S-07『第三章後日談』
※ご注意※
ほぼ本編です。今後の展開に関わりますので、短編は読まない派という方もお目通しをお願いします。
フェオ=リッターは人見知りだ。
別に、初対面の相手とは会話がままならない、というほどのレベルではない。ただ逆に、無闇に強気に出てしまうというか、少なくとも平常心で会話ができるかと問われれば否になる。
それも結構、重症だ。
舐められたら負けの冒険者稼業。初対面の相手には、喧嘩を売っていくくらいでちょうどいい。……もっとも現実には、横の繋がりは大事だったりするけれど。
とはいえ、さすがに遠縁であるエイラ=フルスティに対してまで緊張するということはない。会うのは久々ではあるが、歳の近いエイラは、フェオにとってむしろ実姉であるシルヴィア以上に気安い年上の友人であるのだった。
「……しかしまあ、あのフェオがアスタに惚れるとはねえ……」
しみじみと、なんだか感慨深げにエイラが言う。
魔競祭が終わりを迎えた数日後。学院にある、エイラの研究室でのことだった。
突然だった彼女の言葉に、フェオは一瞬で沸騰する。
「な、な、なな……っ!?」
だってそんなこと言ってない。というか、そもそも別に好きとかじゃない。
確かにまあ、あの魔競祭の最終日以来、どうにもアスタのことを考えてしまっている気はするけれど。その程度のことで好きとか嫌いとか、そーゆーの違うと思うのだ。
あわあわと狼狽えるフェオを眺め、エイラはニヤニヤ相好を崩す。
「フェオはわかりやすいねえ。まあ悪いことじゃないさ」
「ちょっ、ま、待ってよエイラ姉! 別にそんなんじゃないからっ!!」
今日エイラを訪ねたのは、確かにアスタのことで話があったからではある。
だがそれは、彼に何か恩返しをできる方法がないか、相談に乗ってもらおうと思っただけなのだ。そんな相談ができる相手を、フェオはオーステリアでエイラしか知らなかった。
「わ、わたしはそのっ、恩返しのつもりで来たのに……むしろ恩を作っちゃったから! それで何かいい案がないかなって訊きに来ただけで、別にそんな……!」
言い募るフェオ。けれど、そんな言い訳というか建前は、エイラにまったく通じない。
だいたい、見ていればわかる。わかりやすいほどに筒抜けだった。
頬を真っ赤に染めて、「アスタに恩返ししたいんだけど、突然行くのもなんか恥ずかしいから、助けて……」とか言ってきたのだから。語るに落ちるというか、気づかないほうがどうかしている。
「そういうことは、本人に訊けばいいと思うけどねえ」
「だ、だってアスタ、たぶん何やろうとしても拒否してくるだろうし……」
「……ああ。それは確実に想像できる」
あの捻くれた男は、とにかく他人の好意をまっすぐに受け取らない。
まるで、その重さで潰れてしまうことを怖れているかのように。
要するに臆病なのだろう。エイラが思うに、おそらくフェオはこれが初恋だと思うが、よりにもよってこんな面倒な男に懸想するとは不憫な子だ。自然とそう考える。
もっとも口にはしないけれど。だってそのほうが面白い。
この時点でもう、フェオは人選を間違ったのだと言わざるを得ない。
「とはいえ、まず会わないことには始まらないからね。家は知ってるんだろう? なら行ってくればいいじゃないか」
「む、無理だよそんなの……!」
割と他人ごとなエイラの言葉に、フェオは耳まで紅潮させて首を振る。
「いや、無理って言われても。困るんだけどね」
「……だって。そんなの……恥ずかしいもん……」
「…………」
――すごいなこの娘。
普通に驚嘆するエイラだった。今どき、ここまで初心な娘がいるだろうか。
さすがは箱入り。恋愛なんてまるで縁のない世界で生きていると、こういう人間が仕上がるのか。エイラも素で驚いていた。
なにせ、こんな台詞と態度が素面で出てくるというのだから。
