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「殿下の秘蔵の花と噂されているのは、どなたかしら?」
そういきなり尋ねてきたのは、とびきり気合いの入ったうら若き少女たち。ここで花見は十分なのではないかと思えるほど、髪に大ぶりの花飾りをつけ、衣にも花をあしらった刺繍を施している。そして、香も今日ばかりは花に因んだもの。十人ほどで、魚鱗の陣を展開する彼女たちの表情は、険しい。
「秘蔵の花?」
蝋梅が返すと、魚鱗の陣は一斉に攻め込んできた。
「第二王子殿下に、お姫様抱っこされて運ばれたってお話の方よ」
「殿下は皆さんにお優しいの。勘違いしないでほしいわ」
「候補でもなんでもないんだから、私たちの椅子を荒らさないでほしいわね」
「同じ噂でも、蘭様くらい、家柄も容姿も文句ない方が妃になられるならいざ知らず」
「庶民上がりの者など、ふさわしくありませんわ」
「そもそも、星守見習いじゃ妃になれないじゃありませんの」
流石の蝋梅も、その押しにたじろぐ。可憐な花に見えて、その根は強靭だ。返答も待たずに、自らの興味の向く方へ矛先を変える。値踏みするように蝋梅の頭のてっぺんから爪先まで眺めたかと思うと、
「地味ねえ」
と、心底呆れた顔で言い放った。
「こんな時くらいおしゃれにすればよろしいのに。簪は細身の一本だけですの? 香だって……」
先頭のリーダー格が扇子越しに近づいてくる。すぐ側まで顔を寄せて、そうしてさっと顔色を変えた。
「ちょっとあなた、殿下と同じ香をつけてませんこと?」
その一言で、一団の空気が剣呑さを増す。
「どういうことですの」
「私たちには一切教えてくださらないのに」
「どういうご関係?」
再びの攻勢。今度は答えを聞くまでは逃がさないとばかりに、全体でにじり寄ってくる。
「ゆ、友人です」
少しも嘘はついていない。が。
「ただの友人が、同じ香を漂わせているわけないでしょう!」
「たまたま被ることくらいあるのでは?」
「男女が同じ香、それ即ち、同衾して香りを移し合う仲! 所有権を主張しているということですわ! そんなこともご存じありませんの?」
最後の方は、親切な解説でありながら、悲鳴にも似た声に変わってくる。
(同衾は……したな。でも、それで移ったわけじゃないんだけど)
いい香りですねと何気なく望に言ったら、大量にくれたのだ。ただ、それだけ。しかし、なぜか殿下が教えてくれない情報であったなら、真実であっても怒りを買うだろう。
はてさて、どうこの場を収めたものか。蝋梅が思案していると、いつの間にか一つの足音が近づいてきていた。
「何してるんだ? こんなに集まって」
声がするや否や、娘たちの目が一斉に輝き、その主の方へ向けられた。
「殿下!」
先程まで攻勢をかけていた時からは考えられないほど甘い、猫撫で声。その変わり身の早さに、蝋梅は舌を巻いた。
「ま、まあ、望様。こちらは星守の塔の方々の天幕近くですわ。わざわざどうしてこちらに?」
「楽しそうな声が聞こえてきたからな。俺も混ぜてもらおうかと思って。何の話をしてたんだ?」
娘たちは、顔を見合わせる。そうして、
「し、親交を深めていただけですわ! 失礼します!」
と戦略的撤退をとった。優れた指揮官は、引くタイミングを見誤らないものだ。蝋梅は感心する。随分と統率のとれた一団だった。
それにしても。目の前に現れた救世主を、蝋梅は改めてまじまじと見つめた。濡羽色の艶やかな髪。青く澄んだ瞳。
「どうした」
娘たちを見送っていた彼は、その視線に気づく。蝋梅は慌てて礼をした。
「失礼しました。よく似てらっしゃったので。お初にお目にかかります、王太子殿下」
顔を上げると、望と似た顔の彼は目を丸くしていた。
「ありがとうございました。私では上手い対処方法がわかりませんでしたので、助かりました」
「……どうして望じゃないってわかったんだ?」
声音は少し不満げだ。
「見た目は確かに似ていらっしゃるのですが……雰囲気だとか声の感じが違います」
