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 思いの外、荷物をまとめるのに時間がかかってしまった。

 そのほとんどが星や霊符に関する本や、愛用の文箱。そして、望の上衣。

 荷物の中に紛れ込ませていると、目ざとく望に見つけられた。

「いるか?」

「ね、寝る時にいつもかけているので……」

 小さくなってそう伝えると、望は蝋梅を引き寄せた。持ち主の元を離れて時間の経ったそれよりも、遥かにはっきりとした匂い。温もり。

「これからは俺が同じ寝台にいるだろう」

「で、殿下は私を幸せにしてくださる天才なのでは……」

 蝋梅のはずが、これでは紅梅だ。そんなことをしていると、ご丁寧にも扉の下の方が叩かれた。

「金華、どうしたの?」

 扉を開けると、白猫は警戒しながらするりと部屋の奥へと入る。そうして寝台の上にちょこんと座った。二人もそれにならう。

「お楽しみのところ、申し訳ありませんがね。百合のあの後の顛末、聞きました?」

 抑え気味な声だ。蝋梅は首を横に振る。

「聞いてたのかよ」

「耳が良いと困りものです。余計なことまで聞こえてしまいますから」

 軽口を叩いてはいるが、その眉根は寄っている。

「余計なこと?」

「どうもひっかかりましてね。百合は王太子殿下が自分のところに来たと主張し、王太子殿下は覚えがないという。はたから見ればまあよくある修羅場ですけど」

 金華猫の瞳が、きらりと光る。

「王太子殿下はいらっしゃってるんですよ。人の目は誤魔化せても、猫の目まで誤魔化そうとは思わないでしょう」

 思わぬ情報に、望は眉を顰める。

「兄上はあちこち手は出すけど、隠したりはしないぞ」

「お噂はかねがね。私も同じ主義なので気になったんですよ。どちらが嘘をついているのか、それともどちらも本当のことを言っているのか。誰も聞いていないのなら、嘘をつき通すこともできたはずです。それなのに」

 目線を落として考え込む望。

 その横顔を、蝋梅は見つめた。

「殿下、殿下が猫にされた時、最後に会ったのは王太子殿下でしたよね。王太子殿下が、とは申し上げませんが、何かしらご存知なのではありませんか」

 昼空の眼が、伏せられる。が、それも短い間のこと。ぐっと力を入れて立ち上がる。

「……俺もそう思う。一緒に来てもらえるか」

 再び開かれた花浅葱の眼を蝋梅は見上げ、そして頷いた。

 荷物を置くなり、二人は宮殿内で朔を探す。

 貴族たちの饗宴はぐだぐだとまだ続いており、なかなか人目を避けてというのは難しい。朔もまた、誰かしらと話をしている。同じ年頃の青年たちもいるが、あちらの花、こちらの花と、来る者拒まず手を伸ばす。

 望は人をやって呼んでもらおうとするが、返事は後でと、にべもない。

「直接ひっぺがしてくるしかないか。はぐれるなよ」

 望は蝋梅の肩を抱いて、輪の外から標的に近づく。が。

「おや殿下! 今日の舞は大変素晴らしゅうございましたな」

「その方が破邪の星ですか」

「舞台の上とは雰囲気が違いますなあ」

 酒の匂いを撒き散らした貴族たちが、それを阻んだ。こんなに近づくのも、酒くさい人間も初めてだ。

 これが酔っ払いか。

 真っ赤にでろりと酒に酔った顔を、蝋梅はついまじまじと観察する。すると、望にぎゅっと腰を引き寄せられた。背中を預けると、どうしても星冠が彼に刺さる。横向きになると、少し見上げた視界の半分が望になった。第二王子はよそ行きの顔で笑う。

「はは、兄上にもぜひ感想を聞きたくてね。通してくれないか」

 しかしそれは相手には届かない。

「無粋だな、望。自分は相手が決まったからって。俺には楽しむ時間もくれないのか?」

 ぱちんと片目を閉じる朔。

 それにわっと娘たちが群がった。どこにいたのかと思うくらいに、取り巻きは増えてゆく。

 酔いの回った者たちは、逆に二人に話を聞かせてくれと輪の中央に連れて行こうとする。二人は顔を見合わせ、戦略的撤退を決めた。

 部屋に撤退を余儀なくされて、望は肩を落とす。

「……兄上は毎晩義母上に挨拶してから部屋に戻る。そこを捕まえて話を聞こう」

 そう作戦を切り替えたはいいが。蝋梅は窓から星を眺める。もう随分とその角度は変わっていた。

「毎晩、ですか」

 蝋梅は微笑んだ。今夜はまだ月の姿は見えないが。

「よく似ていらっしゃるのですね、お二人は」

 部屋の奥から蝋梅用にと、望は着替えを出してくる。きれいに折り畳まれたそれからは、まだ誰も袖を通していない真新しい匂いがした。

「……そうだな。よく言われる」

 そう口にしつつも、彼の表情は暗い。

「兄上からは、否定されるけどな」

「否定、ですか?」

「真面目なんだよ。背負った期待を裏切らないようにって。それがどんなに身勝手なものだとわかっていても。好き勝手して言うこと聞かない俺のことなんて、理解したくもないんだろうな」

 寂しげに、望は言う。

「俺のことは、蝋梅が満たしてくれた。でも兄上は、ずっと探してた。移り気なんじゃなくて、必死だったんだよ。誰といても、虚しかったんだ。会う前は楽しみにしていても、その後空っぽな顔をしてた」

 蝋梅は、そっと手を伸ばす。そうして望の指に、自分の指を絡めた。

 絡めたところは熱を共有しあって、温かさが増す。そこにいるのだと、知覚できる。

 望はそれに、やや表情を和らげた。

「兄上はいつ頃出てくるんだろうな」

 蝋梅は星冠をきらめかせる。柘榴の部屋の扉前に張り付くも、出てくる未来がなかなか見えない。一時間後、二時間後、目を凝らしても出てこない。

 ようやく扉が開いて彼が出てきたのは、もう空が白んだころだった。

「お酒で潰れてしまわれたのでしょうかね。それなら寝てしまわれる前に声をかけないと」

「待て、蝋梅」

 望が止めるより先に、蝋梅は中の未来を読見とる。そうして見えた光景に、凍りついた。

 言葉を失ったままの彼女の目を、意味はないとわかりながら望は覆う。

「……もう見なくていい」

 大きくひと呼吸置いて、望は続ける。

「男女の関係だったとか、だろ」

 蝋梅はその手を包んで、おずおずとはずした。

「……ご存知だったのですか?」

「いや。多分今までは違ってたはずだ。……あいつは夢を、現実にしたんだよ」

 深く息を吐き出して。望は瞬きする。

 そっと、手を離して蝋梅の髪に触れると、簪や髪飾りをひとつひとつ丁寧に外し始めた。

 はらはらと、銀色がかった白群色の髪が下ろされてゆく。なめらかな感触を確かめるように、望は指でそれをすいた。そのまま手を下ろして、帯を解いてゆく。

「……殿下」

「明日は早い。もう休もう」

 蝋梅は彼の頬を両の手で包み込む。

 望は、ゆっくりと顔を寄せてゆくと、額を蝋梅のそれにくっつけた。

 何か言いたげで、でも言葉にならない。

 まだ月の昇らぬ空は、暗かった。


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