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 彼誰時に、望はひとり目を覚ました。

 指先で群青に染まった蝋梅の輪郭を探る。疲れもあって泥のように眠る彼女の身体は柔らかい。緊張で身をこわばらせていたり、まんじりともせず夜を明かしていたのが嘘のように、望の胸に顔をうずめている。そこからは焦ったくなるほど妖艶な香りがした。蕾を無理やり開かせて、奥まで顔を突っ込んだみたいだ。

 望はなめらかな髪に頬を寄せる。側にいればいるほど、愛おしさが込み上げてくる。今までで一番、胸に幸せが溢れている。

 けれど、これが一番であっては困るのだ。これからどんどん更新してゆかねば。その為に。

 名残惜しくはあるが、望はそっと体を起こす。そして最低限の身なりを整え、彼女の部屋に備蓄していたあれこれを取り出した。

 香炉に一度は疑いを持ったあの香。部屋の中央には碁盤一式と、酒と干し肉。その前に腰を据えると、望は口を開いた。

「叔父上、久しぶりに碁の相手をしていただけませんか」

 空の星はまだその姿を目視できる。ふわりとそれも姿を現すと、向かいに胡座をかいた。

「……憎いだろう、俺が。お前や嬢ちゃんをあんな目にあわせたんだ」

「憎む前に、知りたいのです。なぜあなたが俺を呪わなければならなかったのか」

 望は二つ杯を並べると、酒を注いだ。金華猫に何か頼みごとをする時のために取っておいた、とっておきだ。果物のような香りがほのかに漂う。

「単純な理由かもしれないぜ」

 長庚は困ったように笑った。

「あなたの口から聞く機会を得たんです。無駄にしたくはない」

「俺はもう、あの俺ではない。真実とは限らないぞ」

 今度は打って変わって真剣な表情で、彼は返す。

「それでも」

 じっと、二人は見つめ合う。どれくらい経ったろうか。ついに長庚は話し始めた。星守たちにしたのと同じ話を。

 話が進むにつれ、碁盤の上も戦が進み始めた。触れられない長庚の手は、彼が指し示したところに望が黒石を置いてゆく。

「許してもらおうとは思ってないぜ。操られたのは俺の至らなさだ」

 ぱちりと、望は白石を置いた。

「それでも。あなたの本心でないことがわかっただけでも、俺は救われるんです」

「強くなったなあ」

 破顔した男の姿は、幽霊でも若くても、確かにかつての長庚と同じで。望は目頭が熱くなった。

 ずっと、ずっと知りたかったのだ。記憶の中の叔父が、嘘ではないと。望は目元を誤魔化すように盤面に視線を落とした。

「勝負はこれからです」

 そう言って。

 少しずつ、窓から差し込む光が紫から群青、青から黄金色へと変わってゆく。

 いつしか、指先にほのかに光が宿り、自らの手で黒石を置いていく。自然と杯にも手が伸びていた。望は空にならぬよう注いだ。干し肉も酒も、すっかり空になった頃、望は宣言した。

