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 ところで。

 自室に戻ってようやくひと息つくと、水仙は切り出す。

 王妃との極秘面会は、双方他言しないのが賢明という結論で別れ。

 夜風となって戻って来た頃には、夜もすっかり更けていた。疲れてはいるが、そうも言っていられない。

「いろいろと聞きたいことがあるんだけど」

 菊花が乗り移ったような腕組みをして、金華猫と銀華の前に仁王立ちする。

 蝋梅は、似てくるものだなと思いながら、件の香炉で香を焚いた。

「百合も引き上げたことですし、今日はもうお開きにしましょう」

「何をいけしゃあしゃあと。あんな宮殿のど真ん中に行くなんて、聞いてないわよ!」

 水仙の詰問にも、金華猫はあくびで答える。暖簾に腕押し。水仙は諦めて、矛先を銀華に変えた。

「そっちは何でついてきたのよ」

 肉体派イケメンは、面食らいながら頬をかく。

「いやあ、不可抗力で。瓢箪に憑いてるのかもしれねえな。今まで中庭から動けたことなかったんだ」

 蝋梅は酒瓶の栓を抜く。瓶の口に鼻を近づけると、酒独特の匂いがむわりと広がった。

「ちょっと、大丈夫?」

 水仙が気遣わしげに顔を覗きこむ。

「あなたに何かあったら、厄介な人がいるでしょー」

 脇でハラハラと見守る彼女を尻目に、蝋梅は平たい小皿を拝借すると液体を注いだ。

 少し琥珀色をした、透明な液体だ。手招きすると、金華猫は寄ってきて、ぺろりと舐めた。

「熟成されてますね。かなりいい酒ですよ」 

 たいそう満足げに彼は評する。放っておいたら飲み干してしまいそうだ。

 しかし、これは大事な参考資料。蝋梅は再びしっかりと栓をした。

「誰が置いたのかわかる?」

「そのへん、曖昧なんだよな。昔のことになるほど、記憶が薄くてさ。でも、ガタイのいいオッサンが俺のいたあたりに酒をかけてったな。何でもあそこは、隠れて飲むにはいいところだとか」

 銀華はすっかりくつろいだ様子で寝転ぶ。部屋の中が香で満たされてゆくにつれ、身体がはっきりと描き出されてきた。

 華美な装いではないが、綺麗に整えられている。砕けた物言いではあるが、それなりに高い地位にあったのだろうと蝋梅はこの幽霊を眺めた。

 イケメン幽霊は、こめかみに指を当てて、記憶を手繰る。

「暗くてよく見えなかったけど、確か、白い服にうすーくびっしり刺繍がされてたな。剣も良いの持ってたし、偉いやつだと思う。俺は割と、見る目はあるんだ。ただ、俺よりかなり年上だし、上官だったのかな」

「私たちじゃ直接話を聞けないわね」

 水仙は嘆息した。他には、と続きを促すと、銀華はあからさまににんまりと笑んだ。

「最近よく、綺麗な嬢ちゃんたちがたくさん来るなあ。王子の花嫁選びだとか言ってたっけ。俺も王子になりたいぜ。両手に花どころか、両腕に花束だ」

「ちょっとちょっと、鼻の下伸ばしすぎ」

 顔のあたりを、触れないなりにぱたぱた仰ぐ水仙。

 銀華は口を尖らせた。

「何だよ、どうせ王子たちだって内心こんなだぜ」

 その言葉に、蝋梅は雷に打たれたような表情になった。

 目の前の青年は、整った顔立ちから端正さと品のよさを自ら明後日の方向にぶん投げでいる。

 蝋梅の脳裏に、あらゆる花の香を摺りこまれてきた望の様子が浮かぶ。口にはしないが、その内心は。

「そういうものなの……?」

 ぽろりとこぼすと、元凶はしっかりと拾い上げた。

「そうそう。そういうもん、そういうもん」

 ものすごくいい声で、とんでもないことをこの男は言ってのける。

 望のそんな様子が想像できなくて、すっかり固まっていると、銀華は「何だ嬢ちゃん、王子に憧れてんのか?」と首を傾げた。まさか、と返す声が上ずる。

「そ、それより、檀という名を聞かなかった? 呪いに関わってそうな人とか、珠の関係者とか」

 銀華は横に首を振った。

「まったく。宮殿内だから、まあ少なからず人間関係のもつれも、怨念めいた恨みつらみもないわけじゃないだろうさ。でも漂ってる限りじゃ、中庭に仕込みに来るやつはいなかったなあ。瓢箪のことも、まるでわからねえ」