この様子を見せるだけで、たいていの男なら一発で仕留められそうなものである。
「……わかった。要はアスタのところに行く口実があればいいわけさね?」
仕方なく、エイラは溜息をついてそう言葉にした。これ以上にからかうと、もはやこちらの良心がダメージを受けかねないと思ったからだ。
幸い、と言うべきなのかはともかくとして、橋渡しができないわけではなかった。
「何か……あるの?」
上目遣いに、こちらを見上げてくるフェオに苦笑する。
これがフェオでなければ、もはや同性から軽く嫌われるだろうレベルの態度である。
もう逆に凄い。凄いあざとい。
「それじゃ、ひとつ依頼をしようかねえ」
「依頼……って?」
「なに、簡単な話さ。アスタから製作を頼まれてた魔具が、ようやく完成を見たからね。結局、魔競祭の期間中には間に合わなかったけれど、その分かなりいいものができたという自負はあるのさ」
言ってエイラは、部屋の隅にある戸棚の引き出しから、金属製の装飾品を取り出した。
銀色をした目の小さな鎖に、紫色の魔晶がついた指輪が通されている。そのままネックレスとして使うこともできそうなアクセサリだったが、魔術師が見れば絶対に気づくほどの強い魔力が込められている。
「最高級の素材を取り寄せまくって創った最高傑作さ。ま、そのお陰でかなり値は張るけれど、その辺りはセルエ先生の助けもあったからね。いや、久々に楽しい仕事ができたよ」
「は、はあ……」
「術式はアスタやセルエからも案を貰って、三人で構築した完全オリジナル。加えて魔晶は五大迷宮産さ! これ以上は望めないほどの最高級品さね。さすがは七星旅団。この素材を提供できるのはアスタたちくらいだろうねえ……ん? そういえば、あの迷宮を踏破したってことは当然、七星の連中はほかに類を見ない魔具を持っているはずさね……? ああ、どうにかして見せてもらえないかなあ……誰も使ってないだけに盲点だったよ! もう、それを報酬にしてもいいくらいじゃないか……」
我が子の自慢をするようなエイラに、フェオは少しだけ面食らう。
とはいえ、魔具職人として王国中に名を馳せるエイラが最高傑作とまで言う魔具なのだ。実際、かなりの効果を秘めたものであることは疑いようがない。
自身の専門分野の話だけあってか、少し舌が回りすぎていたエイラ。フェオが軽く引いているのに気がつき、咳払いをして本題に入る。
「ん――、ともあれ依頼の話さね。この完成品を、アスタのところまで代わりに届けに行ってほしい。報酬は、まあ相談料とトントンにさせてもらうよ」
手渡された魔具をフェオは受け取る。もちろんこの程度のことで、報酬を要求したりしない。
どころか、アスタに会うための口実ができたのだから。フェオは心から感謝していた。
「あ、ありがと、エイラ姉……。届けてくるね」
「ああ、頼んだよ。応援してるからね」
「お、応援って……届けるくらいで大袈裟だよ」
「そっちじゃないさね」
エイラは苦笑。それから悪戯っぽい笑みを作って、
「アスタとのことさ。この際だ、アレを相手にするんなら、押し倒すくらいのことは考えてもいいんじゃないのかい? 多少は強引に行かないと、アレは動かないだろう」
そんなことを言ってのけた。
当然、フェオにそんな勇気はないわかっている。顔を真っ赤にするだろうフェオを、眺めるくらいの役得はあってもいいだろう。そう思ってのからかいだった。
けれど――フェオの反応はエイラの遥か上を行った。
「……押し倒す?」
きょとん、とフェオは首を傾げる。
何を言っているのかさっぱりわからない、とでも言いたげな表情でだ。
「もう、エイラ姉。なんで恩返しに行くのにアスタを押し倒すの? そんなことしないよ」
「……え。いや……さすがに嘘だろう?」
頬を引き攣らせるエイラ。
まさか。そんな。こんなことがあっていいのだろうか。
