1-09『オーステリア迷宮区』
ある男の話をしよう。
そいつは名を、アスタ=プレイアスという。
※
――俺はこの世界の人間ではない。
なんて主張をしたら、俺はきっと脳の魔力汚染を疑われることだろう。
だから、この話はほとんどしたことがない。別に取り立てて隠したいわけじゃなかったが、かといって、言い触らす意味も理由も特に思いつかなかった。
知っている人間は、ごくわずかに限られる。
その数少ないうちのひとりが、魔術師・アーサー=クリスファウストだった。
魔術の位階において最上位、《超越者》、《自己自身者》などと呼ばれる逸脱の果て。
――《魔法使い》。
世界にたった三人しか存在しない、全ての魔術師の頂きに立つ存在。
七星旅団が伝説ならば、魔法使いはもはや神話の領域だ。その実力はおそらく、旅団が全員で向かってなお及ばないレベルだろう。
魔法使いを擁するということは、その国が戦略兵器を得たというに等しい。
たとえるなら、核兵器みたいなものだった。
かつて、俺は地球という惑星にいた。
日本という国の、ごく一般的な家庭に生まれたアスタ――元の名を一ノ瀬明日多という――は、だがある日突然、なんの前触れもなく異世界に放り出されてしまう。
戦う能力どころか、働くための技能さえ満足に持たない、ただのガキが、異世界で独り生き延びることなど不可能だ。まして魔術などという脅威に晒されては、命を守ることさえ叶わない。
当たり前に行き場をなくし、当然に行き倒れた《明日多》は、けれど死の寸前で――妙なふたり組みに拾われた。
それが、のちに《明日多》の師となるアーサー=クリスファウストであり。
その弟子で、のちに明日多の義姉となるマイア=プレイアスだった。
自身を最強の魔術師と名乗る痛いオッサンと、その押し掛け弟子であるマイア。
そのふたりから、《明日多》は魔術を学んだ。乏しい才能を死ぬ気で磨き上げ、なんとか自身を守れるだけの実力を得て。
そして同時に、掛け替えのない仲間をも得ることになり――。
一ノ瀬明日多は、アスタ=プレイアスになった。
その頃はまだ、義姉と同じ姓を名乗ることを自らに許していた。
※
試術場での模擬戦が終わってから、だいたい二時間後。
俺は約束の通り、迷宮区の入口となる建物まで足を運んでいた。
正確には、ずっとこの場所で待っていた。
「……………………」
何本目かになる煙草を揉み消す。まったく味がしなかった。
気分は最悪のひと言だ。吐き出す紫煙といっしょに、なんだか気力まで消えていくような感覚がある。
可能なら、このまま俺も消え去ってしまいたい。
そう考える傍らで、そんな自棄さえ起こせない自分を自覚していた。
――ああ、やはり最悪だ。
あのあと、シャルとは二、三の言葉を交わした。
というより、俺が一方的に聞かされていた。
「一応、挨拶だけしておこうかと思って。同じパーティになることだしね」
と彼女は言った。そうでなければ、俺になど声をかけなかったということだろう。
「まあ、別に仲よくやろうとは言わないからさ。みんなの前では普通にしててよ。わたしもそうするし」
彼女の言葉が耳に入ってこない。
それでも、ただ言われるがままに頷いていた。
「迷宮には慣れてるんでしょ、キミは。わたしはほとんど入ったことないからさ。兄弟子として、格好いいトコ見せてくれると嬉しいな。――それじゃ」
言うだけ言って、返事を待たずにシャルは去って行く。
その背中を追うことなんてできなかった。そもそも、何を言うべきなのかもわからない。
彼女の言葉が本心なのかさえわからないし、だから俺も、どうするべきなのかがわからない。
何も――何ひとつわからないでいた。
「……あー。駄目だ。俺らしくない」
ぼやくように呟いて、俺はがしがしと頭を掻く。
考えてみれば、俺がシャルを相手に遠慮しなければならないことなんてひとつもないはずだ。確かにまあ面食らいはしたが、だからなんだという話だ。
無論、俺が魔法使いに師事していた過去は隠し通してもらわなければならない。ただ奴もまた同じ立場だという以上、安易にバラすような真似はしないだろう。
――ただの魔法使いなら自慢にもなるだろうに。
よりにもよって、ウチの師匠は指名手配中の賞金首ときたものだ。関係者だなんて、絶対誰にも知られたくなかった。
それはシャルだって同じのはずだ。たぶん。
「ったく、いったいなんのつもりだったのかね、あの女は……」
本当にただの挨拶のつもりなのだろうか。そもそもどこまで知っているのか。
何もかもが判然としない。そういう精神攻撃なのかとさえ思った。そうなら見事に嵌まったものだが。
というか、あのクソジジイに娘がいるなんて聞いてない。意図的に黙ってやがったのだろうか。