「俺の勝ちですね」

 向かいでは幽霊が、難しい顔で腕組みしている。納得いかないようだ。望は姿勢を正して、深呼吸する。

「ひとつ、勝者の願いを聞き届けていただけませんか」

「何だ」

 敗者は少しばかりぶっきらぼうだ。

「蝋梅の寿命を延ばしてください」

 向かいの眼が、僅かに見開かれる。が、すぐに困ったように頭をかく仕草をした。

「俺にそんな力は」

「いらっしゃるのでしょう。叔父上とは途中から碁の打ちかたが違います。あなたは寿命を司る神。できない話ではないでしょう」

 望は逃すまいと畳みかける。

「久しぶりすぎて忘れただけよ」

 そう笑ってみせる瞳は、いや、本当のところ笑ってはいない瞳は、玄々としていた。見た目はそう変わっていないのに、気圧されそうになる。それでも。

「捧げ物を食い逃げですか。神ともあろうお方が、民の声も聞かず」

 昼の空は夜を逃さない。玄の瞳は寝台を見遣る。

 いつの間にか起き上がっていた蝋梅が、望の上衣を羽織ってその服の持ち主の傍らに座った。

「私も、殿下と共に生きたいと、そう願っています」

 寝衣を他に見せぬよう、上衣の端をぴっちり閉じている。青年幽霊は、面白くなさそうに目を細めた。

「そなたは天公廟で銀華と修行してもらう。手配せよ」

 蝋梅は一瞬間を空けるものの、はいと返事した。ぐるりと、玄が天色を捉える。望はそれに負けじと唇を結んだ。

「……あの神であったものを舞台から引き摺り下ろしたら、いくらでも寿命は書き換えてやる。ゆめゆめ忘れるな、これは私の巫だということを」

「認めさせます。必ず」

 玄が明けてゆく前に、望は誓った。




 明け方から、動物たちが集められていたはずの広間は大騒ぎ。動物たちの代わりに、さまざまな身なりの人々が突如現れ、混乱状態に陥っていたからだ。

 ここはどこだと、皆口々に言い合い、ぶるぶると恐怖に震える者、星神の名を半狂乱になって唱える者、広間を飛び出そうとする者と、収拾がつかなくなっていった。

 見習いたちが呪いを祓い、白湯を飲まそうと差し出すも、なかなか落ち着かない。最後には菊花と茉莉花が心を鎮める霊符を無理やり貼り付けた。

「急に解けたわね。なぜかしら」

「呪いも完全に消えています」

 菊花は懐から小瓶を取り出すと、比較的落ち着いていた一人にそれを見せた。

「この瓶に見覚えは?」

 声をかけられた女は、息をのむ。そなたたちもと小瓶を掲げると、あちこちからバツが悪そうに周囲の反応をうかがうのが見えた。うかがうばかりで答えがない。菊花は強い口調で言った。

「ここ数日、そなたらは相当に辛い思いをしたことだろう。だが解決せねば、また同じ苦しみを味わわなければならないかもしれぬ」

 しばしの沈黙の後、年若い男がおずおずと手を挙げた。

「薬を売っていたのは若い女だった」

 それを皮切りに、ぽつぽつと証言が出始める。

 彼女は、市に店を出していたこと。けれどいつも店が開いているわけではなく、運が良ければ程度の遭遇率だったこと。目深に布を被っていて、人相はわからなかったこと。

「誰かに飲ませたのか?」

 菊花が尋ねると、みな首を横に振った。

「買う時にひと瓶自分で飲むのです。その時女から、持っている杖の先で額のあたりをこつりと叩かれました。これはまじないだと言われて」

「惚れ薬なんだろう。自分で飲むのか?」

「相手が自分に惚れるための薬でもあるそうです」

と別の者が声を上げた。

「魅力的に感じる香りが身体から出るようになるんだとか」

「まずは興味をひかせて、それから同じ薬を飲ませるそうです。そうすると一番最初に見た、同じ香りをさせている相手の虜になってしまう」

 納得いかない顔で、星守補佐は唸る。

「効いたのか」

 そりゃあもう、と殆どが今度は縦に首を振った。身なりの比較的良い男が、声を荒げた。

「早く帰らせてくださいませんか。夢から覚めてしまう前に」




「助けてもらっておいて勝手なものよ」

 ぶつぶつと菊花は文句を垂れる。丁寧に氷にライチの香りをつけていれられた茶を、一気に飲み干した。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる。昔から言うじゃろう」

 横で牡丹は笑った。

「女は檀だろうか」

 遠くを見ながら菊花はこぼす。

「わからぬのう。我らは目を塞がれておる。じゃが、術が解けた今、もはや遠慮はいらぬ」

 明かりを極力入れぬようにした室内で、大輪の花は微笑む。夜の花ほど妖艶なものはない。

「今夜はよく空が澄んでおる。頃合いじゃ」

 星冠を、小さな光が流れた。


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