「男女の間で押し倒すって言ったら、別の意味に決まってるじゃないのさ……」
なぜ自分はこんなことを喋っているのか。若干、意味がわからなくなってきた。
けれど、フェオはあっさり、目を丸くしてこう問うた。
「……えっと。何が……?」
「……………………あ。これマジっぽいね」
「だから、どういうこと?」
いったいシルヴィアは何をしていた。剣術を仕込む前に、まず情操教育をしておくべきだ。
エイラは明後日の方向に呆れを向けながら、それでも彼女ために言葉の意味を教えることを選択する。
――数分後。
茹でた蛸の物真似をしているみたいなフェオが、ふらふらとした足取りで研究室を出ていった。
※
アスタの自宅である煙草屋までは、当たり前ながらあっさり着いてしまう。
着いてしまった。
ものすごい牛歩で来たのだが。普通に到着してしまった。どうしよう心の準備がうわうわうわ。
ただ家の前に立つだけで、盛大に狼狽するフェオなのだった。
「……うぅ、どうすんだよエイラ姉のばかぁ……。なんか入りづらくなっちゃったじゃん……!」
男女のもにょもにょに関して、別にまったく知識がなかったというわけではないのだ。いくらなんでもそこまでじゃない。
ただまあ、そういった知識が現実の自分とまったく結びついていなかったというか。自らがそちら側に立つということを、フェオは一度たりとも考えたことがない。
だがエイラのお陰で、というかエイラのせいで、ついに認識を得てしまった。
そのせいで普通じゃいられない。ものすごく意識してしまう。
……どうしよう。入ろうかな。いや入らなきゃ駄目なんだけども。でもなんか躊躇いが……。
ごにょごにょと言いわけを胸中で続けるフェオ。ない胸を押さえて悶えている。
「よ、よし……入ろう! うん!」
ようやく決意したらしいフェオ。そこに、後ろから声がかかった。
「どし、たの?」
「ひゃわっ!」
思わず飛び上がる。不意打ちだったからだ。
咄嗟に背後を振り返ると、そこには小さな少女の姿。
アイリス=プレイアスがいた。
「あ、お、お、おはようアイリスちゃん!」
「ん……おはよ、フェオ」
「……」
「……」
「……何か、ご用?」
「え? いや、えーと……」
当然ながらご用はある。今がチャンスだ言ってしまえ、とフェオは意を決してアイリスに訊ねた。
「その、アスタ……いるかな?」
「いないよ」
「そっか。いないかー……あれ、いないの!?」
無駄なノリ突っ込みを決めてしまうフェオだった。
アイリスは軽く小首を傾げて、「うん。いない。お出かけしてる」と言った。
意外、というか予想外だ。いや当然、アスタだって出かけることくらいはあるだろう。考えてみれば当然の話だ。
ただ出かけるのにアイリスを置いていくのは、少し考えにくかった。
横から見ていたフェオでもわかるくらいに、アスタはアイリスに対し甘い。わずかに過保護のきらいがあるくらいだ。もちろん怒るときは怒るし、意外にもその辺りの線引きは上手い男だが、はっきり言って今、オーステリアは決して安全な街だとは言えないだろう。
教団は、街の警備なんてほとんどないもののように、オーステリアで暗躍していたのだから。
実際には王女の来訪や管理局への口利きもあり、かなりの厳戒態勢が敷かれている。フェオはそれを知らなかったし、むしろ知っている人間のほうが少ないのだが。
さらにアスタはルーンを刻んで自作した護符や魔晶でアイリスを守っている。印刻の本領は、本来そちらの領域だ。直接、戦いに使うような魔術じゃない。またアイリス自身、自分の身を自分で守るくらいはできることだろう。加えて言えばセルエ、メロ、そしてシグの三人がいるこの街は、むしろかなり安全な部類だと言えるのだ。
――もっとも、いちばんの理由は違う。
単に今のアスタがいたところで、なんの戦力にもならないというだけ。
その辺りの事情もフェオは知らない。
