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 日が傾くまで探して、収穫は何ひとつなかった。その事実が、足取りを重くさせる。

「一度仮眠をとってきなさいよ。適度に休息を取らないと、見落としがあるかもしれないでしょ。槃瓠と私が後は続けるから!」

 無になっていると、水仙からごもっともなことを言われて、蝋梅は部屋へと一時撤退する。

 部屋につくなり、床に座り込んだ。疲労と睡眠不足と呪いで、体も頭も重い。

 それでも、ああそうだと、黒猫に手をかざした。呪いが増えてきたのか、彼もあまり元気がない。しかし、いくら触れても、いつものようにうまく祓えなかった。

(疲れてるせい? それとも強力になってる? でも、このままにしておくわけにはいかない)

 蝋梅は大きく深呼吸する。そうして星冠をきらめかせた。が。

「やめな、嬢ちゃん」

 不意に長庚の声がして、蝋梅の集中は途切れた。星冠の光もすぐに消える。

「なぜですか」

 振り向くと、そこに見えたのは心配そうな長庚の姿。彼はゆっくりとしゃがみ込んで目線を合わせてきた。

「あんたのそれは、嬢ちゃん自身の命を削って作り出してるんだ。やたら使えば、死ぬぞ」

 警告してくる低い声は、厳しさの中に優しさが見え隠れしている。蝋梅は淡く微笑んだ。

「――ああ、本当にそうだったんですね。私の命と引き換えにと願った力ですから。覚悟はしていました」

 青年幽霊は、困ったように頭をかく。

「俺はそんな覚悟してほしくねえなあ」

 想定外の返事だったらしい。胡座をかいて座ると、蝋梅をまっすぐ見つめてきた。

「嬢ちゃん、あんたその星冠をどうやって得たか覚えてるか?」

「いえ。私は幼い頃の記憶がありませんから。家族や友人の顔も自分の家も名も知りません。なぜ、あそこで呪いを受け続けなければならなかったのかも」

 小さく、長庚は頷く。一瞬口を開きかけて、止まった。しかしそれもほんの僅かな時間で。

「――我が星冠を受け入れたからだ」

 密やかな声に、蝋梅は目を剥く。長庚の声だ。しかし何かが違う。

 半透明の顔を覗き込めば、その眼は玄々と吸い込まれそうになった。

「あなたは、」

「我が名は呼ぶな。聞かれるゆえな」

 初めて話すはずだ。しかしそれを、蝋梅は知っていた。

 不穏さを感じ取ったのか、黒猫が身を起こす。重たげではあるが、蝋梅の膝の上に陣取った。

 青年霊はそれに一瞬冷ややかな眼差しを向ける。が、すぐにそこには何もなかったかのように、蝋梅を見た。

「そなたは私が遣わした抑止力。異境の神が我らが領域に呪いをもたらすというのでな」

「抑止力?」

 そうだ、と相手は頷いた。

「そなたの家族は、あの年の流行り病で死にかけていた。命の灯が消えようとした時、私はそなたに取引を持ちかけた。家族を助ける代わりに、抑止力として働くことを。受諾したそなたに、私は私の一部を埋め込んだ。生来のものではないからな。無理に植えつけたことで、記憶はなくなった。空っぽのそなたに意思などない。抑止力の務めとして、呪いとわかれば祓うよう、体が動く。そう導いた」

 言葉が出てこない。これまでの出来事が、頭の中を駆け巡った。村でのこと、呪いへの耐性、そのひとつひとつが、結びついてゆく。

「私は……そう、でしたか。村の人たちは正しかったのですね。願いが見出せなかったのは、私がそういう存在だったから」

「すべからく正しいわけではない。災厄の子ではなく、むしろ逆なのだからな。そなたのすべきことは、あれを晶華という舞台から引きずり下ろすこと。そのためだけに生かされているにすぎん。愛だの恋だの、そなたには不要。どうしても欲しくば、まあ与えてやらぬこともない。そなたは我が巫。巫は神妻でもある。役目を果たしたのちに、我が妻となればよい」

