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少しずつ寒さも和らいで、春の訪れも間近となってきたある朝。城内の演習場には、兵たちが一堂に集められていた。
とはいえ、物々しい雰囲気ではない。兵たちの前で、一段高いところに立った男も、ぎらぎらと気を漲らせてはいるが、その表情はどことなく楽しそうだ。
男は、この国の将兵を束ね、軍事の最高責任者である白柏槇。常人よりもひと回り大柄で、得意の槍を手にしたその姿は、物語の表紙を飾るにふさわしいような、迫力ある風貌だ。その立派な体躯から、それに見合う大きな声で、彼は呼びかける。
「さあ、じきに花朝節だ!」
そう言って、彼は兵たちを見回す。
「王侯貴族が一堂に野に集まって花見をする。敵からしたら絶好の機会だ。我々には一瞬の気の緩みも許されん! そこで今日は各々自分の力量を見極め、鍛錬に励んでもらうため、特別演習を行うこととした!」
白将軍は脇に控えていた人物に目配せする。その人物は小さく頷くと、同じく檀に上がった。それを見て、兵たちの中から歓声が上がる。
「蘭様!」
「今日もお美しい!」
登壇したのは、白将軍自慢の娘、蘭だった。動きやすいように簡素ないでたちではあるが、匂い立つような美しさは消えず、むしろ際立っている。
それを讃える賛美の声が上がる一方で、悲鳴もそこかしこで上がった。それを耳にして、彼女は唇の端をもたげる。
「さあ、皆様の実力、わたくしがわからせて差し上げましてよ!」
そう、彼女は美しいだけではなく、強いのだ。母譲りの美貌、父譲りの武芸の才。それを併せ持った彼女は、華麗に槍を振るう。一同、それぞれの組に散じて稽古を始めると、蘭もその一組に混じった。
「お、俺からお願いします!」
年若い兵が、声を上げる。
あれは赤家の櫟! 秒殺でも勇ましいぜ! 周りから、そう野次が飛ぶ。勇ましい一番槍はそれをねめつけるが、悲しいかな、彼女の槍さばきの前に野次の通りの結果となった。
その後も蘭は、兵たちをちぎっては投げちぎっては投げ、わからせてゆく。その前に、先程のされたばかりの櫟が立ちはだかった。
「もう一度お願いします!」
威勢はいい。しかし、彼女には到底及ばない。一糸も報いることなく、彼は再び地に伏した。それでも彼は、満足そうな笑みを浮かべる。
「ああ、幸せ……」
見れば周りにも同じような輩が転がっている。その群れを見て望は、ドMどもめと呆れた。
「殿下はどうなんですか」
横で、わからせられる順番待ちの兵が尋ねる。
「お前たちと一緒にするな! 何を言ってるのかわからないって感じの冷めた眼差しの方がいい」
きっぱり言い切ると、「殿下の変な性癖なんて知りたくなかったです」とブーイングを浴びせられた。
「でも、殿下の例の方、今回初めて参加されるんですよね? どんな方か楽しみだな」
「星守りの塔の方々は、行事でもなければ我々にはお目通りかなわないからなあ」
そんな兵たちの会話に、望は割って入る。
「おい、何の話だ?」
「何って、殿下のいい人の話でしょう」
望は思わず目を点にする。誰だなんて、トップシークレットのはずだ。なのに。
「皆知ってますよ。こないだの騒動の時、お姫様抱っこして連れて行ったって、秒で広まりましたからね」
「殿下が姫に集中できるように、暴れる女官をしっかり取り押さえてたって友人が言ってました!」
「俺たち、殿下の恋路を見守る会ですから。応援してます!」
王とは、民をその徳でもって大きく包み込み、見守るもの。王族の自分も、それに準じるものだと思っていた。しかし。
「見守らなくていいっ! 面白がってるだろ!」
好奇心と野次馬根性に満ちた眼差しが、おそれ多くも第二王子に注がれている。
「俺たち真剣ですよ、殿下。一般兵とこうして一緒に汗を流してくれる王族、なかなかいらっしゃいません。最初はどこのひょろい雑兵かなって思いましたけど」
「おい、余計な一言が混じってるぞ」
「王太子殿下と違って、浮名のひとつもなくて心配してたんですよ。妃候補を山と連れて来られても、誰とも特別親しくならないらしいじゃないですか。ひとつも賭けになりゃしない」
「やっぱり娯楽対象じゃないか」
望は、言い訳がましい兵のひとりの頬を伸ばす。
妃候補。
そんな単語を聞いたのは、まだ十にも満たない頃だった。
――どうです、家柄も容姿も申し分ありませんでしょう。
並みいる貴族の娘たちの中に兄弟で連れられて、切り出されたのはそんなこと。
「春を彩る艶やかな花だね」
色とりどりの花が咲き誇る中庭で、自分たちと同じくらいのまだ幼い娘たちが、背伸びした装いをして二人に視線を注いでいる。その輪の向こうでは、その親が。
「お気に召しましたかな」
「はは、まだ会ったばかりだよ」
横で兄が軽く笑う。
「はは、そうですな。しかし、いわゆるひとめぼれということもありますでしょう」
かわるがわるオークションでもするように、娘たちが紹介されていく。それは、その時だけでなく、継続的に続けられた。
「望、お前選ぶ気がないな」
辺りに聞こえないくらいの声で、兄は囁く。表情は少しも変わらず、にこやかなもの。兄の得意とするところだ。
「兄上こそ。しかし、妾の順番までご丁寧なことですね」
どうですかと口では言いつつも、勝手に下馬評を並べられ、順位を決められる。王太子妃は青家の娘、第二王子妃には白家の娘だ。そう彼らは囃し立てる。当人たちの意志など関係なしに。娘たちも、たまったものではないだろう。
「遊びでは好きにさせてもらうさ。お前はお気に入りの花でもいるのか」
とびきりの笑みで、兄は言う。何かと思えば、その先で娘たちの一部が意味深な視線を送ってきていた。
色鮮やかな刺繍、高価な宝飾品、見目麗しい容姿に仕草。最高の芸術品に仕上げられてきている。オークションのクライマックスに向けて。
「俺は春を呼び起こす儚い香が残っていて、他の花が入ってこないんです」
まだ入れ込んでいるのか、と呆れた口調で兄は返す。
「そんなに強く香る花じゃないだろう。中央に据えるには周りが強すぎる」
「どんなに華やかな香りでも、これだけ混じればわからなくなるものでしょう」
むっとしたように、望は反論した。
「それはまあ、一理あるな。嗅ぎ分けるのも才能だが」
くつくつと、喉の奥で笑う。はたから見れば、楽しげに談笑している兄弟だ。
「俺は一輪だけでいいです。いくつも愛でられるほど、甲斐性がないもんで」
「花園も悪くないぞ。様々な花を楽しめる。こちらの旬が終われば、次の花を愛でればいい」
同じような服を着て、並べばそっくりだと人は言う。けれど、ものの考え方はまるで違った。小さい頃から、ずっと。