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 真っ白な中に、呪いだと刻み込まれた記憶を紐解いてゆく。

 厄災の子。

 呪いの子。

 耳を塞ぎかけた手をとめる。

 目の前にないはずの光景が見える。本当になったことも、ならなかったことも。嘘つき呼ばわりされたことも。

 ――悪いことが起こるところにあの子がいたのよ。ああ何て気味の悪い。我々のこともすっかり忘れて。違うものと取り替えられたんじゃないか。髪の色も全然違う。妙な石も浮いてるし。

 呪いは止めるもの。殲滅するもの。私が、私の手で。それが使命。私の存在意義。

 ――持っていけるなら、ちゃんとお前がかぶれよ! お前のせいで怪我しただろ!

 ――あんなの、家族ではありません。

 ――閉じ込めておこう。我らに呪い返しがあっては困る。

 ――知らないうちに怪我だらけ。ぐったりしているし、何なのよ。わけのわからない幻も見てるわ。

 殲滅しなさい、殲滅しよう、殲滅しなきゃ、全部ぜんぶ。それしかないんだ。自分には。

 真っ白に漂白されて、最初に沸いた感情。

 早く、はやく。でないと壊れてしまう。苦しい。辛い。

 守られることも愛されることもない。醜く歪んだ顔だけが、こちらを向いている。

 屋根の切れ目から見える星。あれだけは、綺麗に映った。他のものは怖くて酷くて汚くて。

 泣いてる。誰かが。

 怖いって、助けてって。

(誰?)

 水鏡の向こうに、彼女が見える。小さい女の子だ。手を伸ばすと、向こうも伸ばしてきた。

「どうして泣いているの?」

(あなたこそ)

「私?」

 水鏡に映り込んだ自分の顔は、泣き腫らしたような顔をしていた。

「ああ、確かに。こんなにぐしゃぐしゃに」

 ――蝋梅!

「呼んでる」

 反射的に水鏡から顔を上げる。辺りを見回して、声のする方を探した。

(私じゃないわ)

 水鏡の向こうは、暗い声で否定する。

「私のことよ」

(だって私は、)

 ――桃花の姿をした厄災が!

「桃花、私の、名前は」

 どぷりと水鏡の向こうに引き込まれる。

 ぜんぶわすれちゃえば、こわくないわ。なんにもないんだもの。ぜんぶわたしとおなじにしちゃえばいいの。ひかりのなかで、あたたかで、まっしろで。

 いきができないくらいさけんだでしょう。なみだがかれるまでないたでしょう。なにもかもくだけちってまっしろになったでしょう。

 ――蝋梅!

「っは、」

 水面に引き上げてもらったみたいに、彼女は慌てて息をする。

「わたしは、」

 桃花。

 蝋梅。

 二つの名が、頭の中で重なって響く。何度も何度も、互いに対抗しあうように。頭を抱えて、反響を抑えようとするが、そんなことでは止まらない。

「蝋梅!」

 はっきりと名を呼ばれて、ようやくそれはおさまる。意識がはっきりしてくるにつれ、汗がびっしょりなのに気づいた。それももう冷たくなりつつある。

「殿下、桃花というのは、私の」

 絶え絶えの声で尋ねる。

「お前は、蝋梅だ」

 念を押すように、忘れてしまわないように、強く望は繰り返す。抱きとめる腕の力も、更に強く。

「でも、桃花でもあるのでしょう」

 眉根がぎゅっと寄せられる。それでも彼は、問いかけに答えた。

「……否定はしない。厄災だと、名前を奪われる前のお前の名だ」

 身体が冷えてゆく。その前に、冷え切る前に。

「もう一度、行きます」

 預けていた体を起こして、蝋梅は足を踏みしめる。そうして険しい表情の望に微笑みかけた。

「殿下、呼んでくださって、ありがとうございます」

「ああ。何度でも呼ぶから」

 絞り出すような声だ。それでも彼は止めない。

(わたしの、命綱)

 目を細めて、蝋梅は背を向けた。




 何度も何度も、蝋梅は潜ってゆく。

 潜っては戻り、また挑戦する。時折、力尽きて倒れ込んだ。明らかに疲弊している彼女を撫でる手に、やるせなさがこもる。

「蝋梅」

 生存確認のように、声をかける。なんて心許ない命綱か。

神の巫は、神々しく美しい。銀色の瞬きは静かに傅くことを求めてくる。

「あなたには消すべき呪いはない。だからもうあなたに用はない。我が使命の前に、その不確かな感情をおさめよ」

「不確か?」

「あなたと交わると、余計なものが混じる」

 そう口にした彼女のほんの僅か、崩れる表情。神の気でも消せぬもの。

「蝋梅」

「私に名はない。使命を完遂する機構。神の巫」

 やや被せるように。言い聞かせるように。彼女は告げる。

(ああ、そうか)

 望は腑に落ちる。名は無いのだと言い切った、初めて出会った時の彼女。その姿が、記憶の奥から蘇る。

(これは蝋梅があのまま過ごし、望みも願いもすべて消失し、完成した姿だ。それが神の巫)

 星守は、本来その姿を求められた。だから塔に隔離され、閉じられた世界で星を見ることだけを、星に縋ることだけを教えられた。公正さを欠く感情など不要。それが神に近しく、愛されるから。

(俺はその契機に使われた。それだけが役割だった)

