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 梟の声が辺りに響く頃、風を纏ってその大犬は帰還した。望はその首元を撫でる。

「槃瓠、ありがとう。ゆっくり休んでくれ」

 槃瓠は短く返事をすると、大きく跳躍した。後にはその背にしがみついてやってきた来訪者が残る。

 そのうちの一匹に、望は尋ねた。

「塔の皆の様子は?」

「軟禁されてはいますが、元気ですよ。することもないので、修行と称して霊符を書きまくってます。百合は……まあ牢の中ですがね」

 金華猫は辺りをうかがいながら報告する。その視線が、舞い踊る蝋梅で止まった。白銀に煌めく彼女を、その瞳で追う。小さく感嘆の声がもれるのを、第二王子は聞き逃さない。

「陛下と兄上は?」

「王太子は、精力的に動いているようですよ。即位に向けて。あなた地盤固めはいいんですか。あなたを担ごうとしていた一派もいるようですが。肝心のあなたがいないんじゃあどうしようもない」

 白猫の言葉に、望はかぶりをふった。視線の先の彼女は、舞がひと区切りついたらしく、動きを止めてこちらへ歩み寄る。望はその腰を抱いて身体を支えた。

「父上は?」

「まるで噂を聞きませんね。ぼんやり貴族からの正妃推薦文を聞いているとか。そうそう、その寵姫は伏せって出てこないと聞きましたよ」

 腕の中で舞姫がこくこく水を飲んでいるのを見守りながら、望はそうかと呟いた。その声は乾いている。

「私の番はまだ?」

 少しむくれたような声の主は、一本足の大きな鳥。その足元に、ちょこんと彼女の娘もいる。

「まったく、この子の恩人じゃなきゃ、来ないわ」

 ツッコミよろしくつついてくる嘴を、望は軽くいなした。

「畢方、熱源の数と大きさを知りたい」

「ひとつよ。確実に人間ではあり得ないくらい大きなのがひとつ。ただ、この前お邪魔した時の三分の一くらいかしら。かなり弱っているね。あまり魅力的な熱ではなくなってる。それに比べて彼女ときたら」

 うっとりと大畢方は目を細めた。

「春を呼びさます風のよう。冬の寒さを溶かすように、少しずつ陽の気を運んでくる。今はまだ暖かくなくとも、この調和の取れた気で満たしてくれたら、みな居心地がよくなるわ。宮殿の熱がおかしくなってから、気が乱れて落ち着かない」

 そう口にすると、下で固まっている小畢方を咥えて蝋梅に抱かせた。小畢方は心地よさげに目を閉じる。やがてすやすやと眠り始めた。

「心地いいでしょうねえ。誰かさんも猫の姿でずうっと腕に抱かれてましたっけ」

 いらんことを言う白猫を、望はねめつけ話を戻した。

「珠だった方に残っている熱はあるか?」

 大畢方は首を傾げる。

「じゃあ、珠の王子の顔を知っているか? 紅玉という」

「ああ、最後の末の王子ね。あの後気になって仲間から火を分けてもらった。燭台はある?」

 望が素早く調達してくると、大畢方は喉をもぞもぞさせ、口の中から小さな炎を出した。それは限りなく透明に近く、害意は感じられない。蝋燭に燃え移ると、ゆらめきながら一人の姿を映し出した。

「これが、紅玉王子」

 優しげな面差しの青年だ。王とは真逆の。

 望は金華猫を持ち上げ、炎に近づける。

「金華、一瞬でもいい。気を逸らしたい。化けられないか」

「一瞬でいいんですか。そんなの、何にもなりませんよ」

 白い尻尾は、呆れたようにぺしりとこちらの王子をはたく。

「そうだけどさ、長引けばボロが出る。見た目だけで、所作はわからないしな。叔父上みたいにたまたま反魂香で呼べれば説得という手もあるが」

「珠の怨念は確かに残り香みたいなものがある。でもその中に彼がいるのかはわからない。今から探すの?」

 大畢方は蝋梅に頬を寄せて、目線を流す。それを受けて望は眉間に皺を寄せた。

「時間が足りない、か」

 陽炎のような炎は、ふっとかき消える。最後までそれを目に焼きつけていた白猫は、身をよじって望の腕から逃げた。そうして軽やかに地に降り立つ。

「残念ですが、そんな無茶をするほど、私はあなた方と縁を結んでいないんですよ。命あっての後宮遊び。こんな壊滅的な国にいたくありませんね。万に一つも復興することがあればお会いしましょう。さあ畢方、私を送ってください。山歩きは趣味じゃないんです」

