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第1話 願ってもないことを

 なんだか嫌になっちゃった。

 

 俺は、時々こう思うことがある。とは言っても、別に絶望したとか、人生諦めたとか、そんな追い詰められているわけでもなくて、ふとそう感じるだけだ。


 だからそういう時、俺は突飛なことを考えて現実逃避しようとする。


 よくやるのが

「あーあ、一晩寝たら100年後になってないかなー」

と、別の時代へ飛んでしまうことだ。


 友人はどうなっているのかな、家は残っているのかな...、そうやって"今"から抜け出し、もはや"異世界"といっていい遠い未来の世界を探索する。俺のささやかな空想だった。


 けれどそれは余りにも無責任だ。特に"友人"。あいつは俺がいなくとも、上手くやっていけるのだろうか。


 今夜も、そんなくだらない考えに耽りながら、目を閉じて、眠ろうとした。


「いいでしょう。未来にお行きなさい」


 そんな声が頭に唐突に響いた。透き通った女性の声だ。


「なんだ!」


 声に驚き、体を急に起こした。


 けれど、周りに誰もいるはずもなく、俺は出どころを疲れからだと、すんなり受け入れた。疲れていたら考えることなんて面倒くさい。


 さあ、変な妄想をやめていよいよ寝るぞ、と再び寝る体勢に入り、壁に横向きになった。


 なんだこれは?

 

 壁にボタンがついている。形としては信号の歩行者用押しボタンみたいなヤツ。


 そして、そのボタンには"100年後行き"と記してあった。


 俺は、その意味不明さにいよいよ混乱極まっていた。もういいや。ボタンがあるなら押してみよう。ボタンは押すものだ。


 赤く丸いボタンをグイッと押し込むと、ボタンは全体がキラキラと輝き、消えていった。そして遂には、見慣れた違和感のない壁が視界に映るだけだった。


 もうだめだ。俺は相当疲れているらしい。もしかしたら何処かで、やばいものでも摂取してしまったのかもしれない。


 俺の心は連続する"恐らく幻覚"に、すり減らされていた。


 もう本当に寝てしまおう。俺は目を瞑り、明日が来ることを待ち続けた。


 気づけば朝になっていた。上を見れば青空が見える。青空?...空?


 空など見えるはずがなかった。俺の知っている我が家の寝床には、天井がついているからだ。


 もう一つ、訝しむべきことがあった。どうして俺は草原の上に寝ているのだろうか。俺は間違いなくベッドで就寝したはずだ。外で草の上で寝るなど、いくらなんでもそこまで限界はきていない。


 不可解な出来事の連続で、俺はおかしくなりそうになっていた。いや、もうなっているのだろうか。思えば、昨晩からおかしかったのだ。100年後へ行くボタンだなんだ...と。


 俺は右手で思いっっきり頬をつねった。とても痛い。これは現実だ。そう信じざるを得なかった。


 そうだ、あのボタンだ。あれは幻覚でも夢でも無かったのだ。


 俺はここにきて、最も非現実的な発想に至っていた。そのことは自分でも理解している。だが、それ以外に、説明しようがない。


 そうか、ここが...100年後の世界。未来の日本、かあ...。


「そんな訳あるか!」


 理不尽の積み重ねにより、ついに俺の怒りが噴火してしまった。

 仰向けに寝そべりながら大声を出す。


 たかが100年後で、あの家だらけの町が、アスファルトでカチカチに固められた地面が、綺麗さっぱり草原になるものか。もしかしたら何か戦争や災害で荒廃したのかとも思ったが、建物の形跡すらないこの穏やかな心地良い草原はそれを否定していた。


「もう...なんだっていいや」


 混乱と怒りを経験した俺は、燃え尽きたように冷静になって、まったりとする余裕ができた。


 実際この見知らぬ所は心地良い。時折吹く爽やかな風が、過去の喧騒を忘れさせてくれていた。

 

