にんじん高騰から始める小さな百姓論
突然だが、皆さんはにんじんをどのくらい食べるだろうか?
毎日食べるという人はさすがに稀かもしれない、しかし1週間で一度くらいは口にするのでは?と言われればそんな気がするという人は多いだろう。
いかにも前面に出てきてスポットライトを浴びるような活躍はしないかもしれないが、実際はあらゆる料理に使われるし、あの鮮やかなオレンジ色は彩りとしても重要だ。そんなにんじんだが、今じわじわと供給体制が不安定になりつつあることをご存じだろうか。
かつてにんじんの大産地は北から南まで各県に存在した。北海道はイメージ的にも有名だが、青森県も夏のにんじん生産地として長らく日本の台所を支えてきた。北海道と東北は7月から8月の需要に応えている。
少し南へ下がると千葉県と茨城県が大きな産地として地位を築いている。この2県は主として東京大都市圏への供給を賄う産地であり、3月末〜6月いっぱいくらいまでは関東産のにんじんはよく見かける。
西日本を見てみよう。西日本のニンジン産地と問われれば私は香川県と徳島県をあげる。この2県は主に京阪の大都市圏への供給を担う。ちょうど今くらいから始まりゴールデンウィークころまでは店先に並ぶにんじんは多くが四国で育ったものであろう。
九州なら長崎と佐賀が強いがわりと九州のにんじん事情は群雄割拠であるらしい。私は福岡から鹿児島までひととおり、栽培されたにんじんを仕入れた経験がある。
とまあそんなわけで日本各所ににんじん産地はあるのだが、近年あちこちの産地で生産が機能不全を起こしており、ここ5〜6年で供給が逼迫し始めている。
もっとも顕著なのはやはり北海道だろうか。にんじんはやや冷涼、乾燥した気候を好む植物であるため、夏に育てようと思えば涼しい地域で育てるしかない。だが、近年の環境変化で、北海道はもはや冷涼地としてのポジションを失いつつある。十勝か、あるいはもう少し南の函館あたりの6月の気候は、あえて言う。梅雨である。
もう一度言おう。現在北海道には梅雨が存在する。
かつて北海道には梅雨はないとされた。そしてその気候こそがにんじん産地を支える強い地盤だった。種をまき、地道に育てればちゃんと収穫ができる。それが北海道の強みだったのだ。
ところが今や、北海道には明確な梅雨の時期が発生するようになった。この梅雨はにんじんにとって大敵である。湿気が病気を呼び込み、とろけたように腐る軟腐病が毎年のように起きるようになったのだ。
時にもよりけりだが昨今、夏のにんじんの値段は大変なことになっている。8月など大きいわけでもないMサイズのにんじんが1本120円を超えることなど珍しくもない。
ちょっとカレーにとか、あるいは付け合わせに……と買おうとするとその値段にぎょっとすることもよくある。そしてその傾向は年々強まってきているのだ。
西日本や南日本も、決して安泰とは言い難い。
春なら春で菜種梅雨という、春の長雨が深刻な影響をもたらすからだ。
忘れもしない2021年春。コロナ騒ぎの裏でにんじんは幾度も供給が途絶えかけた。九州もの、大阪に引っ張られてダメ。香川徳島も東京までしか来ないのでダメ。すがるように飛びついた新潟県産も軟腐病まみれだった。
あの年、私はにんじんを仕入れるたびすべての箱を開いて腐れがないか探し、そしてあまりの腐れの多さにノイローゼになりかかっていた。
3箱仕入れて無事なのは1箱だけ。そんなことが普通だった。腐ったものは取り除いて、染み出た腐敗臭のする汁液を紙で一本一本ふき取って袋に詰める。非効率極まりないし、時折指がズブズブと入っていってしまうようなにんじんに出くわしたりして悲鳴をあげることもたくさんあった。
あの時を境に、だったと思う。にんじんが食えなくなる日が来るかも知れないとうっすらした予感を感じるようになったのは。
今、その予感は、当たりこそしていないものの、全く消えるということがない。
いつか、にんじんは誰でも食べられる野菜でなくなる……。
そんな思いが消えない。実際、物価上昇とはまた別の不自然なにんじんの慢性的高騰が発生している。2018年に1本あたり30円前後で推移していたMサイズのにんじんの値段は、現在1本65円から下がることは本当にまれになった。
2倍強の値上がり。これは資材や肥料、機械の高騰だけで説明がつかない。キャベツは1.5倍前後、ジャガイモもおなじく1.5倍、小松菜は1.2倍強……そうやって各種野菜の値上がり幅を並べたときに、にんじんは一般的によく使われる野菜でありながら明らかにほかの野菜より値上がり幅が多いのだ。
