結婚二日目 花嫁の様子がおかしい
夕食の時間になると、アトレーがソフィを迎えに来た。
差しだされた手に、素直に手を載せた時、ソフィは軽い吐き気を覚えたが、それを我慢してダイニングルームまで歩いた。アトレーが何か言っていたが、ソフィには理解できなかった。
夕食が始まり、皆がにこやかにしゃべっていた。しかしソフィだけは、話しに全く加わらず、黙って静かにしていた。
アトレーの母親が話しかけているのにも、ソフィはなかなか気付かなかった。
「ソフィ、つついているだけで、食べていないじゃないの。食欲がないの?」
「いいえ、食べていますわ。ありがとうございます」
父親の伯爵も、少し心配そうに言った。
「顔色が悪いのじゃないか? 大丈夫かい」
「ありがとうございます。大丈夫です」
「今日は二人のお祝いの食事なのよ。この鴨料理は苦手だったかしら」
「いいえ、好物です。ありがとうございます」
夫人は、いつもと様子が違うソフィを心配そうに見詰めていたが、ソフィはそれさえも気付かず、皿だけを見ていた。
ソフィが食べている振りを続けているだけで、ほとんど食べていないのは周囲の使用人達にもわかった。料理人が腕によりをかけた豪華な料理にも、粋にしつらえたテーブルセッティングにも、全く無関心なようだった。いつものソフィなら、それらに気付き、感激して喜ぶはずなのだ。
ハレの日に向けて準備に力を尽くした使用人たちが戸惑うほど、いつもと様子が違う。
テーブルを囲む家族の会話は続かず、次第に皆黙り込んでしまい、歓迎の晩餐は最後までおかしな雰囲気のまま、早々と終わった。
食事が終わり、部屋に戻る時、伯爵がアトレーを呼び止めて聞いた。
「昨晩はなにかあったのか? ソフィの様子がいつもと違うが」
「う~ん、特には」
「問題はなかったのか。それなら、無理をさせすぎたりしなかったのか?」
「ああ、それは、少しはそうかも。でも仕方ないでしょう。初夜だもの」
「少し、手加減しなさい。でないと寝室から追い出されるかもしれんぞ」
アトレーは笑いながら、気を付けますよ、と言って寝室に向かった。
部屋に戻ったソフィは、ベスに手伝われて着替えをしていた。ベスがあれこれと話し掛けていたが、何も答えずぼんやりとされるがままになっていた。ベスが部屋を出たところで、アトレーがやって来た。
一日中違和感を感じていたベスだが、昨日が特別な日だったから、それでだと思いなおし、侍女の控室に戻ろうとした。その途中でソフィの声が聞こえてきた。
「助けて。だれか、助けて」
ぎょっとして部屋の前まで行き、しかし入っていいものかとベスがそこで逡巡していると、窓を開ける音がして、外に向かって助けを呼ぶ声が響き始めた。
さすがにその声は屋敷の他の部屋にも聞こえ、あちこちから人々が集まって来た。伯爵夫妻もやって来ている。
しかし、若い夫婦の寝室に入るわけにもいかず、どうしようかと全員でおろおろしている所に執事がやって来た。
執事はドアをノックし、落ち着いて声を掛けた。
「何かございましたか?」
「すまない、なんでもないよ。皆戻ってくれ」
アトレーが返答したが、その向こうで、う~う~というくぐもった声が聞こえる。
このまま戻っていいのだろうか、と皆が迷った。
だが、理由としては、まだ房事に不慣れな妻と、アトレーの間での意見の相違というところだろう。首を突っ込むのも無粋というものだ。
次の朝、ソフィは朝食の場に顔を出さなかった。伯爵が、アトレーに様子を尋ねたが、疲れてまだ寝ていると言う。
「お前、本当に少し控えなさい。彼女が可哀そうだよ。いいな」
その日の夕食時、盛装して食事に現れたソフィを両親はいたわった。だが、何を話し掛けても、そうですか、ありがとうございます、としか返ってこない。
食事も相変わらずつついているだけで、少しも口に運ばれていない。
伯爵夫妻も、さすがに様子がおかしいと思い始めた。
使用人たちは、朝の支度から、昼食、晩餐の支度などを手伝っているので、これは本格的に何かがおかしくなっていると思っていた。
伯爵は、ナイフとフォークを置いて、まっ直ぐにソフィを見た。
「ソフィ。体調が悪いのかい。隠さずに言ってごらん」
ソフィの目に少し光が戻った。伯爵を見つめると、涙がぽろぽろとこぼれ落ち始めた。
「昨晩、あんなに助けを呼んだのに、誰も助けてくれませんでした。私は死んでしまいたい」
伯爵はぎょっとした。その場にいる他の者達も同じだった。
確かに昨晩、助けを求める声で部屋の前まで行ったが、帰ってきてしまっている。物慣れない女性の、今だけの拒絶だと思っての事だった。
アトレーは、驚いていた。
「そんなに嫌だったの。思ってもみなかった。何でなの?」
「あなたに触られると吐き気がします」