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 あの時。

 ぶつりと意識が途切れた。

 限界を超えた次の瞬間。力がありとあらゆる回路から体に流れ込んできて、みなぎっていくのがわかった。

 熱い、熱い、熱い。気を緩めれば、焼き切れてしまいそうだ。

 私は、何をしていたんだっけ。

 何でここにいるんだっけ。

 私は誰だっけ。

 向こうで誰かが呼んでいた。けれどそんなもの、関係ない。

(私は星のひとかけら。その授かった光で、邪を滅するために作り出されたもの。だからその存在意義に従って動く)

 匂いがする。ひどく、胸が苦しくなる匂いだ。

 好ましくて愛おしくて。

 ――覚えておいてくれよ。ちゃんと思い出せるように。

(何を?)

 ――蝋梅!

 気が、流れ込んでくる。自分のものではない誰かの。温かで、優しい。

 これは、誰の。

(わたしは、知ってる。身を蕩かすような。これは)

「でんか、」

「着いたぞ、蝋梅」

 目を開ければすぐ目の前に望の顔があった。そっと下ろされた先は、何度も身体を清めた水辺。けれど、それを認識するのに時間がかかった。

「さすがに呪いまみれのまま入れないからな」

 荷の一部を解いて着替えを用意する望に、蝋梅はしなだれかかる。身体なのか心なのか、自分の中の何かがうつろだ。

「……どうした?」

「まだ、殿下が欲しい、です」

 額を寄せ合って、相手にだけ聞こえるように囁く。

 互いの呼吸が熱い。おそらく今までもそうしていたのだろうが、思考回路が正常に働かない。まだ熱で暴走しているようだ。

 わからないから、本能が訴えるままに必要なものを求める。呼吸をするように、望にしがみついて唇を重ねた。抱きしめてくる望の腕には力がこもっている。触れてくるその手は熱かった。

 天公廟に戻ると、端の方に意識を失った状態の男が三人寝かされていた。長庚が、側であぐらをかいて眺めている。

「行方不明の三人組じゃないですか」

 見知った顔を見つけた望が、顔を顰めた。

「舞の褒美だそうだ。北斗星君さまが突然連れてきてな。妙な術は解かれてるらしいが、残念ながらこの体じゃ脈も見れねえ。頼めるか、望」

 望はあまり気乗りしない顔をしながらも、男たちの状態を見にかかる。

 蝋梅はそっと広場に出た。万全とはいかないまでも、時間が経って少し頭が冷えてきた。いつものように星冠に意識を集中させる。星を辿り、導き出される未来へ。

 ひとしきり未来を読み終えると、呼吸を整える。そうして今度は気の流れを探った。

 しかし、現れるはずの剣は朧げに形をとりながらも霧散する。それは何度やってみても同じだった。

「酷い顔をしている」

 背後からかけられた声に、蝋梅は振り向いた。いつの間にか、玄の青年が静かに佇んでいた。

「北斗星君さまはご存知なのですか」

 蝋梅は伏し目がちに尋ねる。

「私には見えません。星守の塔は何事もなかったかのような未来を描いている。そんなはずはないのに。こんな、こんな」

「私がいるのは、霧の更に向こうだからな。星守が冠を失ったのも、私には見える」

 あ、と喉から声が漏れる。何となくわかってはいたが、いざ突きつけられるとその事実はあまりにも重い。

「そなたの力が十全なら、違う未来も選べたやもしれん」

 追い打ちをかけるように、北斗星君は続ける。

「あの男とではなく、私と交感すればよい。完全なる巫となれば、我が力、存分に発揮できよう。堕ちた神などすぐに消せる。空虚さなどで隙を作らせることなどしない。なぜそんな簡単な選択肢を選ばない」

 責めるような声音ではない。眼差しでもない。ただ、不可思議だと言わんばかりに彼は問う。

「それは、」

「何を迷う。そなたには資格がある。そなたは私の作った抑止力。悲しい顔などせずとも済むのだ。我らに近しくなれば。人の感情のような不安定なものを恐れる必要もなくなる。何より今のままでは、あれは討ち果たせない。そなたも痛感しておろう」

 そう、歴代最高と謳われた星守でさえ、敵わなかった。その相手を、倒すために作られて、託された。

(わかってる。そのためにいるんだって。でも)

 光の粒すら掴めない手のひらを、蝋梅は何度も開いては閉じてみる。

(以前の私だったら、躊躇わなかったんだろうな。それが私のすべきことだって。世迷い言だとねじふせて。今の私は)

 一歩、二歩。進み出て、舞う。身体に叩き込み、馴染んできたはずの舞を。

 しかし、神気は少しも纏えない。気の流れすらも読み取れない。

(あの時、私は。限界を超えた。今までは、殿下が見極めてくださっていたけれど。驕っていたのか、かまわないと思っていたのか。そうして、自分が自分でないなにものかに塗りつぶされて上書きされて消えてゆくのを感じた)

 ああ、これは前にも。

(前にも?)

