表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/123

6


「まったく何をしているのだ!」

 雷のような声が、部屋いっぱいに轟く。特大雷を落とされた水仙は、体を縮めた。

「面目ありません」

「一体何があった。ゆっくり休ませてはやりたいが、事態は急を要する」

 落雷とは打って変わった静かな声で、菊花は問うた。水仙は袖を握り締める。

「女官のひとりに誘われて、彼女の部屋へ行ったのです。部屋には彼女の飼い猫がいて。しばし戯れていたのですが、ふと部屋の影に隠れたと思ったら、入れ替わりに男が現れたのです。何をするでもありません。ただ言葉を二言三言交わしてゆくうちに……あの声はいけません。人をダメにする美声です。呼吸を整えようにも胸が苦しくて。だのにだんだんと夢の中にいるような心地になってきて、そして……そこからはもうあの方に夢中で、幸せで、姿や声で頭の中がいっぱいで、覚えていないのです」

 話を進めていくにつれて、だんだんと頬が赤らんでくる。

「まだ魅了が効いているのでしょうか」

 脇に控えていた蝋梅が、口を挟む。

 菊花はゆるりと首を横に振った。

「術が解けても、恋愛感情として残ると、もはやそれは祓いようがない。こたびのやっかいなところよ」

 はあ、と蝋梅はわかったようなわからないような声を返す。菊花は目を伏せた。

 事態がここまで大事になるとは。

 ――そなたでも見えない星が?

 兵たちにかかった魅了の術を収め、術の痕跡から下手人を洗い出そうと占った時のことだった。

 菊花は星守の補佐を務めている。それは、星守が星読みに専念できるよう補佐し、塔を統括する実力を備えているということ。

 その菊花が星を読もうとして、そして追いきれなかった。これまで国の大事以外で星守に助言を乞うたことのない彼女が、初めて話があると切り出したのだ。星守は目を見張った。しかし、それも一瞬のことで。すぐに二、三瞬きすると元のように菊花を見つめた。

「神霊級が相手であれば、その領分を星の神の力が侵せず、見えづらいこともある。そもそも星の並びを変えてしまうほどの相手もいると聞いておる」

 おっとりとした、優美な口調だ。

 晶華の中でも古くからある家の出で、星冠がなかったら、必ずや王に召し上げられていただろうと言われたほどの美貌の持ち主でもある。それは年を経てなお健在だ。

 しかし、今は見惚れている場合ではない。

「何か心当たりがありそうな口ぶりだな」

 菊花は眉根を寄せる。しばし間をあけて。星守は声音を落として告げた。

「今に始まったことではないが。どうも星を隠す者がいるようじゃ」

「なぜ言わん! 気づいておったのか?」

 口調は荒々しくも、音量は控えめに菊花は返す。

「先代以前もなかったわけではない。時折気まぐれな神もおわすものじゃからな。大事には至らなかったゆえ話さずにいたのじゃ。しかし、実害が出てくるのであれば、心してかからねばの」

 そう告げた星守の言を、菊花は思い出す。先刻、望から依頼された毛を、懐から取り出した。

「殿下からお預かりしたものを調べてみた。これはどうも、猫の毛のようだな。蝋梅、触れてみてどうだった」

 蝋梅は再度触れてみる。細いその一本に意識を集中させると、何か力の流れのようなものをうっすら感じた。緩やかに堆積した地層のように、それはゆったりとしている。

「霊力が含まれている。随分長生きのようだな」

「猫の神、妖精……」

「金華猫とか?」

 水仙がはたと思いつく。

 金華猫? と蝋梅が反芻すると、この同僚は小さく頷いた。

「確か、美しい人間に化けて魅了するのよ。男性に会えば美女、女性に会えば美男に」

「まさにそのままじゃないですか」

「話どおりなら、神隠しの元凶にもなる。早急に除かねば」

 そう言うと、厳しい顔つきで菊花は星を読む。星冠の軌道上で、星が急速に動き出す。

「手がかりがある分、いくらか読めるようになったな。訪ね人は李という女官の部屋が吉と出た。しかし、私が対処しようとすると凶と出るな。誰か他にあたらせよう」

「私が行きます」

 間髪入れず、蝋梅は名乗り出た。しかし、菊花の方も星冠のきらめきを残しながら、即座に首を振る。

「お前は塔の中で一番年若い。ここは経験のあるものに任せよ」

「私の受ける加護なら、破邪の力が他の方より強いはず。耐性があるかと」

 菊花は憤怒の形相で蝋梅を睨みつけた。

「ダメだ。年長者が先に立たんで何とする!」

「年功序列より、適材適所です」

 菊花は凄みのある眼差しで蝋梅を、そして頭上の星冠を見る。その紫水晶の瞳と、そして北斗七星を模すように鉱石の並んだ星冠を。

 しばらくの間思案を巡らせて。そうしてその唇は、最終的に悔しそうに是の一言を吐き出した。

「無断で塔から抜け出したの、罰されますよね」

 蝋梅が部屋を辞して、残されたのは菊花と水仙のみ。水仙はおそるおそる黙ったままの教官の顔を覗き込んだ。

「私は、術に嵌ったのを怒っているのではない。何の報告もなしに行ったのを怒っているのだ。今回はまだ命を落とした者はいないが、相手の目的もわからんのに無茶をして……わざと手掛かりを探しに行ったんだろ。やつに関わりのあるものが手に入れば、見つけやすくなる」

「イケメンが見たかっただけなんです。浅薄なのは百も承知です」

「……怖かったろ」

 菊花は声を落とす。水仙の傍らに屈みこむと、ねぎらうように肩に手を置いた。

「お前のおかげだ。ありがとう。だが報連相を怠ったのは……」

 菊花は水仙の肩が小刻みに震えているのに気づいて、その先を止める。

「お役に立ちたかったんです。菊花さま、本当は……とても怖かったです」

「あとは任せて休みなさい」

 そう言って肩を抱くと、水仙の手のひらにぽたりと熱いものが零れ落ちた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