 蝋梅は、瓢箪を上下に揺らしてみる。酒瓶と違って、水音もしなければ重さも感じない。栓をひっぱってみても、びくともしない。が。

「この瓢箪、なんだか不思議な気持ちになるの。何でだろう」

「不思議?」

 蝋梅は頷く。

「良い感じでも嫌な感じでもなくて。何だろう、何かあるような気がする、くらいの不確かな感覚なんだけど」

「もしかして、俺と嬢ちゃんは運命の赤い糸で結ばれて……?」

 至極真面目な顔で言う銀華を、水仙は「適当なこと言わないの」とねめつけた。

 が、銀華はへこたれない。

「お、もしかしてお前さんの方が俺に気があるのか? このやきもち焼きさんめ」

「は?」

 水仙は眉間に皺を寄せた。さすがの金華猫も呆れ顔。

「なに、気にすることはないんだぜ。俺が別の嬢ちゃんと話してたら、胸が苦しくなるんだろ? 妬いてる証拠だ」

 ぽんと、蝋梅の頭の中に望の姿が浮かぶ。

 花の香りにまみれた彼の姿。

 胸がぎゅっと絞られるような感じ。

「なるわけないでしょ。ちょっと顔と声がいいからって、調子にのらないでよね」

「またまたぁ。俺といる時間が嬉しくてしょうがないくせに。いや皆まで言うな。俺の本体(仮)をこの部屋に運び込んだ時から、感じてはいたさ」

 そう、嬉しいのだ。自室で二人で他愛もない話をしたり、本を読んだりしている時間が。

「これは、恋だ」

 良い声で、ぐいぐい銀華は水仙に迫る。人をダメにする声に弱い前科がある水仙は、たじろいだ。

 救いを求めて、否、適切なツッコミを求めて、蝋梅の方を向く。

 が、蝋梅もまた狼狽えていた。

(これが、恋……?)

 これまでもやもやしていた感情に、名前が付けられて。

 けれど。さっと未来の影が頭をよぎる。

(まさかまさか。気のせいだ)

 熱を持つそれを冷やそうと努める。心頭滅却、心頭滅却。そう呪文のように唱えて。

 しかし、言い聞かせるだけではなかなかそれは冷めてはいかない。

(そんな不埒で不遜な感情、抱いていいはずがない。殿下の幸せを願うなら。私は呪いの子なのだから)

「蝋梅……?」

 水仙が声をかける。蝋梅はびくりと肩を震わせた。

「し、心頭滅却してくる! おやすみなさい!」

 くるりと踵を返すと、鉄砲玉のように駆けだす。

(違う違う)

 記憶の波に揉まれて、朧げになりつつある、望と蘭が手を取り合っている姿。

(違う、違う)

 呪いの子と、罵倒してくる村の人たち。

(私が、願っちゃいけないんだ)

 どうしたって目頭が熱い。蝋梅は、冷気を求めて足を早めた。




 月が沈み、黄金色が空を覆う頃。いつものように望は姿を現した。

 朝の静寂を破らぬよう、優しく名が呼ばれる。その音が、どんな祭祀に使われる楽よりも蝋梅の心を落ち着かせた。が。

「唇が青いぞ。体も冷えてる」

 部屋に入ってからの第一声。さりげなく取られた手は、温かな両手で包まれている。

「奥の泉で心身を清めていただけです」

 重い頭で反論するが、彼の目は誤魔化せない。

「指、ふやけてる。どんだけ浸かってたんだ」

 蝋梅は言葉を詰まらせた。

 頭が冷えるまでと、本来身を清めるための神聖な泉を冷却剤にしたものの、何時間経とうと心頭滅却に至らなかったのだ。

 夜明け前にしぶしぶ上がった時には、こんなふうになっていた。

「何を企んでるのか知らないが、その様子じゃ寝てもいないんだろう。大事な時に倒れないように、平時は休んでおけ。休むのも仕事のうち、だろ? ほら、仮眠!」

 望は背中をぐいぐい押して、部屋の奥の寝台まで連れてゆく。

「でも、私だけ……」

 何とか抵抗しようとするが、踏ん張る足も虚しく、ひょいと持ち上げられた。するりと簪は外され、寝台へ放り込まれる。

 それでもなお出ようとするのを、望は体で止めた。抱きしめたまま、一緒になって寝転がる。

「俺も一緒に寝る。添い寝は有効なんだろ?」

 以前、諸先輩方に伝授された癒し方で、今度は癒し返される。目の前の顔は、からかう様子など微塵も見せず、ただただ心配そうに覗き込んでいた。青月のような、澄んだ瞳。

 それに見られていると思うと、心臓が炉心のように熱く熱を発した。そしてそれは、全身に波及してゆく。

 頬が、耳が、熱い。

「え、そんなに真っ赤になるなんて、卑怯だぞ!」

 熱さは相手にも伝播したらしい。望の顔も、みるみる赤くそまっていった。

「な、何がですか!」

 回らない頭で、蝋梅は返す。その頭を、望が抱え込んだ。

「何がも何も……とにかく寝ろ!」

 ぎゅむぎゅむと抱え込まれた腕の中は、望の匂いで満ちていた。いつも被っている望の服の比ではない。全身が、包まれているようだ。

 ――俺といる時間が嬉しくてしょうがないくせに。

 銀華の言葉が蘇る。

 こんな瞬間だ。切り取って胸にいつまでも抱きしめていたくなるような。そんなひととき。

 手のひらの下に、望の鼓動が響いてくる。

(心臓の音、大きい……)