 既視感に、蝋梅は足を止める。そのまま石畳に寝転んだ。床は硬で、背中が痛い。けれどそれは冷たくて、心地よくさえあった。

 眼前には宮殿で見るよりも美しい星空が広がっている。それしか、見えない。

 前にも。

 あるとしたら、記憶が消えた時。

(記憶が消える前のことを、私は覚えていない。そのすぐ後も、ぼんやりとだけ)

「どうした」

「殿下」

 心配して出てきたのだろう。いつの間にか、北斗星君の姿はない。

 望は蝋梅が動かないのを見ると、自らも横に寝転んだ。

 星は、いつものように輝いているようにしか見えない。雲ひとつない空だ。迷いようなどない。でも、違う。

「殿下、抜け目のないあなたのことですから、調べていらっしゃるでしょう。私が記憶を失った時のこと」

「何で、そんなこと」

「頭ではわかっているんです。進むのが、神の器となるのが理想的だというのが」

 望の表情がにわかに険しくなる。蝋梅は、その望の方へ寝返りをうった。

「でも。私はあなたと生きる道を諦めたくない。諦められない。我儘だとしても」

 武骨な手が、細い絹糸のような髪を撫でてゆく。

「元はと言えば、俺の我儘だよ。俺が、蝋梅を欲しがった」

 いいえ、と早春の花は即座に否定した。

「他に道がないか、向き合いたいのです。手伝っていただけませんか」

 望も彼女の方を向く。そうしてその頬を手で覆った。

「ああ」

 呪いの子。災厄を引き受けろ。

 どうして、そう言われたのか。

(そういうものだと思ってしまっていたけれど)

「星を埋め込んだ時に、お前はもがき苦しんだそうだ。酷い有様だったらしい。何日ものたうちまわり、叫ぶお前を、村人たちは怪異に取り憑かれた、呪われたと思った。だから閉じ込めた。そう言っていた」

 少しずつ、ぽつぽつと道に小石を落としていくように、彼は語る。手のひらは気遣わしげに蝋梅の頬を撫でていた。

「お前の母は、後悔していたよ。あまりの変貌に、酷く拒絶したと。あの時のお前の表情が、忘れられないと」

「何となくそのあたり、うっすら記憶があります。誰かわからないんです。不安な中で、すごく傷ついて。思い出したくなかった。なかったことにしていた。自分だったものが、いとも簡単に消えていって。自分が誰かもわからないまま。苦しくて手を伸ばしても、誰からも拒まれた。ひとりでずっと」

 頬に添えられた手から、温度が伝わってくる。かつての自分と決定的に違うこと。蝋梅はこわごわそれに指を這わせた。けれどそれだけでは足りなくて、その手の甲に、自身の手のひらを重ねる。

「殿下、私、怖かったのです」

 消えるのが。なくなるのが。失うのが。大切だったはずのもの。自分でさえも。

 睫毛が庇となって瞳に影を落とす。

「私、きっと自分で、拒んでるんです。進むのを。だから、反動がくる。確かめるために。埋めるために」

 指が手から離れて、望の顎に、唇に触れようとする。それよりも早く、身体を起こした望の唇が蝋梅にそっと重ねられた。

「怖くていい。それでいいんだよ。欲しいのが、埋めるのが俺なら、いくらでも叶える」

 覆い被さるようにして、望は視界を埋める。偽りの星空を遮る。暗がりで見る天色は、翳って夜の空のよう。

「ご褒美は、何がいい? 戻れないのが惜しくなるくらい、たくさん言って」

 流れ星が、その姿を消すまでに、三度願いごとを唱え終わると叶うという。この星は。自ら光りはしないけれど。流れて消えてしまうこともない。

「俺はお前が消えるのが怖い。意思の宿らない、神の代理戦争の道具にさせたくない。そうはさせない。王子たるもの。国を第一にするのが理想なんだろうな。でも、俺にはもっと大事にしたいものがあって。王子失格かもしれない。でも、それでも蝋梅が大切なんだ」

 星は、自らの願いを口にする。その願いを確かに受け取って。蝋梅は尋ねた。

「なんでも叶えてくださいますか」

「ああ」

「それでは、その、殿下と街でお菓子を食べたいです」

「菓子?」

 想定していた答えと違ったのか、望は目を瞬かせる。

「塔に持ってきてくださったお菓子を、今度は一緒に食べに行きたいのです。殿下がどんなものを見て聞いてきたのか、私も知りたいのです。お願いできますか」

「いいよ。いくらでも。でも、それだけでいいのか?」

 最後の方を耳元で囁かれ、腰のあたりがぞくぞくする。

「え、あ」

 狼狽するとすぐ横で、王子が悪戯っぽく笑んでいた。

「俺のことも欲しくない?」

 こんな近くで、大好きな相手に、そんなことを言われては。顔全体が熱くなる。ご褒美に、至上のものを。

「……欲しいです」

「よく言えました」

 嬉しげに、啄むような口づけを落とす。

 熱で潤んだ眼差しで見上げていると、仕掛け人の方が堪えきれずに白旗を振ってきた。

「ごめん、ちょっとやりすぎた。俺が我慢できなくなっちゃうやつだ」

「……我慢してくださらなくてもかまわないのですけど」

 視線をずらして、ちょっぴり拗ねたように呟く。こちらばかり、ときめかされて。

 しかし、相手からは反応がない。ちらと彼の様子をうかがうと、理性と本能の狭間で戦っていた。素数を一生懸命数えている。

 ひと勝負ついた頃、望は蝋梅の手を取って体を起こす。

「さ、とにかく相手のことを知らないと。そろそろ連翹も目覚める頃だ。青家に恩を売っておかないといけないし、情報も得たい。ちょっと様子を見てくるよ」

 望に続いて立ち上がると、彼は手を引いて蝋梅を引き寄せた。

「一緒に来てみるか?」

「はい」

 蝋梅は一も二もなく頷いた。



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