S-01『オーステリア学院文化祭』
今日は年に一度のオーステリア学院文化祭の日。
この日のために、学院生たちはさまざまな出し物や展示の準備を進めてきました。
アスタくんの所属するクラスもそれは同じ。得意のルーン魔術を使って、彼は占いをやるつもりのようです。
「……ん? あれ、なんかおかしくね?」
「えっと……何がです?」
ふと呟いたアスタくん。隣にいたピトスさんが、不思議そうに首を傾げました。
もうすぐ始まりの時間だというのに。いったいどうしたというのでしょう。
「よくわかんないんだけど。なんかこう、もう少し脳筋的なイベントだった気が。文化祭っていうより、体育祭的なイベントじゃなかったっけ、この学院」
「なんの話ですか?」
「いや……気のせいだと思う。平行世界の電波でも受信したかな」
意味不明な台詞を呟くアスタくん。正直ドン引きのピトスさんでしたが、そこは学院の黒い天使と呼ばれる彼女のことです。持ち前のスルー性能を発揮して、アスタくんの妄言をいつも通り封殺しておきました。
「緊張してるんですか?」
「そうなのかな。そんなつもりないけど」
「そういうときは、手のひらを見ながらわたしの顔を思い浮かべて、三回舐めるといいらしいですよ」
「へえ、なるほ……いやちょっと待っておかしくね?」
どちらも大概でした。しかし残念、突っ込む人間はどこにもいません。
さておき、学院祭の出し物のお話です。クラスで行う演劇では、役どころか居場所さえ貰えなかったアスタくん。仕方なく占いをやることになりましたが、あまり乗り気ではありません。
だって人前で話すとか無理ですから。
唯一、手伝ってくれるピトスさんがいなければ、今頃は自室に引き籠もって恍惚の表情で煙草を喫んでいたことでしょう。危ない。
「ともあれ、段取りの確認をしておこうか」
アスタくんが言います。そう、今回の占いの館は、ピトスさんとのふたり体制で行うのです。
なぜならアスタくん、ルーンを使った占いは得意な悟り世代でありながら、いかんせんコミュニケーション能力が著しく欠如したゆとり世代でもありました。初対面の人間と顔を合わせて話すなんて高等技能、アスタくんには備わっていないのです。
そこで考え出した裏技が、何を隠そう、二人羽織りでした。
それっぽい外套をふたりで着込み、顔はピトスさんが出してお客さんに応対し、占い自体はアスタくんがやる――という考えです。
元より、占いに来るお客さんといえば女の子が主です。目つきの悪いアスタくんのような男では、せっかくのお客さんにも警戒心を与えてしまいます。
かといって、二人羽織りに至る思考回路は意味不明でしたが。
「……今さらだけど、これ大丈夫か? できると思う?」
不安に苛まれるアスタくん。そんな彼に、ピトスさんは笑顔でこう言います。
「大丈夫大丈夫できるできる諦めなければなんくるないさー」
「わあ、不安ー」
実際、その不安は的中します。
ひとり目のお客さんが訪れました。
「あのあのあのあのあの。占いの館って、ここここここですか……?」
最初のお客さんは、物凄くやつれた顔をした女性でした。同僚に先を越され続け、いつしか三十路近くまで独身を貫いてしまった、気苦労の堪えないOLを彷彿とさせます。
が、ピトスさんは持ち前のいい笑顔で迎えます。いつでも笑顔を作れるのが、ピトスさんのいいところでした。モノは言いようなのです。
「いらっしゃいませ! どうぞ、お掛けください」
「はい……失礼失礼失礼します……」
「ではまずお名前からお伺いしますね」
「……名前ですか」
「あ、匿名希望なら偽名でも構いませんよ」
「えっと……」
お客さんは答えました。
「では、《水星》と」
あれマジかそう来るかー。アスタくんは思いますが無言。
だって初対面ですしお客さんですし。
「占いネーム《水星》さんですね。わっかりました!」
