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本当に行くのか、と水仙は朝何度も尋ねてきた。曰く、「この間の一件で、あなたの注目度は更にうなぎ上りよ」。
花朝節の後、占いの修行で宮殿を訪れるのはこれが初めてだ。水仙の言う通り、無遠慮な視線が、がしがし刺さる。
どちらかと言えば地味ないでたちで、あまり気にかけられることがなかったから、居心地が悪い。
(でも、お勤めをさぼるわけにはいかないし。それに)
「星守さまによれば、かねてより王宮に火難の相が出ているとのこと。日が近づいても消える気配がないそうだ。気になることがあれば報告せよ」
朝の伝達事項を伝える場で、星守補佐が周知していたこと。
蝋梅はさりげなく辺りを見回す。柱の陰で、こそこそと何事か噂している姿がちらほら見える。ある者は冷ややかに、またある者は悔しそうに、忌々しげに。
ただ、そのどれもが火難とは結びついていかなかった。そして。
「ちょっと、私の彼に手を出したでしょ!」
「あらぁ、誘ってきたのは向こうよ。お気の毒さま」
一角では、そんな睨み合いが起こっていた。しかし、周りの女官たちは気にも留めていない。
「花朝節の後の風物詩よ」
百合がこっそり耳打ちする。王主催の祭祀も大々的に行われるが、高貴な者の戯れだけではない。民の間でも祝われ、楽しまれる行事だ。勿論、夜の部も。
女官たちの集まる部屋へと到着すると、女官の一人が「花朝節の夜に、連翹様からお誘いいただいたの!」と吹聴しているところだった。知った名に、蝋梅は目を丸くする。
「今度、誕生日の贈り物をいただけるんですって! なんて素敵なのかしら。いつか青家の紋様もあしらっていただきたいわ」
「かしましいわね、いつ捨てられるかしれたものよ」
「あらまあ、これはこれは。萎れた前の季節の花より、旬の花の方が目も鼻も楽しませられるわ」
「どうかしら。過ぎ去った季節が恋しくなっているかもしれないわよ。そんな惚れ薬に頼らなきゃ、振り向いてもらえないんですものね」
蝋梅たちが入ってきたのにも気づかず、二人の口論は燃え上がってゆく。どちらも高位の女官の衣だ。花朝節にも参加していたのだろう。
蝋梅は目を凝らし、意識を集中する。過ぎ去りし季節の花の女官の先を見つめてゆくと、ぬらりと揺れる炎が見えた。声を飲み込んで二人を見ると、同じようなやや険しい表情をしている。
争う二人は、そこでようやく訪問者の姿に気づいたようで、鬼気迫る顔で我先にと詰め寄ってきた。
「縁結びの霊符をくださいな!」
「私の方に強いのをちょうだい!」
「私よ!」
そこからは、堰を切ったように他の女官も続く。大波のようなその勢いに、蝋梅はたじろいだ。
あらかた波を乗り切ったころ、女官の一人がおずおずと進み出た。
「変わった鳥がいたのです。見に来ていただけませんか」
三人がついて行くと、女官たちの部屋の前に、両の手のひらで持てるくらいの大きさの鳥が佇んでいた。
何をするでもない。強いて言えば、廊下の日当たりのいいところで日光浴をしているようにも見える。
三人が近づくと、鳥は「ひっぽーぅ」と鳴いた。蝋梅は女官を下がらせた。
鶴に似た赤い模様のある青い体、白い嘴、そしてほっそりとした一本足。
「これ、畢方じゃない?」
水仙は口元に手を当て、二人にだけ聞こえるように言う。
「火難の相のあるところに現れるっていう鳥よ」
触れられる距離まで近づくが、鳥は逃げる様子もない。
折角なので、蝋梅は遠慮なくその全身を眺めまわした。特段怪我をしている様子も、弱っているふうでもない。
百合は案内してくれた女官のところへ歩み寄ると、部屋の主を尋ねた。
女官は何人か名前を挙げてゆく。その中に、山茶花という名が入っていた。先程の、火難の相が出ていた女官だ。
「いつまでもここに置いておけないわ。連れていきましょう」
蝋梅が抱え上げると、畢方は再びその名で鳴いた。
「また面妖な客ですねえ」