クソ師匠とは、実に二年近く行動を共にした。その間、娘は完全にほったらかしだったということになる。そんな父親だからこそ、彼女も怒ってはいないということなのか。
引っかかるのは、彼女が妹弟子と言ったところだ。姉弟子ではない。ということは、マイアや俺よりあとに師事したということになるのだろう。
……娘なのに? 時系列が合わないというか、何か奇妙な引っ掛かりがある。
セルエと一度、話がしたかった。義姉とは連絡がつかないため、何かを知っているとしたら、今頼れるのはセルエだけだ。
まあ、望み薄とは思うけれど。何もしないよりはマシだろう。
「本当、やってられんぜ……」
シャルに弱みを握られ、別の弱みをレヴィに握られ。
どうしてそんな嬉しくない板挟みの中で、俺は生きなければならないのだろう。
どうも神様は、俺のことが嫌いすぎるように思う。
「――待たせたみたいね」
噂をすれば、ではないが、そこでようやくレヴィが姿を現した。後ろにはピトスとウェリウス、そしてシャルの姿も見える。
全員が学院きっての優等生だけあって、揃って五分前に現れたらしい。お偉いものだ。
「んじゃ行くか」
俺は壁から背を離した。連れ立って歩く集団の、いちばん後ろに回る。
先頭をレヴィにして、五人でぞろぞろと建物の中に入った。
豪華な、煉瓦造りの建築物。俗に《組合会館》とも呼ばれる建物だ。
その運営母体は、正式名称を《迷宮管理組合》といい、迷宮に入る冒険者の管理を一手に担う王立の組織である。
冒険者に必須である許可証の発行から、迷宮で役立つ種々の道具の販売、宿泊施設や酒場の運営、果ては緊急事態に対処する魔術師の詰め合い所までが設置された、まさに冒険者のための施設。
国内にある迷宮の全てに支部が置かれており、その受付を経由しなければ迷宮に入ることはできない。建物が、迷宮の入口の正面を隠すように建てられるからだ。
俺たちは入口正面に位置する、迷宮受付に向かう。
担当者にそれぞれの《許可証》を提示して、立ち入りの許可を貰うのだ。
許可証は《魔晶》と呼ばれる宝玉の埋め込まれた金属板でできており、これには高度な魔術がかけられている。冒険者の身元と実力を証明するとともに、いざというときの命綱にもなる優れものだ。
当然、偽造は不可能である。許可証自体、元は迷宮から発掘された古代の技術を用いた魔術道具であるからだ。迷宮の遺産は全てが現代魔術では再現不可能なほど高度な魔術によって創り出されたものであり、だから迷宮由来の道具に冒険者は干渉できない。
というか、それができる人間なら、迷宮になど潜らずとも一生喰っていけると思う。
順番に並んで、受付へと許可証を提示する。
この許可証に刻まれたランク次第では、立ち入りを禁止される迷宮もあった。もちろん迷宮内で死のうが何が起ころうが自己責任ではあるが、かといって危険地帯に弱い魔術師をわざわざ入れてやる理由もない。
いちばん後ろに並び、俺は許可証を受付に提示する。
瞬間、担当者の女性の目が見開かれた。
この反応を見られたくないから、俺はわざわざ最後尾に並んだのだ。
「――結構です。どうぞお気をつけて」
やがて、担当の女性はそう言った。仕事だけあって、さすがに彼女も中身にいちいち言及はしない。
俺は真顔で、先を行く四人に駆け寄っていく。
こちらに気がついているのは、初めから知っているレヴィくらいのものだった。
シャルを見やるが、こちらはさきほどからずっと無言を貫いている。言っていた通り、これが彼女の《普通》なのだろう。
押し殺したような無表情で、ただレヴィたちのあとを歩いていた。
奥の間に設置された、巨大な魔術陣に五人で乗る。転移の術式が刻まれた石版で、対になるもうひとつの石版まで瞬間移動できるのだ。
これもまた、現代では再現不可能な古代技術の産物である。
上に乗り、代表してレヴィが起動のための魔力を入れる。瞬間、足元の幾何学的な陣が仄かに光を発し始めた。淡い白色の燐光が、俺たちの周囲を幻想的に包んでいく。
そして、視界が白に塗り潰された。
魔術による転移独特の浮遊感を味わいながら、俺たちは迷宮の入口へと辿り着く。
この感覚は、何回経験しても慣れなかった。
――オーステリア迷宮区。
既踏破迷宮。全三十層。地下施設型。踏破難度は中級相当。致死性の罠はなし。
そこまで危険度の高い迷宮ではないが、とはいえ油断は禁物だ。どんな弱い魔術であろうと、まともに食らえばヒトは死ぬ。
俺たちの目標は第十五層の突破。言い換えれば、第十六層への到達である。
ちなみに、コンスタントに中層まで突破できるパーティは、冒険者として充分にベテランと看做されることだろう。
難易度としては、それくらいだ。
ともあれ、考えごとは全て後回しに。
――冒険の時間が始まる。




