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「何者かの呪で凶暴化しているな」

 ぐるりと一周見て回って、菊花は唸った。金華をこれへ、と金華猫を呼び寄せる。

「そなたの言っていた女の匂いはするか?」

 水仙に抱えられてやってきた金華猫に尋ねると、彼はぷいとそっぽを向いた。

「どうして私が答えなきゃならないんです? 大人しくはしていますが、貴女がたの味方になったわけではありません。そちらが楽しければのりますがね。こんな楽しい場所で、ひとりふたり口説くこともできないようじゃ、気が進みませんねえ」

 その言葉に、菊花は般若と化す。

「蝋梅、何でこいつまで連れてきたんだ」

 蝋梅の横で、望が眉間に皺を寄せた。

「ああ、これだからモテない男は困りますねえ。道中もその子の膝に抱えられた私をずーっと睨んでいたでしょう。言えばいいんですよ、怨念込めて見つめてないで。俺にも膝枕してくれって。簡単なことでしょう」

 今度は望が、わなわなと拳を震わせる。

「殿下、私でよければいくらでも枕になりましょう。如何様にもお使いください」

 蝋梅がそう告げると、望は面食らった表情に変わった。だんだんと、顔が朱に染まってゆく。

「い、如何様にも?」

「如何様にも」

 深々と蝋梅は頷く。顔を赤らめるようなことだっただろうか。そう不思議に思うほど、目の前の王子は茹でタコだ。

「いいですねえ、私もそういうのを求めているんですが」

 望は金華猫をねめつけた。

「お前の軽口に付き合っている暇はない。とにかくこの犬をどうにかするのが先だ」

 そう、話を戻す。

「我が妻はどこだ、と言っていましたね」

百合もそれに続く。

「子細はわからぬが、それが根本にあるとすれば、呪いを祓ったところで解決されないだろうな」

「探しましょう」

 きらり、いくつもの星冠がきらめく。口にした結論は、みな同じだった。

「杜鵑という女官です」

「昨年の秋に、暦から出仕しました」

「花朝節にも参加しています」

 菊花は大きく頷いた。

「暦といえば、ひと月ほど前に彼女の父親が原因不明の大怪我を負っている。つむじ風のようなものに巻き込まれてと報告されていたが……」

 そう言って、望はちらと狼の方を見遣る。

「連れてこさせよう」

 菊花は仁王立ちして兵に命じた。

「あんな化け物、知りません!」

 連れてこられた女官は、がたがたと身を震わせて叫んだ。悲鳴にも似た叫びに、菊花は心持ち狼から遠ざける。

「心当たりは? そなたの父の負傷の原因にも関わってくるやもしれん」

 ぶるぶると杜鵑は首を横に振るばかり。

「いけませんねえ」

 離れたところで様子を見ていた金華猫は、嘆息した。

「北風と太陽という異国の寓話はご存知ですか。旅人の服をどちらが脱がせるか二柱の神が勝負しました。冷風を浴びせ続ける風の神と、じんわり陽の光で温め続けた日の神。どちらが勝ったと思います?」

「じゃあ、お前はよっぽど優れた日の神になれるんだろうな」

 望の問いかけに、金華猫は一瞬目を瞬かせる。

「男女問わず、どんな相手でも落としに来たんだろ?」

「……ええ、ええ、勿論」

大仰に頷いてみせる金華猫。

「ああいう頑なな娘を落とした時の達成感ときたらありませんよ。ご存知ない? お可哀そうに。あなたのお気に入りも、さぞや楽しいでしょうねえ」

 挑発にくってかかろうとする望を、蝋梅は何とか宥める。その方法が羽交い絞めにするというものだったから、効果はてきめんだった。

「封印を解くってことよね、大丈夫かしら」

 水仙は、呆れた顔で言う。元・色男は、猫姿でウインクしてみせた。

「楽しい仕事は、きっちりこなしますとも」

 正直、あまりキマっていない。

それでも貴重な太陽だと、水仙は仁王度の上がった菊花に進言した。声にならない声を上げて泣くばかりの杜鵑に苛立っていた菊花は、金華猫を鋭い眼光で睨む。それでも、最後には許可を出した。



 首輪から解放された金華猫は、水を得た魚のようにいきいきとした顔で青年の姿を取った。途端に心を揺らすような馨しい香りが立ち込める。望は思わず、蝋梅の手を引いて下がらせた。

「私くらいになると、術の対象はある程度絞れますとも」

 そう言って、金華猫は意気揚々と娘の元に向かう。そして、水仙を虜にした美声でもって、彼女の耳元で囁いた。少し離れたところから見守る面々にも、その表情の変化が如実にわかる。十分後には、杜鵑は恐怖も忘れて金華猫にしなだれかかっていた。

「あの子は子供の頃、遊び相手に連れてこられた子犬でした。黄金の毛並みがとても柔らかで、くるりと巻いた尻尾が愛らしい。人懐こい、可愛らしい子でした」

「普通の犬だったのですね」

 ええ、と彼女は小さく頷く。

「名はなんと?」

「槃瓠、と。大人なら抱えられるほどの、ごく普通の大きさでした。それが、」

 金華猫の手を握り、杜鵑は表情を曇らせる。青年金華猫は、その肩にもう片方の手を回し、今にも触れそうな位置で彼女を見つめた。瞬間、憂いが崩れ去ってゆく。

「領内で、狼による家畜の被害が急増したのです。父の大切にしていた馬も、被害にあいました。悲しんだ父は、酔って言ったのです。自分の馬の仇を取ったものに、娘をやってもいいと。翌朝、槃瓠の姿はなく、数日して、自分の体と同じくらい大きな狼の頭を引きずって帰ってきたのです」

「それであなたは、彼に嫁いだのですか」

 杜鵑はゆるくかぶりを振った。

「いいえ。悪酔いした酒の席の話だったのもあって、父はすっかり忘れていたのです。同じ席にいた方からそれを聞いても、まさかと取り合いませんでした。が、万一があってはならないと、私の出仕を決めたのです。私が暦を発ってからしばらくして、槃瓠も再び姿を消したそうです」

すう、と金華猫の笑みから熱が引いてゆく。にこやかではあるのだ。けれど、どこか冷たげな、張りつけた表情。

「お父様が怪我をされた時、はっきりとは覚えていないそうですが、犬の唸り声のようなものを聞いたと。――きっとあの子です」

「貴女は、彼とどうなりたいんです? またもとの犬と飼い主の関係? それとも、彼が落ち着けば約束を守る?」

 幾分低い声で、金華猫は問うた。

「まさか、まさか。あんな化け物と。私は約束などしていません。しかも、こんな騒ぎを起こした相手とわかれば、どうなるかわからないでしょう。関わらないに決まっています」

ああ恐ろしい、と杜鵑は金華猫の肩に頬をすり寄せる。そうして、「どうか、お守りくださいませ」と潤んだ瞳で金華猫を見つめた。しかし、向けられた彼は腕からも眼差しからも、するりとすり抜ける。

「約束を守れない方を、何から守れとおっしゃるのです」

 満面の笑みで。きっぱりと言い切る彼の口元は、今にも取って食いそうな三日月の形をしていた。


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