 こともなげに、彼は言い放つ。

 声に抑揚はない。感情が、思考が、違うものなのだということが、長庚の皮を被りながらも感じられた。

 ただ、未知の生命体と対峙するような怖さはなかった。ずっと、昼も夜も見つめていた星だ。

「私は、妻になりたいわけではありません。恩を返したいだけです」

「ならば使命を果たせ、我が巫よ」

 神はすぐ近くまで顔を寄せて囁く。夜のその先の、宇宙を閉じ込めたような瞳だ。が、台詞が終わるや否や、元の長庚の色に変わってゆく。表情も、さっと慌てたものになった。

「おい待て、勝手に出てきて話して帰るな! 剣の使い方を変えさせる話じゃなかったのかよ!」

 言葉をぶつける先を探して、長庚はあちこちに向かってどなる。が、届くような相手ではない。長くため息をついて、向き直った。

「すまなかったな、嬢ちゃん」

 大型犬が、しょぼくれて尻尾を垂らしているようだ。

「いいえ。かえってすっきりしました」

 蝋梅は目を伏せたまま返した。

「すっきりだあ? あんな胸糞悪い話のどこが」

 蝋梅は口元に笑みを浮かべてみせる。

「昔、殿下の未来を読んだ時、お側には蘭さまがいらっしゃって、私の姿はありませんでした。王族や星守を狙う檀。その呪いから守って消えられるのなら、命の使い道を選べるなら、本望です」

「本当にそれでいいのかよ。したいこととか、叶えたいこととか、あるんじゃないのか」

 蝋梅は窓の外を見た。

 まだ橙に染まり始めたばかりの空には、星はひとつとして捉えることはできない。けれど、いつでもこちらを見ている。

「ずっと、苦しかったのです。早く、消えてしまいたかった。屋根の切れ目から見える星に、そればかり願っていました。かの方は、ずっとそれをご存知だったのです。それが叶うのかもしれません。ようやく」

 冠に、もてる意識を集中させる。いつもより、剣の形がぼやけている。それに小さい。それでも自分の願ったものだ。

 やめろと長庚が空を切る手で何とか制そうとする。が、実体のない彼に止める手立てはない。

 蝋梅は剣を黒猫に突き立てた。増えかけた呪いが散じる。同時に剣も光の粒となって消えた。

 まだ昼間だというのに、視界が暗くなってゆく。名を呼ぶ音も、遠くなって消えた。




 体が動かない。動かなきゃ探せないのに。殿下を。

 僅かに開いた目を凝らす。なぜ動かないのか。そう思って下を見やると、呪いの焔が体中に絡みついていた。

 ――憎い、憎い、憎い!

 ――なぜあなたが死ななければならなかったの!

 炎の中心に、傷ついた男女がいる。蝋梅より少し年上だろうか。

 ――許さない、許さない、許さない!

 女の傷口から焔が吹き上がる。それが蝋梅にも襲いかかってきた。激しさに思わず目をつむる。

 強い熱風が吹き抜けたかと思うと、やがて止んだ。おそるおそる瞼を上げる。もうそこには、燃え盛る光景はなかった。

 代わりに、眩く光が差し込んできている。差してくる方には、若い男女の姿。先程の二人だろうか。蝋梅は手で遮りながら何とかその顔を見ようとする。光は次第に弱まってきて、目を開けていられるようになってきた。

「ありがとう、蝋梅。皆の呪いは取り除かれた。檀も討ち果たした」

「これでわたくしたち、晴れて結ばれますわ」

 身を寄せ合って幸せそうに微笑むのは、望と蘭。蝋梅は目を見開いた。かつて星読見の中でぼんやりと見たものだ。鮮明なのは、より時間が近づいたからか。けれども、もっと明確に違うところがある。

(どうしてこんなに、胸が苦しいんだろう)

 幸せな未来だ。なのにどうして。

 下ろそうとした手が、端からほろほろ崩れてゆく。

(私の願い。早く消えてしまいたかった。それも叶う。それなのに)

 ――呪いの子、災厄の子。

 呪いを全て持ってゆけ。

 それがお前の役目。

 それだけがお前に許されたこと。

 屋根の切れ目から星を見上げながら、震えていた。寂しかった。あの方に会うまでは。

 形の崩れた手を伸ばす。

「……殿下」

 ――蝋梅。

 呼ばれた気がして、蝋梅の意識は現実へ浮上する。

 目をうっすら開けると、黒猫が顔の側でしきりに鳴いているのが見えた。暗いのは呪いのせいだろうかという考えが、頭をよぎる。しかし、ただ時間が経っただけのようだ。部屋中が暗い。

 声をかけようとするが、息をするのがやっとで言葉にならない。呪いが、身体に細かに根を張っている。やがて心の昏いものを吸って、太くなってゆくだろう。

(私の願いは、本当の願いは、これじゃないの?)

 呪いが見せるのは悪夢だ。心の闇をより深く、自分の養分とするために。なら、これは。

(私が望んでいないもの……?)

 花朝節の時、口にしかけてしまった言葉。

 ――行かないで。

(そんなのダメだよ。望んじゃダメなんだよ。だって私は呪いを祓うためにいて、そのためにここへ導かれた)

 黒猫が、頬ずりする。その温もりが、空色の眼差しが優しくて。思わず望の姿を重ねた。

「……殿下」

 ほとんど形にならない声で、こぼす。黒猫は、それに呼応するかのように声を上げた。

「――」



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