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「なんだ、これは……」

 駆けつけた望と蝋梅の前に現れたのは、巨大な蝶だった。

 ただ普通の蝶と違うのは、腹の下半分が溶けたように地面にがっちりと接着しているところ。時々ぶるりと上半身を震わすも、まだ翅が乾いていないのだろうか、羽ばたく様子はない。

 門をくぐろうとする蝋梅を、望は首根っこを掴んで止めた。

「槃瓠」

「お側に」

 風のようにやってきた彼の背に、望は蝋梅と共に乗る。

「回避に集中しろ。無理して近づかなくていい」

 そう首元を撫でると、槃瓠は「承知しました」と跳躍した。ひとっ飛びで蝶の背後から足元へ降り立つ。

 しかし、蝶はなんの反応も見せなかった。

 蝋梅は背中から滑り降りると、蝶の腹に触れてみる。

 思ったよりも柔らかいそこに手のひらをかざすと、あまりにも濃密な呪いに、眩暈がした。それでも手は離さない。感覚を研ぎ澄まして、呪いの中を探った。

 ふらつくのがわかったのか、望が後ろから体を抱きとめる。

「ありがとうございます」

 顔を横に向けると、すぐ側に望の顔がある。

「塔のみんなは中か?」

「胸のところに星守さまがいらっしゃいます。他は腹の部分に。その中には、呪いの核となっている百合も」

 最後の一文に、望は表情を曇らせる。

「檀か?」

「はい。殿下は離れてください。概要が掴めたので、浄化を始めます。蝶が動き始めるかもしれませんから」

「離れないよ」

 望はすらりと鞘を払うと、剣を取り出した。そうしてその刃にぐるぐると霊符を巻き付ける。

「防げる程度の抵抗なら、俺がはたき落とす。マズそうなら撤退するからな。お前がヤバい時は、絶対引き戻す。自分のことに集中しろ」

 空色の瞳に宿る光に、蝋梅は眉尻を下げた。

(ああ、そうだった)

「……よろしくお願いします」

 蝋梅は深呼吸した。

 天公廟で修行したのと同じように。舞台で魅せたのと同じように。天の星に手を伸ばす。

 朝の星は既にその姿は淡い。けれど確かに感じる。

 星冠を通して流星のように神気が流れ込み、体の中が満ちてくる。蝋梅は頭の中でその気の象る形を思い浮かべた。

 自分の縛めを断ち切ってくれた、あの剣。

 望を守ったあの剣。

 ちりちりと、細かな光の粒が頭上の七つの鉱石の周りに集まる。手で掴むと、光の剣となった。

 蝋梅はそれを思いきり蝶の地面に根付いたその根元に刺す。すると蝶は、甲高い叫び声を上げた。

 望はたまらず耳を塞ぐ。しかしそれは長くは続かなかった。

「祓いに来たの?」

 すぐ側で聞こえたのは、聞き慣れたはずの声。

 蝋梅がはっとしてやや上を見上げると、ずるずると呪いの表面は波打ち、少女の上半身を模った。

 柔らかな栗毛や肌に、真っ黒い呪いの糸が血管のように走っている。

「百合」

「幸せなひとね。私の思いなんてちっともわからないでしょう」

 目を開いて第一声。彼女は聞いたこともないような冷めた声音でそう言った。

「第二王子妃。ずっと羨ましかったのよ。あなたにはきっかけがあって。愛されて。私には何もなかったのに」

 ぐにゃり、と彼女は美しい花のかんばせを歪ませる。

「知らなかったでしょうね。第二王子殿下のお姿が見えなくなった時、私、喜んでたのよ。あなたもついに私と同じになったんだって。なのにあなたの殿下は戻ってきただけじゃなくて、今まで以上に大事にして……私は会うことすらできないのに」

 呪いにまみれた手は、蝋梅の肩を掴む。

 止めようとする望を、蝋梅は制した。掴んで揺さぶってくる手のひらから、禍々しい呪いが蝕みにくる。この重みが、息苦しさが彼女の思いの深さ。

「あなたさえいなければ、諦められた! 希望なんて持たなかった! なのに今、あなたは止めるの?」

 見開かれた目に蝋梅が映っている。瞬きひとつせずに、眼差しでもって呪う。

「止めるよ。私は、悪いことをしたとは思わない。幸せになろうとすることが、悪なら誰も救われない」

 きっぱりと、蝋梅は言い切る。そうして剣を握る手に力を込めた。

 肩を掴んでくる力が弱まる。

「嫌よ、邪魔しないで! 奪わせない! 渡さない! 邪魔させない!」

 きゃあーははは、と狂ったような笑い声を上げて、彼女は蝶の体内に戻ってゆく。それと同時に、蝶がすっかり形の整った翅をゆっくりと羽ばたかせた。

 羽ばたきによって起こる風で、鱗粉が飛散する。望は口元を覆い、もう片方の手で蝋梅の口も塞いだ。

 はらはらと舞う鱗粉は、毒のようにじんわり呪いを与えてゆく。まずい、と蝋梅は袖で望の頭を覆う。まだ堆積していないうちに、さっと呪いを祓った。そのおかげか、望の顔色はいつもどおりだった。

「一旦退くぞ、蝋梅」

 望は蝋梅の腰を抱くと、槃瓠に目配せする。二人を乗せた槃瓠は、塔を囲む塀の上まで撤退した。

 塀の上で振り返れば、めりめりと蝶の顔のあたりが裂け、人間の上半身が押し出される。さらさらと鱗粉の雨が降りしきる中で、彼女は妖しくも美しかった。

「百合」

「ありったけの霊符と弓矢を取ってこよう。あの翅の動きを止めないと、被害が広がる」

 望の指示で、槃瓠は塀を蹴る。蝋梅は望の肩越しに、蝶を見つめた。


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