悪夢の結婚式
春になったばかりの暖かい日、ソフィは庭をそぞろ歩いていた。
この季節の庭の散歩を、ソフィは待ちわびている。柔らかそうな淡い緑の葉が、次第に水気を含んだしっかりとしたものに変わり、そこから蕾が上がって行く。固い蕾が緩んでいき、花が次々に開く様は、何回見ても嬉しい。
でも、それも今年が最後だった。
明後日はソフィの結婚式だ。二年前から婚約しているゲート伯爵家嫡男アトレーの妻になるのだ。
嬉しくて小躍りしたくなる。彼は三歳年上の二十一歳で、王宮の事務官を務めている。王太子殿下の友人として側近くに仕え、近習の中でも出世候補の筆頭とされている。
それに加えアトレーは、彼に惹かれない女性はいない、と言われるほどの美貌を持っている。黄金の髪と整いすぎた甘いマスク、それにそぐわない生真面目そうな表情がたまらないと女性達が言う。
そんなアトレーと婚約が決まったのは兄のおかげだった。彼と友人の兄が仲を取り持ってくれた。アトレーが十九歳でソフィが十六歳の時に婚約が結ばれ、ソフィが十八歳になった1ヶ月後に、結婚式が行われる予定だ。
結婚前に王太子殿下にご挨拶に伺い、祝福のお言葉をいただいた。そして王宮のプライベートガーデンでお茶を楽しんだ。素敵な王太子殿下夫妻とアトレーと四人、緊張したけれど嬉しく幸せで、舞い上がりそうだった。
それが二週間前のことだ。未来はキラキラ輝き、全てが愛おしくてたまらない。
その高揚感が収まらないまま、ソフィは姉の元に向かっていた。
結婚式への出席のため、数日前から、昨年結婚した一歳年上の姉が、その夫家族と共に屋敷に宿泊している。
姉の夫は、今日は友人に会いに出掛けていて留守のはずだ。ソフィは話し相手になってもらおうと、姉の宿泊している部屋を訪ねた。
そこには不在だったので、結婚前に姉が使っていた部屋に行ってみようと思い、早足でそちらに向かった。
思った通り、中から姉の声が聞こえた。
やはりここにいた。ちょっとしたイタズラ心で、そっとドアを開けてこっそりと部屋に滑りこんだ。
ところがそこには姿がなく、奥のベッドルームの方で声がする。しかも、姉の声と男性の声が聞こえてきた。夫のザカリーが戻っているのかと慌て、息すら止めてそろそろとドアに向かった。
もう少しでドアという所まで来た時、男が姉の名を呼ぶ声が聞こえた。
「マーシャ、愛しているよ。君を一生心から愛すと誓うよ」
「ああ、アート、嬉しいわ。あなたは私のものよ」
男の声と愛称は、明日ソフィと結婚するアトレーのものだった。
アトレーの愛称はソフィだけのものだった。
彼の家族や友人も、その呼び方はしない。ソフィだけに許された呼び方だった。それを何故、姉が呼んでいるのだろう。
頭が混乱していたが、実際にこの目で見なければ信じられなかったので、そっとベッドルームに近寄っていき、少し開いたままになっているドアから中を覗いた。
ベッドを覆うカーテンの隙間から、二人が絡み合っているのが見える。二人は笑い合い、キスし合い、夢中になっている様子だった。
ソフィはその場にズルズルと座り込んでしまった。口と喉を手で押さえて、声が出ないようにした。そうしないと叫ぶか、泣くか、笑うかしてしまいそうだった。
そのうち、動きが静かになった頃、姉が喋り始めた。
「明後日は、結婚式ね。おめでとうと言うしかないのね」
「君にそんなことを言われると辛いよ。君と出会うのが遅すぎたんだ。僕だって辛いよ」
「じゃあ、ソフィのこと愛していないの?」
「子供っぽくて妹みたいなものさ」
「でも結婚式の後は初夜よね。実は楽しみにしてたりしない?」
「面倒くさいだけだよ。目を瞑ってのご奉仕だ」
二人が笑っている。目の前がくらっと回るような感じがした。しばらくそのまま呆然と座っていたが、ベッドから降りるような音が聞こえると、その音に押されるように体が動き始めた。
足が震えていたが、なんとか立ち上がって前に進むことが出来た。必死でドアに向かい、時間がかかったが、なんとか外に出ることができた。
その後、いつの間にか自室に戻っていた。侍女が夕食の用意ができたと呼びに来るまで、ぼんやりしていたようだった。既に外は暗くなっていた。
その日は、両親と姉の嫁ぎ先の家族達と一緒に食事をしたが、何を食べ、何を話したか覚えていない。
「今日はなんだか疲れているようね」
母がそう言ったのは覚えている。
「そう?」
そう答えたような気がする。
姉も何か言っていた。
でも、全く覚えていない。
次の日も同じように過ぎた。一日がいつの間にか終わる。
そして結婚式の日になった。
皆忙しげにしているが、ソフィはそれを遠くから眺めているような気がしていた。
笑顔の母と姉と侍女達によって、念入りに支度が整えられていく。楽しみにしていたウエディングドレスと、きれいに化粧された無表情な自分の顔が鏡に映っている。これは私だろうか。
そういえば、今日は結婚式だった。
そして花嫁姿になったソフィは祭壇の前にいた。
アトレーが神父様に誓いの言葉を述べている。
次はソフィの番だった。言いたくないな、と思ったのでしばらく黙っていた。
隣に立つアトレーが少し腰をかがめて、緊張しなくても大丈夫だよ、と言った。神父様も優しい顔で待ってくださっている。
小さい声で、はい、と答えた。
ワッと歓声が上がり、アトレーがソフィにキスした。そして腰を抱いて皆の方に向きなおり、手を振った。父と母、アトレーの両親がニコニコとして私たちを見ている。その横に姉がいた。姉もニコニコしている。
気持ちが悪くなった。
ソフィはブーケで口元を押さえ、吐き気を堪えながら必死で歩いた。皆が祝福の拍手をしてくれている。うるさくて頭が割れそうだった。