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荒ぶる呪いにもまれながらも、星守は呼吸を整え、気を静めた。そうして表層の百合の念を潜り、更にその奥へと進む。彼女の澱みを強化する、力の源へ。
星守とは対照的に、呪いに刻み込まれた思念は猛々しい。
――憎い憎い憎い。あなたさえいなければ! あなたが吉と出さなければ! 命を落とすことなどなかったのに!
荒ぶる感情が形をなして、襲いかかってくる。蝕んでくる。しかしそれにかまけてはいられない。魂の中に握り込んだ星灯りが、彼女の足元を照らす。
呪いの深淵。嵐の中心で宝物のように、しっかり仕舞い込んであるもの。星守はそれへ向かってゆく。
知らなければ。この呪いの源にあるのが何か。
「あなたほど躍動感のある舞を舞う方を見たことがない」
弾むような青年の声がした。
知らぬ声だ。星守はその顔を見る。しかし目の前の光景は、色褪せ劣化した絵のように荒く、はっきりとは見えなかった。
時の流れによるものなのか。何度も取り出して見たことにより摩耗したのか。
「当然よ。私は神だもの。捧げ物くらい持ってきなさいよ。異境の神に対して、ね」
対する女は、そう言い放つ。姿が映り込まないところをみると、この記憶を何度も思い起こしている主か。その声音はあまりにもそれが当然であるかのように、自信に満ち溢れていた。
「神? あなたが……確かに女神の舞だと言われれば頷ける。一度見れば目に焼き付いて離れない」
青年の声には、擦れたところのない、純粋さが滲んでいた。
「信じてないでしょ、でも、見る目はあるわ」
女は笑った。面白い玩具、それくらいの笑みだ。
「失礼。次はお好みのものをお持ちしましょう。あなたの舞は心躍る。また見せていただけませんか」
とるに足らぬ人間の一人。それに思い知らせてやろうというくらいの心持ちだった。自分の、神の素晴らしさを、格の違いを。しかし。
見下していたはずの目は、いつしか対等な高さになる。
「私が欲しい供物はただひとつ。あなたの心」
「何をおっしゃいますやら。とうに捧げておりますのに」
相手の青年の触れ方も、神へのそれではなく、一人の恋人としての接し方に変わっていた。
「そうであるなら、あなたのくれた名で呼んで。神ではなく、一人の私として」
「紅榴」
その声音は、互いに蕩けるようだ。思い出は大事に大事に、積み重なっていく。一枚一枚は小さいが、丁寧に描き込まれた絵画のように。
しかしそれは突如、嵐のように破り捨てられ、踏み躙られてゆく。それをしているのは、嵐ではなく晶華の武装した兵や、王や。
(私、か)
無論、直接手を下したわけではない。しかし、相手にとって星守は元凶。
(見たことがあるはずだ。星々の間に、あの青年の顔を)
「よくも、私の大切なものを奪ってくれたな」
這いつくばり、泥と血でぐちゃぐちゃになった身体で、女は思い出をかき集める。しかし繊細な絵画であったはずのそれは、焼け焦げ、泥だらけになり、千切れて原型を留めていない。
それでも腕は、抱くのをやめない。どんなに溢れ落ちようとも。
内から迸るのは、呪いの形をした怒り。その身に宿っていた神々しいはずの神気が、どす黒い呪いに変質してゆく。
喉を潰さんばかりに、女は叫んだ。獣の咆哮のように。
気高さはどこへ。神聖さはどこへ。
「壊してやる消してやる苦しませてやる彼よりも私よりもずっと酷く残酷に!」
神であったこともかなぐり捨て、ただ復讐の獣となった女は、呪う。呪う。呪う。
苦しむのはお前の番だと言わんばかりに。呪いの濁流が、星守を襲った。しかと星の神の光を握りしめ、星守は耐える。
(そう、私は星守だから)
――星守よ、そなたは歴代最高の力を持つと聞いた。俺は晶華を、これまでにないくらい大きく強い国にしたい。この国に住まうもののために。どうか導いてほしい。
かつて就任が決まった時、若き新王はそう言った。
「はい。私は星神の巫女として、しかと務めを果たしましょう」
公平さなどあろうか。晶華のためと言えど版図を拡大するには、犠牲がつきものだ。それはけして綺麗事ではない。自分がそこへ命を奪いに行けと、死地へ向かえと告げているのだ。恨みを抱かれていてもおかしくはない。それでも。
