年に一度の絵手紙は、決してロマンスなんかじゃない
暑中見舞い……と言っていいのだろうか?
それとも絵手紙……というべきなのだろうか?
世間的にはもうすぐ夏休み……という時期に、毎年、一枚のはがきが届く。
はがきの宛名面に書かれているのは、住所と、私が結婚する前の旧姓だけ。
差出人の住所と氏名は書かれていない。
そして、通信面には花火の絵。印刷されたものではなくて、水彩絵の具を使って直接はがきに描き込まれている。
濃紺の空を背景に広がる大輪の菊の花のような花火の絵の時もある。
海面に映る花火の絵の時も。
去年は横浜のランドマークタワーの横、放射状に広がる万華鏡のような花火の絵だった。
描かれている絵は毎年異なる。
だけど、短い文面はいつも一緒。
「今年はここの花火を見に行こうと思います」
だた、これだけ。
ここと言われても、どこの花火を見に行くつもりなのか、具体的な日時や地名はない。
ランドマークタワーは有名だから、横浜の花火大会だとは分かるけれど。他のはがきは絵だけでは場所なんて分からない。
「……何を考えて、毎年飽きずに、こんなはがきを送って来るのかしらねぇ」
例えば……、何月何日に、どこどこの花火大会を見に行くつもりです。よかったら一緒に行きませんか? お返事お待ちしております……とか何とか書いてあれば、返事のしようもある。
……ああ、差出人の住所ははがきに書かれていないから、どのみち返事のしようもないんだけど。……分かっていても、私の返事は「行きません」なんだから、書いてあっても無意味かも。
毎年夏前に届く花火のはがきの差出人。
宛名が書かれていなくても、私には分かる。
美術系の大学に通っていた時の、初恋の人。
恋人になる前も、なった後も「彼」の絵を何度も見ていたから、描かれた絵を見れば、差出人の名がなくても「彼」のものだと分かる。
「彼」の絵は繊細で、美しくて。まず絵に惚れて、それから「彼」を好きになって。
私から告白をしてお付き合いを始めた。
付き合っていた期間は長くない。
わずかに三週間。
喧嘩をして別れたとかではない。
いきなり言われたのだ。
「親が事故で重体で。帰らないといけないけど、金がない。すまない、交通費を貸してくれ」
私は慌てて、そのとき財布に入っていた三万円を渡してしまった。
大丈夫なのだろうか。
一緒について行ったほうがいいのかな? でも、付き合い始めたばかりで、婚約とか将来の約束とかもしていない私がついて行ったって、ご家族にはご迷惑だろう……。
悶々としていたまま、一週間、二週間と時間が経過して……。
大丈夫かな? 心配だなと、電話をかけたところ……。
「現在、この電話番号は、使われておりません」というアナウンスが流れた……。
オカシイ。絶対に何かあった……。
不安になって「彼」が一人暮らしをしている部屋へと向かった。
そうしたら、窓にはカーテンもなく。
窓から中を覗いてみたら、家具も何もない状態。
隣の部屋のインターフォンを押して、聞いてみたら「引越ししたみたいですけど」という返事。
大学の学生課に突進してみたら「先週退学届を受理しましたよ」だ。
仮にも恋人関係だった私に。
何も言わず。
しかも、お金を借りたままで、消えた?