手間のかかる根野菜、ゴボウあたりをみても1.5倍を大きくは超えないし、おなじく設備に金がかかる長イモも、年によりけりとはいえ1.5倍を大きく上回ることは結局なかった。ならこのニンジンの高騰は、いったい何なのだ。
ここからは憶測を込みで話す。眉に唾をつけたい方はそうしてもらって構わない。
にんじんをはじめセリ科の野菜は、育てるにあたって繊細で七面倒臭い側面をもつ。
暑すぎる、寒すぎるのどちらも苦手で、肥料はわりと欲しがるくせに、ちょっと多く施すとすぐあげすぎになり腐ってとろける。かと思えば栽培期間は割合に長く、約120日間を要する品種が多い。120日間、つまり1年のほぼ1/3の期間を、暑すぎず寒すぎず、肥料もちょうどよい状態で保ち続けなければならない。
上記の条件を満たせる畑が今の日本にどのくらいあるだろうか。はっきり言う。肥料は努力するとしても、4カ月もの長期にわたりにんじんの要求に応えられる気候など、もう日本にはない。
だからにんじんの供給はこれからいくらでも難しくなるのだ。にんじんなんざ別に好きでもねーし必要ねーよという方もおられるかとは思うが、にんじんがだめになるということはその次があることを覚えておかねばならない。にんじんの次は、断言しよう、ジャガイモだ。
ジャガイモも高温には弱く低温でも育たないめんどうなやつである。3ヶ月で育ってくれるので今はまだ生産に深刻な影響はないが、3ヶ月で冬から一気に夏になるような気候になったらジャガイモもアウトである。ジャガイモの次もある。大豆などの豆類各種、豆の次はキャベツ、どんどんと手に入らないものが増えるだろう。
にんじんの不気味な高騰はその兆しなのだ。いよいよ日本の食糧供給網が破れる、その前の、ギシギシと軋む音の鳴り始めなのだ。
私の主張混じりで脅すようなことを言って大変申し訳ない。だが、そんな時代を迎えるとしても、ひとまず食糧供給の網を保つ方法はなくはない。
企業のように利益を追うような野菜の作り方でなく、なるべく小さな単位で、お小遣いになる程度の小さな食糧生産を日本全土で積み上げることだ。メインの収入は別にあっても構わないし、農家でメインの作物が別にある、でもいい。
サブの作物に、にんじんやジャガイモ、枝豆などこれから供給が難しくなる作物を1品目持つこと。これは特定の作物に1点特化しがちな大規模な豪農にはできない。家族経営の小さな農家でこそ成り立つ。
海外からバカにされるような、一見非効率的な小さな農家。しかし、利益は小さくてもよいとゆったり構えられるような体制は、そういう家族経営の農家にしか持てない。
それが他にはない機動力になる。足りないから今年はウチでちっと育ててみっか。が全国で何百と積み重なり、町単位、あるいは隣近所単位での供給体制が組めれば、大規模産地の作物の出来にやきもきしなくていいのだ。少なくとも家で食べるぶんについては供給が行き届くはずだ。
ちと小規模農家の将来展望について楽観的すぎるきらいはあると思う。だが暇庭はこの主張はまあまあ真剣に考えている。
なぜなら暇庭はお客様の、あれが足りないこれが足りないを聞いて解決した経験を持つからだ。漬物にしたくてハヤトウリをね……だの、ミニトマトでない中玉トマトが欲しくて……だの、傷ありでいいんだけど梅なんか育ててないかい暇庭?だの。
もちろんすべてに応えることはできない。だが出来ることは自分で思うより多かったのだ。ご所望ですか?育ててみます。で供給できる野菜は思ったよりたくさんある。育ててみます、今あるの持ってきてみます。を即断即決できる農業法人がどれほどあるだろうか?それこそ家族経営でなければできない芸当だ。そういう意味での脚の速さは、暇庭は速い自信がある。売り上げの高さで勝てないぶん、柔軟性と機動力で家族経営の農家は生きていける。まして兼業ならなおさら。
というわけで、にんじんをとっかかりにして、これから百姓ってこうすべきじゃね?という暇庭式食糧供給論を述べさせていただいた。
自画自賛で申し訳ないが、これは食の多様性を保ちながら農家の生きる道を用意できる良い方法だと思うのだ。メイン・サブの2品目家族経営。皆様の目には、どう映るだろうか。
農業法人になって生産体制の硬直化を引き起こした事例をいくつか知っているため、私は個人や家族経営の百姓につい贔屓目になる。規模は小さかろうが、日々食べるものを街の人に届けるのに生産規模のデカい小さいは関係ない。
儲けは大事だが企業のように血眼にならず、作中でもあったように、「ソレ食いたいの?作ってみるね」の判断の速さを武器に生きていく場所を見つけられる小規模生産者は多いはずだと、今でも信じている。