「よろしくね、牡丹。いいえ、星守さま。私は陛下の描く未来を信じている。私が背中を支える。あなたはどうか先導する星であって」
他の妃がかけてこなかった言葉を、五人の妃の中で三番手の位置にいた彼女は口にした。
「私は神ではない。自らの思うようには変えられない。だがその中で最善を選択し、導いてゆく。そなたの子らに、しかと繋いでゆけるような国へ」
覚悟をもって、星守となった。苦悩も迷いも胸の奥に埋めて。だから。
思い出に蓋をする。伏せていた瞼を開き、渦巻く呪いと対峙する。
「そなたなぞに、壊させはせぬ。ただひたすら呪いの言葉を紡ぐだけの堕ちた神に!」
そう告げると幻影はゆらぐ。その向こうに、一人の女の姿があった。赤い唇が、蠱惑的に笑んでいる。
「直接こうして相見えるのは初めてじゃな、檀。いや紅榴と呼ぶべきか」
顔の上半分は仮面に覆われ、その表情は見えない。けれどその口元のひきつり方から、相当な怒りを抱いているのが見てとれた。
「覗きとは悪趣味ね。あなたも見習いも」
「そちらこそ。直接私を呪いに来ないとは、随分とせせこましいやつじゃな。神であった者としての矜持はどうしたのじゃ」
呪いに身を浸されながらも、星守は静かに言い放つ。静と動。互いに相反する気がぶつかり合う。
「何とでも言うがいいわ。あなたこそ余裕そうだけど、先の件はあなたがどれほどの加護を得ているか、眷属に測らせただけ。今度は同じようにいくと思わないことね」
めらりと、呪いの焔が揺らめく。
「そなたは自らの力を分けて眷属に変えたのみ。私には、私ではない仲間がいる」
星冠がきらめき始めるのと同時に、星守の足元に描かれた陣が輝く。
「星よ、我が足元に集え」
それを見て、檀は嗤った。
「ふ、こちらばかりに気を取られていていいのかしら。あちらの方が面白いことになっているわ」
檀を守るように、無数の蝶が四方から湧く。そうして蜜に吸い寄せられるように、星守に群がった。
「目の前のものを見ないから、見落とすのよ。星神の巫。あなたは星守失格」
「くっ、百合!」
蝶が星冠や陣に触れて消える度、甲高い悲鳴が上がる。それはまさしく百合の声そのもので。
「あなたの弟子はなかなか優秀よ。ただ、適性を見抜けなかったのね。こんなにも呪いに共鳴するなんて。私の呪いだけを取り除こうなど、無理よ。こんなにもあの痛ましい娘の魂が私の呪いを求めてしまっているんだもの。ああ、でもあなたなら関係なく浄化できるのかしら。あの娘ごと。何しろ晶華のためですものね」
晶華のため。何が正しいか、どうすべきか。星守にはわかっていた。呪いを除く。それが正解。
未来は見えない。それが檀による妨害なのか、はたまた別の理由なのかはわからない。
この国は、星冠を持つ者は、加護に頼りきっていた。
この国に堅固な牢はない。逃げても星守の目で見つかるから。だからその目が塞がれた時、困ってしまうのだ。
「何を迷うのかしら。だってこれは呪いに堕ちた娘。それとも愛弟子は手にかけられないのかしら。正妃は見捨てるのに」
「見捨てたわけではない」
売り言葉に買い言葉。つい、ムキになった。
「あなたは選択を間違えた。だから晶華は停滞し衰退する!」
違うと、牡丹は否定出来なかった。その隙を呪いはついて入り込む。
呪い返しをすれば、百合に反動がくる。しかし浄化しようにも、重く沈んだそれはなかなか光へと転じてゆかない。むしろどんどん星守の体に染み渡ってゆく。
「百合……」
――私に残された唯一の証。私だけが理解できる愛、哀。
呪いは星守にそう訴える。
「それは百合、そなたのものではない。この呪いは、紅榴のもの。自分を取り戻すのじゃ。これまでそうして星と対話してきたのじゃろう。思い出すのじゃ」
――思い出したくもない! こんな結末になるための日々じゃないの!
――憎い憎い憎い、星守。あなたさえ戦を吉と読まなければ、珠を吉と出さなければ!
百合と紅榴が混じって、後者が強くなってゆく。
それにつれて、陣の輝きが弱まってゆく。それでもなお、わっと蝶は数を増やし星守を覆い尽くした。
「あなたを苦しませたいんだもの。直接狙うわけないでしょう。あなたの大事な見習いが育んだ呪いで、塔はめちゃくちゃ。あなたもその目も、壊れてしまえばいい」
可笑しそうに、檀は埋もれてゆく星守を見つめた。




