第3話 世知辛く
「悪いな。手持ちがもうなくてな。」
フィリアは近くにあった鞄から、袋を取り出して、手に中身を落とした。そこにあったのは、3枚ほどの銅貨だった。
しかし、彼女はそんな状況でも笑顔で、それを崩さない。
「これは...草原の開拓に出て稼ぐしかないな!」
ああ、それが狙いだったのか。
次の日、フィリアと俺は討伐に行くことにした。なんでも、草原に大量のデカいクモが発生しているらしい。他の熟練の開拓者がやる程の危険度ではないが、かといって放っておくのも後々厄介になるかもしれないとのことで、俺たちがやることになったのだ。
「...お前、大丈夫なのか?」
俺はフィリアを流し見ながらそう言った。
「平気だ!私は体が弱いが、回復は早い!」
そう自信満々に言っていたが、俺はどうも疑わしかった。だが実際に熱が引いてピンピン動いていたから何も言わなかったが。
「平気なら別にいいけど。何かあったら言ってくれ」
「はっはー!心配か。一昨日私に救けられた身だというのに、もう私を心配か!」
彼女は高らかに笑っている。
やはりこの人は変わっている。昨日と今日、体調の悪い時と、元気な時、どちらも元気いっぱいだ。矛盾した言い方だが、こう表現したほうが彼女をより正しく説明できる。
「まあ今日の依頼、頑張ろうじゃないか!報酬も稼げるぞ!」
「今日のをこなしたらいくらだ?」
「銀貨一枚だ。ドアの修理費の10分の1程だな」
「少なっっ!嘘だろ!?一応危険な仕事なんだよな!?」
「だから報酬はそんなに貰えないと言っただろ。いざというときは守ってやるから安心したまえ!」
「...本当に頼みますよ、フィリアさん。こんな訳の分からん状況で死ぬのは絶対に嫌だ」
俺は行く末にほぼ絶望していたが、フィリアは依然として笑顔だった。心が強いのか、あるいは何も考えていないのか。だが俺はどうでもいい、不安だったから。
俺にも一応武器はあった。不審な神サマみたいな存在から貰った得体の知れない手袋だ。これを使えばとんでもない力を出せる。弁償の元凶として証明済みだ。
俺と、フィリアは草原に出た。緑生い茂る広大なそこは、見渡す限りは平穏でいい地だ。
しかし、拠点を発って進むとそう長くない間に、"それ"は現れた。
8本の細く長い足を持ち、ぷっくりとした腹、たくさんの目のそれは、俺の記憶通り正しく"蜘蛛"だった。...大型犬並みの巨躯と、口から伸びているクワガタみたいな鋏型の顎を除けば。
「マジかよ...」
流石に呆気に取られてしまった。見るからに凶悪な風体をしたその"クモもどき"はカチカチと鋏で拍手をしている。
それが、威嚇だと認識するより早く、クモは俺たち2人めがけて突進してきた。細い多くの足が交互に唸っているのがわかる。
恐怖で動けなかった。
体がすくんでいる時、ガギッと何か硬い物同士がぶつかり合う音が響いた。
「お先にやらせてもらうぞ!」
フィリアが鋏に剣を噛ませ、踏ん張っていた。その顔は、心底楽しそうで、目を輝かせながら、恐怖すべき敵を見据えていた。
それを見ていると、いつの間にか恐怖は消え去っていた。こちらも、動かなくては。
ポケットから軍手を取り出し、身につけた。そして、これは自分自身でも驚いたことだが、
鋏を掴んでやろうと思い、実際に行動に移す。
両手で鋏を上下に挟むように抑えた。そこからどうしようかと悩んだが、何気なく押し下げて見ると、鋏が簡単に折れた。
「なっ!」
折ったのは自分自身だが、流石に誤算だった。こんな馬鹿みたいな化け物に痛手を負わせられるなど思ってもいなかったからだ。
「やるじゃないか!!あとはァ、任せな!!」
フィリアはそういうと、不意を突かれて怯むクモの顔面目掛けて思いっきり剣を突き立てた。そして、その勢いのまま、体を前進させ、深く深く刀身を沈めていき、最後に無理やり内部を切り裂きながら切り上げた。
当然、クモは液体をおびただしく噴き上げながら地に伏した。
「ふぅ。お前やるじゃないか。まさかこいつの顎をへし折ってしまうとはな!やはり私の見立てに間違いは無かったようだな!あっはっはっはっは!」
...本当になぜこの人はこんなに元気なのだろう。俺は決死の覚悟であの行動を起こしたのだ。今は到底喜ぶ気にはなれない。
「かなり危なかったんじゃないか?俺も君も」
「まぁまぁ。こんなところで尻込みしてたらこの先もたないぞ。楽しくいくが吉!」
「ん?このクモ倒したからもう終わりだろ?」
「なんだ?仕事内容忘れたのかい?ほら、見てみろよアレ」
彼女はそう言いながら、クモの死体の先を指差した。
「私たちが、頼まれたのは"大量"のクモだ。これからだぞ」
指の向こうには大小様々のクモがいた。1、2、3、4、5...ざっと数えても10匹以上はいる。
「嘘だろー!!」
頭を抱えて天に吠える。
「なあ...一旦帰るのも手...。あれどこ行った。」
隣にいたはずのフィリアの姿が見えない。もしやと思い、前を見ると、クモ達に向かって駆けていく彼女が見えた。表情は見えないが、きっと笑っている。ワクワクしている。
「ちょっと待ってくれー!!」
俺も後を追った。
幸い、生きて帰ることができた。クモの集団には最初の奴ほどの巨大な個体がいなかったこと、そして何より彼女がかなり強かったことが功を奏した。
