3.保身
屋敷に戻るとちょうとフリーデが外出するために馬車に乗り込もうとしていた。明るい色のドレスは初めて見るものだから新調したものだ。少々派手だがとても似合っている。
「お姉様。おかえりなさい。どこに行っていらしたの? 婚約解消をされてすぐに出かけるなんて控えたほうがよろしいのでは? どうか家の恥をさらすような真似は慎んでくださいね。私が恥ずかしい思いをするので」
私はどの口が言うのかと呆れてしまった。フリーデは自分が世間からどう思われているのか知らないようだ。姉の婚約者を奪ったと陰口を言われている。フリーデは全身から優越感を滲ませたまま馬車に乗り込む。すぐに窓から顔を出し笑顔を私に向けた。
「ねえ。お姉様。私、お姉様より幸せになります」
「そう……」
「ふふふ。新しい婚約者、早く決まるといいですね。私にできることがあればお手伝いしますよ?」
二人とも同じことを言う……。フリーデの乗った馬車はボルク侯爵家に向かうのだろう。
フリーデは私の半年ほど歳下の異母妹。父は母と結婚する前から平民の愛人を囲っていた。そして正妻である母の妊娠が分かると、義務を果たしたとばかりにすぐに愛人にも身籠らせた。そして生まれたのがフリーデだった。父はいずれ伯爵家に迎え入れるつもりだったようで愛人……今は伯爵夫人であり私の義母とフリーデに貴族並みの生活を与えていた。さらにフランツという名の異母弟もいる。我が家は弟が継ぐ。
父と母は政略的な結婚だった。伯爵家は困窮していて母の実家は子爵家で家格は低いが資産家だった。母の実家は伯爵家が保有するある特許が欲しくて譲って欲しいと頼んだところ、前伯爵である祖父が父と母の結婚を条件に売ったのだ。ただ売ってしまえばそこで縁が終わるが、婚姻を結んでおけばいざというときに資金援助を頼めるという打算だった。
父は結婚前から母に愛人のことを打ち明けていて、母との間には一人しか子供を作らない。もし生まれたのが男子でなければ愛人との間に男子を作る。そしてその子が十二歳になったら母の養子にして伯爵家を継がせると宣言していた。
私から見れば一方的で横暴に思えるが母は承諾した。そして私が産まれた。母は女の子でよかった。結婚すればこの家から解放されるわと笑っていた。きっと男に産まれなかったことで私が責任を感じないように気を遣ってくれたのだろう。母は子爵家と身分は低くても貴族としての責務を軽んじたりせずこの結婚を受け入れたと思う。
二年前、弟が十歳のときに私の母が病死すると、父はすぐさま三人を伯爵家に迎え入れた。
「ブランカ。これからはデリアが女主人として家政を仕切る。そして伯爵家はフランツが継ぐ。フリーデは伯爵家の娘として立派な家に嫁に出すつもりだ。お前は予定通りボルク侯爵家に嫁ぐことになるが、余計なことをして家の輪を乱すな。くれぐれも自分の立場を弁えるように」
私は何もせずに静かにしていろと言うことだ。そもそも家の輪に私は入っていない。父はいつだって私に冷たかった。父からの愛情を期待したことはない。今までも、そしてこれからも。
「はい。お父様」
フランツの手を引く義母は顎を上げ優位を見せつけるように私を睨んでいた。フリーデも同じような表情をしている。後日知ったのだが、父はことあるごとに私と母が存在するせいで義母やフリーデたちを屋敷に入れることができないと嘆いていたそうだ。当然あの人たちにとって私の存在は目障りだ。
その日から私は屋敷の中で孤立無援となった。とはいえ明確な嫌がらせはなかったのだから恵まれていると思うべきか。このときエーリクは私を心配し家の居心地が悪いのならいつでも頼ってくれと言ってくれていた。婚約者なのだからできる限りのことはするよと。その言葉にどれだけ支えられたか。逃げる場所があると思えば辛くてもそこで踏ん張れる。結婚するまでの辛抱だと思えば耐えられる。いずれエーリクの隣で彼を支える存在になるのに弱音は吐けないと思った。何よりもエーリクの存在があったおかげで私は挫けずに前を向いて生きられた。
父と義母は基本的に私を存在しないものとして扱う。用事はすべて執事を経由する。食事を抜かれることもなくドレスなど必要なものはきちんと用意してくれた。虐げられることはなく、ただ寂しい。それだけなのでエーリクに相談はしなかった。
異母弟のフランツは義母が私と接触させないようにしていたので顔も合わせることがなく家族としての交流は全くなかった。
唯一、フリーデだけは私に話しかけてきた。時々お茶に誘ってくれた。ほとんどは自慢話で父にこれを買ってもらったとか、母とフランツとボートに乗りに行ったとかだった。
ある日、フリーデは私の母が亡くなるまで伯爵家に入れなかったこと、両親の仲を邪魔したことを責めてきた。私の責任ではないがそれを受け止めた。私はフリーデ以外には屋敷の中で空気のように扱われる。理不尽な内容でもフリーデに好かれていなくてもその交流が嬉しかったのだ。
私はフリーデが嫌いではなかった。率直な物言いもよく変わる表情も見ていて楽しい。私にはもうできないと思えばなおさら。
でもこのままの振る舞いではきっとフリーデは社交界で困ることになる。フリーデのためを思ってマナーのことで時々注意をした。姿勢やお茶を飲むときの所作などを細かく教えた。でもそれが癇に障るようで怒らせてしまった。
