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 蝋梅が望と共に塔の自室に引き上げてしばらくすると、扉を叩く音がした。

「蝋梅、少しよいか」

 その声に、慌てて蝋梅は扉を開ける。

「星守さま? 呼んでいただければこちらからうかがいましたのに」

 牡丹はゆるゆるとかぶりを振った。

 星冠を際立たせるように、髪飾りは最小限だ。それでも彼女の頭上は誰よりも華やか。五家の妃たちが束になってもかなうまい。

 その彼女は静かに微笑んだ。

「少し話したいことがあっての」

 その場を辞そうとする望を手で制し、牡丹はいつもそうしているかのように椅子に腰掛けた。それだけで、宮殿に飾られる絵になりそうだ。

 蝋梅が呆けていると、望が横で座るよう小突く。蝋梅は二人分いれかけていたお茶を、ひとつ増やして牡丹に勧めた。

「よき舞じゃった。衣装が役立って良かったよ」

 ついと茶杯に口をつけて、牡丹は茶を口に含む。

「ありがとうございました。さすがに服を一週間で用意するのは難しかったので。装飾品は、元々星祭にと発注してあったので、何とかなりましたが……」

 望が礼を言うと、大輪の花は袖に隠れて笑んだ。

「そうか。のう、蝋梅。ひとつ占ってくれぬか。――そなたの五年後を」

「私の、ですか?」

 意図が読めずに、蝋梅は首を傾げる。

「うむ。疲れておるじゃろうが、ひとつ修行だと思い、しかと占え」

 目の前の彼女は、どこか楽しげだ。

 蝋梅は深呼吸して目を伏せた。頭上の北斗七星に意識を集中させ、遠くの星を思う。そして、その指し示す先へ。

 無数の分岐がそこにはあって、星明りを頼りに辿ってゆく。中でも今一番はっきりと明るく見える道を。

「見えたか」

 牡丹の問いに、蝋梅は反射的に頷く。頷くが。

「どうだった」

 蝋梅は首を傾げる。

「幼子を抱いておりました。殿下も一緒にいらして……」

 ああ、と望は嬉しそうに破顔した。

「俺たちの子か」

(殿下と私の、)

 ありえない。今までならそう、反射的に蓋をしてしまった思考。けれど。

 いつもなら強固に蓋を固める村人の責め声が、近づいてこない。胸が、早鐘の打ち方を変えてゆく。

 見た光景を思い出して、蝋梅の顔が次第に朱に染まってゆく。目の前にいるのが星守でなければ、顔を覆ってしまいたいくらい。

 その反応に、この塔の主は、鈴を転がすような声をたてた。

「それは重畳じゃ。蝋梅よ。己の道を迷うた時は、己を見るのじゃ。どうありたいか。そなたも知っていようが、分岐はそれこそ無限にある。じゃが、選ぶのはそなた。そなたの道を選ぶのじゃ。他人に任せてはならぬ」

 そう口にする表情は満足げだ。

「覚えておるか、そなたここに来てしばらくした頃、未来を占うのが苦手だと菊花に言ったそうじゃな。そもそもある時期を境に見えなくなると。星冠を持つ者は、死期が近づくと自分の死後の星は見えなくなるらしい。そなたはいつでも命を手放そうとしておるのではないかとひやひやしておった。が、そもそもそなたは、自分の星を視界にいれないように、星を読もうとしておったようじゃ。それでは目をいくらかつぶって空を見上げるようなもの」

 しゃら、と簪を鳴らして、牡丹は今度は望の方を向く。

「望よ、彼女が剣なら、そなたは盾じゃ。盾の守りなくば、身体は傷つき剣も振るえぬ。そなたは星冠を持たぬ。術を使えるわけでもなければましてや神でもない。じゃが、蝋梅の盾たれるのはそなただけじゃ。星を見る目が開いたのも、神を降ろせるのも、そなたあってこそ。それを忘れてはならぬぞ。私が敵なら、蝋梅を直接狙わず先にそなたを潰すじゃろう。蝋梅、そなたも身に染みていよう」

