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息子の「真実の愛」よりガトーショコラづくりに忙しいので!

作者: 乃木太郎

「私はどうしても、彼女と離縁したいのです」


 社交界一の貴公子と言われた美貌を持つあのグウェンが、今や見る影もない。もちろん、わたくしの返事は決まっていた。




 わたくしの父は、王家に次ぐ公爵位を賜りながら、政治能力も低くどこにでも子種をばらまく無能だった。母と祖父母が必死で公爵家を守り、父のばらまいた種の後始末をしていた姿を、わたくしは物心ついたときにははっきり自覚していた。

 母は社交界の薔薇と呼ばれる美しさを誇っていたが、父の後始末のせいで心労が絶えず、その容姿もどんどん陰っていたようだ。どの立場でとも思うが、母の容姿の衰えが父はますます許せないらしく、外で若い女に手を出しまくっていたようである。本来ならとっくに隠居しているはずの祖父母も、当主の仕事をほとんどやっており、我がオルベージュ公爵家は破綻寸前であった。

 そんな状態でも、母や祖父母はわたくしを慈しみ、立派な公爵令嬢となるよう教育に全力を尽くしてくれていたと思う。わたくしはどこに行っても恥ずかしくない令嬢だったし、醜聞まみれの公爵家であっても、由緒ある公爵令嬢として人々から尊敬を集めるよう行動にも注意していた。

 わたくしのデビュタントを翌年に控えた夏、父は突然倒れ、寝たきりとなってしまった。どうやらどこかの得体の知れない女から病気をもらったようである。感染の恐れがあるため、わたくしは見舞いに行かなかった。もちろん、感染しないとわかっていても、親子の交流すら持ったことのない形ばかりの父の見舞いなどしたいとも思わなかったけれど。

 父は髪の毛も抜け、肌も荒れ、最後は誰ともわからない状態で息を引き取ったらしい。仮にも公爵家の当主が亡くなったというのに葬儀も簡素で、わたくしも形式上は喪に服していたが、裏ではデビュタントの準備を急ピッチで進めていた。父の死に悲しむ人間は、公爵家にも使用人にもいなかったと思う。

 父が亡くなり、その後始末がなくなったからか、母も徐々にその美貌を取り戻していった。家の中でも髪を整え、きれいに化粧することが増えた。父が亡くなってからよく眠れているようで、肌艶も戻ったようである。祖父母も心なしか、笑顔が増えた。父が亡くなったことで、オルベージュ公爵家はあるべき姿を取り戻しつつあったのだろう。

 母と一緒に決めた最高級のドレスを着て、祖父にエスコートされたデビュタントで、わたくしは確実に爪痕を残すことができた。国王陛下や王妃陛下からも名を呼ばれ、王太子と王太子妃からも直接お言葉を賜ったのである。わたくしに取り入りたい令嬢から声をかけられ、わたくしの婿になりたい子息からダンスの誘いがひっきりなしだった。

 父の死が、オルベージュ公爵家の威光を再び社交界に轟かせたのである。

 わたくしはダンスを踊った中から、祖父母が太鼓判を押す侯爵家の三男と婚約をした。父のこともあり、若干男性不信になっていたが、婚約者のデイビスは非常に穏やかで頭もよく、わたくし以外の女性には驚くほど目を向けなかった。わたくしと婚約したことで、他の令嬢から言い寄られることがあっても、やんわりどころかきっぱりと「迷惑だ」と言い放つほどである。なぜかわたくしのほうが、「もっと婉曲的にお伝えしたほうが……」と諭したくらいだ。

 デイビスとわたくしが結婚すると、祖父母はわたくしに公爵位を譲り、今度こそ隠居した。母も一緒に隠居してもいいと伝えたのだが、わたくしがすぐに妊娠するだろうと言って、そばで支えたいと言ってくれた。恥ずかしくもあり、うれしくもあり、そのときのわたくしは淑女らしからぬ顔をしていたと思う。母の言う通り、わたくしはすぐに子を身ごもった。

 デイビスは今まで以上にわたくしを大切にしてくれ、当主の仕事を母と一緒にほとんど代わってくれた。わたくしの決裁が必要なものは無理のない範囲で回してくれ、おかげでわたくしは自分の体を最優先に出産に臨むことができたのである。