だから単純にこう訊ねた。
「それで、アスタは今、どこに……?」
アイリスは端的に答えた。
「コーヒー屋さん」
「ああ……あの」
「わたし、さっきまで、お仕事してきたから」
「え。アイリスちゃん、コーヒー屋さんで働いてたんだ?」
「うん。おてつだい」
「そっか。偉いんだねー」
自慢するように微笑んだ少女を、フェオは片手で軽く撫でた。
可愛い。アスタが肩入れする理由もわかるというものだ。クランでは年下の世話をすることも多かっただけに、これで案外、フェオは小さな子を相手するのが上手かった。
嬉しそうに目を細めるアイリスに、フェオも肩の力が抜ける。
「お仕事はもう終わりなの?」
「ん」こくりと頷くアイリス。「だから先に、戻ってきたの」
「アスタはまだお店に?」
「おはなししてたよ」
「そっか。ありがとね、教えてくれて」
もう一度そっと少女の髪を撫で、名残惜しくも手を離した。
それからアイリスに笑みを向けて言う。
「それじゃ、私もお店のほうに行ってみるね」
「ん。またね、フェオ」
「うん。また今度ね、アイリスちゃん」
ひらひらと手を振って、アイリスは煙草屋の中へと姿を消していった。
店の手伝いをしていたと聞くし、先に帰ってきた辺り、たぶん疲れているのだろう。長く引き留めようとは思わない。
フェオも踵を返し、喫茶を目指した。
※
果たして。店の中にはアスタがいた。
近づこうとするフェオだったが、彼に連れがいることに気づいてしまう。咄嗟に躊躇した。
幸い、というべきなのかはともかくとして、向こうはこちらに気づいていない様子だ。何やら話し合いが紛糾してでもいるのか、どうにも重苦しい雰囲気に包まれている。
アスタの連れ合いはセルエと、そしてメロだった。三人とも特に口を開くことなく、ただ黙りきって椅子に座っている。別段、険悪な様子ではないが、正直その一角だけ空気が重い。
「いらっせー」
店員なのだろう。アイリスと同じくらいの歳の少女がフェオを迎えた。
そういえば見覚えがある。確か魔競祭のときもいたはずだ。
「おー。ご来店どうもー。お好きな席どうぞー」
「あ、ありがとう……」
「ただいまお冷をお持ちしますー」
なんだか独特の、間延びした喋り方をする子だった。
名前は……モカだったか。自信はないが、確かそうだと記憶している。
一方の少女も、フェオを覚えているらしかった。
「ご来店ありがとうー」
「あ。うん……なんだっけ。えっと、ブレンド? ひとつ」
「かしこまりーましたー」
踊るような足取りで、少女はカウンターの奥に消えていく。そこにいた眼帯の店主が、ちらりとこちらを一瞥し、軽く頭を下げて微笑んだ。厳つい眼帯をしている割に、人当たりのいい笑顔だった。
珈琲屋――レンは何も言わない。フェオの顔は覚えてるみたいだが、アスタたちに悟られないよう気を使ってくれたようだ。どうやら諸般の事情を一瞬で察したらしい。勘がいいのか、それともフェオがわかりやすいのか。
まあ好都合だ。フェオはカウンター席に腰かけ、奥のテーブルの様子を窺う。少しだけ離れた、けれど三人を見通せる程度の席。
声をかけようという考えは、なぜか初めから持っていなかった。
「――ま、そういうわけだから。俺はエウララリアといっしょに王都へ行く」
やがてアスタが、そんな風に口火を切った。
静かな雰囲気の店内だ。注意さえ向けていれば、声を聞き取るのは難しくなかった。
「悪いんだがその間、アイリスを預かっててもらえないか? 連れて行くのは、さすがに難しいからな」
言葉に、知らずフェオは息を呑んでいた。
どういう話かはわからない。だが察するに、どうやらアスタはオーステリアを離れるらしい。
それもアイリスを置いて、だ。その時点でもう非常事態だろう。
言葉を向けられているのはセルエだった。彼女は無言で視線を下げていたが、不意に顔を上げるとこう言った。