 それでも。

 ――あの子もまだ愛をよく知らぬ。

(星守さまはここまで見通していたのだろうか。それとも、星に繋がる者として察したのだろうか。どちらにしても、見て見ぬふりをできなかった。理想の星守の後継にだって、できただろうに)

 圧倒するような眩さに、屈したりはしない。見惚れるなら、もっと感情を揺さぶるものを知っている。彼女が、自分にもそんな熱情があるのだと知らしめてくれた。止まるものかと、追いかけて抱きしめて。

「愛してる」

 はねのける手を、絡めて引き寄せる。何度も何度でも。

「愛してる、蝋梅」

 離さない。そう、決めたのだ。

「不確かな存在だけど。受け取ってほしい。名も、愛も」

 蝋梅。

 そう、口移しするように呼ぶ。喉を伝ってその熱量は彼女の中へ。こくりと、飲み込んだのがわかる。

 浮上してくる彼女に、酸素を供給するみたいに深く口づける。息を吹き返すまで何度でも。そうしてくったりと力を失ってゆく身体を強く抱きしめた。膝の上に座らせると、全部明け渡したかのように身体を預けてくる。そこに先程の輝きはない。けれど、眼には小さな星が宿っている。

「でんか、」

 か細い声で、彼女は願いを伝える。

「どうか呼んでください。私の名を」

 確かなものにするために。

「蝋梅」

 腹の底から、声を発する。甘く優しげな声ではなく。しっかりと残るように。

「蝋梅」

 はにかむように笑んで、彼女はまた深い海のような意識に身を投じた。



 こぽこぽと、泡が割れるような音がする。どこか遠くで。

(波に攫われて、漂白された私。どっちも私だ)

 自分の中にもうひとつ、意識が重なる。心なしか幼い声音が。

(私、我儘だわ。家族の無事をお願いしたのに、いざってなったら怖くて。でも、止めてって言ったら助けて貰えない)

 だから、叫び声だけあげた。言葉にならない声で。せめてもの発露を。

 川で冷やされた西瓜。染めた布で花飾りを作って。一緒に火にあたる大人の人。小さな子とかじかむ手で作る雪だるま。ぶっきらぼうに差し出される、同じ年頃の子の手。蒸したてのちまき。

 浮かんでは消える。その人たちの顔は、もやがかかっていて見えなくて、誰なのか関係も名前もわからない。

(何もかも捨てなきゃならなかった。だからだからだから。殲滅しなきゃ。私の願いも未来も全部消した分。わたしのすべてをかけて。かみさまにちかしいものになって)

 怖い。

 苦しい。それでも、呪いを、止めなきゃ。

 与えられる苦しみと、自分で自分に与える苛みが、絡み合って枷となる。

「殿下」

 混濁した意識の中で、蝋梅は想う。名も愛も教えてくれた人。

(あったかい、それ)

 胸の奥で、幼い声音がそれに触れた。

「待っていてくださる方がいるの。だから私は私でいなきゃ。怖くて、苦しくて。それでも。一緒に受け止めてくださるから」

 そっか、ともうひとつの声は心なしか明るい調子になった。

「もう、言っていいんだね」

 深い海に揺れている。ここは波が荒くない。ゆったりとしていて、優しい。波に揉まれて力尽きた後を、包み込んで揺蕩わせてくれる。けれどここに光は届かない。柔らかな月の光も、指し示す星の光も。

 見つけなきゃ。手を伸ばさなきゃ。逆らわずに泳いでゆく。

 怖くても大丈夫。苦しかったら言っていい。だから。

「蝋梅!」

 願いが天を無数に走る。願えば願うほど増えてゆく。それは雨のように。水面に流れ落ちてくる。

「こんなにたくさん、あったんだ。私の中に」

 雨に洗われて、空はぴかぴかに澄み渡っている。揺れる水面に目を落とすと、桃花もまた空を見上げていた。

「わたし」

 鏡越しに目が合う。

「もう、捨てたりしない。手放したりしない。諦めたりしない」

 そう告げる声は、示し合わせたみたいに重なった。

 すうと息を吸い込む。星の冴えた香りだ。水面を跳ねれば円環が果てなく広がり、願い星へと届く。

「蝋梅」

 近くで呼ぶ声がする。蝋梅はうっとりしたように目を細めた。

「殿下」

 目を開けると、そこには真昼の空があった。温かく包み込むような、柔らかな天色。空の主は、啄むように口づけた。

 そろそろと蝋梅は手を伸ばす。そうしてその肩に腕を回した。きらきらと、ちりちりと。蝋梅は自分を細かな星屑が包んでいるのがわかる。ほんの僅か離れただけの距離の彼にも、それは届いて爆ぜた。

 流れ星は、そのほとんどが地表に届くことなく燃え尽きる。けれど。

(私の願い星は)

 何度も口づけを降らせてくる。額に、目元に、耳に。ゆっくりと蝋梅を地に縫い止めながら。それに応えるように蝋梅も唇で受け止める。次第に口づけは深く、呼吸は混ざってもうどちらのものかわからなくなっていった。

「殿下、」

 口づけの合間に蝋梅は願いを告げる。無意識の産物などではなく。自らの意思で。

「殿下が欲しいです」

「……俺も、蝋梅が欲しい」

 惚けたような声音で、彼は受け入れた。その瞳には、星屑を従えた姿が映り込んでいた。


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