……これが現実ではなくて、ドラマだったら。
「きっと何かの事件に巻き込まれたんだわ!」なんて、失踪した恋人を探すストーリーが展開したことだろう。
でも、探すための方法も、残されたヒントも何もなかったし。ドラマみたいに手がかりや怪しい人物なんてのも、皆無だったし。
少しの間、私は茫然としていたけど。
呆然としたまま絵を描いて、淡々と美術学校を卒業して……、絵で食っていくことが出来ずに、実家に帰り、そこで親に紹介された会社に就職をした。
絵を描くこととは全く無関係な事務仕事。
絵は、たまに趣味で描く程度になり……、親が「結婚、結婚」とうるさく言うようになったので、絵よりも婚活に忙しくなっていった。
結局、結婚相談所に登録して、三十歳を目前に、まあ、この人でいいか、という相手と結婚して、子どもを産んだ。
そんなふうにしていれば、絵をかくこと自体ほとんどなくなったし、大学時代の恋人のことなんて、自然と忘れていった。
なのに。
娘が二歳になった頃、どうしてだか花火のはがきが届いたのだ。
それから毎年届けられる花火のはがき。
そう、毎年。
二歳だった娘がもう十八歳になって。成人式には赤やピンクの晴れ着ではなく、黒と緑のカッコイイ着物を着たいなどという年になったから……、ええと、十六年間。つまり、十六枚の花火のはがきが届いたことになる。
「この絵の場所を探して、会いに来い……とでも言っているのかしらね」
ハガキをひらひらと振りながら、ため息を吐く。
小説や漫画の主人公だったら、ハガキを手に、花火大会を駆け巡って「彼」を探すのだろうな。
でも、現実の私はもう、四捨五入したら五十歳のオバサンだ。
今の安定した生活を捨てて、昔の恋人に会いに行くなんて、馬鹿なことはしない。
「……っていうか、運よく出会えたとしても、お互いにお互いのことなんて見ても分からないだろうしねえ」
大学生のときの恋人。
今はお互いに五十近くのオジサンとオバサン。
これで出会って一目で「彼」だなんてわかるほうがおかしい。
ハガキが届くこと自体が奇跡のようなモノ……って、そうでもないか。
私は、大学卒業後、ずっと実家で暮らしている。親が住んでいた家を結婚を機にリフォームして、親と、私と、夫と、娘でそのままずーっと住んでいるのだ。調査会社とかに依頼すれば、それなりに調べられることだろう。調べられたとか思うとちょっと気持ちが悪いけど。
じっとハガキを見て、それで、はがきは食卓の上に放り投げた。
「考えるだけ無駄ね。さ、夕飯の準備でもするか」
今日は中華な気分なので、餃子を作る。昔は皮から作っていたけど、最近はめんどうになって、スーパーで餃子の皮を買ってくる。米粉入りの餃子の皮が結構好みだ。
具はあいびきのひき肉、キャベツとニラはみじん切り。そこにすりおろしたショウガを入れて、中華スープの素を入れる。入れたら、後はひたすら混ぜてこねる単純作業。
具が出来たら、それを皮で包む、包む、ひたすら包む。これまた単純作業。
料理をしていると、頭が空っぽになって、はがきのことなんて忘れてしまう。
はがきより、冷蔵庫にビールが入っているかどうかのほうが重要だ。
確認する。缶ビールが二本冷えている。
「ありゃ、足りない」
父と母、私と夫、そして娘で合計五本。つまり、三本追加。単純な計算。
餃子が焼き上がるまでには何とか冷えていることだろう。
餃子だけというのもちょっとさみしいので、冷蔵庫を物色。
「きゅうりとザーサイがある。切って混ぜて……、豆板醤を追加」
そのまま食べてもいいし、豆腐の上に乗っけてもいい。
「豆腐も出しておくか」
食卓の中央にホットプレートをデン! と置いて。
その周りに小皿を五枚に箸を人数分。小皿の横に、切った豆腐を入れた小鉢も置いておく。
そんな感じで、おおむね準備ができたところで「ただいまー、夕ご飯なにー」と言いながら、娘がリビングに入ってきた。
「わーお! 餃子だ! 食べる食べる!」
「リカコ、ビールは飲む?」
「おかーさん、あたしまだ十八歳」
「成人でしょ?」
「お酒は二十歳になってから!」
「あら、まあ」
ビールのない餃子なんて、人生損しているわ。
そう言ったら。
「おかーさーん……。あと二年待ってよ」
きちんと法律を守る娘は偉いわね、なんて、頭を撫でる。
言いながら、ホットプレートに餃子を並べ始める。そろそろ夫が帰って来るタイミング……と思ったら、予想通りドアが開いた音がした。
