1話
召喚勇者オゴリは白龍征伐に挑もうとしていた。全幅の信頼を寄せる三人の仲間には何の不安もない。
ともに異世界より召喚され、魔術師としての才能を開花させた愛すべき妹オロカ。二人を召喚した張本人にして、今ではオゴリと互いに思いあう仲となった、ディメンス皇国の第三皇女ナティカ。そしてパーティーへの加入はつい三か月ほど前ながら、ソードマスターとしてその名を諸国に轟かせる剣士アンブラ。
龍征伐もこれで三度目。他の二人はともかくアンブラを仲間に加えてからは初となるが、彼が名声に違わぬ実力の持ち主であることはこの三か月で十分確認している。武技だけのことで言えばオゴリが教えられることも多い。
問題は案内人として領主から紹介された男、革職人テルグスのことだ。確かにこの地に精通したものの存在はありがたいが、彼についてどう評価したものかオゴリはいまだに判断しかねていた。歳は30半ばといったところか。アンブラとほぼ同年代で、オゴリたちとは倍近く離れている。
カストス王国最果ての街エクストリマスから白龍山へと連なる山道を進む一行。白龍を倒したら山の名前はどうするのか、などと益体もないことを考えつつ後ろを歩く妹と彼の会話に耳を傾ける。
「このあたりの魔獣は流石に強いんですね」
「おう、だからこそ良い皮や素材が取れるってもんだがな。こんな辺鄙な街に人がうじゃうじゃ寄ってくるのもその辺目当てのことだしよ。もっとも、勇者殿のおかげで普段と比べりゃずいぶん楽な道中だぜ」
「そうですね、兄さんが後れを取るなんてありえないことですし。でも、そういうテルグスさんもかなりの腕前なんですよね」
「へっ、ちっとばかし腕が立つっても、これほどお強いパーティーで何ができるかってもんだがよ。でもまあ、嬢ちゃんは魔法は強いけどちょっとほそっこ過ぎて危ういなぁ。もっと食った方がいいぞ」
オロカの細腕に軽く触れ、感触を確かめるテルグス。武骨な手にそぐわない繊細な装飾の指輪がやけに目を引く。他意はないのだろうが、その気安さには少々イラっとしたものを感じなくもない。もっとも当の妹はまんざらでもない様子で、
「でも、危なくなったらテルグスさんが助けてくれるんでしょう?」
「道案内に専念させてほしいところだがなぁ。まあ他でもない嬢ちゃんのためだ。白龍のもとに無事たどり着くまでせいぜい体張らせてもらうさ」
そう言ってポンと軽く頭に手を載せる男に、白皙の頬をほんのり赤く染めるオロカ。右耳のピアスをいじりながらもじもじする様子は愛らしいが、そのピアスはオゴリの左耳と対のものである。何とも複雑な気持ちがぬぐえないのだけれど、だからといって無粋な横槍を入れるつもりもない。
異世界に召喚された心細さが高じたためか、妹が以前から持っていた父親的存在への憧憬は、最近ますます強まってきている。同じ年上といってもアンブラのような鋭く寡黙なタイプはやや苦手にしているようだが、逆に陽気で抱擁力を感じさせ、何かと甘やかしてくれるテルグスのような大人は彼女にとって好みのタイプのど真ん中だった。
何がおかしいのか、こちらに意味ありげな視線を向けてくるナティカ。
「……なんだ」
「あら、なんでも」
そう言いながらもからかうような笑みは消えない。オロカとナティカの仲は決して悪いわけではなく、むしろ結託されれば色々な意味でオゴリの手におえない二人となってしまうのだが、常々妹を構いすぎる兄に対しては、やはり思うところもあったのだろう。そんな彼女にじろっと一瞥をくれていると、
「来たぞ」
アンブラが敵の存在を察知して注意を促す。常に周囲に気を配り張りつめている彼の感知力は異常の域だ。戦闘となれば無双を誇る勇者も、その点だけは彼に敵う気がしない。
そんなに終始緊張して疲れないのかと心配にもなるのだが、彼の用心深さはいささか過剰なほど徹底している。街では仲間たちとの同宿を避け、皆が寝静まった後も周囲を警戒してまわり、人通りの多い街道では常に少し離れた前方を歩きながら索敵を怠らない。
