5話
山頂も間近のとある洞窟内を進みゆく一行。赤龍や水龍のときにも感じたこの雰囲気。白龍がいることは間違いないとオゴリは確信する。
指輪の件以来すっかり持ち前の明るさを取り戻したオロカだったが、流石に決戦を間近に控えては緊張を隠せない。
「オロカ、気を張りすぎですわ。油断は禁物ですけれど、それでは本番で力を発揮できません。さあ、深呼吸でもして」
「う、うん。はーあ、ふーう」
妹に対するこういった役回りは普段ならオゴリが務めるものだが、決戦前の興奮は彼も同様に感じており、いささか周りが見えにくくなっていたかもしれない。もっとも闘気を駆使する戦士にとって、適度に気を昂らせることは必ずしもマイナスの要素ではない。
ナティカはオロカへ投げかけた言葉からもわかるように、先二回の龍征伐と比べずいぶん余裕があるように見える。戦闘中後方へ控えるナティカには、前衛が崩れない限り危険は少ない。ペルティナの不在を補って余りあるほどに、オゴリの戦闘力への信頼が増しているのだろう。
アンブラの様子は全く変わらない。もっとも、アンブラについては普段の喜怒哀楽もオゴリにはよく分からない。ひょっとしたら彼も相応に緊張しているのかもしれないが、少なくも外見からはそれは見分けられない。
テルグスは龍よりもオロカとのことを引きずっているようだ。時折不安そうに彼の腕をギュッとつかんでくるオロカへ向ける表情は変わらず優しげであるが、そんな反応に舞い上がるオロカは、彼の笑顔の裏に垣間見える堅さに気付いていない。
オロカの魔術の師であった四人目の仲間も、『魅了』の初期においては同じような戸惑いを見せていた。歳の離れた少女へ向ける気持ちの変化。それは動揺するなという方が難しいものかもしれない。
もっともあれから数度あった戦闘時には、テルグスの動きに大きな影響は見られないようだった。その切り替えは流石に年の功といったところか。肝心の戦闘に差し支えないのであれば問題はない。心の整理は白龍戦の後にオロカと二人じっくりしてくれれば良い。
ふと、オゴリは思いつき尋ねる。
「テルグス、エクストリマスの領主殿からはあなたを案内人として紹介されたのだけど、龍との決戦にまで付き合ってもらって構わなかったのだろうか」
そう言った瞬間、余計なことを口にしたと後悔する。彼の実力や『魅了』の影響を見極める必要があったため、そのあたりをわざと曖昧なままにしてきたという経緯がある。彼の資質が色々な意味で申し分ないと判明した今、ここで引き返されては困る。
「流石にいまさら一人じゃ帰れねぇーよ。それに俺にも一応お目当てがあってよ」
「目当て?」
「ちょっとな、知人に作る防具のために龍の皮が欲しかったんだ」
拠点防衛を主な任務とする騎士とは異なり、冒険者は比較的軽くて動きやすく、それでいて仕立てによってはそれなりの強度を持つ革鎧を好む傾向が強い。龍の皮といえばその中でも最上級の素材で、加工は難しいが完成品はそれだけでひと財産といえるほどの高価なものとなる。王族や貴族、あるいは大事な知人への贈り物といったところだろうか。
「私もテルグスさんの作った鎧が欲しいな」
「……ああ、今回は先約済みだが機会があったらな」
「えへへ」
ぎゅっと腕をとってじゃれついてくるオロカに、もはやお馴染みの困ったような笑い顔を浮かべるテルグス。その表情はやはり隠しきれぬほどに重く、堅い。
もっとも、これだけオロカのことを意識してくれているのなら、盾役としては存分な働きを見せてくれることだろう。戦闘時にしっかり切り替えてくることも確認している。問題は何もない。そう、オゴリは自分に言い聞かせる。
***
この世界には七頭の龍がいると言われていた。破壊織り成す赤龍、再生もたらす水龍、生命育む地龍、死を導く暗黒龍、理を制す白龍、時を刻む緑龍、そしてすべての龍を総べる神龍。
それらの二つ名はあくまで人間が勝手につけたものに過ぎないし、そもそも神龍については実在さえ怪しまれているのだが、少なくとも赤龍と水龍についてはその二つ名がさほど的外れではないようにオゴリは感じていた。
赤龍と水龍はオゴリたちが倒し、地龍も今現在不在のため、現時点で存在する龍は四頭ということになる。
「ナティカはオロカたちに加護を、オロカはいつも通り機を見て大きいのを頼む」
今、勇者パーティーはそのうちの一頭、理を制すと言われる白龍を目の前にしている。肌にしびれるように感じる圧倒的な存在感。三度目とはいえ到底慣れるものではない。
