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 人払いされた部屋の中で、望は簾の前に膝を進めた。残ったのは、星守と星守補佐と、そして望だけ。

 望は剣を掲げて頭を下げた。

「先日は宝剣をありがとうございました」

 菊花が剣を受け取ると、星守に手渡す。簾の向こうで、すら、と鞘を払う音がした。

「ふむ。流石にぼろぼろじゃな。仕方のないことよ。むしろ、よく生きて帰った。蝋梅のことも、礼を言う」

 鈴の鳴るような声だ。声そのものに、邪を祓えそうな清涼感が、力がある。

 自分にそんな力があれば、と望は唇を噛んだ。宝剣を借り受けたからこそ呪と渡り合えた。しかし、なければそうはいかなかっただろう。

 自身を鍛えることはできる。けれどその先は。

「そなたでなくば、あの子は救えなかったよ」

 心でも読むかのように、星守は声をかける。

「いかな宝剣でも、使い手によってはただのなまくらじゃ。なればこそ、他の将ではなくそなたに預けた。誰でもよければ、守るべき王子に剣など握らせはせぬ」

「ならばなぜ、蝋梅を我が妃に下げ渡してくださらないのですか」

 不敬と知りつつ、望は問う。菊花も伏せていた目を片方開けてはみたものの、止めることはしない。

 簾の中で剣を収める音がした。

「どちらにも星は傾いておらぬゆえな。まだその時ではない。正直、そなたがここまで粘るとは思っていなかったよ。面倒見のいいそなたのこと。落ち着くまでしばらくは来るだろうなと思っておったが、ここまで続くとはな」

 答える牡丹の声も穏やかだ。

「星守様のお導きのおかげです。でなければ、蝋梅を見出せなかったでしょう。そして彼女がいなければ、俺も今ここにはいませんでした」

「蝋梅を吉兆にするかどうかは、私ではなくそなた次第じゃ。そなたが出会い、どう接するかでまた分岐は変わる。吉兆であったというなら、そなたがそれを掴み取ったまで。望よ、私個人は反対する気はない。星が吉とするか凶とするかじゃ。吉とすれば、王をねじ伏せてそなたに嫁がせることもできよう。じゃが、そなたは父王の理解を得た上で妃に迎えたいのであろう。そしてあの子も、まだ愛をよく知らぬ。おそらく誰も与えてくれなかったからな。自分が受け取っていいものだと、持っていてもよいものだということがわからぬのだと思う。であれば、必要なのは星の導きでも許可でもない。そうであろう?」

「……はい」

 立ち上がろうとする星守を支えに、菊花は腰を上げる。その星冠に散りばめられた星も、放射状に伸びる光も、円環も、この塔の誰よりも多い。

 簾の向こうにちらりと見えたその姿を、望は一人見送った。




 塔の中層から降りて行くと、望は書庫から本を抱えてくる百合と蝋梅に出くわした。分厚い本を両手いっぱいに積み上げている。

「持とうか」

 塊の一つに手を出すと、蝋梅は、すすと後ろに退いた。

「傷はよろしいのですか」

「大したことない」

「では百合の方をお願いします。私はこれくらい持てますから」

 蝋梅は横の百合の方へと視線をやる。百合も両手で本を抱えてはいるが、積み上げた塔はひとつ。

 対して蝋梅は欲張りでもしたのか、塔が二つできている。余裕のある百合の表情とは違い、少し腕もぷるぷるしていた。

「いや多いだろ」

 望は片方を無理やり取り上げる。本の塔の向こうで、百合は呆れた顔をしていた。

「最近、もっと剣が振れるようにとかで、鍛錬をしているんです。止めてやってください」

 その言葉に、望は目を剥く。

「はあ? 傷が開いたらどうするんだ!」

「今のところ開いてません」

「そうじゃない。重いものもつの禁止だ! もしかして、最近蘭から渡すの頼まれてる手紙って、鍛錬内容なのか?」

 もうひと塊も取り上げようとすると、蝋梅は必死で抵抗した。

「ち、違います」

「目を逸らすのは嘘つく時の癖だぞ」

 逃げられないよう、壁際にじりじりと追い込んでいく。本を抱えて機動力の落ちた蝋梅が、逃れられるはずもない。

 逃げる口実を探して目を泳がせていた蝋梅は、百合が一人で階段を降りて行くのを見つけて声を上げた。

「あっ、百合が先に行ってしまったではありませんか!」

 しかし百合の歩みは止まらない。

「私は部屋で読むから。あなたもそうなさい。続きは部屋でやって」

 犬も食わない。そんな目でチラ見して、百合は部屋の扉を閉めた。




 結局、本の塔はほとんど望の手に移された。机の上にいくつかに分けて積み上げると、蝋梅がかたわらで礼を言った。望はそれをねめつける。

「本当に傷開いてないだろうな」

「大丈夫ですよ」

 そう返して、この言うことを聞かない見習いは椅子に腰掛ける。長い髪を耳にかけると、さっそく一冊に手を伸ばした。

 各地の神を、絵姿入りで仔細に記した資料だ。開けば紙と墨の香りがほのかに漂う。

 みっちりと詰め込まれた文字に、蝋梅は目を落とした。

「髪、結おうか」

 没頭してしまう前に、望は慌てて声をかける。が、お願いしますと返す声は既に上の空。

 望は苦笑して、鏡台から櫛を取ってきた。

 とろけそうな髪は、柔らかな絹糸のよう。梳るふりをして、幾度となく指を通してみる。差し込む日差しに髪がきらめいた。

(来たばっかりの頃は、触られるのも躊躇ってたのにな)

 似合わないからもったいないと首を横に振る小さな女の子に、ものは試しだと霞草ほどのささやかな飾りを見つけてきて、つけてみたのが始まり。

 受け入れてくれたのか、諦めたのか定かではないが、派手なものでなければ却下はされなくなった。塔の先達にも時々流行りの結い方にしてもらっているようだ。

(俺がいなくても、うまくやってるみたいだな。ちょっと寂しい……いやいや何言ってんだ俺)

 望は心の中で勢いよくかぶりを振る。

 うまくやれている方が、連れてきた立場からすれば喜ばしいこと。何しろ、痩せこけて凍えた子猫のようだったのだから。

 そんなことを考えながら、なめらかな髪に指を絡めて編んでゆくと、白い頸が見えた。理性の手綱を手放せば、唇はそこへ吸い寄せられてしまうだろう。

 ごくりと、時間をかけて唾を飲み込む。

 そんなつもりじゃなかったのに。どんどん欲張りになっていく。

 もっといろんな感情でその顔を染めたい。

 できればそれを独り占めしたい。

(どうすれば、叶うかな)

 先程の星守の、というよりはおそらく牡丹個人からの助言が頭に浮かぶ。

(どうやって、伝えるか)

「殿下?」

「ん?」

「どうかされましたか?」

 なるべく頭を動かさないよう、目の端で蝋梅は望の様子をうかがう。手元のページは随分進んでいるようだ。鳥と人が掛け合わされたような神の絵が描かれている。

 どうやら手が止まっていたらしいことに、望はようやく気づく。

「いや、その……頑張るのはいいけどさ、徹夜するなよ。傷に障る」

 慌てて取り繕うと、蝋梅は不満げに口を尖らせた。明らかにやる気だったらしい。

「心配なんだよ」

 命の灯火が消えてしまわないか。心の底からの願いを発する。

 いつもより自然と低い声音で。

「うー……、わかりました……」

 蝋梅は渋々頷いた。


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