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 朝起きると頭に靄がかかったような感じがする。

 靄は日を追うごとに大きくなっていった。

 弟も朝、同じような顔で起きる。しかし、ある時を境に、とある場所から戻ってくるとすっきりした顔をするようになった。

 あの娘が破邪の力があると聞いた時、合点がいった。毎日会うことで、知らずのうちに靄を払ってもらっていたのだと。

(なぜ俺には、加護は与えられないのだろう)

 王の次にあって然るべき王太子なのに。こんなに周りに人がいるのに。

 少しずつ、塵のように積もっていくこれから、救い出してくれる人はいない。

 一度興味本位で彼女を覗きに行ってみた。花もつかぬようなみすぼらしい枝。

 しかしどうして。髪こそまだ短かったが、身なりを整えられた彼女はそれなりに庭園の端くらいには置いておいてもいいくらいにはなっていた。なのに。

(俺の花はどこだ? 花園のどこにも、求める花はない)

 靄は、晴れない。

「よく眠れましたか」

 決まり文句のように、みな尋ねてくる。父も師も女官も、誰もかれも。

「はい。よく眠れました」

 眠れていないように見えるのだろうか。それともただの挨拶みたいなものなのか。

 中庭の池に顔を映してみると、疲れたような顔がそこにあった。けれどそれが靄のせいなのか、もっと別のものなのか、朔にはわからなかった。

 将来の王として受けている指導がキツいとか、肌に合わぬ武芸の鍛練が負担なのだとか、候補はいくつもある。

 星守様に相談なされては。王族の方なら、頼めるのでしょう。

 そう言われて、父に話してみた。

 王族と言えど、星守に直接占いを依頼できるのは王だけだ。他の者は、色々段階を踏んでからになる。そこまで大ごとにしたくはない。

 しかし父は、途端に表情を歪ませた。

「あれはお前の母の死を見抜けなかったような者だ。あれにお前たちを任せたくはない」

 今回のことばかりではない。事あるごとに、王はそうこぼす。それまで聞いたことなどなかったのに。

 代わりに傍らに侍る寵姫に尋ねた。

「柘榴、何かよい手立てはあるか」

 淑やかさを美徳と教わってきた花々と違って、彼女は目を奪われずにはいられないほど妖艶な美しさを備えていた。

 それは正妃を失ったばかりの王でも同じだったらしい。それまでなるべく平等にと通っていた他の妃への渡りが減り、彼女とばかり過ごすようになった。

 そうなると、王子二人との接点も増えてくる。

 口さがない者たちは、彼女に自分の子ができれば態度が変わると口ぐちに噂した。今に、毒の杯を持ってやってくると。

 しかし、それは他の妃も同じだ。朔は冷めた心で聞き流した。

 それよりも。これほどまでに艶やかな花があるものなのか。異国の花は、刺激的に映った。

 その異国情緒漂う花は、王の問いかけに少し困ったような顔をしていた。しかし、求めに応じないわけにもいかない。

「簡単なおまじないなどいかがでしょう。おまじないですから、正式な加持祈祷には当たりませんでしょう。気休め程度になればよいのですが」

 そう言ってひとつ、彼女は朔にまじないを授けた。それは彼女の故郷で、いい夢を見たい時にするものらしかった。

「寝る前に、夢に見たいものを思い浮かべながら、三度枕を叩くのです」

 その夜、朔はそのまじないを試してみた。試さなければ、彼女の面子を潰してしまうだろう。それくらいの期待感で。

「よく眠れましたか」

 翌朝、彼女の口から決まり文句が飛び出した。

 朔は頷く。靄が晴れたわけではない。頭はやはり少し重い。けれど。

「母がまだ生きている頃の夢を見ました。父も弟も笑っていて……」

 彼女はそれ以上続けさせなかった。ぎゅっと朔を抱きしめる。花とは違う、変わった香木の香りが鼻をくすぐった。

 幼子にするように、彼女は頭を撫で続ける。いや、まだ本当に幼子なのだ。

 武にて地図を拡大した苛烈な父王。子にもそれは求められる。けれど。

(俺は武を好まない……)