 自分のものなのか、相手のものなのか。わからなくなるほどに近しいところで感じる。

(今だけ、もう少し)

 息を吐き出せば、反動で望の香りで肺がいっぱいになる。蝋梅は目を細めた。



「嬢ちゃんどうした、ぼんやりして」

 むわりと跳ね返してくるような例の香と問いかけに、蝋梅はぶんぶんと首を横に振る。

「いいえ、何でも。寝不足なだけ」

 ほんの僅かな添い寝時間も、心臓の音を聴いて終わってしまった。

 過ごし方に不満はないが、眠いものは眠い。

 袖の陰であくびをすると、奥へと進んだ。普段は気まぐれに渡り歩いている金華猫は、銀華が来て以来、水仙の部屋猫になっている。

 銀華に宮殿での美女評を夜通し語っていたらしく、水仙は頭の痛そうな顔をしていた。

 銀華は美女の二大巨頭である寵妃と星守に目通りしたいとしきりに鼻の下を伸ばしていた。曰く、この間の夜は乗り物酔いで陰で吐いていて、せっかくの寵妃を見逃した、と。

 ついでに、まだ記憶の鍵は見つかっていないらしい。こちらも手詰まりだ。

 話がひと段落したのか、ふよふよと近寄ってくると、神妙な顔つきで尋ねてきた。

「例の王子絡みか?」

 添い寝時間の温もりが、王子という単語で呼び覚まされる。

 蝋梅の耳に朱がさした。銀華が、短く感嘆の声を上げる。

「まさかまさか違うわよ!」

「何でもないなら、赤くなったりしないだろ」

「だとしてもそんなの不敬です! 殿下には相応しい方がいらっしゃるんだから」

 自らにも言い聞かせるように、話を断ち切ろうとする。が、銀華はどうにもわからんと言った様子で、首を傾げた。

「諦めちゃうのか?」

 意外な言葉に、蝋梅は目を丸くする。

 しかし彼は至極当然だとばかりに続けた。

「願いも求めもしないのに、手に入るわけないだろ」

「そんな、火を見るより明らかなこと」

「でもよ、この間の火難の女官は自分より上の五家の色男を狙ってたんだろ? 後宮に入ろうとする女も妃も、何とか王の寵愛を得ようとするだろ? 最初っからできないって思い込むのは良くないぜ」

 そうなのだが。

 真っ向から言われて、蝋梅は惑う。そんな彼女に、銀華は畳み掛けた。

「それにさ、嬢ちゃんが好きって気持ちまでは、否定する必要なくないか?」

「……どういうこと?」

「それはそれ、これはこれ、ってこと。だろ?」

 頭の中で、銀華の言葉を反芻する。

 素直に受け入れきれなくて、気の抜けたような返事が口からこぼれた。

 よほど難しい顔をしていたのだろう。しばらく百面相を眺めていた銀華は、蝋梅を部屋の空いている空間に誘う。

「嬢ちゃん、何の舞かはわかんねえが、ひとつ一緒に踊ってくれねえか。何か思い出すかもしれねえし、頭空っぽにするのにもうってつけだ」

 ほらほらと、銀華は手を取れないまでも身ぶり手ぶりで動きを教える。

 蝋梅は促されるままにそれに続いた。舞など、微塵も経験がなかったが、銀華の教え方が上手なのか、何となく形になってゆく。

 銀華は身体に染みついているらしいそれを、初心者に合わせつつ優雅に舞った。黙らせておけば所作に品がある。

 二人のやりとりを見守っていた金華猫は、この部屋の主を一瞥した。

「貴女は、さぞや私が憎いでしょうね。あんな焚きつけるような男を連れてきて」

「本当よね。そろそろ、どうしてあの男のところに連れて行ったのか、教えてくれてもいいんじゃないの」

 ねめつける水仙。しかし金華猫はどこ吹く風で、平然と返した。

「面白いからに決まってるじゃないですか」

 まんまるい目が、爛々と輝く。ただの猫には持ちえない、霊気を取り込んだ鋭さが、そこにはある。

「私の代わりにこの塔のすまし顔の面々を崩しにかかってくれているんですよ。胸がすきますねえ」

「嘘おっしゃい」

 水仙はぴしゃりと言い放った。

「あなたなら、自分で落としたいに決まってる。危険を冒してまで宮殿に乗り込んでくるくらいなのに」

 おやおや、と白猫はおどけてみせた。

「買い被られたものですねえ。貴女だってイケメンイケメン言ってますけど、本当は興味があるふりをしているだけでしょう。違いますか?」

 視線のぶつかり合ったところで、火花が起きる。

「何のことかしら、ね」

 ふふふと、一人と一匹は違いに笑みを浮かべた。



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