「占いネーム」
「はい、占いネームです。占いに使うネームなので占いネームです」
謎のタームに引っかかりを覚える《水星》さん。ピトスさんは笑顔でゴリ押します。
「ではでは、今日は何を占いましょう?」
「……実はですね。私、いわゆるいわゆる多重人格でして……」
いきなり痛いヒトでした。アスタくんとピトスさん、揃って周章狼狽です。
――この人は何を言っているんだろう。
もちろん、仮にもお客さんに失礼なことは言えません。流します。
「それは大変ですねっ!」
「ええ。それで、実は最近、私の裏人格が勝手に勝手に暴走することがあるんですけど」
知らねえよ。と思っても言葉にしないのが社会というものです。
「なんか、知らないところでヘンなコトとか妙なコトとか悪いコトとかしてるみたいで」
「そうなんですかあー」
「知らないうちにショタコン疑惑が湧いていたり、知らない人から『鍛えられた胸板に興奮するって本当ですか?』とか訊かれたり、もうなんか大変で大変で大変で。私のクリーンでクールな淑女イメージが壊れています」
「大変ですねえー」
「ですからですからですから、どうしたらいいのか相談に乗ってもらおうと思いまして」
「ところでここ別に人生相談所じゃ――」
辛抱堪らず言いかけたピトスさんを、外套の裏のアスタくんが必死に止めます。
いいから。このヒト一応、お客さんだから。適当に話を合わせよう?
そんなようなことが言いたいのでしょう。それができないって言うから代わってんだろコミュ下手が、とピトスさんは思いますが、口にはしませんでした。
言ったら泣きます、この男は。
「わかりました! では、占わせていただきますね」
言うなりピトスさん、というかアスタくん(の手)が、テーブルの上に袋を置きます。
その動きは、はっきり言ってかなり不自然でした。そう簡単に、ばれない二人羽織りなんてできないのです。占いネーム《水星》さんが首を傾げます。
ピトスさんは誤魔化しました。
「この袋の中に、いくつかの石が入っています。ふたつ選んで引き抜いてみてください。そこに刻まれたルーン文字が、あなたの未来を予言します」
作法ガン無視、超絶手抜き占いです。校庭から小石を拾ってきて、彫刻刀で文字を刻み込み、袋にぶち込んだだけのお手軽作業。費用はゼロです。全国のルーン占い師さんごめんなさい。
さいわい、《水星》さんは特に疑問を抱かなかったようです。言われた通り、素直に石を引き抜きます。
テーブルの上に、《水星》さんの選んだ小石が置かれました。
「これは……《秘密》と、《人間》のルーンですね」
わざわざ口に出したのは、視界を塞がれたアスタくんに文字を伝えるためです。一応、文字だけは暗記したピトスさんですが、それでアスタくんのように占いができるわけではありません。そもそも信じていません。血液型で性格決まるんですか、はっ。と思っています。
ピトスさんは、そこでテーブルの上に置かれていた木魚を、ぽーんと一度鳴らします。雰囲気作り、というか、その隙にアスタくんから解釈を聞くためです。
お客さんが木魚に気を取られた瞬間、アスタくんが小声で早口に伝えます。
「チームワーク。だいじ。さもないとバラバラ」
適当でした。仕方ないのです。長々話すとばれるからです。
本当は「多重人格とはいえ相手も一個の人格として尊重し仲良くすることが大事なのです。いろいろなハプニングが起こることもありますが、それぞれの長所を上手く折り合わせていけば乗り越えることもできるでしょう。逆にもし不和が生じては、裏切りによる損失を今以上に被ることでしょう」くらいのことは言えたのですが。それも大概ですけれど。
あとはもう、ピトスさんのアドリブに任せるしかありません。
ですがアスタくんは心配していませんでした。彼女なら、きっと自分の意志を汲み取ってくれると信じています。
