S-04『天災少女と幽霊屋敷(中)』
板張りの軋みに誘われて、暗い地下通路に足を踏み入れる。
シャルが灯した魔術の明かりが、その場所の様子を視界まで運んだ。どうやら通路は、螺旋を描いて下へ下へと向かっているらしい。土の地面が、角度の急な階段となっていた。
ふたりは揃って下へと降りた。
前を行くシャルに比べ、後ろのメロは足取りが重い。幽霊が怖い、なんて悪い冗談にしか聞こえなかったシャルも、さすがに演技ではないだろうと現実を認めざるを得ない。
「……まさか、あの天災が幽霊を怖がるなんて思わなかったわ……」
からかうでもなく、ただ呆然とシャルは言う。
幽霊よりよっぽど怖ろしい存在の癖して、ここまで逃げ腰になるなんて。
「だ、だって幽霊だよ!? 魔術が効くならともかくさあ、そういうのは苦手なんだって!」
曰く、魔術でぶっ飛ばせる相手ならば平気でも、そうではない幽霊は怖いものなのだとか。
実際には幽霊とて魔物の一種。魔術で対処することも不可能ではない。
ということは、やはり単純に《お化けが怖い》ということなのだろう。
意外すぎて、何を言う気にもならなかった。
呆れているというよりは、驚きすぎて言葉にならないというほうが近いシャル。だがその様子を見て、メロは勘違いをしたらしい。
「いいい言っとくけど、別に怖いとかじゃないからねっ! ただちょっと苦手かなーってだけだからねっ!?」
「……はいはい」
涙目の癖によく言う。
と思ったが口にはしない。メロは続けて、
「あと、その……このことは絶対にアスタには言わないでよっ!」
「別に言わないけど……というか、知らないの?」
仮にも伝説の旅団、その経験値は平均的な冒険者クランを遥かに凌ぐもののはずだ。これまでに、幽霊系の魔物と出会ったことがないとは思えないのだが。
「知らないよ、だって隠してたもん。いや別に怖くないんだけどさ、ばれたら絶対、アスタはあたしのこと馬鹿にするに決まってるんだから!」
「ばれないものかな……?」
「平気だって! なんかいっつも怖い話してくるけど!」
「…………」ばれてんじゃねえか。
そう思った。これ幸いと煽り始める、どこぞの愛煙家の顔が浮かぶ。
……なんだか腹立たしい。
ともあれ、そんなやり取りを行いながら下に進んだ。
その間、特に変わったことが起きる様子はない。魔物の気配も感じなかった。
ただ、瘴気はだんたんと濃くなっていく。周囲の土が、徐々に硬い石の質感に変わっていた。
ここまで来れば、この場所がいったいどこに通じているのかは察する。
「……この先、迷宮に続いてるっぽいね」
メロが言った。その声はいくぶん弾んでいる。
まあ彼女にしてみれば迷宮など、幽霊屋敷に比べればまったく怖るるに足らず、ではあろう。
しかし、進めば進むほど迷宮に近づくというのも、それはそれで妙な話だ。
というのも、迷宮はあくまで結界の一種――空間的にはずれている。
確かに、オーステリアの地下はほぼ全域が迷宮区だ。とはいえ、それは何も地下へ掘り進めば辿り着くというわけじゃない。
迷宮は確かに存在するが、それは物理的な空間とは意味合いが異なっているということ。
さもなければ、管理局を通さず迷宮に侵入する者が後を絶つまい。もっとも、仮に物理的に存在した場合でも、凡百の魔術師では迷宮の壁を突破できないだろうが。
「にもかかわらず、この屋敷はそのまま迷宮区にまで続いている……」
「かなりの実力者が作ったんだろう、ってことは間違いないね」
ふたりは口々に言った。
迷宮への介入。予想されるその行為は、れっきとした犯罪である。
「……どうするべき、だと思う?」
シャルは訊ねた。なんだかんだ言って、こういう事態では頼りになる相手なのだから。
七星旅団の一員。《天災》の二つ名は伊達ではない。
「そうだね。依頼されたのは、あくまで調査。原因はともかく、どうなってるかに関しては掴んだんだから、これで帰っても依頼達成にはなるんじゃないかな」
メロはそう答えた。
一瞬、帰りたいだけじゃないだろうな、とシャルは勘繰ったが、けれど言っていること自体は正しい。対処なりなんなりが必要なことは間違いだろうが、そこまで依頼されたわけじゃない。
シャル自身、別に無理して奥を探索する必要性は感じていなかった。そもそも、あくまで無理やり連れて来られただけなのだ。そんな義理も義務もない。