「……それ、アイリスちゃんには確認したの?」
「どういう意味だ……?」
首を傾げるアスタに、セルエは真顔で言葉を重ねる。
「ついて行くのか来ないのか、アイリスちゃんに訊いたのかってこと」
「は――はあ?」アスタは狼狽した。「いやいや! 訊くも何も、連れて行けるワケないだろ」
「どうして。アイリスちゃんは、ついて行きたいかもしれないのに」
「いや、危ねえだろ、だって……何が起こるかわからねえんだぞ」
「今のアスタより、アイリスちゃんのほうがずっと強いと思うけど」
「それとこれとは話が別だろ……」
「同じだよ。少なくとも、アスタが勝手に決めていいことじゃないと思う」
「……」
珍しくアスタが押されているようだ。もっとも、実際にはよくある光景なのだが。
メロやシグのように、明らかにおかしい相手には強気に出れるアスタだが、これでセルエやピトスのような正論で押してくる相手には弱かったりする。
「というか、それだけじゃないでしょ。護衛が要るんじゃないの? 王女様にっていうより、むしろアスタに」
メロが言った。彼女は、微妙に口許を歪めている。
なんだか性格の悪そうな笑みだ。どこかアスタに似ている、とフェオは思う。
「その意味じゃあ、それこそぴったりだと思うけど」
「いや一応、それに関しては心当たりがある」
「へえ。誰?」
入口の扉に備えつけられた、揺れに反応する鈴が音を立てた。新しい客が来たらしい。
先ほどのモカとは違う、もうひとりの店員が応対する。魔競祭にも出場していた、ノキという名前の学院生だ。
同じタイミングで、モカがコーヒーを持ってくる。
「お待たせしましたー。どうぞー」
テーブルに置かれる熱々のカップ。黒いその中身からは、想像もできない芳醇な香りが立ち込めていた。
これまでコーヒーなんてただ苦いだけの汁だと思っていたフェオも、この店で淹れたものならば美味しく飲むことができる。余談だが、ミルクと砂糖は多めに投入するタイプだ。
それを喉に流し込みながら、盗み聞きを続行する。
「まあとにかく、アイリスに長距離の移動は難しいだろ?」
と、アスタが言う。一連の会話を、少し聞き逃してしまったようだ。
一方のメロは、その言葉に軽く肩を竦めていた。相変わらず悪そうな笑みを浮かべて、ふとこんなことを言う。
「じゃあ、実際に訊いてみる?」
「本人にか? いいけど――」
「いや?」メロは笑みを深くした。「アイリスを、ここまで連れて来た本人にだよ」
言われて、アスタが咄嗟に背後を振り返る。フェオもそのとき、初めて彼らに近づいていた人影を意識した。
その人物を見て、アスタが露骨に顔を歪めるのが見えた。
「……そうか。いたんだったな――シグ」
「ああ。久し振りだな、アスタ」
魔弾の海。超越。最強の冒険者。そして、七星旅団の第二番。
シグウェル=エレクの姿が、そこにはあった。
――よく考えたら、あのテーブルものすごいことになってるなあ……。
ちょっと感覚が麻痺しているようにフェオは思った。正体不明の伝説の旅団。そのメンバーが実に七分の四人も集まっているのだから、もし知られれば大事だろう。
今の時間、そこまで客の数は多くないが、かといって名の知られているメロやシグウェルが普通に同席している辺り、実はこいつら大して身分を隠すつもりがないのかもしれない。
シグが着席した。アスタの隣だ。
とてとてと近づいていった店員のモカに、シグは矢継ぎ早に食事を注文した。
なんというか、本当によく食べる男だ。フェオは、シグが飲食しているところのイメージしかない気がする。
「で、シグがアイリスをこの街に連れてきたのか。……まあ、そりゃそうだよな」
「アイリスと名をつけたのか。なるほど、いい名前だ」
「…………」
「質問に答えるならその通りだ。俺がこの街までアイリスを連れて来た。本当はすぐお前に会いに行くつもりだったんだがな。腹が減って行き倒れてしまった」