ピトスさんは言いました。
「まずはあなたが主人格として、きっちり上下関係を作らないといけませんね!」
駄目でした。
「上下関係……ですか?」
「ええ。舐められてるからそういう事態が起こるんです。一度、誰が主人格なのか肉体に、もとい精神に叩き込んでやらなければなりません」
ラジオかよ、とアスタくんは心中だけで突っ込みます。
「教育しましょう。調教しましょう。躾は全ての基本ですから!」
「教育……調教……躾……。私が……」
「大丈夫です」
ピトスさんは微笑みました。
「――痛みって、記憶に残るものですよ」
※
「完っ璧でしたね! いやー、いい仕事したー!」
ご満悦のピトスさん。すでに占いネーム《水星》さんはご帰還です。
なんだか虚ろな瞳を揺らして、ぶつぶつ「痛み……教え込む……うふふふふふふ」などと呟いていました。
完っ璧に駄目でした。
「いいことするって素晴らしいですね! なんかわたし、こう、ぞくぞく……じゃない、そう、わくわくしてきました! 占いって楽しいですね!!」
「……ソウダネ」
校舎の外からは、お祭りの喧騒が響いてきます。
校庭で行われているイベントに、飛び入り参加で小柄な女の子が参加したようです。なんだか有名人らしいです。《魔弾の海》と呼ばれる、世界最強のドッジボール選手の弟子らしいです。校庭で開催されているドッジボール大会に、ゲストとして呼ばれたのだとか。会場の盛り上がりは最高潮でした。ヒトが宙を舞うほどに。
その賑わいが、あるいは影響したのでしょうか。
校舎の端の占いの館に、二番目のお客さんが現れたのです。
「あのぅ……う、占いの館って、ここですか……?」
二番目のお客さんは、転入生の女の子でした。アスタくんと同じくコミュニケーションが苦手で、話せる相手といえば同じ人見知りのアスタくんだけです。
今回は、その彼が占いやっていると聞いたため、勇気を振り絞って訪れたのです。
ですが生憎、アスタくんの姿はローブの中。彼女からでは見えません。
根っからのコミュ下手です。ピトスさんの顔を見るや否や固まり、呼吸さえ止まりかねないほどでした。自律神経。
「いらっしゃいませ。占いの館へようこそ!」
「ぴぷぺぽ」
笑顔を振り撒くピトスさんに、少女は謎の言語を返しました。ぱないです。
「家内安全、学業成就。なんでもござれの占い屋敷。さて、まずは占いネームをお伺いします」
占い師というより、祈祷師みたいな物言いのピトスさんです。あるいは通販。「いや違うだろ」とアスタくんが合図を出します。
ピトスさんが、羽織りの裏側でVサインを作ります。
まるで伝わりませんでした。このふたり、合図を決めていなかったのです。ばかです。
「あのそのえっと……名前?」
「いや名前は知ってますので。占いネームです。さあ! 名乗って! 大丈夫、なんでもいいですよ!」
「……ね、《鼠妹》です」
テンパりながらも、なんとか答える《鼠妹》さん。明らかにいっぱいいっぱいでした。
しかし、そこはスルーの悪魔、もとい天使のピトスさん。咄嗟に機転を利かせると、ナイスなトークでお客を巧みに誘導します。詐欺です。
「では、どのコースにしますか?」
「は、はい……?」
「なるほど、わかりました!」
何も言っていませんが。
「恋愛相談ですねっ!」
「れれれれれれれれれれ」
狼狽する《鼠妹》さん。箒があったら掃きたい気分。しかしふと思い直します。
アスタくんがいないのなら、確かに悪くない選択肢だと思ったからです。思い人のアスタくんとの相性を、占ってもらうのもいいでしょう。
実はこの場に思い人がいて、なかなか絶妙な人選になっていることは誰も知りませんでした。
誰も知らない以上、問題にはならないのです。存在しないのと同じです。
暗幕で仕切られ、お香が焚かれ、クロスの敷かれた丸テーブルを挟んだふたり(三人)。