 一本足の鳥は、少し不満げな顔をする。しかし、何も言わずに子どもを引き取った。温もりがないのに気づいたのか、小畢方はたちまち目を覚ます。

「金華、」

 蝋梅は小さな猫の背に声をかける。

「まだお礼が言えてなかったよね。ありがとう、助けてくれて」

 白猫は一度も振り返らずに門へと向かった。




 夜闇の帳が再び下りた後。月明かりを頼りに、白猫は猫たちに許された抜け道で宮殿内に入り込む。

 戻る先は、間借りしている冷宮ではなく、その逆。もっとも中心となっている寵姫の宮だ。

 耳をそばだてると、まだ王太子はいないようだった。

 王にとっては大切な人であるはずなのに、結界はまるでない。後宮どころか宮殿全体が丸裸にされているようだった。最近まで、こんなことはなかった。

(塔がなくなって、やりたい放題というわけですか)

 ただ、そのおかげだろうか。檀の匂いが塔の方からうっすら続いてきているのがわかった。

 小さな手で、扉を叩く。すると意外にもすんなりそれは開かれた。しかも女官によってではない。

「可愛らしいお客さん。こちらへいらっしゃい」

 その花弁をやや萎れさせたような柘榴が、それでも微笑んで迎え入れた。すぐに彼女は背もたれのついた椅子に体を預ける。

 そこからは、たきしめられた香だけではなく、今まで廊下からほんの僅か嗅ぎとれた、残り香と同じものが感じられた。

「あなた、檀を取り込みましたね?」

 向かいの椅子に、白猫は飛び乗る。

「話が見えないわ」

「少しずつ違う香りの機微を嗅ぎ分けられないようでは、後宮荒らしの名が廃るというものです」

 想定済みか、開き直ったか。柘榴の表情は変わらない。

「取り込んだなんて人聞きの悪い。檀は私の一部だったもの。元に戻ってもらっただけよ。それより何のご用かしら」

 広い部屋だというのに。寵姫の部屋だというのに、女官は一人もいない。金華は遠慮なく口を開いた。

「首輪が窮屈でならないんですよ。術を無理やり解いてもらえませんかね。もうここは終わりです。最後にひと遊びして帰りたいのですが、今のままでは叶いません。あなたも私が引っ掻き回した方が動きやすいはず。悪い話ではないでしょう」

 妖艶な美女は、袖で口元を隠して笑った。

「見返りには足りないわ」

「おや、もう払ったはずですよ。あなたの思惑どおり、第二王子をけしかけた。あれは、百合を煽るための、呪いを育てるためのものだったんですね。更に言うなら、王太子殿下の。あれほどの成果です。術の解除のひとつくらい安いものでしょう」

 バチバチと、見えない火花が両者の間で散る。

「ふふ、確かにとても助かったわ」

 手招きされて、金華は「失礼」と机に飛び乗る。すると柘榴は身を起こして、やや乱雑に首輪を解いた。はらはらと結われていない髪が肩を流れる。

 飾りけのない寝衣や、艶やかな髪は、本来の花の美しさを増長させていた。

(これが、王と王子を魅了した、最高峰の花ですか)

 手塩にかけて育てられた花々に見向きもさせないくらいの。

 けれどこの猫にその誘惑は効かない。却って戦意を煽る。ぺろりと金華は舌舐めずりした。とたんに愛らしい白猫は美丈夫の姿に変わる。

「んん、解放感がたまりませんねえ。ああ、私難しい相手ほど燃えるんですよ。檀から記憶を引き継いでいるでしょう。本当ならもっと早くお目にかかりたかった。少しお相手願えませんか。代わりにあなたが心から欲しているものをお見せしましょう」

 水仙をはじめ、女たちを虜にした声で、姿で、金華は攻める。魅了術も全開だ。

「私が欲しているもの?」

 そう首を傾げてみせるその仕草からは、媚びる様子は見えない。ただの興味。

(それでこそ、落としがいがあるというもの)

 男は唇を三日月にした。さあ、勝負だ。

「そう。神には短い時間に感じられても、恋しくはあるのでは?」

 月が翳る。再び月光がさした時には、別の男の姿がそこにあった。

 目の前の相手が、思わず息をのむのがわかる。

「あなたの記憶の奥底にある、声、匂い、仕草。ご教授願えませんか」

「そんな、偽物風情に」

 そう口にしつつも、彼女は目をそらせないでいる。男は目を細めて、そっとその唇に触れた。

「いくら夢に描いても、直接触れるこの熱までは再現できますまい」

 ぐっと顔を寄せて。視界にこの姿しか入らないように塞ぐ。赤の瞳いっぱいに、紅玉を模った顔が映り込んだ。その唇は、なおも囁く。

「舞台の演者はその当人ではありませんが、その役を降ろして演じる者。これはあなたが用意した舞台。あなたはその演出家。あなたの望む場面を、一瞬だけでももう一度、見たいと思いませんか」

 寵姫であったはずの女は、袖や扇子で表情を隠すこともしない。余裕さを貼り付けることもしない。いや、できない。

ぱっと、男は彼女から離れた。

「明日また来ますよ。早くしないと、舞台に幕が降りてしまいますからねえ。稽古は早く始めないと、役の作り込みが甘くなってしまうでしょう」

 そう告げると、後ろ髪引かれる様子もなく、扉に向かう。柘榴は微動だにせずそれを見送った。


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