「何してんだよ、お前……」
「腹を空かせている」
「そういう意味で訊いたんじゃねえから」
呆れるアスタに、シグは「む?」と軽く首を傾げていた。絶妙に噛み合っていないふたりである。
なんだか、知れば知るほど七星旅団に対して抱いていた幻想みたいなものが壊されていく気がしてならない。本当に大丈夫なのだろうか、これ。
「……で、エレ兄? アイリスは旅の間、どうだったの?」
メロが愉快そうに問う。逆にアスタは不愉快そうだ。
その両方を一切無視してシグが言う。
「ん? 別に普通だったが」
「シグ先輩の『普通』は普通じゃないからなあ……」
苦笑したのはセルエだ。ともあれ、その普通じゃない普通に合わせられたという時点で、アイリスが旅について来られないという前提は崩れたも同然だった。
アスタ自身、それがわかっているからだろう。苦虫味の飴を舐めているような顔で、仕方なしとばかりに頷いた。
「……わかった。アイリスが旅に同行できるだけの能力があることは認める。でもな――」
「『ついて来ることを選ぶかはわからない』」
アスタが言いかけた言葉を、セルエが先んじて封殺した。
その表情は笑顔だが、明らかにほかの感情が隠されているとわかる。
「――なんて、当然だけど言わないよね?」
「…………」
「ていうか言わせないけど」
あくまで笑みだ。別段、怒っているというわけでもない。
ただ、その表情には確実に威圧的な雰囲気があった。誰が悪いのかといえば、これはもう、アスタの往生際が悪い。
「……いや、すまん。なんでもない」
ばつが悪そうに頭を下げるアスタだった。傍で見ているフェオは、なんとなく旅団内での力関係みたいなものがわかる感じだ。
ともあれ、これに関してはセルエが正しいとフェオも思う。
事情はわからない。だが、もしアスタがオーステリアを出るというのなら、アイリスは絶対に同行を選ぶだろう。それができるだけの実力も持っていることをフェオは知っている。
ならば――それは本人の意思を尊重するべきなのだ。
魔術師である以上、そこに例外は存在しない。
もっとも、アイリスは別に魔術師ではなかったけれど。
「いやまあ別にそんなことどーでもいいんだけどさー」
表情を沈めているアスタに、メロがあっさりとそう言った。
アスタはさらに盛大に顔を歪めて、
「……言い出したの誰だよ……」
「あっはっは」
「お前、ホントお前……ああもう!」
がしがしと頭を掻くアスタ。苛立っている、というわけでもないようだが。
「ま、気になることがあるなら、やってくればいいんじゃないのー」
「……お前はどうすんだよ、これから」
「さあ?」メロは軽いものだった。「別に、これまでと変わんないけど。やりたいことやるだけだよ。ずっとそうしてきたし、それはこれからだって変わんない。邪魔する奴がいるなら潰すけどさ」
「……お前は気楽でいいな」
「えー? あたしだって考えてることくらいあるけどなー」
「メロは俺と来る」
と、そのときシグが空気を読まずに言った。
「シグと……?」
「ああ。鍛えてほしいと言われたからな。久々に稽古でもつけてやろうかと」
「だあーっ、ちょっとエレ兄! そういうこと言う、フツー!?」
途端、がなり立てるメロだったが、シグはまったく気にせずに続ける。
「俺たちには俺たちでやることがあるさ。連中が何を考えているにせよこちらが戦力を増やしておくことには意味があるだろう」
「……シグは、奴らについてどのくらい知ってるんだ」
「何も知らないに等しいな」
独特の早口でシグは言う。
奴ら――七曜教団。星の名を冠する宗教徒。
「救世を謳い、けれどその裏では非道に手を出している。そのくらいか。アイリスが連中に囚われていたことは知っているな?」
「ああ」