「ただいまー」
「あ、おとーさん。おかえりー」
「おお! 愛する娘よ! ただいま!」
郵便受けから取ってきてくれたらしいチラシを、食卓の空きスペースにバサッと置いて。
「おお! 餃子か! ビールが進む!」
結婚相談所経由で見合いの末の結婚だけど、夫と食の好みはすっごく合う。お互いに娘ラブなところもすっごく似ている。親馬鹿。まあいい。後悔はない。寧ろ自慢する。
「先に食べる? お風呂入る?」
「餃子を目の前にして食わないという選択肢はない!」
「あはははは! じゃあ、二人とも手を洗ってうがいして、それからおじーちゃんとおばーちゃん呼んできて」
「はーい!」
「僕は着替えてくる」
パタパタと走り出す娘と、その後をのんびりと階段を上がって二階の部屋に向かう夫。
……いきなりいなくなった昔の恋人を探しに行くなんて、そんな展開、私の人生にはないよ。
そう思いながら、餃子を焼く。
家族みんなで食べる餃子と、のど越し爽やかなビールは最高にしあわせである。
そんな日常を過ごして、季節は夏から秋になる。
花火のはがきなんて頭から抜けていき……。まあ、また来年別のはがきが届いたら思い出すだろうけど……。何て思いながら、サンマを焼いていた時。
「おかーさん。お手紙なんだけど」
「んんん? 誰から?」
「知らない人」
「ん?」
受け取って、開封してみたら、お通夜と葬儀の案内状だった。
生前の御厚誼に感謝申し上げここに通知させていただきます
通夜と葬儀は以下の通り執り行います
故 唐沢 誠一 儀 葬儀告別式
「あら……」
「おかーさん、知っている人?」
「毎年夏に、花火のはがきを送ってくる人」
「え⁉」
娘が大きな声を出した。
「あら、大きな声。どうしたの?」
「どうしたって……、花火のはがきって、差出人、書いてないじゃん!」
「そーねー」
そうか、葬儀か。
どうしようかな……。
「どうしてわかるの! おかーさん、娘は説明を要求します!」
「あら、じゃあ紅茶いれてちょうだい。冷蔵庫にチーズケーキがあるの」
「了解!」
娘がバタバタと準備している間にはがきを探す。
ええと……捨ててはいないので、どこかにあるはず……。
年賀状の間に挟まっていたのと、昔の手帳に挟まっていたり。しおり代わりに使って本に挟まっているのがあったり……。
娘が紅茶とケーキを用意してくれている間に何とか十六枚を集めることができた。
娘はしげしげとはがきを見る。
「やっぱり差出人の名前も何にもない。何で分かるのお母さん」
「そりゃあねえ。美術系大学で一緒だったもの。絵を見れば分かるわ」
「そーゆーもん?」
「そーゆーもんよ」
娘は納得がいかないような顔で、チーズケーキをパクリと食べる。
「じゃあ……、えっと、この唐沢誠一とかいう人って……、おかーさんの特別な人だったとか?」
昔の恋人ですなんて、恥ずかしくて、娘には言えないわねぇ……。
紅茶を一口飲んで、娘に告げる。
「親が事故で重体だからと、私から三万円借りていって」
「ふんふん?」
「そのまま行方をくらませた人よ」
「はあ⁉ 借りパク⁉」
「若者用語は分からないけど、借りたまんま、行方知らず。携帯電話も解約、大学は自主退学、住んでいたアパートからは引っ越し」
「うわ! それ、夜逃げ⁉ 借金取りにでも追われていたの⁉」
「さあねえ……。事情なんて、一切知らないわ」
「マジかー……」
もう一口紅茶を飲む。少し濃いめの味は、チーズケーキによく合うわ。
「なのにどういうわけか、リカコが二歳になったくらいの時から、花火のはがきを送って来るの」
「意味不明だねぇ……」
「ホントよ。住所が分かっているんだから、はがきなんて送ってこなくていいから、現金書留で借りたお金、送りなさいよと思う」
「……おかーさん」
そのまま黙ってチーズケーキを食べ終わり、紅茶も飲み終わった。
「無視してもいいんだけど、このままだと気持ち悪いから、お通夜にでも行ってくるわ」
行ったところで、ご本人様はお亡くなりになって棺桶の中だし。
どうして毎年花火のはがきを送って来るの?
なんて、問いかけても返事なんて当然ない。
ご家族の人とかなら、事情を知っているかしら?
そう思って、一応十六枚のはがきを持って通夜に参加。
そして……。
喪主……、元恋人の弟という人に、十六枚のはがきをぶん投げて帰ってきた。
あー……ムカつく! 馬鹿馬鹿しい!