無駄に怪しい雰囲気を醸し出す部屋の中で、恋愛占いが始まります。
「じ、実は……私、そのっ」
顔を真っ赤にして口火を切る《鼠妹》さん。同性とはいえ顔見知りであるピトスさんに、この手の話をするのは難しい様子。
一方のピトスさん。こちらは実にいい笑顔です。
他人の恋愛話は、悪魔の主食なのです。間違いました。乙女です。
「好きな人がいるんですねっ!」
「……あぅ。はい……」
消え入りそうな声で頷く《鼠妹》さんでした。いや乙女ですね。誰かさんよりは。
がたり、と羽織りの裏側にいるアスタくんが狼狽えました。ピトスさん的には、意味もなくかなりイラっとします。
ですが今は占いの天使。エンジェルピトス。決して表情には出しません。
「ちなみに、どこのどなたなんです?」
占いでそんなことを訊く必要はありませんでした。完全に野次馬根性です。
羽織りの裏で、ピトスさんのスタンドプレーを止めようとするアスタくんですが、足を踏まれて黙りました。藪を突く必要はありません。学習ですね。
もちろんガタガタもぞもぞと蠢いているピトスさんを、《鼠妹》さんは怪訝に見つめます。
「あの……どうかしたんですか?」
「いいえ? 別に? 何かありましたか」
満面の笑みで誤魔化すピトスさんです。いい笑顔を見せておけば、たいていのことは有耶無耶にできると彼女は知っているのです。
天使ですからね。笑えばいいと思います。
「そんなことより、ほらほら! どんなヒトなんですかー?」
ノリノリです。《鼠妹》さんは湯気を放ちながら答えます。
「そ、その……普段は死んだ魚みたいな目をしてて、口が悪くて、なんか特徴のない顔をしてるんですけど……」
「ひとつも褒めてないですけど大丈夫ですか?」
「で、あと喫煙者で。いつも煙草を吸ってて……でもあんまりお金は持ってなくて」
「かなりクソ野郎な感じしてますけど。あってますか? これ好きなヒトの話してますよね?」
「あっ、でも、たまに……その、優しいところもあって! 困ってるときに助けてくれたりとかするんですよっ?」
「弱味につけ込まれてるだけではー。いいように使われてるだけなのではー」
「て、転入してきたばっかりで困ってたときに、その、いろいろと相談に乗ってくれて!」
「あーもうそれ完全に計画的犯行ですねーやばいですねード外道ですねー」
ピトスさんはすでに興味を失っています。というかもう、誰なのかわかっていました。わからないわけがありませんでした。面白みゼロです。
一方のアスタくんは、外套の中で「誰のことだ……?」とか考えています。痛い目見ればいいんですよ、こういう男は。
「では占いましょっかー。袋をどうぞー」
《鼠妹》さんが引いたのは、《財産》と《豊穣》のルーン。
すでに興味皆無になったピトスさん。物凄い投げやりな手つきで、しかし若干の苛立ちを込めて木魚を引っ叩きます。ひびが入りました。腕力。
「地道に。時間かけて。そうすれば――」
解釈を伝えるアスタくん。
ピトスさんは聞いていませんでした。
「ふむふむ! このまま行けば、成就する可能性は低くないですねっ!」
「ほ――本当ですかっ! えへへ……」
所詮は占いですが、こう言われては嬉しくないはずもありません。
けれど、話は終わりじゃありませんでした。ピトスさん、指を立て神妙な表情で、
「しかし! 本当にそれでいいんですか?」
「えっ……?」
「その男と付き合っても、あなたが幸せになれるとは限りませんよっ!」
デビルがいます。
「そ、そうなんですか……?」
「ええ。そいつ完全にカラダ目当てですよ。ロクな男じゃないです。悪いことは言いません。距離を取りましょう」
この脅迫的な誘導。まさに詐欺師の手法ですね。さすが。
良心が咎めたりしないのでしょうか。
「で、で、でも――」
