーステリアから王都の方面に出ようと思えば、たいてい誰もが同じ道を選ぶことだろうが。
結局、ピトスたちはアスタを追うことに決めたのだ。その判断を間違っているとは思わない。
わかりきっていたからだ。
どうせ、彼はまたしてもひとりで何かを背負っているのだろう。やる気のない表情で憎まれ口を叩くあの男が、けれど誰も見ていないところで血を吐いていることをピトスは知っている。
いずれにせよ、何も言わずに学院を辞めるなんて認めない。そんな終わりは許せなかった。
追いかけて、追いついて。一発くらい殴ってやらなければ気が済まない。
「……というかウェリウスくんには言ったのに、わたしには黙ってたっていうのが割と許しがたいですよね……」
黒い微笑を零すピトス。同行するシャルが引いていた。
一方、ウェリウスは意に介した様子もない。むしろ見方によってはピトスより黒い笑みで、
「アイリスちゃんとフェオさんは、どうやら彼といっしょに行ったらしいよ」
火に油を注いでいた。
「……へえ。わたしは駄目で、フェオさんはいいんだ……ふうん」
視線を伏せ、ものすごい濁りのある笑みを零すピトス。
シャルは一応、小声で呟いておいた。あのアスタが連れて行った以上、意味があるのだろうと思うからだ。
「そういう理由じゃないと思うけど……」
「あれだけカラダに教育したのに、まだわからないなんて」
「そういうとこが理由だと思うけど……」
「これはもう少し、わたしのありがたみというものを教えてあげる必要がありそうです」
聞いちゃいなかった。真っ当に突っ込んでいたシャルだが、いい加減そろそろ面倒臭い。
もちろん、笑みを崩さないウェリウスが役に立つわけもなかったし。シャルはもう黙っていることにした。
「しかし、少し意外でしたね」
と、そこで我に返ったようにピトスが言う。
シャルは一応、訊ねておいた。
「……何が?」
「シャルロットさんが来たことが、です」
「…………」
まさか自分の話になるとは思わず、シャルは咄嗟に口を噤む。それを見た上でピトスは続けた。
「レヴィさんが来ないのは、まあわかってましたけど。ガードナーはオーステリアをそうそう離れられないですからね。でも私は、シャルロットさんも来ないんじゃないかと思ってました」
――だって理由がないじゃないですか。
ピトスは言う。けれど、それは違うのだ。シャルにだって理由ならあった。
「……シャルでいい」言ってから、けれどすぐシャルは視線を逸らす。「別に。学院にいてもやることないから、それなら外に出てみようかと思っただけ」
実際、それも嘘ではない。シャルには今、わずかな焦りがあるからだ。
魔競祭のシード権を決める迷宮探索のパーティの中で、きっと自分がいちばん弱いから。少なくともシャルはそう思っていたし、それをそのままにしてはおけなかった。
ウェリウスとレヴィの実力は言うまでもない。ピトスだって、治癒魔術に格闘という、ほかの学院生にはない特技を持っている。三人とも学年で、いや学院でもトップクラスの実力を持ち、どころかたいていの冒険者よりすでに強いだろう。いくら魔術が才能によるとは言っても、どう考えたって異常なほどに。
特にレヴィは性質上、ほとんどシャルの上位互換のようなものだった。お互いに万能型の魔術師ではあるが、近接で戦えないシャルと剣術も扱えるレヴィとでは、その範囲に格差がある。まして肝心の魔術の腕でさえ、おそらく及ばないのだ。
だが、それだけならここまで心を騒がされることはなかっただろう。
「別にアスタがどうとかなんて関係ない。私は、私がそうしたいからここに来たの」
まるで言い訳するように、シャルは言葉を重ねて言った。
けれど、それはおそらく失言だ。そこまで言っては嘘になる。
――シャルはアスタを強く意識している。あるいは、ほかの学院生よりも遥かに。
なぜなら彼は、あのアーサー=クリスファウストの弟子なのだから。その娘であるシャルと、本来なら立場は変わらないはずだ。いや、むしろ血を継いでいるシャルのほうが、彼よりずっと才能に溢れているはずだった。
にもかかわらず、現実はどうだ。
アスタは伝説の七星旅団の一員にまで上り詰めた一方、シャルは小さな学院の中でさえ一番になれない。
シャルには確かに魔術の才能があった。なぜなら、彼女の魔術はほとんど独学なのだから。師事も受けずここまでの実力に達するには、それこそ血を吐くほどの努力が必要だった。