 お茶請けにするには真剣すぎる声音に、二人は背筋をより正す。それに気づいて、牡丹は自ら表情を緩めた。

「さて、望。すまぬが蝋梅の荷物をいくらか運んでくれぬか。一国の王子に頼むことではないのじゃが、門までは他は入れぬ」

 荷物ですか? と蝋梅は尋ねる。今夜は塔に留まり、明朝発つ予定のはずだ。

「望の部屋の近くに、蝋梅の部屋を用意してあるそうじゃ。警護用にな。今日からそちらを使うとよい」

 王からの指示だとしたら、かなりの手のひら返しだ。急な返しすぎて、蝋梅の方が準備できていない。

 ちらと横を見遣ると、望はいささか難しい顔をしていた。

「俺の部屋を使わせます。祭祀の控室も急拵えすぎて使えませんでしたから」

「――そうか。もう星守の威光は過去のものじゃな」

 若草色の水面に、映り込んだ牡丹の顔が揺れた。

「あの、星守さま。陛下と正妃さまのこと、お聞かせ願えませんか」

 ここぞとばかりに、蝋梅は膝を進める。

「そうじゃな。そなたには必要じゃろう」

 牡丹は茶杯を空にした。喉を潤して準備万端。蝋梅が追加で茶を入れ終わると、口を開いた。

「あれは、珠を我が領土とした後。少し間を空けて、次へ標的を定めようとした矢先のことじゃった。田猟と称して、そちらの方面へ陛下は出立した。遠方じゃったのでな、一週間くらい宮殿を空ける日程だった。事前の星は吉。しかしその間に正妃は亡くなった。急病じゃった。陛下は文字通り飛ぶように帰還して、どこが吉兆かと激昂した。もう言葉を交わすこともできん妃の手を、いつまでも握っていたそうじゃ」

「覚えて、います。なぜ避けられなかったのかと嘆く声を」

 望の声は静かだ。かつての記憶を読み返して、そうして目線を上げた。

「星守さま、母上は言わないでほしいと事前に言っていたのではありませんか」

「うん?」

「倒れた時、一度意識が戻ったのです。伝令を飛ばそうとするのを、母上は止めました。国の大事を行う時に、凶兆を伝えるべきでないと。戻ってきたときには何食わぬ顔で出迎えればいい、そう言って」

「彼女の言いそうなことじゃ」

 牡丹は目尻を下げた。

「まだ戦をしておったころにな、戦況を占ったあと言われたのじゃ。自分たちの凶兆は陛下に伝えずともよいと。その日は歯が痛いと言っておっての。何も関係はなかったのじゃが。何か思うところがあったんじゃろうな」

「強い人でした。これぞと思う相手がいたら、獅子が獲物の首を牙で捕らえるように仕留め、離すなと俺たちを膝に乗せて力説したものでした」

 歴代最強と謳われる彼女は、袖の陰で少女のように笑う。

「そんなことを教えておったのか。それは初耳じゃ。確かに彼女は、はじめ妃のうちの一人という扱いだった。それが、のう。なるほど、なるほど。それでそなたも、教えに従って蝋梅の首の後ろに痕をつけたのか?」

 ひらひらと袖を揺らしての、悪気のない問い。

 蝋梅は目を見開いた。そっとうなじに手をやるも、違和感はない。一体、何がついているというのか。

 目の端を横へ向けると、望が何とかうまいこと誤魔化して、うやむやにする時の顔をしていた。そうして、名前や印は誰のものか誰にでもわかるようにつけておくべきでしょうと、さも当然のように言ってのける。

 牡丹もにこにこしているところを見ると、特に問題ないことなのか。しかし。

(誰のものか誰にでもわかるように?)

 思い返せば、首元に何度となく口づけの雨を降らせていたような。褪せたはずの朱に、首から再び染まってゆく。

「別に咎めておるわけではない。塔に来るまで、蓮には他家ながらよく世話になった。姉のように思っておったよ。その子らが幸せであるなら、ましてや妹のように思うておる娘が相手なら、それ以上のことはない」

「父も兄も、母上のことがわからないわけではないでしょうに」

「いや、本人がどうであろうと、告げることもできた。告げたから避けられたかというと、それは約束できんがな。特に病は。陛下は、外に向けていた敵意を、内に向け始めた。星冠のある者は、こちらで見つけ次第使いを出すよう依頼したものじゃったが、蝋梅を最後に誰もこの塔には来ておらぬ。そなたは殿下の吉兆として伝えたゆえ逃れたが」

