容疑者はさんにんっ!
向こうからもこちら側の景色が見えるという、いかにもな最新機能を携えた電話越しに、あどけない幼女はこう言った。
「おかあさん、は、なんか、なんか、おとうさん、が、きらい、みたいなの」
「だから殺したって?」
「うん」
「お母さんはどこにいるの?」
「ここの、この、なか、に、いるよ」
「──ここの中」
辺りを見晴るかす。
ざっと十人かそこらの人数が居て、その内女性は六人ほど。
うち一人の──見た目九歳程度かな?──女児と、二人の老婆を除けば、候補は三人だけになる。
「……なるほどね」
一応、全員の名前は列挙しておくか。
真逆健太郎。多分190はあるな、巨漢だ。
井上公造。転じて低い。150程度だろうか。
仮初ショウタ。名の通りショタだ。
勘良綴命。多分ハガレン好き。
田中花子。二人の老婆の内一人。
蒲田佳代子。二人の老婆の内一人。
加賀美恭子。先刻言った九歳程度の女の子だ。
涼宮涼子。犯人候補の一人。
宝坂泥濘。犯人候補の一人。
軽井沢纏子。犯人候補の一人。
「それで、誰がお母さんなの?」
「えっとね、そこの」
電話が切れた。
バッテリーが無くなったのだろうか。
「……仕方ない」
あまり考えるのは得意でないけれど──やるか、探偵役。
「申し訳ないですけれど、そこの──女性のお三方。そうです。一応、改めて年齢と名前を教えてください。あの娘のお母さんの可能性がある」
目立った反感もなく、無感情な自己紹介がつつがなく進んだ。
「私──涼宮涼子、二十三歳」
「私は宝坂泥濘です。二十九歳」
「軽井沢纏子、十九歳」
「きょ──」
犯人候補に誰何した全員が紹介を終えた。
「そうですか、では──ん?」
──きょ?
きょ、って何?
誰かが質問したのを遮ったかな?
……まあいい。
「では、涼宮涼子さん。取り敢えず──そうだな。被害者と面識はありましたか?」
「……それはまあ、ええ、ありました」
「どういうご関係で?」
「……元カレでした」
「元カレ」
あの子は「お母さん」が犯人と言っていたな。
「失礼ですけれど、妊娠なされたりとかってありました?」
「それは、その……ハイ」
「アナタが犯人だ」
「違います!」
何が違うものか。
被害者との子供を作ったのなら、あの子の「お母さん」の筈だろう。
つまり犯人だ。
「……中絶したんです。お金が無くって」
「ああ……そうだったんですね、すみません」
「本当ですよ、全く失礼な」
「……念の為聞きますが、殺りましたか?」
「ヤリはすれども、って感じですね」
本人は犯行を否認している、と。
「では次──宝坂泥濘さん」
「……ハイ」
暗い返事が返ってきた。
こんな現場じゃあ当然だな。
「被害者と面識は?」
「……あります」
「どういうご関係で?」
「えと……、あの人と、は……レ、レ……」
「はい?」
「セフレ! ……でした」
「ごめん」
思わず謝っちゃった。
「では──妊娠とかは?」
「してないです。避妊はしっかりしてましたし」
本人は犯行を否認、ならぬ避妊している、と。
「では最後──軽井沢さん」
「……ハイ」
テンションの低い女性だった。
「被害者との面識は?」
「あります」
「どういうご関係で?」
「不倶戴天です」
「フグタイテン?」
「どうしても許せない敵の事です」
じゃあこの人じゃん。
「でも殺してません」
この人じゃないじゃん。
……どういう事だ?