フリーデは事あるごとにもっと早く貴族になりたかったと言うが、言葉の端々に貴族に対して嫌悪感を滲ませることもある。そのちぐはぐさに困惑したがフリーデの世間的な立場を考えれば複雑な思いがありそうだ。
穏やかとは言えない交流が続いたが、私が気付かないうちにフリーデはエーリクに接近していた。そして婚約者を交代することになった。義母はフリーデがエーリクと婚約をして晴れ晴れとした表情をしている。私や私の母に対して溜飲を下げることができたのだろう。
父にとってボルク侯爵家との繋がりはとても重要で結婚相手が私でもフリーデでも構わない。いや、むしろ私ではなく愛するフリーデが家格の高い侯爵家に嫁げることになり喜んでいる。ひいてはフランツのためにもなる。ただボルク侯爵がフリーデを受け入れたのは正直意外だった。おじさまは厳しいところがある。貴族として非情になれる人だった。ボルク侯爵家を守ることを最優先と考えている。私はそのための教育を受けたがフリーデを今から教育するのは時間がかかる。おじさまにも何か考えがあるのかもしれない。もっとも私にはもう関係ないことだけど。
私は昼食後、父の執務室に呼ばれた。
「こうなってしまったからには、お前の次の嫁ぎ先は妥協することになる。最悪商人か後妻か男爵位辺りでと思ったが、昨夜遅くバーナー子爵から手紙が来た。さすが耳が早いな。バーナー子爵はお前を養女に迎えたいと言っている。本来なら断るところだ。お前はフランツのためにもアルホフ伯爵家に利になる結婚をする義務がある。そのために金をかけて育ててきたのだからな。だが子爵はお前をここまで育てた分の養育費を出すというので受け入れることにした。我が家が損をしなければ私としては異存ない。すでに手続きはしてある。ブランカ、三日後にはバーナー子爵領に行け」
「……はい。お父様」
あっさりしたものだ。父の執務室を出て自分の部屋に入ると荷物の整理をした。持って行きたいものは少ないし、欲張れば義母が文句を言うだろう。どうしても手放したくない物と身の回りの物を詰める。
バーナー子爵家はお母様の実家で今はお母様の弟デニス叔父様が継いでいる。お祖父様もお祖母様も健在だ。叔父様には男児がいる。私とは従兄になるが定期的に手紙をくれていた。お母様が亡くなってからはとくに何かと気にかけてくれていた。
私とエーリクのとの仲は一年前から冷えていた。もう一度昔のようになれることを期待していたが、フリーデとの噂とエーリクの変化を見て諦めてもいた。夜会に出席するために迎えに来た時、私が声をかければ鬱陶しそうな表情を向けるがフリーデには零れそうな笑みを向ける。だから自分の未来が最悪のものにならないように手を打っておいた。
エーリクが本気でフリーデを望むのなら婚約者を私からフリーデに変更するよう望む。お父様は我が家との縁が切れなければ喜んで受け入れる。私はもう二十歳になる。今からまともな婚約者を探すのは難しい。まともな男性はすでに婚約者がいるし、若い男性は若い女性を好む。それに私に非がなくても婚約を解消すれば女性に問題があったかのように思われる。運がよければ早くに奥さんを亡くした貴族の後妻、悪ければ高齢の男性に嫁ぐことになる。幸せになりたいと贅沢は言わないが不幸にはなりたくない。
結婚を諦めて働こうにも貴族令嬢を雇う会社はほぼない。だから庇護してくれる人に助けを求めた。
唯一頼れるデニス叔父様に手紙を書いた。エーリクから婚約を解消されたら助けて欲しいと懇願した。バーナー子爵家は資産家だ。お祖父様もデニス叔父様もやり手で家族が一人くらい増えても問題ないと以前から私を引き取りたいといってくれていた。私はエーリクと結婚するからアルホフ伯爵家から嫁がなければならないので断っていた。それなのにエーリクに捨てられた途端、虫のいいお願いだと思ったが他に助けを求められる人がいない。
デニス叔父様は快く応じてくれた。お祖父様やお祖母様もいずれ私に見合う嫁入り先も用意すると張り切ってくれている。みんなお母様をお父様に嫁がせたことを後悔し、せめて私には幸せになって欲しいと願ってくれていたのだ。
もちろんこのことはお父様やお義母様には秘密だ。私は一昨日婚約解消の手紙を受け取ってすぐにデニス叔父様に連絡した。
エーリクとの婚約解消もバーナー子爵家への養子縁組も普通ならこんなに短期間で手続きできるはずがない。不自然なのにみんなが自分の都合を優先した結果、まるで違和感などないように手続きが進んでいった。
デニス叔父様には心から感謝している。私で何か役に立てることがあれば何でもしたいと思っている。もちろん叔父様たちにとって利益がある結婚ならどんな相手でも受け入れる。もっとも叔父様たちは私が苦しむような結婚を用意しないはずだ。
私は自嘲した。用意周到に保身を図るような女に、エーリクを酷いとなじる権利などない。でも私は恥も外聞も捨ててエーリクに泣いて縋れない。屋敷で孤立していることを知られたくなくて相談もできなかった。意地を張り通したずるい私が愛されるはずがない……。
結局私はエーリクが戻ってくれるかもと期待しながら、実のところエーリクを信じていなかったのだ。
あらかた荷物の整理を終えると、いつも通り一人で夕食を摂りその日は早めに就寝した。