大抵のことならなんでもできた。それだけの才能があり、それだけの努力をしてきたから。
けれどシャルにできることは、きっとほかの誰かにもできるのだ。
そこが彼らとの大きな違い。
――彼女には、自分だけにしかできないことが何もなかった。
贅沢な悩みなのだろう。そんなことはわかっている。多くの人間は、どれだけ望んだって魔術の極みには手をかけられない。その可能性をわずかでも持っているだけで、シャルは恵まれているはずだ。
それでも、比べないわけにはいかなかった。だってシャルには、ほかに何もないのだから。
魔術だけなのだ。彼女を、シャルを、シャルロット=クリスファウストという個人たらしめるモノは魔術以外にない。
それさえ失ってはもう、シャルに存在する価値などない。自分で自分に見出せない。
ゴミだ。自分では何も生み出せない、単なる廃棄物でしかない。生きている意味さえ見失う。
その想像に、堪えられない。
別に、夢を見ていたわけじゃない。魔術の腕さえ鍛えていれば、いつか父が見返してくれるだなんて――そんな分不相応な悩みを抱いたことはなかった。誰かに認められたいとか、誰かに振り向いてほしいとか、そんなことを考えたことは一度だってないのだ。ただシャルがシャルであるために、必要な儀式だから手をつけているに過ぎない。
世界に三人の魔法使いから見れば、それこそシャルなんて路傍の石だろう。そんなことくらいわかっている。
けれど。だからといって。
――やっと会えたと思った父から、あんな風に嗤われてしまうだなんて――。
「……まあ、シャルには初めから来てもらおうと思ってたんだ」
ふと呟かれたウェリウスの言葉に、シャルの意識が浮上する。暗い底に沈みかけていた意識が、疑念によって引き上げられたのだ。
意外な言葉だった。思わず首を傾げたシャルに、ウェリウスは相変わらず中身の読めない笑みで言う。
「連れて来いって言われていてね。だから来てくれるって聞いて助かったよ。正直、断られたらどうしようかと思ってた」
――気絶させて、無理やり連行するしかなかったかもねー、あははー。
などというウェリウスの冗談(だと思う)はひとまず無視するが、それにしてもわからない発言だ。
なぜ自分なのか。という以前に、そもそも誰が呼んでいるというのだろう。
「……どういうこと?」
その疑問は、シャルが口にするより先にピトスが訊ねた。都合がよかったので、シャルは視線だけでその流れに乗ることにする。
ウェリウスは小さく首肯し、それから語り出した。
「――こっちの都合で申し訳ないんだけど。実はふたりには、アスタを追うより先に、ちょっと寄ってもらいたいところがあるんだよ」
「ふたりにはってことは……わたしも呼ばれてるってこと?」
疑問するピトス。ウェリウスは頷き、
「そうなるね。ああ、なぜ呼ばれてるのかについては、訊かれても答えられないよ? だって僕も知らないから」
「知らないって……」
「ごめん。でも、そういうヒトなんだよ。何を考えてるのかなんて、理解できた試しが一度もない」
苦笑するウェリウス。その表情が、シャルには少しだけ意外だった。
作り物を貼りつけたような普段の笑みと違い、そこにはウェリウス自身の感情が、珍しく反映されているような気がしたのだ。その中身まではわからなかったけれど。
それも一瞬。ウェリウスは普段通りの表情に戻って続ける。
「まあ、そんなに時間はかからない。ちょっと寄り道するくらいの感覚で問題ない、と思うよ? たぶん。うん、たぶん」
「なんで自信なさげなの……」
呆れるピトスに、ウェリウスは軽く肩を竦めるだけ。
「言っただろう? 何を考えているのか、わからない相手なんだって」
「ていうか、ウェリウスくん。それ、初めからそのつもりでわたしを煽ったってこと……?」
「嫌だな。アスタを追いかけるっていうのも嘘じゃないさ」
ということは、それを利用してピトスとシャルを呼び寄せたのも嘘ではないのだろう。
本当に、油断も隙もない男だった。何を考えているのかわからないのは、ウェリウスのほうも一緒だろう。
今のところ、それが悪い方向に転んだことはないけれど。
「――それじゃあ行こうか」
貴公子然とした笑みでウェリウスは言う。
なぜだろう。綺麗な、なんの変哲もない笑顔なのに、どうして裏を感じてしまうのか。あのアスタをして《読めない男》と言わしめるウェリウスを、ピトスはときどき怖ろしいとさえ感じてしまう。理解できないものは、それだけで恐怖の対象なのだ。