日向であくびをしながら、金華は言う。あなたも大概よ、と水仙が言うと、にゃあと可愛らしい声で鳴いてみせた。
百合が菊花を伴って到着すると、この白猫はすっくと立ちあがる。そのままだったら、おそらく雷が落とされていたことだろう。しゃなりしゃなりと金華は一本足のまわりと練り歩く。
「この子、両親とはぐれたそうですよ」
「ここへはどうして?」
通訳よろしく、人間にはわからない言葉で金華は畢方に尋ねる。畢方の方も、それに答えるように短く鳴いた。
「炎が見えたそうです」
「炎?」
菊花は反芻する。金華は大仰に頷いた。
「彼女たちは寒がりなんだそうです。本物でも幻想でも、炎であれば暖をとれる」
「じゃあ、火難を当ててたわけじゃなくて、温まりに来てたってこと?」
水仙は目を見開いた。
「そのようですね。大きければ大きいほど、強く引き寄せられるそうですよ。王宮はとても暖かいと。塔は少し寒いそうですがね」
畢方は同意するかのように、またその名で鳴いた。
「警備はあまり変わってなかったように見えたけど、大丈夫かな」
蝋梅の言葉に、菊花は片眉を跳ね上げる。
「増やしたところで、起こすものは起こしますよ」
白猫は鼻で笑った。そうかしらと返す水仙に、憐れみの眼差しを向ける。
「貴女方のような純粋培養の小娘には、まだわからないでしょうねえ。色恋が人を狂わせるものだということを」
良い声で言われるの腹立つわ。水仙は金華猫の毛を両手でかき回した。
日の出とともに、その朝、望は訪れた。扉を開けるなり、心配そうな表情が飛び込んでくる。
「変わりはないか」
蝋梅が頷くと、望はほっとしたような色を見せた。
畢方を保護したという一報をどこかから聞きつけてきた彼は、その日の夕方慌ただしく再訪した。そうして現状と、金華から畢方が雌だと聞くと、ようやく茶を口にするまでに落ち着いた。そのまま泊まり込みも辞さない構えだったが、宮殿の警備の不安を伝えると、後ろ髪を引かれながらも戻っていったのだった。
「例の部屋のあたりの警備を増やしてもらった。とりあえず昨夜は何も起こらなかったらしい。まあ、本番は今日みたいだけどな」
いつものように茶を出すと、望は一気に飲み干した。
「ありがとうございます」
「何の指示も来てなかったらしいからな。どうなってるんだか」
蝋梅は顔を曇らせる。
見習いにまで伝達されるほどの内容だ。星守から王へ星読見の結果は伝わっているはず。なのに。
「いらん心配をかけて悪かったな」
「いいえ、結果として間に合ってよかったです」
蝋梅は緩くかぶりを振った。これで今夜、災いが小さな小さなもので済めばそれでいい。
(宮殿で火の手が上がれば、殿下にも被害が及ぶかもしれない)
そんなことを考えながら望を見つめていると、向かいの相手は頬をかいた。
「蝋梅から俺のこと頼ってくれるの珍しいな」
「すみません、お手を煩わせてしまって」
つい見入ってしまっていて、蝋梅は慌てる。ほのかに笑む彼の淡い空色の瞳は、優しくて心地よい。
「いいんだよ。俺にできることなんて、限られてるんだから。その中でならさ」
「いいえ、そういうわけには」
「頼ってくれる方が嬉しい」
柔らかな声音に、蝋梅の耳が次第に赤く染まってゆく。
(どうして)
こんなにも、揺らいでしまうのか。蝋梅にはわからない。
しかし、体の熱はこんな反応を見せる。
「もっと頼ってほしい」
ダメ押しの一手とばかりに、望は攻め立てる。
子どもの頃に垣間見えた幼さも、友達同士のじゃれ合いもそこには見えない。そのひと押しに、蝋梅は耳も頬も真っ赤になった。
「と、とにかく!」
平常心を取り戻すべく、勢いよく立ち上がると机から霊符を取ってくる。
「火難除けの霊符です。警備の方の分も。それと、刺されないよう気をつけてください。鋏も立派な凶器になります」
正面から、彼の顔が見られない。下を向いて相手の懐に霊符をしまいこむ。
すると頭の上から、「そう思うなら来てくれよ」とお誘いがかかった。