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 くるしい。

 頭の中がそれでいっぱいになりそうな時は、なけなしの思考回路を回すことで、苦しみを意識の外へ追いやる。

 槃瓠にかけられた呪。それが術者の手を離れ、宝剣で裂き、なおも強く根深く残ろうとするとは。術者の怨念が強ければ強いほど、効果は大きくなる。

(檀という人は、それほどまでに何を呪っているんだろう)

 これほどまでに深いなら、抱える本人もさぞや苦しいことだろう。憎むのも、恨むのも。蝋梅にとっても、ここまでのものは初めてだ。

 呪いを引き受けた後は、いつもこうだった。必死に耐え忍ぶ。けれど、それともまたどこか違う感じがした。祓おうと意識を手繰り寄せても、その鉤爪でしがみつき、内から闇を呼び起こす。

 ――ふさわしくありませんわ。

 貴族の娘たちの声。仲睦まじく語り合う二人。

 ――化け物!

 杜鵑の顔が、だんだんと記憶から薄れつつある村人たちの顔に変わってゆく。歪んでゆく。

 呪は、負の感情を糧に育てられる。星守の塔にくるまでは、ただ消えたいと願うばかりだった。だけど。ここで過ごすうちに、感情が増えた。

(少し眠って、体力が戻れば祓えるから。眠らなきゃ)

 だのに、夜闇は心の暗いところを勢いづかせる。

――呪いの子。お前が幸せになれると思ったのか。思い上がりも甚だしい。誰にも愛されはしない。受け入れられもしない。我々だけだ。お前のような化け物の世話をしてやっているのは。

 声高に、繰り返し聞かされた糾弾が、記憶の底から呼び覚まされる。祓えるようになって、忘れそうになっていたけれど。

(わかっています。多くを望むべきでないのは)

 望は、槃瓠を許した。自分と同じく、化け物と呼ばれた槃瓠を。そんな彼だから、友となってくれたのだ。

 息がうまくできなくて、服をかき抱く。すると、ふわりと花の匂いがした。

(殿下、)

 蝋梅は小さく丸まった。苦しい時に握ってくれた手。その代わりに彼の服を握り締める。今、彼はここにはいないから。彼の手を、自分から求めるべきではないから。

 天幕の外は既に夜の帳が下りて、灯りが心細げに揺れている。それでも昼間の騒動は、魂からの祈りは忘れられたかのように、談笑する声が聞こえてきた。夜の部はとうに始まっているのだ。

(殿下も、どなたかと過ごしていらっしゃるのかな)

 どろりとしたものが、胸の奥から膨れてくる。全身を飲み込もうとする。どこからこんなものが現れてくるのか、わからないまま沈んでゆく。

 たすけて。

 本当は、そう口にしたかった。でも、誰の耳にも入らなかった。

 村であてがわれた小屋は、村人たちの生活の場からは遠く、声を拾われることもない。たくさん泣いて、涙も枯れて、何もかもを諦めた。そもそも普通の人間に、救えようはずがない。

 ――お前は、呪を受け入れるしか能がない。これがお前の運命なんだよ。

 自分たちのしていることは当然のことだと言わんばかりに、繰り返されてきた台詞。そうだとしたら。

(どうかどうか、殿下だけでも幸せに。悪いものは、全部私が引き受けていきますから)

 蝋梅は、ぎゅっと目を瞑る。ほのかな花の香。衣の感触。それだけを頼りに心を保つ。

 その時、天幕の入り口が遠慮がちに開けられた。足音は一人分。それがなるべく音を立てぬように近づいてくる。

「……蝋梅?」

 足音の主は、確かめるように名を呼ぶ。蝋梅はびくりと体を震わせた。

「でん、か?」

 掠れた声に、なけなしの唾を飲み込む。そこには半月のようにほの灯りに照らされた望の顔があった。

 一度、二度瞬いて、視界に移るものを確認する。それはけして夢でも幻でもなく、心に描いていたその人だった。衣を握っていた手が緩む。体を起こすと、望は慌てて体を支えた。そのまま簡易寝台に腰掛ける。