「ただいま! リカコ、塩! お塩持ってきて!」
「おかーさんお帰り。お塩って? お清め?」
「最近の葬儀では、宗派によってはお塩くれないところもあるのっ! お祓い!」
「はいはい」
ワンタッチ開閉型の塩の入れ物。その蓋を乱雑に取り外して、手を突っ込んで塩を掴む。サラサラサラーなんて感じではなく、勢いよく体にかける。ついでに玄関のドアを開けて、盛大に塩をまき散らす。
「憑いて来てても拒否するわ! 二度と会いたくないわ! ふざけんな!」
怒鳴った。
憑いてきている……、付いてきているかな……か、どうかなんて分からないけど、怒鳴る。
そのままドスドスと足音を立てて、廊下を歩き、剥ぎ取るように喪服を脱いで床に叩きつける。お線香のにおいがしみ込んでいて気持ち悪い。つまんで持って、洗面所に行って、洗濯機に放り投げる。捨ててしまいたいところだけど、もったいない。おしゃれ着洗いコースでさっさと洗濯。
「リカコ! お茶入れてっ! お茶! あと何か食べ物あったらチョーだい!」
「はははははははい!」
手洗いしてうがいして、顔も洗顔料で洗っている間に、かわいい娘はお茶とお饅頭とお漬物を用意してくれていた。
完璧。
娘ラブ。
夫は二階にいたらしく「どーしたー」と言いながら、階段を降りてきた。
リカコが「あー、おとーさんの分も用意~」と立ち上がる。
「おかえり。どうした? 何かあった?」
「うん、まあ……食べながらしゃべるわ」
リカコが夫の分のお茶とお饅頭と箸を用意した。
「ありがとリカコ」
「おう! ちょうど饅頭が食べたい気分だった!」
私と夫の声が重なった。
……ホント夫とは食の趣味が合うというか、食べたいものとかいろんな気分が一緒だわ。
温かいお茶を飲んで、ふーっと息を吐く。
娘。夫。あったかいお茶。甘いお饅頭に、しょっぱいお漬物。
段々と気分が落ち着いてきた。
もう一度ふーと息を吐く。
「で? 何かあったのか? お通夜だったんだろ?」
「うん……」
話せるタイミングになってから聞いてくる夫。ありがたい。
「お通夜ね、唐沢誠一さん。リカコには言ったけど、大学生の時の知り合い」
恋人だったとは恥ずかしくて言えない。
だから、知り合いにしておく。
「ふんふん」
「すんごいきれいな絵を描く人だったのよ。それで、私この絵好きですって話しかけて、知り合いになって。で、しばらくしていきなり『親が危篤だから帰らないと。でも金がない。交通費を貸して』って言ってきて。慌てて貸したのが三万円」
「おお! 大学生にとっては大金」
「そーなの! でも、ヤツは、実家? に行ったまま帰ってこないわ、大学は自主退学するわ、住んでいたアパートからは引っ越すわで」
「おかーさん、借りパクされたってー」
「うわ! それ、夜逃げか⁉ 借金取りにでも追われていたのか⁉」
夫のセリフが娘とほぼ一緒。
「事情なんて知らないわ。三万円、帰ってこないことがムカついたけど、どうしようもないし。なのに、リカコが二歳になったあたりで、毎年花火のはがきが届くようになった」
「あー……、毎年来ていた差出人不明のはがき?」
「そう。絵を見れば、ヤツだと分かったけど、差出人の住所もないし、どうしようもないし」
「まあ、そうだよな」
「どうやって私の住所を探り当てたのか、分からなくて気持ちが悪いし」
「……大学生の時に教えたとか?」
「……大学の時の知り合いに、実家の住所教える?」
「ないなー……」
恋人同士だとしても、フツーないだろう。
「調べられたのかと思うと気持ち悪いし、毎年意味不明の絵を送ってくるのもわけ分かんないし」
「うんうん」
「そーだよな」
「お通夜なんて行っても無意味かと思ったけど、はがき十六枚、全部持って、行ってみたら……」
娘と夫が身を乗り出した。
「送ってきた理由、わかったのか?」
「ヤツの弟とかいう人が喪主でさ」
私はジト目になる。
「ヤツは病気になって、死ぬかもって思って、そのときに私のことを思いだしたんだってさ」
「は?」
「お金返さなきゃとか?」
私は首を横に振る。
「『兄はあなたと花火を見たかった。それが心残りだったんです』」
「は?」
「へ?」
娘と夫の目が点だ。
「大学生の時に、私から三万円借りて、その借金を返済しないまま死んだ男と、花火大会になんてのんきに行くわけないでしょう! って言ってやったわ!」
「わあ……」
「うわあ……」
「だいたいねぇ、一緒に行きたいのなら、まず金返せ! その上で、きちんと行きたい旨を直接言え! 思わせぶりに『今年はここの花火を見に行こうと思います』だけ書いて、私がいいですね私も行きたいですとでも思うと思ったか! 男のロマンチシズムにもリリカルにも付き合ってられるか!」
思いっきり怒鳴ったら、リカコが立ち上がって、私の皿の上に、お饅頭を追加した。
ありがとうよ娘よ!