 こうしてわたくしは、デイビスとの愛の結晶である玉のような男の子を生むことができた。息子は、グウェンと名付け、将来の公爵として時に厳しくしながらも愛情を持って育ててきたと思う。

 そうは言っても、あの父の血も入っている。わたくしと母には一抹の不安があった。あんなことはもう二度とごめんである。母とわたくしは、グウェンの教育に力を入れ、デイビスも全面的に協力してくれた。グウェンはわたくしたちの心配をよそに、本当に立派な公爵家次期当主に育っていっている。――少なくとも、このときまではそう思っていたのに。




 グウェンも年ごろになり、前王太子で現国王陛下の八番目の姫であるナターシャ殿下との婚約話が持ち上がった。側妃腹の姫ではあったが、王妃陛下からも目をかけられているほど教養も高く、心ばえも問題なく、容姿もすばらしい女性だった。王家と公爵家の結びつきを強める政略結婚ではあったが、グウェンとナターシャ殿下の初対面での互いの印象は悪くないようで、すぐに仲睦まじい婚約者として社交界でも話題となった。

 わたくしも、母も、デイビスも、これで安心だと胸をなでおろし、この婚約が決まる数年前に亡くなった祖父母にも墓前で報告して、きっと天国で喜んでくれているとそっと涙を流したというのに――。

 やはり、グウェンは、父の血を受け継いでしまっていたのだろうか。

 いよいよナターシャ殿下との成婚を控えたある日、グウェンが婚約を破棄してどこぞの子爵令嬢と結婚したいと言ってきた。よくよく話を聞くと、わたくしとデイビスの婚約期間中にデイビスにちょっかいをかけてきた女の子どものようだ。本当に、血は争えない。


「……グウェン、ナターシャ殿下との結婚の意味を、わかっているの?」

「私は次期公爵として研鑽を重ねてきました。結婚くらい、本当に愛する人としたい!」


 どうやらグウェンの頭の中はすっかりおかしくなっているようで、ナターシャ殿下よりも数段は劣るその女が「真実の愛の相手」だと思い込んでいるようだ。わたくしとデイビスはあの手この手でグウェンを説得していたが、とうとう業を煮やしたグウェンが真実の相手という女を妊娠させたのである。

 こうなっては、もうどうしようもない。

 わたくしとデイビスは王家に莫大な慰謝料を支払い、ナターシャ殿下との婚約を解消した。公爵家が代々受け継いできた鉱山の一つを手放すことになり、収入がかなり落ち込んだが、王家との婚約を、しかもこちらの有責で解消するのである。むしろ、鉱山くらいで許してくれた王家には一生頭が上がらない。

 こうして、オルベージュ公爵家は、わたくしの幼いころのような、暗澹たる空気がまた蔓延し始めた。

 唯一の救いは、デイビスが変わらずそばでわたくしを支えていてくれていたことだ。病でもう長くはない母には頼れない。しかも、オルベージュ公爵家は王家に泥を塗ってしまった。いつ離縁されてもおかしくないと思っていたのに、デイビスは「一生側にいると言っただろう?」といつもの穏やかな笑みを浮かべて肩を抱いてくれた。

 そのぬくもりだけで、わたくしには十分すぎるほどである。これが「真実の愛」なのかもしれない。いや、必ずそうだ。であるならば――。

 グウェンが孕ませた女は、子どもを生んだあとも、公爵夫人としての仕事はことごとく逃げ回った。わたくしとデイビスは、結婚の条件として、公爵家の運営は二人で協力して行うことを明文化していた。もちろん、公爵夫人としての教育は必要な限り行い、その間の仕事はフォローすると最大限譲歩はしている。

 オルベージュ公爵は、きっとグウェンの代で没落する。でも、もう、どうでもよかった。わたくしにはデイビスがいる。デイビスと二人なら、どうなっても生きていけるだろう。デイビスも承知の上である。


「アンリエットさん、あなた、どういうつもり?」

「お義母さま、そんな怖い顔でにらまないでください……」

「では、どうして、お願いした書類が何一つできていないの?」

「子どもの世話が……」

「子どもの世話は、乳母がしているでしょう?」

「母上!アンリエットをいじめるのはやめてください!」


 いつもこのような感じで、次期公爵夫人となるこの女に教育をしようとしても、脳内が腐りきっているグウェンに邪魔をされる。デイビスが相手でも同じであった。この二人にとっては、わたくしたちは永遠に「邪魔者」のようだ。

