9話 仲直り
馬車に揺られながら、頭の中で言葉を組み直していく。
(言語学者って言ってたのは嘘だったの?でも、なんでそんな嘘を?)
堪えきれず、視線を上げた。
「レオンさん、言語学者というのは嘘だったんですか?」
彼は少し驚いたようにまばたきをしてから、穏やかに笑った。
「いえ、本当ですよ。大学で言語学も教えています」
「でも総団長って、この国の軍事の最高責任者じゃないですか?」
「そうなりますね。ほとんどが事務仕事ですが」
彼は視線を窓の外にやり、夕日に染まる街並みに目を細める。
(そういえば、講義以外はほとんどが事務仕事だとかなんとか言っていた気がする。まさか総団長の仕事のことを指してたの?)
「で、でも、総団長だったらそう言いますよね?だって、それが本業じゃないんですか?」
「では、もし私が総団長だと名乗っていたら、ミナは日本語を教えてくれましたか?」
「それは⋯⋯」
(確かにそれなら絶対に断ってた⋯⋯けど)
「私は日本語にとても興味があるのです。どうしても研究したかった。それが私の夢にもつながっているのです」
「夢⋯⋯?」
「ええ。しかし、夢は話すと叶わないと言うでしょう。なので今は、ご勘弁を」
彼は少しだけ口元をゆるめたが、それ以上は語らない。
沈黙が車内を包む。馬車の車輪が石畳を刻む音が、やけに大きく響いた。
(分からないことが多すぎる。日本語を学ぶことが夢?この世界で私しか知らない言語なのに?
ルークって人も私のことを昔から知ってるみたいな口ぶりだった。いくらレオンさんの客人だとしても、ここまで過保護に護衛する必要ってあるのかな⋯⋯?)
屋敷に帰ると、メイドたちが笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。お二人で帰宅されたのですね」
あの後、半ば無理やり2人で買いに行った茶葉の包みをエラに渡すと、ほっとしたように微笑む。
「ティータイムの準備をいたしましょうか」
「いえ、今日はそんな気分じゃ──」
「ああ、頼むよ。ミナ、せっかくのいい天気なんです。一緒に楽しみましょう」
「ええ、ミナ様。とても気持ちのいいお天気ですし、紅茶がいっそう美味しく感じられそうでございます」
「⋯⋯わ、わかりました。少しだけなら」
中庭へ出ると、夕光に照らされた花々が薄桃色に透け、桜の並木を思わせる光景が広がっていた。
「わぁ、きれい」
思わず心の声が漏れ出していた。
「気に入っていただけて嬉しいです。機嫌は直していただけましたか?」
「私は別に怒っているわけじゃありません。ただ、本当のことを教えてもらえなかったせいで、少し不信感が生まれてしまっただけです」
「そうですね。これからはできる限り全てをお話しするよう努めます。それで、許してくれますか?」
静かな声でそう言うと、レオンさんはまっすぐこちらを見つめた。
(そんな目で見ないで⋯⋯何も言えなくなる。イケメンって得だな⋯⋯)
私は咄嗟に目を逸らした。
「や、約束していただけるなら」
「ありがとうございます」
その瞬間、レオンさんはそっと私の両手を取り、温もりのこもった手のひらで包み込んだ。次いで、自分の頬に触れさせるように優しく押し当てる。
一瞬で心臓が跳ね上がる。
「も、も、もう大丈夫ですから⋯⋯!そうだ!こ、こ、この花は⋯⋯なんという種類なんですか?」
早くなった胸の鼓動をごまかすように、私は慌てて話題を変えた。
「ミナは本当に可愛らしいですね。これは、ユリという花です」
見た目は桜に似ていおり、懐かしさを感じた。
「綺麗⋯⋯故郷の花によく似ています。でも、ユリという名前は少し不思議に感じます」
「不思議?」
「はい。私の国ではサクラと呼ぶんです。ユリはまた別の花を指します」
「そうだったのですね。では、サクラという名前に改名しましょうか?」
「ふふ、それもいいかもしれませんね」
私は冗談めかして笑った。
「この花は、私の先祖がこの国随一と名高い名匠を招き、共に作り出したものなのです」
「どうりで⋯⋯とても綺麗だと思いました」
レオンさんと話をしていると、エラさんが銀のトレイに紅茶とケーキを載せて運んできた。
香ばしい茶葉の芳醇な香りが、風にのって一帯に広がる。
湯気を立てる紅茶を一口。
「やっぱり、おいしい」
舌の上に、深い香りとやわらかな甘みがゆっくり広がり、張りつめていた心がすうっとほどけていくのを感じた。
「明日はなにか予定がありますか?」
レオンさんが穏やかに尋ねる。
「明日からは仕事なんです。引っ越しがあってバタバタするだろうからって今週末までは休みを取ってたんですけど」
明日のことを考えると少し憂鬱な気持ちになる。職場の人は嫌いじゃないが、仕事はやはり大変だ。
「ミナは仕事が好きですか?」
「うーん、好きではないですね。でも、生きるためには必要ですから」
自分でも苦笑がこぼれる。あまりに現実的な言葉だった。
「偉いですね。何かあれば、いつでも相談に乗りますよ」
「ありがとうございます」
何かあったらこの国の総団長様に相談に乗ってもらえる──その事実を思うと、現実味がなさすぎて、笑ってしまいそうだ。
紅茶をもう一口含んだあと、私は穏やかな声で言った。
「では、今日の日本語のレッスンを始めましょうか」
「はい。よろしくお願いします、ミナ先生」
軽く笑い合う。夕暮れの庭は、ユリの花が淡く光を放っていた。
そのまま二人で、発音の練習やちょっとした会話を交えながら、日本語のレッスンを続けた。