依頼をこなしたとはいえ、俺は限界だった。息は絶え絶えになり、緊張が解けると草原に倒れんでしまった。
「ははっ!疲れたか?」
クモ共を倒すのに、フィリアは相当奮戦していたはずだが、あまり疲れているようには見えなかった。それどころか、爽やかな笑顔のまま、俺を見下ろしていた。
「どうしてそんなに余裕があるんだ?」
純粋な疑問をぶつけた。
「慣れだよ慣れ。私は百戦錬磨の戦士だからな!ははははっ!」
きっとそれはジョークのつもりで言ったのだろうが、俺はその明るさに圧倒され、本当なのではないかと錯覚していた。昨日、体を壊していたのは嘘だったのだ、と。
「と、まあ長々とこんなところにいてもしょうがない。帰るとしようか。さあ、立て」
彼女はそう言い、俺に手を差し伸べる。それに応え、手をとって立ち上がると、周りの景色がよく見えた。
数多のクモの死骸。優に10を超えるそれらは、俺に自信をもたらした。
得体の知れない出来事の末に、俺は今ここに居る。だが、何とかなるかも知れない、と。
帰路を経て、拠点に着いた。その中の、多くの粗雑な建物の一つに入るフィリアは入っていった。俺もすぐ後を追い、中へ入ると、窓口があり、そこで彼女はやり取りをしていた。俺は流石に疲れたので、近くのベンチに座っていた。
少し待つと、手続きを終えたのか、こちらに歩いてくる。
「やったな!銀貨1枚と銅貨5枚だぞ」
フィリアは嬉々としている。
「...これどんくらい?」
改めて聞いてみる。
「残り僅か銀貨9枚で弁償完済だ!やったな!」
ここの物価とか、貨幣の相場とかはよく分からないが、俺の体感にしてみれば本っ当に割に合わない。あんな命懸けの仕事で、ようやく宿屋の扉一つの修理費10分の1だと!?
そうゲンナリしていると、フィリアはこう語りかけてきた。
「まあ元気出してくれ!今日は銅貨で美味しいもの食べよう!」
「...ああ。そうだな」
「よし!ついてきてくれ!」
彼女に案内され、これまた簡素な木造の建物に入る。この拠点の施設には見た目に気を遣っているところなど無い。ただ木を組み立て、貼り付けたような建造物ばかりだ。
その中は、長いテーブルがいくつかと、テーブルの側に多くの椅子が配置されていて、人も何人か居た。俺たちは椅子に座った。
「私たちが今の金で食べられるのはコレだな」
フィリアは机の上にあったメニュー表のようなものを指差すが、俺は読めなかった。疲れていたのもあって、俺は適当に了承してしまった。
「あーいいよ。それで頼む」
彼女が店員に頼むと、まもなくそれは運ばれてきた。
「なあ...コレは何だ?」
「何ってパンだが?」
そう、これはパンである。紛れもなく。だがそれは拳ほどの大きさのパン1つ。これだけではあまりにも酷ではなかろうか。
「...次の料理はいつ来るんだ?」
「?来ないぞ。これだけだ」
彼女はキョトンとした顔で、そう答えている。俺はもう怖い。無邪気?天然?無垢?この状況に平然としている彼女はどう形容したら良いのだろうか。
「...そうか」
もう聞くのはやめておこう。俺の心のうちには不満があったが、それを言うことは、してはならないと強く思ったから。
パンを噛んだ。特別美味しくも、不味くも無かった。空腹という最高のスパイスをもってしても。
「ここは、随分と簡単な造りの所が多いな」
気を紛らわそうと、気になっていたことを聞いてみた。
「そうだな。ここは草原の調査をする為だけに作られた場所だ。いずれ、拡張や移転していくからそんな手を込んで作る必要は無いんだろうな。あと、ここで働く人は実利的な人が多いから、無駄を最小限に留めたいんだろうさ」
「そうなのか」
パンを口に含みながら話を聞く。相変わらず碌に味がしない。
「なあ、私からも聞いていいだろうか」
「ん?いいよ」
「お前のその手袋はなんなんだ?体格から考えられないような馬鹿力は私が考えるに、それに依るところが大きいと思うが」
「そうだな。これを着けることで、やばい力が出せるのは本当だ。夢の中でな、女神サマ?とやらがくれたんだ。ははっ」
口に出すと、自分でも荒唐無稽さに失笑してしまう。
「すごいなー!神様から貰ったのか!それじゃあ最強じゃないか!」
まさか信じるとは思わなかった。そういうフリかとも疑いたかったが、目を見開いて、輝かせているその表情は、俺から疑念を奪い尽くしてしまった。
「そうだな。これがあれば何とかなるかもしれない。ただ...」
「ただ?」
この軍手を使っていて分かったことがある。これは、力を増幅とか、手を強化するとか言う類では無い。力を出そうとしようとした瞬間、効力が発揮され、一定の力が発現する。握る、折る、引き抜く、殴る...それらに自分の力は必要なくなるのだ。
つまり力を入れるか入れないか、0か1、いや0か100かしか選べなくなる不器用な道具だ。
故に俺はこう答えた。
「いや、そうだな最強だ!」
何か、何故か、これだけ純粋に振る舞う彼女を見て、不粋な事は言いたくないと思った。それと、きっと明るさにあてられたのだろう。この軍手があれば俺は強いと信じるようになっていた。俺らしくもなく、前向きに。
食事の後、何事もなく宿に戻った。そのまま俺は疲れがために、泥のように眠った。扉のない部屋で。