 その状態を、半年は我慢した。それでも変わらないと悟ったわたくしとデイビスは、さっさと隠居を決める。公爵領ではなく、親戚の子爵領に身を寄せるつもりだ。わたくしたちが隠居することを告げると、「さみしい」と言いながら、あの二人は下卑た笑みを向け合っていた。

 もう、グウェンはわたくしとデイビスの子どもではない。何か別の生き物としか思えなかった。




 子爵領に身を寄せたわたくしとデイビスは、新婚のころのような穏やかな時間を過ごしていた。使用人はほとんどいないので自分たちのことは自分たちでしなければいけなかったが、一緒に料理をするのは楽しかったし、洗濯も泡まみれになりながらも心から笑うことができた。

 ここには嫌味を言う人間も、足を引っ張ってくる人間もいない。わたくしたちは、ただの男と女として、そして唯一無二の夫婦として互いだけを見て生活していた。

 そんな幸せな生活を続けていた折、書類上の息子であるグウェンが我が家にやって来た。追い返してもよかったが、話の内容がなんとなくわかったわたくしたちは、しぶしぶ彼を招き入れる。

 ――あとでデイビスと念入りにお掃除をしなくちゃ。

 応接間に通したものの、グウェンはなかなか口を開かない。仕方がないので、わたくしとデイビスは自分たちでつくったクッキーを食べながら「次はキャロットケーキをつくりましょう」とお菓子づくりの話に花を咲かせる。

 まるでいないもののように扱われることに驚愕の表情を浮かべたグウェンは、いよいよ意を決したのか、重い口を開いた。


「私はどうしても、彼女と離縁したいのです」


 社交界一の貴公子と言われた美貌を持つあのグウェンが、今や見る影もない。もちろん、わたくしの返事は決まっていた。


「何を言ってるの?あの人は、あなたの『真実の愛の相手』なんでしょう?」


 グウェンの話を要約すると、あの女は相変わらず仕事もせずにダラダラと過ごし、そのくせドレスに宝石にとお金ばかりかかるようだ。その上、醜く肥え太ってきているという。浮気はしない――できない、が正しい――だけまだマシというやつだ。


「アンリエットは……」

「『真実の愛の相手』ではなかった、なんてことは許されないぞ」


 デイビスの冷たい声に、グウェンの肩がはねる。


「わたくしたちは大事な収入源である鉱山を手放したのよ?あなたの、真実の愛のために」

「それは……」

「『結婚くらい、本当に愛する人としたい!』だったわね?」


 わたくしはあの当時のグウェンを真似してみせた。隣ではデイビスが遠慮なしにガハハと笑っている。


「よかったじゃないの、愛する人と結婚できて。どうして離縁したいなんて言うのかしら」

「だから、それは、アンリエットが……」

「あら、お似合いじゃない」


 わたくしとデイビスは顔を見合わせてほほ笑む。


「ああ、本当に。彼女とグウェンは心底お似合いの夫婦だよ!」

「しかも、中身もそっくり!『真実の愛』だけじゃなくて、運命の人でもあったんじゃない?」

「それだ!……よかったなあ、グウェン」


 わたくしたちはきゃっきゃと息子の「真実の愛」で盛り上がる。グウェンはうれしいのか、うつむいて肩を震わせていた。


「わたくしたちに、あなたの『真実の愛』を引き裂くなんて非情なことはできないわ」




 結局、わたくしの思った通り、オルベージュ公爵家は没落した。その後、彼らの「真実の愛」がどうなったかはわからない。きっと似た者同士、たくましく生きていることだろう。

 わたくしとデイビスは、ガトーショコラづくりに忙しいので、それどころではないのである。

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っていうか、なんでできない息子夫婦に公爵家を任せて、勝手に引退? 作者様、公爵家って企業とか都道府県とかみたいなもんですよ いっぱい住んでて働いている人がいるのよ そういう人たち、全部放置して、無責任…
真実の愛はこのご夫婦のことですよね。お互い支え合って想いあってステキです。2人で家事スキルがめきめき上がってる〜。お菓子作りは楽しいし美味しいんだけど、食べ過ぎちゃうのが悩みですねぇ。
別パターンだと、息子を平民に廃嫡かな? 大丈夫!真実の愛があれば平民生活位なんとかなるさ!
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