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猫は自由であるべきだ。
首輪をつけられてなお、槃瓠と違って白猫は自由気儘に塔を闊歩している。上層には登れないものの、下層の屋根で日向ぼっこくらいは誰も咎めない。今日も一人でぬくぬくと、ちょうどいい日差しを楽しんでいた。
が。ぴくりと髭が反応する。金華は、片目を開けた。
「おや、珍しいお客ですねえ。檀。随分堂々としたものじゃありませんか」
「ふふ、あなたこそ、人を呼ばないのね。懸命だわ」
塔の影にうまく入り込むように、彼女は姿を見せる。
術による幻影か。鼻をきかせれば、聞き覚えのある香りがした。
本物だ。
「結界の外から何の用です?」
女は余裕そうに笑う。ここが敵の本丸であることなどまるで関係なさそうだ。
「あなたにとって重要な情報を持ってきたのよ」
「この首輪の外し方ですか? 別にいりませんよ。ここなら食いっぱぐれることもないですからねえ。野生動物の食料事情は深刻なんですよ」
ぺたりと寝転んだまま、金華はぼやく。
しかし、女は意に介さない。
「蝋梅という見習いがいるでしょう。彼女に下げ渡しの話が出ているわ」
「送りつけ詐欺とは感心しませんね。何を企んでいるか知りませんが、あなたを利するつもりはありませんよ」
努めて冷静に、白猫は返す。
彼女からすれば目障りな存在だ。何しろ二度も、計画を挫かれたのだから。
「あら、喜んでもらえると思ったのに。相手は青連翹。宮殿側は受けるつもりよ。あとは占い次第。据え膳に手をつけないような腰抜け王子じゃ、どうかしらね」
「それで? あなたには何の利益もない話でしょう。なぜ持ってきたんです?」
くっきりと紅のひかれた唇が、三日月を描く。
「そんなことないわ。私もあなたと同じで楽しいことが大好きなの。ああ、あなたは違うんだったかしら。後宮に主人を殺された、可哀想な猫」
囁くような最後の一文に、ふさふさの尻尾が反応した。
「何の話です?」
「何百年前かしらね。あなたのご主人は後宮での権力争いに負けて命を落としたそうね。あなたが宮殿を引っ掻きまわそうとしているのは、その復讐」
「ほら話もほどほどにしてください。酒もないっていうのに。私は復讐心なんてこれっぽっちもありませんよ」
白猫は丸まった。死角で首輪に描かれた印に爪を立てる。
「あらそう。残念だわ。ならお代は、私がここに来たことを誰にも言わないこと。それだけでいいわ」
「そうはいきませんよ」
「そうかしら。あなたの怨讐も、私にかかればあの犬と同じ道を辿る。この塔をめちゃくちゃにしたくはないでしょう。あなたの主人のように純粋無垢なあの小娘たちの喉笛を掻き切りたいなら別だけど」
美しい女だ。
けれど内に潜む狂気が彼女の影をとんでもない獣、いや化け物に変える。
「いずれこの塔のスカした娘たちを誑かしてやるつもりではいますけどね。そんな血生臭いやり方は嫌いですよ」
その言葉は届いたか。既に女の気配は消えていた。
本当に、言いたいことだけ言って行ってしまった。用心深い相手だ。
白猫は爪を引っ込める。
「誰の味方ってわけでもないんですけどね」
ぎゅっと抱きしめられた腕の感触やか細さが、今も鮮明に思い出される。あれは確かに、かつての主人を彷彿とさせた。