「奴らは魔術師の、冒険者の集団とは違う。あくまで宗教徒だ。だから当然、信者を増やしもするし、布教も行っている。もっとも秘密裏にだが。連中にとっての至上はあくまで《世界を救う》ことらしい」
「その辺も、意味がわからないけどな。世界を征服したい、とかのほうがまだそれっぽい」
「考えるだけ無駄だ。とにかく奴らは救世を掲げ、そのためならどんな犠牲も厭わない――アイリスもその一環だろう」
「…………」
「あの《魔力略奪》の異能は後天的に埋め込まれたものだ。アイリスが、生まれつきに持っていた異能じゃない」
「まあ、そんな気はしていたが」
「マイアは言っていた。『あの実験場で、アイリスは魔力の中に浸されていた』と。ある迷宮の内部に隠されていた施設で、マイアはアイリスを見つけたらしい」
このときアスタが思い出したのは、よくSF映画などで見るガラスでできた培養炉だった。得体の知れない培養液に満たされ、用途のわからないプラグなどに繋がれた裸体の人間が、研究者によって閉じ込められている様子だ。人権を、尊厳を無視した、ただ研究のためだけの構図。
その想像と、このファンタジー的な異世界が似合うようには思えない。ただ、タラス迷宮の内部にあった結界が、どこかそういったSF的な雰囲気を孕んでいることは気にかかった。
どちらも、教団の施設であることに変わりはない。迷宮の中に隠れ家を作るという発想は異質だ。
「濃縮された魔力……いや、あれはもう瘴気に近いか。そんなものに長期間浸されていては肉体そのものが変質するだろう。――あるいは、それを目的にしていたのかもしれないが」
「肉体を……人為的に変質させようとしたのか」
考えなかったわけじゃない。アスタは冷静だった。
アイリスのアレは、魔術とは違う。魔術はあくまで技術だが、アレは能力だ。あるいは備えられた器官の機能と言い換えてもいい。
いわば超能力のようなものである。
それとも異能と言うべきか。この世界には、たとえばエウララリアの、王族の血統が持つある種の魔眼のような、術式に拠らない異能力が存在していないわけじゃない。
広い解釈で言えば、人類種以外の種が持つ能力もその一種だ。たとえばフェオが持つ吸血種の血統は、文字通り《血》に関連する能力を持つという。実際、あの水星との戦いで、フェオが血を通じてアスタとパスを通じたようなものだ。あれは、厳密には魔術ではない。
ほかにも鬼が持つ高い膂力や防御力もある種の異能だったし、森精種ならば精霊と会話が可能だ、とかなんとか聞いたことがある。
魔術が術式に――つまり理論に則って成立するものならば、そういった異能は理論によらず、ただそういうものだからそうなのだ、としか言えない不条理だ。
「魔物は魔力からできている。だが人間だって魔力は持っているだろう。その違いは? その境界を失ったとき、果たしてヒトはどうなると思う?」
シグは言う。周囲に、その言葉を聞いている人間はいない。
だから、旅団の人間以外でそれを耳にしているのは、この場ではフェオだけなのだろう。
――聞いていてもいいのだろうか。
一瞬、そんな逡巡がフェオの中に芽生えた。これ以上の盗み聞きをすることが、なんだか後ろめたく思えたのだ。
もちろん興味はある。フェオにとっても、七曜教団は因縁のある相手だ。彼女の姉が作り出したクラン《銀色鼠》は、教団に――水星の手によって完全に崩壊した。あるいはその成立そのものから水星に乗っ取られていたのかもしれない。
彼らが、少なくとも《迷宮》という場所に何かしらの興味を抱いていることは間違いない。
銀色鼠のような若い冒険者クランは、彼らにとって都合がよかったということなのだろう。
「…………」
フェオの中の逡巡が揺らめく。どうするべきだろう。
その答えは、フェオの意識の外側から届いた。
「――静かにしろ、気づかれるぞ」
次回、短編章ラスト。
更新は4月30日19時です。