具体的にと言われたら困ってしまうのだが。いつも触れている望とはどこか違う。
(ああ、そうだ。眼差し、殿下はいつも温かい)
同じ色合いでも、春の日差しのように柔らかく、優しげ。思わずまどろみたくなってしまうような、そんな目だ。
王太子は、少しばかり肩を落とした。
「そうか。結構自信があったんだけどな。服だって、せっかく失敬してきたのに」
蝋梅は苦笑した。確かに、剣舞の前に望が着ていたものと同じだ。今頃困っていることだろう。
「悪戯はそこまでにして、お戻りください。きっと怒っていらっしゃいますよ」
そうだな、と王太子は微かに笑んだ。
「騙せないんじゃ意味がない。ここに来るまで何人か試したけど、結構上手くいってたと思うんだけどな。さっきの娘たちだって、まるきり騙されてただろ」
香を言い当ててみせたのに、わからないものなのか。蝋梅は首を傾げる。
「蝋梅、大丈夫……えっ、王太子殿下?」
天幕の方から出てきた百合は、声を上ずらせた。みるみる頬が赤らんでいく。
「おや、きみもわかっちゃうのか。何だ、俺ダメダメだなあ」
王太子は深々と息をつく。状況が掴めずにいる百合に、蝋梅は「入れ替わりごっこをしていらっしゃったようなの」とさっぱり説明した。
「きみも望派なの? それとも俺派?」
バレた途端に、きらきらしたオーラを解き放ってくる。同一人物かと疑いたくなるくらいだ。さっと側まで体を寄せ、慣れた手つきで百合の顎のあたりに指をかけると、自分の顔がよく見える角度に持ち上げる。近づいてくる顔に、百合は耳まで赤くなってきた。
「あの、私は朔様派ですっ」
震える声で、何とか百合はそう返す。
「へえ、嬉しいな。これはお礼だよ」
朔は、手に花簪を取ると抱きしめるようにして後ろに手を回し、髪に挿した。紅色の、冴えた色合いの花だ。
「もしよかったら、今度ゆっくり話をさせてくれるかい?」
耳元で囁かれる、美声。まだ青い色香のあるそれに、百合は身を震わせた。はい、と頷く声がとろとろに溶けている。
蝋梅は一連の流れを、ただただ固まって見守っていた。似ているかって? 全然違う。ぽかんとしている彼女にも優雅に手を振って、王太子は去っていった。それはまさしく、二人の間に吹き抜けていった嵐。
蝋梅は我に返って、百合を覗き込む。嵐に遭遇したというのに、彼女は目を輝かせ、頬を紅潮させて、まだ夢の中にいるようだった。それを見ている蝋梅の方まで、その幸せが伝わってくるくらいに。
「百合嬉しそうね」
声をかけると、百合は扇子で口元を隠して微笑んだ。
「ええ、ええ。今日の剣舞も麗しくて、最高だったわ! 毎日お目にかかれたら、眩しさで目が潰れてしまいそうだし、胸が張り裂けてしまいそう」
時々水仙と並んで遠眼鏡で覗いている先が王太子だと知ってはいたが、あまりのはしゃぎっぷりに蝋梅は目を丸くする。
「初めてみたかも。そんなにテンションが高い百合」
「ふふ、恥ずかしいわ」
百合は顔を半分くらいまで隠す。それでもまだ、顔が赤いのが見てとれた。
「これくらいの供給がちょうどいいのかもしれないわ。けど欲を言うなら……毎日お目にかかりたい」
百合は長い睫毛を憂えるように伏せる。ぱちりぱちりと躊躇うように瞬かせて、僅かばかり声を落とした。
「ねえ、不純だって笑わないでね。私は次の王の星守になりたいの。妃は心が移ればそれで終わり。でも、星守は絶対だわ。そうしてあの方と手を取って、晶華を守ってゆく」
百合の髪を彩る花飾りが、東風に揺れる。扇子の端から見えるその瞳は、強い光に満ちていた。初めてのことだ。百合がこんなにもはっきりと、星守を目指す意志を見せたのは。
星守に選ばれるのは一人きり。王が代わる時が星守の代わる時であり、また逆も然り。王と星守は一体なのだ。そうありたいと願う、百合。
「笑わないわ。あなたの信念の原動力だもの。百合の占いは飛び抜けてるし、そのための努力家もしてる。そうでしょう」
そう返すと、百合は扇子を退けて微笑んだ。まるで、蕾がほころぶように。
「ありがとう」