「まあ、疑問ではあるけどね。迷宮に無理やり道を繋げるなんて、教授かキュオ姉でようやくできるかどうかってレベルだし……そもそも、そんなことする意味も感じないし」
と、メロは小声で呟く。聞かせる、というよりは、単に考えが漏れたという具合に。
シャルも少し考え、それからこう言った。
「ねえ、気づいた? 上の、倉庫みたいな部分のことなんだけど」
「うん? どのこと?」
「あの建物が、周りに比べて明らかに古すぎるってこと」
「……あー。確かに、あれは不自然だったね」
オーステリアの建造物に、意外と木造のものは少ない。迷宮都市であり、そして学院都市でもあるオーステリアだが、それは同時に観光地でもあるということだ。
まあ一般人に《観光客》なんてほとんどいないが、魔術師にはいわゆる《旅人》が多い。そういった、人の出入りが激しいオーステリアは、これで案外、景観には気を使っている。
一部ならともかく、完全に木造で、かつ明らかに数十年は放置されたであろう朽ち具合は、周囲から明らかに浮いていた。誰の土地かもわからないという話だったし、本来なら間違いなく、もっと早い段階で調査なり取り壊すなりされているはずだ。いや、されていなければおかしい。
「たぶん、結界の効果なんだろうね。強く意識していないと存在を認知できないような、そういう、いわば認識阻害の効果があの結界にはあった」
結界の効果としては、まあよくある部類だ。結界とは即ち境界であり、内外を完全に別個のモノとして区切るからこそ結界と呼ばれる。
外からではわからないように――というものは、区切りの最も基礎的な意味づけである。単なる魔力障壁、防壁が、壁であっても結界ではないのはそれが理由だ。
「自然にできたもの……じゃないよね、あの結界。間違いなく、魔術師が意図的に作り出したものだ」
「間違いないと思うよ。今回こうやって依頼が持ち込まれたのは、漏れ出てくる瘴気が多くなりすぎたのか、それとも結界を維持する魔力のほうが尽きたのか……術式の劣化かもしれない」
考え込むような様子のメロ。その表情に、先ほどまでの恐怖は一切感じられない。
興味はある、のだろう。むしろ話に聞く天災の性格ならば、こういった不思議空間に関心を持たないはずがないとシャルは思う。きっと幽霊さえ出なければ、間違いなく先に進むと断言したはずだ。
出会って間もないシャルでさえ、そのことが確信できてしまう。
……なんだか逆に、そのほうが面倒な気がしてきた。
メロが戻ると言っているのだ。逆らってまで残ろうだなんて思わない。
けれど。
「それじゃ、戻ってエイラに報告を――」
そう言いかけた――その瞬間。
突如として、凄まじい爆音と振動が、ふたりに襲いかかったのだ。
「な――何っ!?」
慌てふためくシャル。一方のメロは冷静だった。
「この音……マズいシャル! この階段、上から崩れてるっ!!」
「崩っ……!? なんで!?」
「そんなこといいから走って! 巻き込まれるよ!」
背中を押され、その勢いのままシャルは走り出した。
なにせ辺りは土壁だ。ここにいては生き埋めになってしまう。
ふたりは音から逃げるように走り出した。揺れが酷くて走りづらいが、足を止めるわけにもいかない。
たとえ、この先に逃げ場があるという保証はなくとも。立ち止まれば終わることだけは間違いないのだから。
「ど、どう――し、たら……っ!」
息を切らせながらシャルは言う。こちらが走る速度より、通路が崩れるほうがずっと早い。
追いつかれる――。
そんな恐怖に苛まれたとき、後ろを走るメロが、シャルの背中に手を触れた。
「口閉じて、舌噛むよ!」
「何が――」
「いいから飛ぶよ! 全天十二式――」
嫌な予感がした。
だがすでに、何もかもが遅すぎる――。
「――《重速飛鷲》ッ!!」
刹那。ふたりはひと塊に、真下へ向かって空を飛んだ。
※
十二番術式《重速飛鷲》は、移動のための魔術である。
重視したものは速度。単に移動だけを目的とした場合、メロが持つ中で最高速を誇っている。
だが、何より重要なのは、速度ではなく通る道。最速で行くためには最短距離を進む、という最も単純でわかりやすい理屈を、そのまま反映したような術式である点だった。
この魔術は地形を無視する。
始点と目標地点を最短で結ぶための魔術。およそあらゆる地形――たとえ障害物があろうと、空中だろうと、まして水中や真空中であろうとも――ただ最速で突き進むことだけが目的だ。
