子供が生まれても動かない感情
それから数か月後、比較的順調な経緯を経て、ソフィは男の子を無事に出産した。
「ソフィ様、可愛い男の子です。おめでとうございます」
声を掛ける産婆に、ご苦労さまと声を掛けて、ソフィはベッドでぐったりしていた。
「綺麗にしてきましたので、抱っこしませんか」
そう言いながらおくるみに包んだ子供を差し出して来る。
「まあ、この子を私が産んだのね」
少し物珍しげに見たが、もう連れて行って頂戴といい、すぐに眠ってしまった。
次の日、医者がやってきて診察をし、母子ともに問題なしとの見立てに喜びの声が上がった。伯爵夫人も侍女たちも、きっとこれからは普通の生活に戻ると思い、晴れ晴れとした気分に包まれた。
「奥様、御乳をあげてください。生後すぐは母乳が必要なんですよ」
そう言ってソフィの胸に赤ん坊をあてがった。赤ん坊の小さい口が乳首に吸い付いた途端、ソフィが赤ん坊を振り払った。目を見開いて息が荒くなっている。
医者はベッドにころがった赤ん坊を、すぐ抱き取って無事を確認し、乳母に渡してから、ソフィの背中をさすって彼女を落ち着かせた。
「母乳は無理そうですね。今後のお世話は、全て乳母に任せてください」
そう淡々と指示したあと、少し強い口調で言葉を吐き出した。
「アトレー様は、彼女によほど辛い思いをさせたようですね」
夫人も乳母も侍女も返事が出来なかった。
結局ソフィは何も変わらなかった。生まれた子供にも、何の関心も示さないのだった。
アトレーに似た金髪と緑の瞳の、とてもきれいな男の子で、見る人は皆、笑顔になると言うのに、母親だけが見向きもしなかった。
乳母に子供の世話を任せるのは、貴族なら当たり前だが、自分には子供を見せに来なくてもいいと、赤ん坊を連れて訪れる乳母に言い、全く会おうともしなかった。
医者は彼女の状態を、気長に見守るしかなさそうだと判断した。子供が生まれるという大きな変化でも、残念ながら気持ちが動かなかったのだ。
ゲート伯爵家も、ランス伯爵家も、この先の事を決めなければいけないのはわかっていたが、まだ希望を捨ててはいなかった。子供が育ち、可愛くなっていけば愛情を持つのではないかと思ったのだ。
名付けにも興味を示さなかったので、アトレーとゲート伯爵達で、キースと名付けた。
出産から半年ほど過ぎると、ソフィの様子が落ち着いて来た。ぼんやりしていることが無くなり、ごく普通の受け答えができるまでに回復した。食事は妊娠中から普通に取れるようになっていた。
医師は、現実からの乖離が無くなり、ほぼ正常な状態に戻ったと診断を下した。
感情面は相変わらず起伏が少なく、半分麻痺した状態だが、日常生活に支障がある程ではないそうだ。
皆喜んだが、次の言葉でしんとした。
「お子様に対する無関心は、本物です。
自分が産んだことは理解していますが、愛情以前に関心が無いようです。無理強いすると、アトレー様と同じことになりますので、注意してください」
医師を交えて話し合い、子供に会わせるのは月に二度、遠くから眺める程度となった。関心を向けるようであれば、徐々に接触させていくようにする。そういう取り決めがされたが、回数が増えていくことは無かった。
アトレーに関しては、相変わらずの完全拒否のままだった。
医師から、ソフィのためには別居か離婚が好ましいと、控えめに提案されたが、アトレーはそれを拒絶した。
その後もアトレーとの仲は最悪で、公式な夜会には義務として二人で出席するが、顔を背けているので、誰が見ても不仲なのだとわかる。それを隠したり、取り繕うような様子もない。
色々な噂がささやかれたが、どれも推測の域を出ないのだった。
初めの頃は、アトレーがソフィから拒絶されている様子が見られたが、そのうちに二人は互いに関わり合うこともなくなり、ただ一緒に出席するだけの状態で落ち着いた。
結婚以前の様子を知っている友人、知人は不思議がったが、何も言わないソフィにそれ以上聞くこともできない。
いつしかソフィは、氷の貴婦人と呼ばれるようになっていた。全く笑わない、微笑みさえしない。すべての事をどこか無関心な瞳で見つめている。
成熟して魅力的になっていく曲線を帯びた体と、美しい顔と、その冷ややかな表情が、ミステリアスな雰囲気を彼女に与えていた。
結婚前の明るくかわいらしい女性は、もうどこにもいなかった。