 寝返りをうって横になってみる。見えるのは、地平線によってすっぱりと分けられた緑と青のみ...と言いたいところだが、何か分け目に点があった。


「なんだろ?」


 ポケーっとしながら見つめていると、その点がだんだん大きくなっているのが分かる。


 何やら生き物らしい輪郭が見えるようになり、さらにそれがどんどんとでかくなって...。


「うぎーっ!」


 それの正体に気づいたときには、思わず驚き声をあげてしまった。これはまずい、と跳ね起きて、一目散に逃げる。


 その正体とは、巨大なトカゲみたいな生き物だった。よく見たあのちっこいトカゲをそのまま馬くらいに大きくしたような奴だ。奇抜な赤色をしているが。


 ただ、本当のトカゲなら虫とかを食べるんだろうが、こいつは多分違う。俺を捉えて離さない眼光や、あからさまに鋭い爪と牙、そして何よりバカみたいな量のヨダレが、人間、つまり俺を食べるぞ、と親切に教えてくれている。


「ひーっ、ひーっ!」


 情けない声を出しながら全力で逃げる。逃げ始めてからは到底振り向く余裕などないが、絶望的なことにいずれ追いつかれることは察していた。ドスドスという、恐怖の足跡が、どんどん大きくなっているのだ。


 追いかけっこの終わりは突然訪れた。草に隠れた小さな石につまづいて転んでしまった。


 どうやらここから立ち上がったところで、もう一度逃げるには間に合いそうにない。


 ならば、と、先ほど俺を転ばせた忌々しい石を拾い上げる。こいつは俺を窮地に陥れた。ならせめて尻拭いをしてもらおう。


 全身全霊を込めて、大トカゲの目に向けて石をぶん投げる。


 頭ではわかっていても、無慈悲な現実は、受け入れ難いものだ。石はトカゲの目の下に飛んでいき、分厚い鱗にコツンと当たって落ちていった。


 さあ、どんどんと口が近くなっていく。凶悪な牙、滝のように流れるヨダレと、それ自体が喜んでいるかのようにうねる舌が、俺を歓迎している。


 もうどうしようもない。妙に落ち着いた気持ちになり、目を閉じた。その時を待つ。


 その時は、来なかった。代わりに、大きな音と何かを浴びる感覚が俺を襲った。


 恐る恐る目を開けると、トカゲは地に伏していた。胴体は上半身と下半身に両断され、そこから赤いものが出ている。どうやらそれを俺は浴びたようだ。


「大丈夫か?」


 どうやらトカゲの側に人がいた。その人はこちらを見て、ゆっくりと近づいてくる。


 凛々しくもどこか儚さのある、銀色の鎧を見に纏った、女性だった。目鼻立ちがくっきりとしていて快活な微笑みをたたえ、ただそれと同時に目の下には隈があり、相反する要素が共存しているような人物。特に、燃えるような長い赤い髪と目が印象的だ。


「あ、ああ...。ありがとう」

 