今回の場合は、ただ下へ。
地面を無視して突き進んだ。その過程で障害となるモノは、空間ごと押し退けられて進むことになる。
当然、その反動は大きいわけだが――。
「……死ぬかと、思った……」
というか死んだと思った。シャルは完全に放心していた。
現在位置は、前後に続く石造りの通路の途中。おそらく迷宮の内部だろう。
「まあまあ。死ななかったんだからいいじゃんか」
笑いながら上を見上げるメロ。そこには、やはり石の天井があるだけだ。
今し方、ふたりはそれを突き破ってこの場所に来た。メロの魔術が、迷宮の壁すら強引に突破して最短を進ませたためである。
それはいわば魔術による概念的な《障害物の排除》であり、壁を破壊して来たわけではない。もちろん影響は出るわけで、実際には強引にぶち抜いてきたのと大差ない。ないのだが、少なくとも迷宮の壁ならば、たとえ一時的に破壊されたところで、あっという間に再生する。
それだけの話だった。
……で。
「これからどうしよっか?」
メロが笑う。その顔が、微妙に引き攣っていることにシャルは気づいていた。
そのことが少し疑問だった。幽霊さえ絡まなければ、メロは間違いなく凄腕の冒険者だ。一流であり、本物であることを、王国の誰もが認めている。
実際、今だってメロの助けがなければ、いったいどうなっていたことか。ただ高速で動くというだけじゃない。今の魔術は、《最短を邪魔する障害》を何もかも無視して押し出すという概念魔術だったのだから。はっきり言って、シャルでは一生かかっても再現できる気がしない。
その彼女が、この状況で「どうしようか」などと訊ねる意味がわからない。
だって、ここは迷宮だ。オーステリア迷宮。それも移動距離から考えて、かなり浅い層であることは疑いようがない。
確かに一般人ならば命の危機だろう。だがメロほどの術者なら、この程度の迷宮など、それこそ散歩感覚であっさり抜けられるはずだ。シャルでも苦労しないだろう。
「……迷宮に出ちゃったのは想定外だけど、歩いて帰ればいいだけなんじゃ」
「うん。それができれば、もちろんそうなんだけどね?」
要領を得ないメロの言葉に、シャルは首を傾げるほかない。
無断進入を管理局に咎められる、ということだろうか。いや、管理局だって馬鹿ではない。事情を話せば通じるはずだ。
メロの危惧がシャルにはわからない。だからだろう、メロはこう告げた。
「……周りを見てみれば、すぐわかるよ」
「周り……?」
言われ、シャルは周囲に視線を向かわせる。
今いるのは、まっすぐに伸びる通路の途中といったところだろう。迷宮にはよくある地形のため、そこから現在位置を割り出すのは難しいが、その程度はどうとでもなる。
向かって左側の先は、どうやら行き止まりのようだった。だから今度、シャルは右側のほうを見た。
そしてようやく、メロの態度の意味を知る。
この通路は、両端ともが行き止まりだったのだ。
「な……え? そんな……なんで?」
呆然と呟くシャル。実際、それは意味のわからない事実だ。
なぜなら迷宮は、どんな入り組んだ地形であっても、物理的に歩いて行けない空間は存在しないのだから。こんな風に、独立した通路がある意味がわからなかった。
いや、これでは通路というよりも、細長い部屋と言ったほうが近い。
オーステリア迷宮に、こんな空間は存在しない。
もちろんシャルだって、別に地理の全てを把握しているわけじゃない。だが、地図自体は何度も見たことがある。ここまで特徴的な空間が存在するのであれば、その事実くらいは知っていなければおかしいはずだ。
「どういう、こと……?」
思わずシャルは呟いた。訊ねたわけじゃない。ただ疑問が口をついて出ただけだ。
幸い、その問いには答えがあった。すぐ隣に立つメロが言う。
「可能性としてはふたつだね。その一、《この場所はオーステリア迷宮ではない》」
突飛ではある。が、現状だけを見れば確かに、その可能性を否定はできない。とはいえ、
「待って、それはないよ」シャルは首を振る。「結界で位相がずらされているとはいっても、完全に物理的距離を無視できるわけじゃない。オーステリアの地下にあるんだから、この場所はオーステリア迷宮で間違いないはず。実際、景色自体はよく似てる」