 叔父と剣を振り回す弟。母と笛を吹くのが好きだった自分。積み上がっていく帝王学。次の正妃を狙い、自分を消そうとする目。

「夢で見たものは、あなたさまが心の奥底で願うもの。完璧な人間などおりませぬ。将来の王たるあなたさまも、それは同じ。お寂しかったのですね、我慢しておいでだったのですね。せめて夢だけでも、本当の願いを叶えてくださいまし。これは、しがないおまじない。どうぞお続けください。それくらいは許されますでしょう」

 ああなんて、温かく、甘美で、それでいて破滅へ導く夢だろう。

 いつしか夢から、弟の姿も父の姿も、そして母の姿も消えていった。そうしてかわりに現れるようになったのは。

 夢の中で、宝石のようなあの花を愛でる。赤い赤い、艶やかな花。抱きしめることも、愛を囁くことも、躊躇う必要はない。だってこれは夢だ。とてもせつないけれど。

 現実世界で、夢を振り払うように代わりを探した。あちこち花から花へその蜜を香を啄んでは次へ。けれども、無常にも夢に勝る現は現れない。

 重い頭を抱えて、まだ夜の気配の残る朝を歩く。

 望はもうとっくに目覚めて、鍛錬をしていた。いつもだ。見えないところで弟は努力しようとする。だから誰にも知られなくて。知っているのはその向かう先。

 遠巻きに後をつけてゆくと、望を出迎える少女の姿があった。それに目を見張る。

 望が来るのを、今か今かと待っていたのだろう。息を凍らせて彼を見つけたその表情は、花が咲き溢れんばかりだった。

 枯れ枝同然だったはずの彼女が。望は手を伸ばして。一瞬迷うも、その肩を抱く。壊さないように、そうっと。

(そんなに優しく抱いたって、手に入るわけじゃないのにな。こんなに手に届く位置にいるのに)

 無意識のうちに、唇が吊り上がっていた。足取りもどこか軽い。

(俺だけが、夢に囚われてるわけじゃない。むしろ、俺より重症なんじゃないか? 足掻いて足掻いて、最後の最後で手が空を切って、絶望するんだ。俺ひとりじゃない)

「青家が、破邪の星の連翹への下げ渡しの申し出をしてきた。花朝節で実際に会って、意気投合したらしい。あちらが吉と出れば、準備を進める」

 父王は望のいない時に告げてきた。意気投合なんてあの娘がするとは思えないが、父にとっては渡りに船だろう。褒美だ何だと言っておきながら、聞き入れるつもりなどないのだ。

 望にとっても、自分にとっても、最大の障壁。

 そんな考えに至った時、ふと史書の一文が脳裏をよぎる。父王を弑して妃を奪う。

 しかし、すぐに心の中でかぶりを振った。そんなことをしても、皆から後ろ指をさされるだけ。そして柘榴の心も手に入るとは限らない。彼女は陛下のおかげで今いられるのだと、義母なのだと事あるごとに口にしているのだから。それらを全部飲み込んで、良き子でいれば疑われない。一番側にいることができる。

「望はがっかりするでしょうね」

 さも残念そうに目を伏せる。

「やけ酒にでも付き合ってやれ。あれも強情だ。こうでもしないと諦めないだろう」

「そうですね」

「望に比べて、お前は分別がついているな。さすがは次代の王よ」

 何も知らぬ王は、喉で嗤う。

「お褒めに預かり光栄です」

 こうなるんだから。諦めておけばよかったんだ。

(なのに、何で)