行動を別にすることも多いせいか、高名な彼が「あの」勇者パーティーに加わったこともまだ一般には知られていないほどだ。もっともお互いがそれぞれに名を成した存在である。いずれ遍く知れ渡るのも時間の問題だろうけれど、だからといってこちらからわざわざ喧伝して回る理由もない。
「数は?」
「森林狼が12頭だ」
「多いな……」
敵が少数であれば、それがどれほど強大であろうと力押しで突破可能な勇者パーティーだが、防御力の低い魔術師を抱えるため、多数の敵を相手取るには何かと苦労を強いられる。
「加護はオロカだけでよろしいかしら。テルグス殿は必要?」
「いや、こいつら相手なら問題ねぇ」
「それでは……『神の盾!』」
「よし、ナティカ。あとはいつも通り『結界』に引き籠っていてくれ」
ナティカの『結界』はオゴリでさえも傷一つつけること敵わない非常に強力なもののため、戦闘中に一切気を配ってやる必要がないのはありがたい。もっとも敵だけでなく自身の攻撃や加護さえ全く通さなくなるため、戦闘中は傍観に徹するしかないのだが。
「数が多い。そちらに流れた分はなんとかオロカをかばって耐えてくれるか」
「盾役は苦手なんだがなぁ。まあこいつらなら何とかなるだろう。こっちは気にせず存分にやってくれや」
なかなかの大言である。森林狼は各地で見られるありふれた魔獣とはいえ、この地のものはかなり大きくて頭も良い。それが十二頭ともなれば、今回の遠征で初めてのシビアな戦闘と言える。とはいえ、あらゆるダメージを半減させる『神の盾』の加護もあるからめったなことにはなるまい。逆にこの段階で彼の真価を確認できるのは僥倖と言えなくもない。
領主からの推薦だけあって、テルグスのこれまでの戦いぶりはオゴリやアンブラなどの一線級と比較してもまずは無難なものといえた。だが、本当に強大な敵と対したときにどうなるか。もちろん死んでほしいとは思っていないが、せめてオロカの盾となって散るくらいの働きは期待したいというのがオゴリの本音だ。
「よし、いくぞ。オロカ、やってくれ!」
「『炎の矢!』」
オロカの魔法が狼の一頭に突き刺さると同時にオゴリは敵の中心に飛び込み、闘気により相手の釘付けを試みる。しかし、三、四……足止めできたのはわずかに五頭。流石に強い。
オロカの魔法で倒したものを除いても後ろに通ったのが六頭。半分をアンブラが仕留めたとしてもまだ三頭が残る。早めにここを切り抜けてオロカのフォローに回らなければ。
「はぁっ!」
背中に流れる冷たいものを振り払うように愚直に敵に飛びかかり、当たるを幸いとなぎ散らす。召喚されてからわずか二年のオゴリ。着実に向上の兆しがあるとはいえ、アンブラのような磨き抜かれた技術はいまだ持ち合わせていない。
しかしそのスピードとパワーは人類の限界を超えて圧倒的。また彼の闘気はいかなる攻撃をも通さぬ不慣の鎧。その頑丈さを頼りに正面からぶち当たる、まさに力技と呼ぶしかない戦闘スタイルである。
「てぁーーーっ!」
五頭の狼を倒し切るのに一刻ほど。すぐさま振り返り後方を確認すると、すべては終わっていた。アンブラが急所をついて綺麗に三頭を仕留めているのは予想通り。しかしもう三頭は
「テルグスさん、凄いですっ!」
「ほんと、見事なものですわね……」
「いやぁ、皮の獣は相性いいのさ。そのかわり甲虫とかゴーレムとか堅いのは苦手なんだけどよ」
ぽりぽりと頭を掻き、照れくさそうにオロカとナティカの賞賛を受け入れるテルグス。あの巨大な森林狼を三頭とも首からきれいに両断とは。このような倒し方はオゴリはもちろんアンブラにさえ難しかろう。
レザーマスター。それは武技に優れた革職人のみが至りうる究極の境地の一つ。その刃はあらゆる獣の皮を断つという。話には聞いていたものの、所詮は生産職との侮りがあったのは否めない。まさかこれほどのものとは。
(彼ならば……)
オゴリはひとり思案する。