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ずっと気になっていたんです、と青年たちは次々に百合に花を渡してくる。丁寧に断ろうとする百合に、受け取るだけでもと食い下がる。一本許すと二本三本とそれは増えていった。あっという間に、腕の中は花でいっぱいになる。
「ちゃんと“お誘い”してくるなんて、骨のある人達よね。遠巻きにこそこそしているより潔いわ。せっかくだから飾りましょ」
水仙は紅色の王太子の花が目立つようにしながらも、花簪で百合を彩ってゆく。
蝋梅は、辺りを見渡した。ある一点で、それは止まる。
そこにいたのは、王太子演じる偽者ではなく、本物の望だった。先程の演舞の衣装のままだ。なにやらうら若い娘と話をしている。それを見ていると、なにやら苦しいものが、靄のように胸の内に停滞し始めた。
(何だろ、これ)
望は、にこやかに相槌を打ちながら話を聞いている。いつもよりも、どこか大人っぽいような、そんな雰囲気で。
蝋梅は思わず目を背けた。胸の中で、変に鼓動が鳴っている。
「あんなの、放っておきなさいよ」
水仙は無理やり自分たちの方を向かせる。
「え?」
「殿下、女の子とご歓談中なんでしょ。選ぶのは蝋梅なんだから。自分を大切にしてくれる人にしないと」
「ん? うん」
何だかわからないが、言っていることはもっともだ。蝋梅は頷く。再び花の持ち手に徹しようとすると、後ろから声がかかった。
「まだ間に合いますか」
蝋梅は横に一歩ずれて、百合の前を空ける。しかし、声の主は、そちらへは進み出なかった。にこやかに笑みを浮かべて、蝋梅の方へ歩み寄ってくる。
「僕はあなたに申し込みたいんですよ」
はあ、と間の抜けた声が出そうになるのを、すんでのところで飲み込んだ。飲み込んだはいいが、次が出ない。申し込みって?
「やったじゃない。話くらい聞いてきなさいよ。勉強だと思って」
水仙が背中を押す。が、すぐに百合の方へ下がっていった。
「で、どこのどなたなの、あの方」
「青連翹。名門と言われる五家の中でも温厚な方ぞろいの青家の出ですよ。しかも若手の中では有能と評判です」
水仙の肩に飛び乗って、金華猫が耳打ちした。王宮を混乱に陥れただけあって、情報通だ。
「イケメンだしね」
星を散らさんばかりの好青年。水仙のお眼鏡にはかなったらしい。固まっている蝋梅のところへ戻ると、もうひと押しした。
「行ってらっしゃい!」
流れに乗って、連翹は蝋梅の手を取る。あまり武芸は好まないのだろうか、なめらかな手だ。
(殿下とは、違う)
手を引かれながら、蝋梅はそんなことを思う。望以外の男性と歩くことなどないので、新鮮だ。
連翹は、少し離れた桃の木の下へ誘う。花は満面の笑みで咲きこぼれていて、春の訪れを祝福していた。
「確か、初めて参加されたんですよね」
そんなことまで知っているのか、と蝋梅は内心舌を巻く。何も知らないこちらとは、えらい違いだ。連翹は五色の細い紙を渡す。
「我々のいただくのはあなたも仕えていらっしゃる星の神ですが、こと豊穣に関しては花の神にお願いをしているのですよ。星の名をもらう王族と違って、我々は植物の名をつけて、繁栄を願うでしょう。ですから、特に臣民の行事として力を入れているのですよ。さあ、この紙を枝に結んで。こうして」
後ろから抱きしめるようにして、連翹は結び方を指南する。すると袖が触れ合って、服に焚き染められた香が、鼻をくすぐった。種類はわからないが、爽やかな若い木々を想起させる。
(随分距離の近い方だけど、これが貴族にとっては普通なのかしら……)
思案をめぐらせて、はたと蝋梅は思い至る。
(これが噂に聞く、陽キャパリピとかいうアレでは……? 百合が要注意だと言っていた謎の人種……)
対策方法を聞いておくべきだった。新たな脅威に、反射的に身を引く。
しかし要注意人種疑いは、あまりにも自然に再び距離を詰めてきた。そうして爽やか好青年の顔で、結び目の形を几帳面に整えると、手を下ろすついでに蝋梅の髪に触れた。
「綺麗な簪ですね。特注品ですか」
「えっと、いただきものなので、その辺は……」
蝋梅は言葉を濁す。あまりに無頓着すぎて、一国の王子に一式揃えられたとは言いづらい。
「星守様からですか?」
「いえ、大切な友人からいただきました」
嘘は言っていない。彼は友になろうと言ったのだ。こういう形で友と言われるとは想定していなかったであろうが。
連翹は、ふっと頬を緩める。
「素敵ですね。そんな友人をお持ちで。恋人でなくてよかった。では、他は僕が先約ということでよろしいですか」
「先約?」
後ろにいる連翹の表情は、蝋梅からは見えない。それがどことなく落ち着かなくて、向かい合う形に体勢を変える。彼の顔は、蝋梅が思っていたよりも近くに合った。
「――ああ、この国の花朝節には、昔の名残で夜の部が存在していましてね。愛を伝える場になっているのです。昼のうちにこうして予約しておいて、あなたが受けようと思った方のところへゆく。だから、一定の年齢になるまで出られなかったでしょう」
そういうことか、と蝋梅は合点がいった。他の祭祀は参加できていたのに、これだけはずっと留守番だったのだ。なるほどと頷く目の前に、花簪が差し出される。
「こちらをお受け取りください」
金糸雀色の花が、眩しく目に映る。大きな花弁は、挿せばもう成約済みだと、周囲に知らしめそうなほどだ。
(殿下は蘭さまに渡したのかな……。こんなふうに)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
どんな花を。どんなふうに。
蝋梅の知る望は、ほんの一部だ。星守の塔の中で、ひと時を過ごす間の。そこを出て、他の人たちとどのように過ごしているか、まるで知らない。そう思うと、また胸の奥がもやもやと重くなってきた。金糸雀色は、まるで目に入らない。
(どうして苦しくなる必要があるの? 殿下の幸せのためなのに)
思考を振り払って、蝋梅は目の前の相手に集中する。
「私は星守の塔の人間です。愛を語らう相手にはなりえません」
「一夜の夢になることもあるでしょう。もう少し、人目のないところでゆっくりお話しできたら、それでいいのです。髪につけておきますね。花簪を挿した中から、あなたが応えたいと思った相手を選んで時を過ごすのです。できれば、僕を選んで欲しいものですね。いろいろと見聞を広めることは、悪いことではないでしょう」
さら、と再び髪に触れられる。
(これも、当たり前な仕草なのかな)
百合が蕩けるような表情をしていたように。水仙がイケメンを見つけて喜びの声を上げた時のように。心が躍る時のはず。けれど、そんな気持ちに至らない。
「私は、あなたのことをよく存じ上げません」
「そうですね。今日会ったばかりなんですから、当然ですよ。だから――」
「待った」
ぐいと強く腕を引かれる。奪うようにして、望が蝋梅を抱きとめた。若木から、いつもの香りに一気に切り替わる。余程慌てて来たのだろう。まだ大きく肩で息をしていた。