ばくばくと二口で食べて、お茶をごっくんと飲む。
夫は、しばらく考えた後に、静かに言った。
「……その人、君のことがずっと好きだったとかなのかな」
「だったとしても、まず事情を説明して金返せ! それから言いたいことがあるなら直接話法で話せ! 察してヤローと化した五十のおっさんになんて、誰が付き合ってやるっていうのよ!」
「……うん。君のそういう現実的なところ、僕は好きだよ」
「あら、ありがと」
「おかーさんとおとーさん、らぶらぶ……?」
娘が首をかしげる。
「ラブかどうかは知らないけど、食の好みが一致して、意見がほぼほぼ合う夫は大事よ。アンタも結婚したいのなら、そういうパートナーを選びなさい」
「……そういうもんですか?」
「そういうもんよ。だから、オレの気持ちを分かってね、察してねなんて、思わせぶりに年に一回意味不明にはがきを送って来る男なんて、最悪まではいわないけど、人生の伴侶には不適格!」
何も言わず、理解しろ?
何も言わず、勝手に私の前から消えたのに、ずっと好きでいたんですって?
オレの気持ちは君には通じているよね?
離れていても、ずっと君のことを想っています?
ばーか!
美化してんじゃねえ!
思い出補正機能でもついているのか!
それとも青春小説の主人公でも気取ってんのか!
馬鹿馬鹿しい!
……そんな男を好きになって、居なくなったことに心を痛めて、いつかきっと私の元へ帰ってきてくれるわなんてヒロインぶってた二十歳代の私!
ヤツも私も大馬鹿でしょ!
しかも!
私、棺桶の中の死体を見てすぐ分かったし!
『……っていうか、運よく出会えたとしても、お互いにお互いのことなんて見ても分からないだろうしねえ』なんて、娘に言ったのに、見て、すぐに分かった!
三十年前に別れたっきりの元恋人。
死に顔を見て、ヤツだってすぐ実感した!
ああああああああああああもうっ!
何で分かるのかなあ、私!
どうして見知らぬおっさんが棺桶に入っているとか思わないのかなあ!
三十年間、ずっと、ヤツのことを想い続けていたみたいじゃないの!
悔しい。
悔しい。
ヤツがはがきなんて送って来るから!
毎年思い出していたから!
だから、死に顔を見てもすぐに分かったのかもしれないけど!
悔しい。
もう好きなんかじゃないのに!
二十歳くらいの時の恥ずかしい恋愛を、五十近くの今になって突き付けられているみたいで。
ホントーにムカつく!
これからも、ずっと、ヤツを偲んで生きるのか。
夏が来るたびに、そういえばそろそろ花火のはがきが来るかしらなんて胸を躍らせて?
ふざけんな!
キサマなど、さっさと記憶から削除してやるわ!
憤りつつ、漬物をぼりぼりむさぼる。
夫は静かにお茶を飲む。
「……なあ、夏になったら」
「うん?」
「お義父さんとお義母さんとリカコと君と僕の五人で花火を見に行こう」
「へ?」
「有料席、予約して、お義父さんとお義母さんの体力も考慮して」
「あ、おとーさん、それだったらホテルの花火の見える部屋、予約しようよ!」
「おお! 賢いぞ! それがいいか!」
「うん、だって、花火の有料席って高いじゃん! おじーちゃんとおばーちゃんのことを考えてリクライニングシート付きの席とかにするとお一人様二万円近くかかる」
「……それでもホテルのほうが高いけど、まあいいか」
さくさくさくと、娘と夫が段取りを付けていく。
ポカンと二人の様子を見ていた私に、夫はにっかり笑ってきた。
「はがきの花火の絵なんかより、もっときれいな実物を見に行こう」
「……記憶の上書きってこと?」
濃紺の空を背景に広がる大輪の菊の花のような花火。
海面に映る花火。
去年は横浜のランドマークタワーの横、放射状に広がる万華鏡のような花火。
描かれた絵なんかよりも、もっときれいな実際の花火を。
大切な家族と一緒に。
「……ビールを飲みながら、花火なんてちょっと素敵ね」
「だろう?」
きっと、花火を見るたび思い出す。
大学生の時の初恋。
十六枚のはがきの絵。
それでも、一生、思い出しても。思い続けても。胸が痛んでも。
あなたがいない、今の自分が……とても満足。
私は娘と夫と、しあわせに生きていく。
終わり