「体の具合はどうだ」

「さすがに何もないと言えば嘘になりますから、今夜はゆっくり休もうかと」

「そっか」

 望のほっとしたような表情に、蝋梅はくすりと笑った。

「わざわざいらっしゃらなくても、無理したりしませんよ」

 口にしてから、そんなことないだろとか、いつもしてるとか、怒られるかもしれないと蝋梅は身構える。が、目の前の青年は、言いにくそうに頭をかいた。視線もどこかずらされる。

「あー、その、何だ、連翹のところ、行くのかなって」

「行きませんよ」

 即答してから、そういえば今日そんなこともあったなと蝋梅は思い出した。その後のことが出来事として大きすぎて、すっかり忘れていた。当人でもないのに、よく覚えてくれていたものだ。さすが王宮生まれ、と感心する。

「殿下はどうなさるのですか」

「俺ももう休むよ。やっと宴席を抜けてきたんだ。槃瓠のこと、いろいろ貴族連中から質問攻めでさ」

 そう言いつつも、望の声は明るい。が、何かひっかかったことがあるようで、表情を曇らせた。

「何か、しんどそうだな」

 その指先が、蝋梅の頬に触れようとする。蝋梅は弾かれたように、ぱっと離れた。

「あ、ごめん……」

 望は慌てて手をひっこめる。

「いえ、その、呪が移ってしまいますから」

「残ってたのか? 難しいなら祓ってもらわないと」

「だ、大丈夫です。自分でできますから。少し休憩していただけで」

「本当に?」

「本当に」

 勢いで、蝋梅はその身に巣食う呪いに意識を集中させる。星冠は即座に反応し、天幕をランタンにでもするかのように輝いた。きらきらぱちぱち、驚くほど簡単に苦しさは消える。思わず目を瞬かせた。

「どうかしたか」

 驚きに固まる蝋梅を、望は心配そうにのぞき込む。ぶんぶんと蝋梅は首を振った。光はひと仕事終え、落ち着きを取り戻す。

 望はなめらかな淡水色の髪の先を撫でた。

「ならいいけどさ」

 祭の喧騒は、熱気はどこへ。時間も空間も別のところにとじこめられているのか。揺らめく灯りが、夢と現実のあわいのように感覚を歪ませる。吹き消してしまえば、一緒に消えてしまいそうだ。

(夢のようなひと)

 ふと、蝋梅は思った。もしかしたら、願望を映し出しただけの、夢の中だけの人かもしれない。いつかは目覚めなければならないのに、心地よくて微睡んでいたくなる。

「あのさ、」

 ためらいがちに、望は口を開く。

「……もう、触れてもいいか?」

 手は、髪を少しずつ少しずつ伝って上がってくる。拒む理由などない。けれど、やけに鼓動が耳に響いて思考を妨げる。そうしている間にも、手は肩のあたりまでやってきて、そうして不自然に止まった。

「ごめん、今のナシ!」

 止められた手は、そのまま離れてゆく。

「もう寝ろよ。俺も戻るから。また明日な」

 撫でるような、優しい声だ。

「……はい」

 蝋梅は小さく頷く。また明日。いつもと変わらない挨拶だ。なのに。

「あの、」

「ん?」

 立ち上がりかけた望が、動きを止める。

「いえ……」

(私、今何を言おうとした?)

 ――行かないで。

 そんなこと、望んでいいはずがない。

「おやすみなさい、殿下」

 望から返事はない。しばらく逡巡して、そっと頬に触れた。触れたところから、熱が伝わってくる。そこにいるのだと。夢などではないのだと。

 こわごわと蝋梅はその手の甲に指を這わせた。晴れ空の瞳に、ずっと自分の顔が映っている。

「また、明日な」

 どれくらいそうしていただろう。名残惜しげに手を離す。そこに夜の冷気をひどく感じた。

「はい、また」

 足音が遠ざかってゆく。小さく、小さく。それとは逆に、胸を締め付けるような何かは、大きく、大きく。蝋梅は頭から望の服を被った。


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