「だね。あたしもそう思う」
あっさり自説を撤回するメロ。単に、シャルを冷静にしようとしただけなのだろう。
その辺り、これでも本職の冒険者であるメロは上手かった。
なお、実際には《途中でどこか遠くへ転移した》という可能性も、まあ一応は挙げられる。転移魔術は《喪失魔術》――すなわち現代魔術では再現されていない魔術――なのだが、実際に迷宮の出入り口や、七曜教団が所持していた指環型の魔具などがある以上、可能性としては残るだろう。メロ自身、その限定的な再現には成功している。
だが《重速飛鷲》を使っていた以上、たとえ途中で転移魔術を受けようと、それを無視して進むはずだ。その術式さえ上回るほどの罠があった可能性は――もう、そんなものを考慮する必要がない。ゼロと見做して無視すべきだろう。
「だから、残る可能性、その二。《この場所は、地図に記載されていないオーステリアの隠し通路である》ということだね」
「隠し……通路」
このときシャルが思い出したのは、以前、アスタら四人と組んでオーステリアに挑戦した際、彼が示した《七層までの抜け道》だった。
あれは地図には載っていない。すなわち完全に地図化されていると思われていたオーステリアにも、隠された通路は存在するということだ。
あのとき、アスタはこうも言っていた。
――偶然で見つけるのは難しい。
無論、彼はそれを入るときの話として言ったはずだ。だが、本来ならあり得ないのだが、この場合それは出る場合にも適用されることであり。
「もしかして、これ……出口わからない?」
呆然と呟いたシャルに、メロは笑顔で。
「まあ、そういうことになるかな?」
――来なければよかった。
シャルは、心底からの後悔を味わっていた。
※
もちろんそこで終わらない。シャルはまだわかっていなかった。
あの《天災》と、行動を共にするということの意味を。シャルはまるで理解していない。
アスタならばきっと言っただろう。
――おかしい奴ってのは、単に行動がおかしいだけじゃない。おかしいことをなぜか異様に呼び寄せるからおかしいんだ――。
とかなんとか。まあ言っていることは滅茶苦茶だが、要はこの天災が絡む以上、どんなことだって絶対にただでは済まないということ。
「まあ、なんとか出口を探してみよう。最悪、突き破ることも考えてみるけど……」
などと頼り甲斐のあることを言うメロ。
本当に、幽霊さえ絡まなければ心強い味方である。そう言えないこともないのだが。
逆を言えば、幽霊が絡んだときのメロは本当に役に立たない。
すっ――と。
片側の通路の先に、突如として人影が現れた。先ほども見た髪の長い、半透明のヒトガタだ。
なぜか敵意は感じない。魔物である、とは思うのだが、いったいどういうことなのか。シャルには見当もつかなかった。
とはいえ、シャルにはわからなくても、メロにはわかることがあるかもしれない。
そう思って振り返ったシャルは――、
「……何も見てない何も見てない何も見てない何も見てない何も見てない……」
耳を塞いで目を瞑り、しゃがみ込んで丸くなり、そして何かうわ言のように呟いている天災の姿を目の当たりにした。
そして同時に、こう考えた。
――よし。私もなんにも見ていない。
そのまま視線を幽霊(?)へと戻す。彼、ないし彼女は、そのまま通路の先に吸い込まれるように消えていった。
壁抜け、とでも言おうか。なんの障害物もないかのように、壁の中へと消えていく。
「何も見てない何も見てない何も見てない……」
呟き続けるメロの傍らで、ふとシャルは思うことがある。
――今、自分が見たことに、何か重要な意味があるのではないかと。
あの幽霊は、もしかして敵ではないのかもしれない。どころか、むしろ味方である可能性はないだろうか。そんな思考が脳裡をよぎった。
確証なんてない。それはほとんど直感だった。けれど、どうしてだろう。そう外してはいないような気がする。
シャルは傍らの天災に声をかける。
「――ねえ、メロ」
「何も何も何も……えっ、あ、ごめん。何?」
「……あの幽霊、追いかけてみるのはどうだろう?」
「~~~~~~~~っ!?」
言葉にならない奇声を発し、メロの顔面が蒼白になった。
その反応を、シャルは肯定と受け取って歩き出す。
どうやら、ふたりの冒険は、もうちょっとだけ続くらしい――。
まだ続きます(短編とは)。
 