 彼女は、びっくりするほどニッコリと笑っていて、俺に手を差し出し、こう言った。


「私はフィリア。貴方は?」


 俺は名前を告げた。


「そう、変わった名前だな」


 フィリアは驚いた顔でそう言った。


 俺の名前が驚かれる。これこそ俺の驚きだった。


 "山田介"、日本ではごくありふれた名前だろう。よくある苗字と名前の組み合わせだ。


「まあいい。とりあえずヤマダカイさん、はどこかにいく途中だったのか?」


 当然、いくべきところなどあるはずは無かった。ここがどんなところかでさえ得体がしれないのだから。


「わからない...ですね。気がついたらここにいましたから」


 俺がそう言うと、フィリアという女性はすぐ少し頷き、こう返す。


「ならば、私について来るのが良いよ!君は見込みが──」


 なにやら彼女の言葉には少しの興奮が混じっていた。そしてなぜだろうか、俺はその語り口に何か思惑があるような気がしてならなかった。


「──続きはあとで話そうか」


 彼女は、眉をひそめている俺の様子を見て察したのか、冷静になった。そして、歩き始め、雄大に広がる草原を先導して進んでいく。


 道中は特に大した出来事は無かった。


「この草原、広いですね」


 ぽつりと聞いてみる。


「ああ、広いさ、ここは。どれだけ広いかも分かっちゃいない。だから"未知の草原"、そう呼ばれているよ」


 "未知の草原"。どうやらここは文字通り、得体の知れない場所であるようだ。そして何より、日本、さらに地球ではないのだろう。地球の大地など、全て暴かれているのだから。


「あ、あと話は変わるのだが。そんなかしこまった口調で話さなくていいぞ。なんかむず痒い」


「そうですか。...あ、間違えた。そうか。これで良い...か?」


 彼女からの申し出を何とか受け入れる。意図的に敬語を辞めるのは大変だ。


「うん!それで良い!」


 満足げにそう応えた。彼女のこの元気に俺は圧倒されている。


 さて、俺には今、知るべきことがある。ここが日本か否か、はっきりとさせておくべきだろう。


「ここって日本だっけ?」


 我ながら何ともまあ、間抜けな聞き方だ。


「違うぞ。ここは"未知の草原"だ」


 これまた要領の得ない答えが返ってきた。これでは、よく分からない草原ということしか分からない。それとも地名が"未知の草原"なのだろうか?


「だが、そのニホンというのはたまに聞くな。たびたびこの草原で保護されるらしいんだ。君のようにな」


 どうやら同郷の者はいない訳ではないようだ。それを聞いて安心した気がした。


「さぁ、ついたぞ。"未知の草原"探索のための"辺境の拠点"だ」


 ここまでくると、名前に強烈な違和感を覚えていた。ここまでに聞いた固有名詞は"フィリア"という名前だけ。ややこしくて仕方ない。


 その拠点は、木造の建物が縦列に配置された、小さな村のような場所だった。人もそれなりにいて、その多くが、フィリアのように武具を身にまとっている。


「ここは、草原について調査を進めるための拠点でな。だから開拓していくために、皆生息する魔物と戦うんだ」


 彼女はそう説明してくれた。その顔はどこか誇らしげだ。


「そうなのか。じゃあ、君はここにやって来たのか?」


「そうだ。私の村はもっっっと南にある。そこからはるばるやって来たという訳だ」


「それだけもっっっと南から来るほどだ。ここでの開拓は相当な見返り的なものがあるのか?報酬とか」


「んー確かに報酬は貰えるけど、そこまでは貰えないな。私以外の人たちは皆近く住みで、基本安全確保の為にやっているらしいし」


 彼女は平然な顔をしてそう言っているが、俺にはその言葉がどうも引っかかった。そんなローカルな事業にどうしてこの人は携わっているのか。


「じゃあどうしてだ?ボランティアとか?」


「ここには!強い魔物たちがたっくさんいるんだ!お前もあのデカリザードを見ただろ!?あいつはそんなに強くなかったが、他にももっと戦いごたえがあるやつがいっぱいいるんだ!」


 フィリアは急に興奮し、早口で捲し立てる。鼻息が荒い。


 俺が彼女に抱いてた違和感の一つがやっと分かった。あの大トカゲを真っ二つに斬って、返り血を浴びた状態で笑顔だった理由が。俺を安心させるための笑顔かとも思ったがそれにしてはどうも変な感じだった。いま思い返せばあれは興奮していたんだ。