「あの人は私を捨てたんです。妊娠した途端、連絡も取れなくなりました。だから心底憎んでいるし、同時に後を追う事も出来なかった」
「そう……なんですね」
……なんだろう、殺されて然るべきな気がしてきた。
然るべきだったとして、だから調査を止める、ってわけにもいかないけれど、俄然やる気が下がってしまった。
「……その、それ、私もです」
最初に話を聞いた涼宮涼子がそう言った。
「私も、というのは?」
「わたしも──あの人に捨てられたんです。当時は学生でお金もなく、結果的に中絶せざるを得ませんでした」
オイ邪悪じゃねえか。
パイプカットしてくれよ頼むから。
まあパイプは兎も角。こと切れているしカットはしているんだろうけれど。
意識100%カットだろうけれど。
「なんか……とんでもない悪人だったみたいですけれど、宝坂さんはどうでした?」
「どう、って……何も……」
その先を言い淀んで、その後、誤魔化せない間があった。
何か──覚悟しているみたいな──決意しているみたいな──そんな間が。
「……あの?」
「ワタシ、あの人にレイプされてました──!」
「!!」
う、嘘だろう?
もはや殺人よりも印象が悪いぞ。
一体どんな邪悪だったんだ、あの子の父親──!
「あの人は叔父にあたる人なんですけれど、年に何回か会う度に、私が性知識がないのをいい事に、何度も、何度も、何度も、何度も──」
説明の途中で彼女はもどした。
すぐに駆け寄り、彼女の背中を三人でさすった。
「大丈夫、大丈夫です」
とてもそうは見えなかった。
「こんな事、初対面のアナタたちにいう事じゃないと思って、「レ」イプされたって言い出せずに、セフ「レ」って事にしたんです」
だから最初、「レ」で言い淀んでいたのか。
セフレで言い淀むなら、自然、セフレの「セ」で淀むだろうし──納得だ。
「……出来れば自主してください、罪は軽くなりますから」
聞き齧った知識だけれど、逃げるよりは軽い筈だ。
「言わないで捕まったらきっとウン十年も檻の中です。だから──」
「ま、待ってください! 犯人は私じゃないです! 言ったでしょう? 避妊はしっかりしていたって!」
「? それじゃあ一体、誰があの子の母親──」
そう言ったタイミングで背中が熱くなった。
なんだよ──と思い、振り返ると、おそらく自分のものであろう、多量の出血に気がついた。
「なん──で──」
虚な目で犯人を探す。
ここで言う犯人は、僕を刺した犯人──という意味ではない。
いや、勿論それもあるのだけれど、その犯人は、あの子の父親を殺した下手人と符合する筈だ。
それは何故って──ここに居るのは、被害者とは名ばかりの加害者がした凶行を聞いてしまった人間しかいないのだから。
だから同情心に絆されて、通報しない公算が大きい。
そう思って──安心して、犯人は僕殺しの犯人に変わったのだ。
──唯一通報する公算の大きい、この僕の追及から逃れる為に。
「きょ──」
──きょ?
確かそれ、前にも一度聞いたような──。
「──きょうちゃん、つかまるの、イヤ」
そこに居たのは、確か最初に候補から外した、見た目九歳程度の少女──つまり、加賀美恭子なのであった。
「……最悪だ」
──改めて年齢と名前を教えてください。
──あの娘のお母さんの可能性がある。
その質問に、彼女は最近から答えようとしていたのだ。
「そう──最初から」
この少女は、周りの「あの娘のお母さんの可能性がある」大人たちが、次々自己紹介し始めたのを聞いて、うっかり名乗り出しそうなったのだ。
それで、実際に声に出す段階になって──気づいた。
自分は犯人なのだから、ここで喋り出すのは拙い、と。
「逆に考えれば、そのためらいこそ、あの幼女の母親である証左」
つまりこの、見た目九歳程度の少女──加賀美恭子──きょうちゃん──は、被害者(加害者)の男性に凡そ五歳程度の年齢でレイプされ、母親にされた、という事らしい。
最初ならまず信じなかっただろうけれど、真に被害者である彼女たちの話を聞いてしまったら、納得できると、言って言えない事はない。
「そりゃあ──五歳程度の自分を犯した強姦魔は、殺すよな」
母親は何歳か早々に聞いておけば良かったと後悔しつつ、消えゆく意識の中、僕は最年少の妊婦──リナ・マルセラ・メディナ・デ・フラードの事を思い出していた。
五歳七ヶ月二十一日──それが、出産時の年齢だったらしい。