オゴリがたった一人で龍の前に対峙し、オロカは後衛に控え、そのオロカを護るようにテルグスが傍に張り付き、アンブラはオロカの射線を邪魔せぬよう斜め前方に陣取りながら、龍の魔法攻撃や伏兵の存在を警戒する。ナティカは更に後方へ位置し、三人に支援の加護をかける。いつも通りの陣形だ。
本来、龍とは人が太刀打ちしようと考えるべきものではない。凡百の冒険者であればブレスの一吹きで全滅、アンブラやテルグスのように闘気を高度なレベルで使えれば多少は対抗するくらいのことはできるが、それも絶対的な持久力の差で長持ちしない。
結局、人間離れした闘気と体力を持ち、一対一で正面から龍を食い止めることのできるオゴリがいるからこそ成り立つ龍征伐なのだ。
≪問答無用で戦闘態勢ですか。随分と不躾なものですね≫
龍が脳に直接響くような言葉をかけてくる。その声は冷たく峻厳でありながら、どこか面白がるような人間臭さをともなっていて、問答無用で襲いかかってきた赤龍や、攻撃と再生を淡々と繰り返していた水龍との違いにオゴリは少し戸惑う。
「……お前に恨みはないが、その命断たせてもらう」
≪なんでも赤龍や水龍が既に卵に還されたとか。さて、いったい何を目的に我らを倒して回っているのでしょう≫
龍は死すると卵に還ると言われる。その卵の回収がオゴリたちの目的だが、『魅了』状態のテルグスはともかくアンブラの前であまり話題にしたいことではない。建て前としての説明はしてあるものの、どこで襤褸が出るかわからない。
「……御託はいい、覚悟を決めろ。オロカ!」
「うん、『青炎乱舞!』」
既に魔力を練り準備を整えていたオロカ。大剣鷲を一掃した大魔法が炸裂する。
≪あら、せっかちな。『水の盾』≫
しかし、火の魔法と相性の良い水の護りで、オロカの魔法は的確に防がれる。もっともこれはあくまであいさつ代わり。その隙にオゴリが闘気を全開に切りかかる。
「うぉーーーっ!」
≪『護』≫
龍は続くオゴリの攻撃にも即座に対応する。おそらく物理耐性を上げてきたのであろう。オゴリの全力の攻撃はその本来の威力を大きく削がれた。しかし、
(いける!)
多少なりともダメージが通るのならば、あとは持久戦で削るだけだ。そして白龍の余裕が消えたところでオロカの最大出力の魔法を叩き込む。ただその繰り返し。赤龍と水龍の戦いで確立した攻撃パターンが、これならば白龍にも通じそうだ。オゴリが手ごたえを感じた、その瞬間、
「後ろだ!」
突然、アンブラの叫び。慌てて確認すれば、いつぞやの白狐がまたしても後方から現れ魔術の熱線を浴びせてくる。
「ナィテカ!オロカ!」
後方からの奇襲を食らい慌てるオゴリ。しかし、最後方のナティカはいち早く『結界』を展開して難を避けている。オロカとテルグスは『姿隠しの指輪』の能力を発動したようだ。それと同時にオロカが巧妙に立ち位置を変えたことを『共鳴のピアス』から確認する。おそらくはテルグスの誘導だろう。
アンブラがナティカの元へと走る。狡猾な相手ではあるが、正面からあたればアンブラの手に余るような存在ではないだろう。
それにしても、龍らしからぬ搦め手を使ってくる。流石はルーンマスターの称号持ちということか。赤龍や水龍を倒したことも耳にしていたようだから、警戒されていたのかもしれない。しかし、ソードマスター・アンブラの存在が奴らにとっての誤算だったのだろう。この程度なら何とか対応しきれそうだ。そう安心したのもつかの間、今度は白龍が動く。
≪『封鎖』≫
周囲を包む光。予め準備されていたであろう魔法陣による、これは転移封じだろうか。罪人を裁く場などでよく用いられ、オゴリたちの召喚時にも張り巡らされていた記憶がある。逃亡防止の目的ということだろうが、白狐の攻撃に対応しきった現状はむしろ勇者パーティーの優勢。
白龍の意図が掴みきれずに戸惑っていると、不意に後方から『共鳴のピアス』の気配が迫る。オロカが走って……いや、飛んでくる?思わず振り向いたオゴリの胸に何かごつんと当たるもの。咄嗟に手を出して受け止めたそれは。
オロカの首だった。
「……え?」
呆けるオゴリ。なんだ、これは。兄であるオゴリともよく似た、白い肌に細面の繊細な顔立ち。その表情は何かに驚いたように固まっている。なんだ、これは。それは間違えようもなく、愛する妹、オロカの首だった。
ふと、彼の戦闘勘が迫りくる刃の気配を捉える。闘気を……しかし、彼の左耳と対の『共鳴のピアス』が、いまオゴリの手元にある。アンブラとの訓練で慣らされた条件反射が闘気の解放を許さない。
シュッ
何が起こっているのか全く理解できないまま、オゴリの首もまた、愛する妹と同様、その体から永遠に分かたれたのだった。