わたわたと、慌てふためく《鼠妹》さん。さすがに、ここまで真に受けられると、ピトスさんにも一抹の罪悪感が芽生えます。
デビルの心に嗚呼、ようやくひと筋、エンジェルの兆し。
「……いえ。言いすぎました。それでもこの道を進むというのなら、その覚悟もいいでしょう。そこにはきっと真実の愛があるとわたしは思います」
「――――っ!?」
再び顔真っ赤の《鼠妹》さん。純情ですね。エンジェル見習いましょう。
見習いません。ピトスさんはアスタくんを蹴ります。
「なんで!?」
小声で叫ぶアスタくんでした。うるさい喋るな。
「きっと面倒臭い男ですから。その道を行くというのなら、覚悟を決めることをお勧めします」
占いというか、もう単に本心を語るピトスさん。
何が琴線に触れたのか。《鼠妹》さんは、わずかに瞳を滲ませて言います。
「……ありがとうございました! すっごく参考になりました!」
「えっ」
「いい方なんですね、ピトスさんって! 私、誤解してました!」
「えっ」
手を握られてしまいます。
「ピトスさんのこと、みんなが『こわい』とか『腹黒い』とか『ウェリウスくんより何か企んでそう』とか言うじゃないですか! ひどいですよね! 周りから理解されない気持ち、私も少しわかります!」
「……とりあえず、それ言った奴あとで教えてもらっていいですかね?」
天使の名簿を作るのです。
「本当にありがとうございましたっ!」
心からの笑みで、《鼠妹》さんは占いの館をあとにします。
残されたふたりは少し呆然。アスタくんが、ピトスさんにこう訊ねます。
「……ところでピトス。もしかして、あいつが好きな奴のこと、知ってんのか……?」
「なんですか気になるんですか聞きたいんですか」
「え? あ、えっと、いや別にそういうわけじゃないけど――」
「刺されろ」
「目っ!?」
眼球を押さえて、アスタくんは蹲ります。
何をされたのかは、まあ、推して知るべしということで。
※
――お昼を回りました。
占いの館に、今はアスタくんひとりです。保険委員に所属するピトスさんは、「急に呼び出されてしまいました!」と慌しく出て行ってしまったのです。
なんでもドッジボール大会で、飛び入り参加の少女が校庭に巨大クレーターを作成し、その余波で怪我人が多数出たとか出ないとか。そんなお話でした。言うなれば天災一過ですか。
まさかそんな馬鹿な。と、アスタくんは聞かなかったことにします。問題は知らなければ以下略。
というわけでひとりです。言い換えればソロです。
コミュ障のアスタくんでは、この状況で営業を続けることはできません。知り合いが出している店のコーヒーを啜りながら、開店休業状態でした。
と、そんなときです。
またしても、ひとりのお客さんが姿を現したのです。三人目です。
「――何。もうおしまいだった?」
レヴィさんでした。アスタくんのクラスで行う演劇において、主役の王子を務めています。
なぜか姫ではなく王子です。誰ひとり、なんの違和感も抱かなかったそうです。
「……お疲れ。そっちはもう済んだのか?」
「午前の公演はね。今は休憩中。また午後になったら戻るわよ」
「なんでここに……?」
「どうも人目が多くってね」
レヴィさんは苦笑します。人気者の彼女は、アスタくんと違い注目を集めます。
「だから、ひと気がないほうに来ようかと思ってね」
「言ってくれる……」
「いいじゃない。少し休憩させなさいよ」
どかりと座り込むレヴィさんでした。別段、アスタくんも追い出そうとは考えていません。
その程度には、気安い仲を築いています。アスタくんがまともに話せる、数少ない相手なのですから。
レヴィさんが訊きました。
「どう、首尾は?」
「……いや、どうなんだろうな……」
「何? 失敗でもしたの?」
失敗というなら、おそらく始める前から失敗していました。
もうどうでもいいという感じです。