 馬鹿みたいに純粋に、真っ直ぐに、向かっていく。

 興味本位で、怖いもの見たさで、見届けたくなった。最後の瞬間を。それに比べれば自分なんて。そう思えるから。

 なのに、どうして。

 まだ月が姿を見せぬ夜だから。小さな灯りを枕元に近づけて側に腰掛けると、寝台の上で体を起こした柘榴は、窓の外を見た。

 信用できる子だから。毎夜訪れても不貞を疑われない。孝行息子で通る。

 宴席で、たくさんの花の香りをかいできた。しかしどれもしっくりとこない。当たり前のようにお気に入りの花を腕にやってきた弟の姿に、虚しさが増した。それを拭うように、目の前の彼女から漂う香で鼻を満たす。

「どうしたんですか。浮かぬご様子ですが。医者を呼びましょうか」

 この台詞も、孝行息子役に相応しいものだろう。しかし彼女はゆるくかぶりを振った。

「いいえ、そうではないの。陛下は他国から来た私によくしてくださる。ここでの暮らしは何ひとつ不自由ないわ。でも、不意になぜか、虚しくなる時があるの。今日はまだお顔を見せてはくださらないけれど、ぽかりとまあるく空いた月夜など、特に」

 そう言われて、朔もまた空を見上げる。まあるく空いた月。

 自然と、望と名付けられた弟が想起された。この世のものとは思えない天女を、繋ぎ止めて離さない。天女は彼でこそと、その首に縋りつく。

 王太子として、光のあたる方を歩んでいると思っていた。なのに、いつの間にか逆転している。名のとおり、新月の暗い道を、とぼとぼと歩いているようだ。

「私もそうです。いえ、理由はあるのかもしれませんが」

 ふふ、と柘榴は笑んだ。

「光は、強ければ強いほど、闇を際立たせるもの。であればまだ、目を瞑ってくれている新月の方が優しいのかもしれないわね」

 何という魔性だ。月の光は虚しくさせると言いながら、自分自身はするりと、窓から差し込む光のように入り込んでくる。並み居る妃を退けて寵を得る、その技術。真紅に彩られた爪が、腕を上ってゆく。

「陛下の眼に、私は映っていないのです」

 しなやかな身体が、いつの間にか腕に寄せられている。思っていたよりもすぐ側に宝玉の瞳があった。これほどまでに赤の宝石に、自分が映り込んだことなどない。

「何を、仰いますか」

 反射的に体を引こうとするが、腕が捕えられて動けない。

「正妃はあくまで殿下の母君。いつまでもそのお姿を探していらっしゃる。私はそれらしく振る舞うのが正しき姿。私は私でいられぬのです。病に伏したその先を克服する道を求めていらっしゃる。かの妃を重ねて」

 紅を落としたはずの唇は、熟れた桜桃のようにぷっくりとみずみずしい。朔は唾を飲み込んだ。

「なぜ、そんな話を?」

「こんな時にいつもいてくれるのはあなたでしょう。あなただけが、私の支え。ずっと、吐き出したかった」

 しなだれかかってくる花は、狂おしいまでに妖艶な香りを漂わせる。

「なりません」

「今日は体調が思わしくないとお伝えしたから、陛下はいらっしゃらないの」

 囁く声が、心を揺さぶる。

「朔さま」

 弟は、自らの安らぎを探し当てた。手繰り寄せた。

(俺も、本気で望めば)

 夢の中で何度もかき抱いた、紅き大輪の花を引き寄せる。初めてなのにしっくりくるのは、夢現の境界が曖昧なのか。満たされぬ心を埋めるように、人肌を求める。

 ああ、これが手に入るなら。

 柘榴の香で肺を満たす。頭が麻痺したように、思考が鈍い。

「俺も、あなたが欲しかった。どの花もあなたを忘れさせてはくれなかった。本当に欲しかったのは、ずっとあなただけだった。いばらの道でも、俺と一緒に歩んでもらえませんか」

「あなたにその覚悟があるのなら。どうかわたくしの願い、叶えてくださいましね」

 柘榴は、温かな海のように彼を受け入れた。



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