実際のところはわからない。アスタですら、果たしてウェリウスを信頼しているのか、それとも警戒しているのかは微妙なラインだ。ウェリウスだって、本当に人畜無害な善人である可能性もないではない。
本人が意図していないのなら、むしろ逆に哀れなくらいだとピトスは思った。
「でも行くって、どうやってです……?」
ちょっとそこまで散歩に行こう、という程度に気楽なウェリウスに、ピトスは疑問する。
なにぶん急な旅程だ。馬車などの交通手段まで手配している時間はなかった、というより完全に失念していた。寄り道する、と軽く言っている間に、アスタたちに追いつけなくなっては困ってしまう。
それを察したのだろう。説明を忘れてた、とウェリウスは微苦笑し、
「ああ、大丈夫大丈夫。行くのに時間はかからないから」
「――え……?」
「準備するよ。ふたりとも、ちょっとこっちに近づいてくれるかな?」
あくまで説明をしないウェリウス。要するに、もう訊かれても答えないということだろう。
意味があるのかないのか。たぶん遊んでいるだけなのだろう。シャルはすでにウェリウスのすぐ近くにいたため、ピトスがそちらに近づいた。
「よし――」
言ってウェリウスは、懐から指環を取り出した。翡翠色をした水晶が嵌められた、見るからに強力そうな魔具だ。
見覚えは、あるようなないような。記憶に自信のないピトスだったが、シャルが答えを言う。
「それ、確か迷宮のとき、いつの間にかつけてた……」
「あ、覚えてたんだ? そう。お守り代わりに、いつも持ち歩いててね。貰い物なんだ」
どこか嬉しそうに目を細めるウェリウス。言われてピトスは思い出した。
オーステリア迷宮で罠に嵌まったときのことだ。再会したとき、はぐれる前まではつけていなかった魔具を、彼がいつの間にか装備していたのを覚えている。魔具の類はトラップの影響で全て失ったはずなのに、どうしてか所有していたからだ。
「それは――」と。
その意味を問うより早く、ウェリウスは指環に魔力を注ぎ込み始める。
足下に、円形の陣が広がった。魔力の光が、図形を描きながら一瞬で地面を走ったのだ。それは三人を囲うように広がり、複雑な術式の形を為し始める。
魔術陣。それも異常に高度な術式だ。ピトスもシャルも、オーステリア学院の中でさえ抜きん出た知識量を持っているが、その効果は想像さえ及ばないものになるだろう。わからなさで言えば、それこそアスタの印刻魔術並みに意味不明だ。
「――転移の指環、って言えば心当たりはあるかな?」
光に埋められた地面の上で、ウェリウスが悪戯っぽく口の端を上げた。
「あの、《銀色鼠》のひとたちが持ってた……」
「らしいね。まあ聞く限りじゃ、所詮は粗製の濫造品みたいだったけど。外側だけ真似た代物とじゃ比較にならないよ、これは。念じればどこへでも好きなところに転移できる――とまでは言わないけど、近いくらいの力があるからね。空間系の魔具としては最高位だろう」
「……どうして、そんなものを?」
と、これを訊ねたのはシャルだった。驚くピトスに比し、彼女はあまり驚いてはいないように見える。
「元は迷宮から出土した魔具らしいけど、それを改良したヒトがいてね。譲り受けたのさ」
簡単なことのように彼は言う。先ほども、確か《貰い物》だと言っていた。
だが、ここまでの魔具を他人に渡す人間なんて考えられない。国王の宝物庫にだって納められないくらいの、非常に価値がある魔具なのだから。これひとつで国同士が争う事態さえ想像できると言っても、決して大袈裟ではないだろう。
まして迷宮からの出土品を改良しただなんて、そんなことがあり得るだろうか。現代の魔術では再現できない品々だからこそ、迷宮産の魔具は重宝されるのだ。文字通りの宝物として。
それを改良できるということは、すなわち術者の技術力が迷宮のそれを上回っているという意味になる。
「……いったい、誰から貰ったんですか……?」
おそるおそるといった風に、ピトスは訊ねた。あるいは訊かずとも、答えが絞られていたのかもしれないけれど。
果たして、ウェリウスは笑みのうちに答えを――その名前を口にする。
「――フィリー=パラヴァンハイム」
二番目の魔法使い。人類にただ三人のみの、超越者の一角。
その号に、《空間の魔法使い》と称された女性。
「これから会いに行く、僕の師匠だよ」
言葉と同時。
三人は、その地点から一瞬にして姿を消した。