 牡丹は窓の外を見る。茜色が、花の王のかんばせを染めた。物悲しげに見えるのは、その色のせいか。それとも。

「そもそも星冠ができた者も減ってきておる。星がよく見えぬのは、そもそも加護が薄まっておるのかもしれん。さすればいつか塔も無用になろう。ここの者たちが辛い思いをしないでくれればよいが」

 ――今のまま、楽しく過ごせたらいいな。

 そう願った水仙の姿が脳裏に浮かぶ。

 ついこの間のことなのに、随分昔の思い出のようだ。それくらい目まぐるしく、移り変わりつつある。

 強い茜色の中で、目の前の荘厳な星冠は、やけに儚げだ。今にも溶けてしまいそう。夜になれば、そんな不安もなくなるのか。

 蝋梅はぎゅっと袖の端を握る。すると机の陰に隠れて、そっと手が重ねられた。手の甲に伝わる体温が温かい。

 向かい側では牡丹が、目を細めた。




 見習いの部屋に寄るなど珍しいこともある。

 迎えにきた菊花は、そう先を進む背中に声をかける。

「まあ、あれほどの舞を見せられたら、誉めたくもなるか」

 つい、口元が緩む。

「神気が体中に満ちていたな。塔に残ってくれたらとも思うが……まあそれは言ってはならぬな。あの子が初めて塔に来た時のことを思うと、感慨深いよ。名前すらもわからなくなっていた、ボロボロの花。それがなあ」

「百合に何かあったようじゃが?」

 さすが、耳が早い。その頃には既に匂い立つような一輪であった名を、牡丹は口にする。一度は緩んだ表情が、再び固くなった。

「うむ。声をかけてきたが一人にしてくれと」

 上り慣れた階段を、二人は上がってゆく。上へ上へ。星の近くへ。

「結界は問題ないのか。檀につけこまれるわけにはゆかぬ。呪いというものは、こういう時するりと懐に入ってくるものじゃ」

「招かれざる相手は訪れていないようだ。まあ、わざわざ怪しいものを招き入れたりはしないだろう。落ち着いたら話を聞いてみるよ。今は水仙も入れないらしいからな」

 牡丹は急に足を止めた。

 夕陽はもう遥か彼方に沈もうとしている。自分で思うより、あの巨星の動きは早い。一日はあっという間に去ってゆく。紫苑の空に、星冠が一番星となって散らばった。

 星を見る場所だから。宮殿の中でもひときわ高く造られた。あたりを見渡せるようになっていた。そのはずだった。

「綺麗だな」

「そうじゃな」

 夜の帳は、しずしずと降ろされる。舞台の上がどういう状況であろうと構わずに。

「一度、休暇を願い出てみないか。陛下の即位と同時に星守になって、そなたは一日も休むことなく祭祀や占卜を行ってきた。疲れが溜まっておるのかもしれん。陛下の御代が長いのは喜ばしいことだがな、少しくらい代わってもいいのではないか。そのための補佐だ。まだこれからも長いだろう」

 呟くくらいの小さな声でそう言うと、牡丹は困ったように笑った。

「もう、星守になる前にどう過ごしていたか、忘れてしまったの」

「見習いたちに紛れればよい。ああ、戻りたくなくなったら困るな」

 ぽつりぽつりと灯された灯りの存在感が増してゆく。星冠も。牡丹の顔を照らし出す。

「ふふ、蝋梅の嫁ぐ時の衣装の刺繍もしたいのう。針なぞしばらく触っておらん。まだできるかの」

「やめておけ、手が血だらけになる」

 少女のようだった笑い顔は、袖に隠れて。またいつもの牡丹がそこにいる。

「のう、水仙とも話がしたい。後で呼んでくれるか」

「構わないが……どうした?」

 菊花は訝しむ。見習いの育成は、補佐に一任されている。彼女は口を出したことはなかった。

「たまには後進の成長した様子を実際に見てみたいのじゃ。いつも報告だけじゃろう。付き合え、菊花」

「そうか? なればよいが……」

 胸の中がもやもやする。けれど、星冠を光らせれば、彼女は気づくだろう。そして檀がらみであれば、映りはしない。

(我々は、星の見えるこの目を、過信しすぎたのだろうか。それともいつの間にか加護は消えかけているというのか)

 彼女を最後の星守になど、させぬ。そう心に決めて、菊花は拳を握りしめた。


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