 俺はこの人に、特に何かされた訳ではないのに、いやむしろ、救ってもらったハズなのに、警戒心を抱いていた。俺の本能がそうしろと言っている。


「はっ!いや、いやはやスマン!まま、今日は疲れたよな。ここには宿の施設があるから休んでいくといい」


 彼女は我に帰ると、無理やり取り繕ってしゃべっている。


「いや、まだ明るいし、宿はいい...」


「いーや、寝るべきだ!あんな怖い経験したんだから今日は早く寝るべき!」


 なんだかこの人の言っていることはめちゃくちゃだ。こんな急に人って性格が変わるものなのだろうか。初対面の印象とは全然違う。


 俺は、彼女に強引に手を引かれ、"宿"と書かれた木造の建物へと連れて行かれた。


「宿のおっちゃん!この人疲れたらしいから部屋用意してあげて!じゃあね!」


 俺を受付のおじさんの前へ引っ張って連れて行き、彼女はそのまま出ていった。


「なんだったんだ...」


 あまりの勢いに、呆然とする俺に受付の人は喋りかけた。


「はっはっは。お前さんも大変だったな。まあ疲れただろう。休んできな」


「でも俺、金持ってませんよ」

 

 ここで、日本円が通用するかという意味ではない。元々寝起きだから、金すら持っていない。


「そうか。じゃあ、フィリアにつけておこう」


「い、いいんですか。俺彼女に助けて貰った上にお金まで...」


「いいんだよ。どうせあいつに振り回されたんだろ?それに、これからもっと世話を焼かなかければいけなくなるんだからな」


 それは...どういう意味なのだろう。そう聞きたかったが、事実、俺はもう疲れ切っていた。見たこともない世界に唐突に飛ばされ、恐ろしい化け物に襲われ、見知らぬ人に救われ案内され...。何はともあれ、俺はこれ以上情報を入れられない。ここはありがたく、休ませてもらおう。


「...ありがとうございます。じゃあ休ませてもらいます」


「おう。お礼はあいつに明日言っときな」


 受付のおじさんはニヤリと笑った。


 その後、俺は部屋に行ってそこのベッドで寝た。



 目覚めると、変な空間に居た。青白い草がたくさん生えた草原みたいなところで、空は虹色だった。目に悪い。


「やっと会えましたね」


 何か、聞き覚えのある声が聞こえて来た。それは、前寝る時に頭に響いたあの声だ。


「貴方にやっておかねばならないことがあります」


 そう話を聞きながら、まばたき一つしたその瞬間、目の前に人がいた。


 白いマントのようなものをたくさん体に羽織っている、多分、人だ。被りすぎていて、顔が見えない。


「私はとっても尊い天使です。そして貴方は、違う世界へ来ました。だから、悪の根源を倒すための道具を差し上げましょう」


「はあ...。まあそうなんですね。信じられませんが」


 正直、こんな夢の中でこんなことが起こっていることも信じがたいのだが、俺はすでに訝しむことを諦めていた。水を飲むかのように、状況がすんなりと入ってくる。

 というか、悪の根源ってなんだろう?


「なんでこんなことになったのでしょうか。あと悪の根源ってな」


「それはー...。...あなたが望んだからです」


 目の前の人は俺が言い切るより早く、被せて回答してきた。


 望んだ?望んだだと?俺は一度も違う"世界に行きたい"と望んだことはない。俺が望んだのは───


「100年後に行きたいと思った気はしますけど、こんな異世界来たいとも思ってませんよ」


 俺は淡々といった。戸惑い隠しながら、少なくともそう見えるように。


「え?そ、そんなはずは...。聞き違いかしら?異世界に行きたいと願いましたよね?願ったはずです」


「願ってません」


「嘘です!願いましたよね?」


「願ってません」


「あーあー!そうですよね!来たかったですもんね!私も!それに!応えられて!よかったです!」


 声を張り上げて言っている。


 明らかに動揺していた。何重にも被っている白い布の上からでも、それが良くわかる。


 俺はこの後、顔をひきつらせて起床することになる。この天使とやらの一言で。


「そう!100年後の..."異世界"にね!」


 目を開けると、木造の天井が見えた。

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