「暇だし、なんなら占ってやろうか?」
「……そうね。暇潰しくらいにはなるだろうし」
「一から十まで失礼だな」
そんなことを言い合いながら苦笑して、アスタくんはレヴィさんに袋を手渡します。
受け取ったレヴィさん。中からひとつを取り出して、それをアスタくんに渡そうとしますが――そこで。
「あ――」
「……何よ」
「ああ。いや――なんでも」
不意に、ふたりの手が触れ合います。
ほんのわずかな接触。気にするようなことでもないのに、思わず硬直するアスタくん。
しばしの間、無言だけが流れていきました。なんとも言いがたい雰囲気です。
正直、堪えられませんでした。
「……ああもう、やめやめ!」
レヴィさんが叫びます。少しほっとするアスタくん。
「そもそも占いなんて柄じゃないし。そういうの信じてないのよね」
「……そうなのか?」
「というか、仮に当たるのもそれはそれで。未来のことなんてさ、知らないほうがいいこともあると思わない?」
「まあ、そうだな」
何もかもわかっていたとすれば、それはそれで面白くないでしょう。
不確かだからこそ、素晴らしい未来もあるはずです。
占いなんて、結局は単なる参考程度でしかないのですから。解釈は個々人次第です。
と、そんなようなことを考えていたときです。
ふと入口の布が揺れ、新しいお客さんが入ってきました。
すぐに場所をずれるレヴィさん。ですが、入ってきた顔を見て動きを止めます。
「……先生?」
「レヴィさん。奇遇だね」
酷くやつれた表情をした、行かず後家みたいな先生でした。目の下に隈を作り、「あんま寝てないわー」という感じです。たぶん事実です。
おそるおそる、アスタくんは訊ねます。まさか仮眠に来たということはないと思いますが。
「……その。どうか、した……?」
「うん。実はその――占ってもらおうと思って?」
「いいけど……」
意外な申し出でした。レヴィさんが言います。
「占いネームは」
「《狼》です」
あれ、もしかして流行ってんの、それ? アスタくんは首を傾げます。
が、気にしないことにして《狼》先生に訊ねました。
「何を?」
《狼》先生は言います。
「ほら、私もそろそろ、いい年でしょ?」
「……えっと」
「周りは『ゴールインしました(幸せ)』とか言って手紙寄越してくるし、いつもいつも祝儀持って行くたびに『そのうち出会いがあるよ(優越感)』とか言われるのすごいアレだし、後輩は後輩で『センパイはマジぱないっすから半端な男じゃあれっすよマジあれ(焦り)』とか意味不明だし! こないだなんかマイア先輩が『なんでモテないんだろうね(失笑)』とか平然と言うしっつーかあのヒトも独り身じゃん! みたいな! 私だって考えてるみたいな! な!?」
「……………………」
飢えていました。今宵、《狼》は血に飢えています。
餓狼です。婚活系餓狼なのでした。
「というわけで」
《狼》先生は言います(二回目)。
「――私の結婚運を占ってもらえないかな!?」
アスタくんは、レヴィさんと視線を合わせました。
互いに頷きます。咄嗟にレヴィさんの手を掴むアスタくんでした。
このとき、ふたりの心はひとつだったのです。
「……私、午後の公」「逃がすか」
主に、互いが互いを売ろうとしているという点において。
わかるはずもなかったのです。
濁った笑みのアラサーに、果たしてどんな言葉をかけられるのか。占いは、そんなことを教えてはくれません。
ルーンなんて無力です。ただの文字です。なんの魔力もありません。
奇しくも先ほど、ふたりが話していた通りでした。
未来なんて、知らないほうがいいこともある。
知るべきがあるとすれば、せいぜいひとつくらいでした。少なくともふたりにとっては。
すなわち、
――どうすればいいの、この状況。
もちろん誰にもわかりません。占いって無力ですね。
おあとがよろしいようで。




